第35話 制作中止

 真っ白。何も触れられず、何も見えず、何も聞こえない白の世界。自分が誰で、どんな姿をしているのかも思い出せない。手足をどうやって動かしていたのか。声を出すには体のどこに力を入れればいいのか。全部、全部分からない。


 鐘の音が雪崩れに乗ってやってきた。発火。体の内に、火が宿る。思い出すのは、痛みだけ。痛くて痛くて、苦しくなって、俺は俺を思い出した。




 目を覚ますと、心配そうに俺を眺めている松田さんと目が合った。




「……大丈夫、かい? うなされてたっていうか、その……悪魔に憑りつかれたみたいだった……」




「毛布が無いと悪夢を見るんです。それより、あの監督について聞きたい。あれは、一体何だ?」




「……監督は普通の役者は使わない。監督の映画に出る役者は、みんな実在しない。フィクションの存在なんだ」




「フィクションの存在が現実に現れたら、それはもうフィクションの存在とは言えない」




「最初は各々決められた設定があったんだ。でも、監督が色々弄った所為で、他の設定が混在した不安定な者になったんだ。君も見ただろ? 殺されたはずの役者が、無限に現れていく様を」




「どうすれば終わらせられる?」




「それは監督にしか分からない! これは映画だ。映画がどうやって終わるかは、監督が決める事だ!」   




 その時、パソコンの前に置かれていた携帯電話の着信音が鳴り出した。動けない松田さんの代わりに携帯電話を手に取ると、監督からの電話であった。


 俺は携帯電話を松田さんの前に置き、スピーカーにして通話のボタンを押した。




『おい松田ァ!!! あの子は今何処にいる!!!』




 電話口から聞こえる監督の声は、酷く荒れていた。俺が首を横に振ると、松田さんは首を縦に振ってくれた。




「今、捜している最中です……」




『じゃあ何で見つかんねぇんだよ!? カメラはコテージの至る所にあるんだ! 血眼になって捜せ!!!』




 通話が切れると、松田さんは唇を噛み締めながら体を揺らし始めた。俺は松田さんの胸ポケットからハンカチを抜き取り、松田さんの鼻にハンカチを近付ける。松田さんは鼻息を荒くしながらハンカチの匂いを嗅いでいくと、不安定になっていた情緒が安定した。


 


「ふぅ……ありがとう。やっぱり、君は優しいね」




「情報源が機能しないんじゃ、この異常事態を解決出来ないからな。単刀直入に言うが、解決方法はあるか? 例えば、元凶の監督をブッ飛ばすとか」




「無理だよ。監督はこのコテージから離れた場所にいる。解決方法はただ一つ。監督の要望通りに演技をする事」




「殺戮をしろと言われて、お望み通り殺しまくったが、あの様子じゃ満足していないようだな。五十人以上は殺したんだぞ?」




「追加のシーンを撮りたいのかも。だから、君を捜すように僕に連絡してきたんだ」




「……コテージのあちこちに、カメラが設置されてるって言ってましたよね? 監督という存在の前に、カメラが無いと映画は作れませんよね?」




 松田さんの手足を縛っていたコードを解き、屋根裏部屋に通じる階段を下におろした。




「待って! カメラの場所は分かるのかい? このコテージは既に原型を留めていない。僕に協力させてくれ! 僕はカメラマンだ。場所の原型が留めていなくても、カメラの位置は分かる」




「俺に協力したら、監督に殺されるんじゃありませんか?」




「構わないよ。どうせ辞表を出すつもりだったんだ。でも、辞めるキッカケも勇気も無くて……だから、君に協力してほしい。自分勝手な願いで悪いけど……」




「利害の一致に茶々入れませんよ。それで、どう協力してくれるんですか?」




「このパソコンは、監視用のカメラとリンクしている。これで君をカメラの場所まで誘導するよ。連絡手段は僕の携帯を使ってくれ」




 床にある松田さんの携帯電話を拾い、俺は屋根裏部屋から下りていった。部屋から出る前に、松田さんに通話をかけた。




『よし。近い所から行こう。その扉の先の廊下には、凶器を手にした役者達が徘徊している。コテージの構造が複雑化されているから、一ヶ所に集まっている危険は無い。でも、一人一人を排除していく時間は無い。撮影用カメラを壊す事を最優先に動いてくれ』




 扉に耳を当て、廊下から物音が聴こえないのを確認してから部屋から出た。松田さんが言っていたように、コテージ内は本来の姿から変わり果て、いくつもの分かれ道がある迷路のようになっている。携帯電話を耳に当てながら、松田さんの指示通りに道を進んでいく。


 いくつかの分かれ道を進んでいくと、俺を捜している役者が廊下を徘徊していた。




『今通り過ぎた部屋に、一つ目のカメラがある。でも扉を開ける音で気付かれるから、あの役者が他の場所に行くまで待とう』


  


 指示通りに角で待っていたが、いつまで経っても役者が別の場所に行こうとしない。これ以上コテージの構造が変化し、松田さんでも把握出来なくなったら一巻の終わりだ。一秒でも無駄に時間を消費出来ない。


 音を立てないようにしゃがみながら役者の背後まで迫り、間合いに入ったタイミングで、役者の首に腕を回した。抵抗される前に、膝裏を蹴って膝をつかせ、絞め落とした。気絶させた役者の手からアイスピックを奪い、意識が戻らないように念入りに刺し殺した。


 


『わぁー……君、容赦ないね。と、とにかく。その部屋の中にカメラがある。上から二番目の棚の中だ』




 部屋に入り、部屋の隅に置いてある棚の扉を開けた。上から二番目の場所を見ると、ヒダが付いた大きな目玉が置かれていた。その目玉にアイスピックを突き刺すと、コテージ内に激しい揺れが発生した。  


 


『一つ目のカメラが破壊された! この揺れはフィクションの崩壊。つまり、現実に戻り始めているんだ。でも、この変化に監督も気付いているはずだ。すぐにそっちに役者達を向かわせるだろう。他のカメラがある場所まで急ぐんだ!』 




 部屋から出ると、廊下の先にある分かれ道から、溢れんばかりの役者達が駆けて来ていた。俺は役者達がいる反対方向に走り、分かれ道を駆使しながら役者達から逃げていく。


 そうして、松田さんの的確な指示のもと、次々にカメラを壊していき、残されたカメラは最後の一つとなった。コテージ内は既に現実を取り戻しつつあり、役者の数も随分と減ったが、それでも十数人はいる。必死に俺を抑えつけようとする役者に抵抗し、廊下の先にある最後のカメラを蹴り壊した。


 すると、俺を追っていた役者は姿を消し、暗闇に包まれていた外に朝が訪れ、窓から陽の光が差し込んできた。窓の外を眺めていると、松田さんが俺のもとへ駆け寄ってきた。




「ようやく終わったね」




「まだ終わってませんよ。肝心の奴が残ってます。監督の居場所は分かりますか?」




「今は外が明るい。監督がいる場所まで案内出来る。でも、どうするつもりなんだい?」




「一応は有名人だから、殺せば面倒事になる。だから、教育するんです。フィクションと現実の違いを知ってもらいましょうか」

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