四章 白昼夢

第37話 白昼夢

 聖歌高校の五月の行事。バスで数十分移動した先にある海のゴミ掃除。関係性が無さそうな事だが、七月に行われる行事が関係している。なんでも、海の近くにあるキャンプ場で二泊三日のキャンプを行うらしい。場所を使わせてもらう前払いとして、五月は海の掃除をするようになった。金銭を払わずに、掃除をするだけで場所が使えるなら得だ。     


 そんな訳で、海へ移動するバスの窓側の席で、俺は流れていく景色を眺めていた。イヤホンから流れる音楽が雑音を掻き消す。流れている音楽は、曲名も知らなければ歌手も分からない。良く言えば一目惚れで、悪く言えば雰囲気で選んだだけ。


 景色を眺めていき、俺は気付いた。今年は桜を見ていない。別に桜が好きというわけではないが、桜を見なければ春を知る事が出来ない。春を知らなければ、四季が一つ欠けて嫌になる。他にも春に関連した物があるかもしれないが、俺にとっては桜だけが春だった。今更グダグダ言っても、桜が咲くのは来年の春だ。俺の為にもう一度花咲く程、現実は優しくない。だからこそ、現実や世界というものは平等なんだろう。


 流れていた音楽が止まり、俺はもう一度再生しようとした時、細長いチョコ菓子が視界に割り込んできた。隣に視界を映すと、俺と同じようにイヤホンを耳に着けた女子が俺を真っ直ぐ見つめていた。制服の上にパーカーを着て、車内なのにフードを被っている。頬は若干やつれており、目の下には黒い隈がある。細い首に見合った鎖骨の浮き具合だ。


 


「食べる?」




 無気力でありながら、若干の攻撃性がある声色だ。断れば機嫌を損ねてしまいそうだし、素直に受け取っておこう。


 チョコ菓子を受け取り、先端を少し齧った。滲むような甘さが口の中に広がり、思わず眉間にシワが寄ってしまう。つくづく、俺は甘い物が苦手なんだな。




「……お礼も無いの?」




「は?」




「……なんでもない」




「そうか。ありがと」




「それ、どういう意味のありがとう?」




「チョコのありがと」




「絶対違う。私が鬱陶しかったからでしょ」




「鬱陶しいとは思ってない。思うわけないだろ」




「……そうだよね。所詮、他人だもん」




 そこで会話が止まった。会話をしてしまった所為で、音楽を聴く気にもならない。音楽プレイヤーの電源を切って、窓から見える外の景色を眺めた。




「……なに聴いてるの」




 視線を再び彼女に向けると、彼女は俺を見ずに、チョコ菓子を口に咥えていた。




「もう聴いてないよ」




「さっきまでは聴いてたじゃん」




「そうだけど、もういいんだ。聴く気分じゃなくなった」




「それって私の所為?」




「……どうして君は、そう悲観的なんだ」




「悲観的じゃない。事実を言ってるだけ」




「それは君がそう思い込んでるだけだ」




「偉そうにして……ムカつく」




 また会話が途切れてしまった。俺もそうだが、彼女は話下手だ。興味を持って質問をしたのに、その回答が想定外だと知ると、喧嘩腰になって自論を捻じ込もうとする。当然、自分も相手も良い気分にはならない。


 このままお互い悪い気分のままだというのは居心地が悪い。今度は俺から話題を振ってみよう。




「君は何を聴いてるの?」




「……関係ないでしょ」




「君は聞いて良いのに、俺は駄目か。他人にはあまりオススメ出来ない曲だったりする?」




「うるさい」




「そうか。まぁ、趣味は人それぞれだ。ガンガンに効かせたロックだろうが、人が群がった話題曲を聴いてようが、勝手だもんな」




「……そんなんじゃない」




 彼女は右耳に着けていたイヤホンを外し、俺に着けるように促してきた。イヤホンを受け取り、彼女の方に身を寄せて、右耳にイヤホンを着けた。流れてきたのはロックでもなければ、味のしなくなったガムでもない。どのジャンルに当てはまらない音楽だ。


 楽器は分からないが、耳に優しい音ばかりが聴こえてくる。歌声が無いおかげで、曲に込められた世界が浮かび上がってくる。霧がかかった森の中。人の気配はおろか、動物や虫達の気配も無い。恐怖も安心も無く、ただただ森を彷徨い歩いている。何の為に歩く、どう終わるのかも分からない。




「……まるで白昼夢だな」




「……なんで分かったの?」




「何が?」




「曲名」




「そうだったのか。聴いていれば、分かる気がするが」




「……あなただけだよ。理解してくれたのは」




「誰の曲なんだ? 他のも聴いてみたい」




「……私」




「それは凄い。将来は売れっ子だな」




「無理だよ。こんな曲、みんな聴きたがらない。みんな幸せになれる曲を聴きたいの。辛い現実から逃げる為に。だから音楽は廃れない」




 彼女はそう言うが、俺はそうは思わない。テレビやラジオで流れる音楽と違って、彼女の曲は素晴らしい。時代に合った曲を作る人達と違い、彼女は自分だけの世界を持っている表現者。こういう才能が世に出回らないのは、世界の損失だ。


 曲が終わり、彼女の世界から現実に戻ってきて、俺の手の上に彼女が手を重ねている事に気付いた。握っているのではなく、触れているだけ。




「あなただけ。あなたしか、私を理解してくれない」




「まるで告白だな」




「そうかもね。でも、私はあなたを知らない。私の理解者という事しか分かってない」




「門倉冬美」




「男子にしては、可愛い名前だね。私は鷺宮心。名字では呼ばないで」




「分かったよ、心さん」




「さんはいらない。呼び捨てて」




 さっきまで険悪だったのに、随分と心を開いてくれたものだ。それほど自分の作品を理解してくれたのが嬉しかったという事か。


 


「もっと心の曲を聴きたい。目的に着くまで、まだ時間はある」




「私の曲を退屈しのぎに使うつもり?」




「フッ。そうかもな」




「酷い奴……」




 そう言いながらも、心は曲をかけてくれた。さっきとは別の曲だが、これも良い。さっきのが白昼夢だとすれば、これは孤独だ。独りで星空を眺めているような寂しさと美しさがある。




「やっぱり良い曲だよ」




「……そう」




 このバスには俺達以外、誰も乗っていない錯覚を覚えた。無人のバスに揺られ、俺達は果ての無い旅をしているようだった。感じるのは心の音楽と体温。出来る事なら、このまま彼女の世界に囚われていたいと思う程、俺は心の音楽に魅了されていた。

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