第32話 侵食するフィクション
現実とフィクションの違いは、選択肢にある。人には定められた運命があるが、その過程は定められていない。どのように始め、どんな道を進み、どう終わるか。それは自分にも他人にも、ましてや運命を定めた者にも分からない。運命というのは、意外と曖昧なものだ。
しかし、フィクションは違う。あれは始めから最後まで、全ての道が決められている。別の道に踏み出す事も、踏み出そうと考える事も出来ない。現実の運命が旅なら、フィクションの運命は断頭台だ。どんなにハッピーエンドで終わりを迎えても、幕が下りれば全てが無かった事になる。
もし、このまま台本通りに事が進めば、このコテージにいる全員が死ぬ事になる。登場人物達は殺人鬼によって殺されると台本に記されていた。
だが、二つの疑問がある。一つは、殺人鬼が登場人物を殺すと台本に記されているが、その殺人鬼の役は俺だ。俺は木村一郎を殺していないし、殺すつもりもない。二つ目は、台本の効力についてだ。台本通りに事が進むのなら、阻止する方法はいくらでもある。俺の部屋には台本があり、その内容を共有する事で、これから起きる悲劇を回避出来るはずだ。
俺は早速、困惑している役者達をリビングに集め、台本をテーブルに置いた。
「この台本は俺の部屋に置かれていた物です。台本に目を通してみてください。これには、これまで起きた事が記されていました。おそらくですが、現在このコテージでは、台本通りに事が進むようになっています」
俺の言い方が悪かったのか、三人はまるで化け物を見るような目で俺を見ていた。
「信じられない話かもしれませんが、事実として木村一郎さんは殺されました。この台本は話の流れしか書かれていない為、次に誰が死ぬかは書かれていません。ですので、全員に台本の流れを憶えてほしいんです」
「……どうして、君は平然としてるの?」
「まぁ、慣れてますから」
戸田さんの問いに答えると、南さんが勢いよく席を立ち、リビングから出ていこうとしていた。南さんを引き留めようと、彼の肩を掴むと、南さんは振り向きざまに俺の手を振り払った。南さんの表情は恐怖に染まっており、知り合った当初の虚勢が無くなっていた。
「お前どっかおかしいんじゃねぇのか!? 人が殺されたんだぞ!? なのに、表情一つも変えねぇ……狂ってるよ!!!」
南さんは逃げるようにリビングから出ていった。追いかけていっても、彼の恐怖を煽るだけだろう。こういう時、宮下さんがいれば楽に従わせる事が出来るんだがな。
俺がテーブルの方へ戻ると、台本に目を通した垣田さんが俺に話しかけてきた。
「門倉君。この台本は、君の部屋に置かれていたんだよね?」
「そうです」
「この台本には、殺人鬼に登場人物が殺されていくと書かれている。そして、君は殺人鬼の役でここに来た……つまり」
「ちょ、ちょっと待ってよ垣田君! 君は、木村さんを殺したのがこの子だと言いたいの!?」
「確かに、そう捉えられても文句は言えません。ですが、俺は殺してません。別の誰かが木村さんを殺し、俺の部屋の前に木村さんの死体を置いたんです」
「信じられないな」
「信じるべきです」
垣田さんは鋭い眼光で俺を睨んでくる。俺はまばたきをせずに、垣田さんの目を見続けた。
「……そうか。ごめんね、睨んじゃって。君が本当に殺したかどうかを試したかったんだ。僕は相手の目を見て話す事を常にしている。人の本心は目の動きに現れる。本当か嘘かは分からなくても、心の変化を把握する事は出来るからね」
そう言って、垣田さんは微笑んだ。状況が悪化しなかった事に安堵してか、戸田さんは声が混じった溜め息を吐いた。
「……私は、まだこの状況をちゃんと理解出来ない。もし、門倉君の話が本当だとしても、どうすればいいかも分からない……だから、お茶にしましょ!」
「お茶?」
「行き詰った時とか、悩んでる時、私は一旦考え事を止めてお茶にするの。それで今まで演劇をやれてきたんだから、意外と効果があるのよ?」
「確かに、こういう時にこそ、緊張をほぐすのは大事かもしれませんね。確かキッチンに、紅茶とコーヒーがあったはずです。あ、僕は紅茶で」
「オッケ! 門倉君は何か飲む?」
「俺はコーヒーで。出来たら、苦めに作ってください」
「分かった! うんと苦いの作ってあげるから!」
戸田さんは笑顔を浮かべて、キッチンに向かっていった。正直、お茶を飲んでいる場合では無いが、それで二人の気持ちが軽くなるなら受け入れよう。
キッチンで戸田さんがお茶の準備をしている間、俺はもう一度台本の展開を確認した。脅迫状が見つかり、最初の殺人が起き、そして現在だ。次に起きるのは【各々の秘密が露わになる】と【仲間同士で疑い合う】展開。
「門倉君は、学生なのかい?」
「はい。高校生です」
「へぇー。それにしては、随分と肝が据わってるね。それに高校生で映画に出演するなんて」
「まぁ、映画に出演どころじゃなくなりましたがね」
「ハハ、確かに。でも、高校生か……実は、戸田さんも高校生の時に演劇を始めたんだ。それから今日にいたるまでの十年間、演劇に人生を注いできたみたいだけど……彼女は、まだ役者になれていないんだ」
「詳しいですね? 垣田さんは戸田さんと以前から親交が?」
垣田さんは鼻を指でこすりながら、困ったような笑顔を浮かべた。
「実は、僕と戸田さんは年の離れた幼馴染でね。中学までは、よく家族ぐるみで出掛けていたよ……ここだけの話だけど、僕はずっと彼女に片想いしてるんだ。役者を兼業しているのも、彼女と同じ舞台に立ちたかったからなんだ」
「じゃあ、演劇を本業にすればいいじゃないですか」
「そりゃそうだけど、僕は彼女が気になるだけで、役者には興味が無いんだ。それに、今の仕事も結構やりがいがあってね。学生の時は、いつでも彼女の様子を見に行けたけど……大人になったら、色々とあるんだ」
「……羨ましいです。俺は、戸田さんや垣田さんのように、何か一つの事に熱中する事が出来ませんから」
「君は好きな人がいないの? 高校生なら、一人くらい気になる子がいてもおかしくない」
「好きかどうかは分かりませんが、警戒しないといけない人物は何人か」
「警戒って……ハハ……き、君はやっぱり、ちょっと変わってるね」
好きな人、か。今まで色んな人と出会ってきたけど、恋愛感情でいう好きを抱いた相手はいなかったな。気に入った人や興味を抱いた人はいたけど、垣田さんのように、その人に執着する事はなかった。
いや、一人いるな。俺と黒い線で繋がっているクロ。全てが謎に包まれている怪異だが、俺は受け入れている。手放したくないと思ってしまう。俺は、クロに恋愛感情を抱いているのか?
急いで結論を出す必要は無い。この感情を考える時間は、まだある。
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