第36話 地獄の沙汰も金次第
荷物をまとめ、監督に灸を添えるべくしてコテージから出た。丁度その時、コテージ前に停めていた車にエンジンが点き、運転席には監督が乗っていた。
「監督!」
監督が逃げ出すのを阻止するべく松田さんが一歩前に駆け出したが、人の足と車では初速から格が違う。 松田さんが車を停めていた場所に辿り着く頃には、監督が運転する車は見えなくなっていた。
「あぁ……僕の車……僕の愛車が……」
「どうせ仕事を辞めたら取り上げられてましたよ。あれはあくまで仕事用の車でしょ」
「そうだけど……せめて、ガソリンを……ガソリン? そうだ、ガソリンだ! あの車、あとちょっとでガス欠だったんだ! 追えばまだ追いつけるかも!」
「いや、追うのは俺だけでいい。車の後ろ部分が壊れるかもしれませんが、構いませんよね?」
俺は鞄の中から功昇先生から渡された箱を開けた。箱の中には小さな小瓶が入っており、ドロドロとした赤い液体が入っている。瓶の封を取り、液体を一気に飲み干した。味は腐った動物の老廃物で煮込んだスープ。二度と飲みたくない味だ。
だが、良薬口苦し。この液体によって、俺は少しの間だけ人外の力を得られる。体中の血液が沸騰し、高温度となった血が目から流れてくる。抑え込まれたていた体の縛りが解け、体の中が空っぽになった。
一歩前に踏み出すと、俺は監督が運転していた車の後部側に激突していた。やはり最初はこうなるか。これで【狂厄液】を飲んだのは三度目になるが、最初だけ力の制御が出来ない。
力加減に集中して運転席側に行くと、監督はエアバックで顔を押し潰されていた。運転席のドアを剥がし、監督を運転席から放り出すと、監督はニヤニヤと笑いながら、俺から後退りし始めた。
「いや、君のおかげで素晴らしい画が撮れたよ! ホラー映画を撮るつもりだったが気が変わった! アクションにしよう! 君が主演だ! もちろん、報酬は上乗せするよ! 必ず! キッチリ! 今度払うから!」
「言わなかった?」
「な、何を……?」
「俺は現金主義だ」
監督を肩に担ぎ、俺は半分程の力で空に飛び上がった。一直線に雲の上を通過すると、一秒だけ静止し、雲の上の世界を眺める事が出来た。その景色は幻想的で、まるで物語に出てくる仙人のような気分になれた。
しかし、狂厄液によって力を得ても俺は人間だ。人間は雲の上に立てない。内臓が浮き上がった感覚がした。すなわち、落下の始まりだ。
雲を通過すると、激しい轟音と共に空気の壁を突き破り続けていく。あれだけ広いと思っていた森も、空から見下ろせば狭く感じてしまう。
「さぁ、パラシュート無しのスカイダイビングだ! どんな気分だ!」
「うわぁぁ!? あ、ああ!!! ぬぅあぁぁ!!!」
「暴れるなよ! 暴れれば掴んでいる俺の手が離れる! それはあんたにとって唯一の命綱だ! 死にたくなきゃ、ジッとしてろ!」
「これは、どういう!? どうなって!? 俺は!?」
監督はパニック状態になっていて、話を聞く耳を持ってない。良かった。恐怖という感情は持ち合わせているようだ。
俺は監督を放し、監督の下に位置した。俺を見る監督の目は大きく見開かれており、風に当てられてか、どんどん充血していく。俺はポケットに両手を突っ込み、ベッドに横になるような体勢で余裕を気取った。今の立場を分からせる為だ。
「これはフィクションじゃなく、現実だ。撮り直しも撤廃も無し。死んだらそのまま死ぬ。誰にも知られず、ひっそりと生涯を終えるんだ」
「た、助けて!!!」
「助けて? 何言ってるんだ! あんたはホラー映画界では名の知れた名監督! こんな奇々怪々でスリル満点な状況で言う遺言はそれじゃないだろ?」
「わ、悪かった! 勝手に撮影を始めて! 偉そうな事も! とにかく悪かった!」
「なら取引しましょう。あんたのクレジットカード。限度額無制限で俺に献上してください」
「さっきは現金主義って!?」
「は? 時代はキャッシュレスだろ? それで、どうする! 地面に激突するまで、もう時間は無いぞ! 地獄の沙汰も金次第だ!」
「グッ!?……わ、分かったぁぁぁ!!!」
俺は監督を肩に担ぎ、落下に備えた。奇しくも落下先はコテージであった。新築のコテージに大きな穴が出来たが、俺も監督も無事に済んだ。正直言って、落下時は賭けだった。雲を突き破った時点で狂厄液の効果は薄れ始めていて、もつかどうか怪しい所であった。
コテージから出ると、松田さんは俺に向けてカメラを構えていた。俺は担いでいた監督を松田さんに放り投げ、監督の下敷きになった松田さんの手からカメラを取り上げる。録画したデータを見ると、どれも俺の姿だけが映されており、他の人が映される寸前で別のシーンに切り替わった。こうも自分だけ映されていると、気持ち悪くなってしまう。
「このコテージで起きた事は全て夢。夢が記憶に残る事はありません」
カメラのボタンを操作し、録画データを消去した。松田さんにカメラを返すと、松田さんはハンカチの匂いを嗅ぎながら残念そうにしていた。
その後、俺達三人は下山し、電車に乗って町に戻ってきた。別れ際に約束のクレジットカードを受け取り、俺は帰路についた。
コテージでの面倒事から三日が経ち、俺は買いたい物を好きなだけ買う豪遊生活を楽しんでいた。マッサージチェア。コーヒーメーカー。フカフカの毛布。アイマスク。この四つの神器があれば、溜まる一方だった疲れが、その日の内に解消出来る。
「門倉君。今日も宅急便で荷物が届いたけど……また何か買ったの?」
アイマスクをズラし、進藤先生が持っている箱を見ると、それは俺が使う物ではない。進藤先生が使う為に頼んだ物だ。
「それ、進藤先生にです」
「私に?」
進藤先生は箱を開けると、中にある長袖の白いワンピースを広げた。
「これ、雑誌に載ってて欲しかった服……! 門倉君、私が欲しそうにしてるのを知ってたんだ!」
「そうなんですか? 偶然ですよ、偶然」
「え……フフ。やっぱり、君は優しいね」
「だから偶然ですって。俺はもうひと眠りします。明日から、また学校ですから」
「素直じゃないんだから。あ、でも、これ高かったでしょ? せめて、半分くらいは―――」
「お金なら心配ありません。俺、石油掘り当てたんで」
「せ、石油?」
再び眠りにつこうとした瞬間、クロが俺の胸元を突いてきた。視線を移すと、クロは人差し指で自分を指し、自分の分の贈り物が無いかを俺に訴えていた。贈りたいのは山々だが、クロの性質上、どんな贈り物も消えてしまう。贈った物が使われなければ、俺も贈る気が起きない。
ズラしていたアイマスクを元に戻し、俺は逃げるように眠りについた。
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