第30話 ルームサービス

 扉を叩く音で目が覚めた。時刻を見ると、深夜の一時。ベッドから起き上がり、扉を開けようとドアノブに触れた瞬間、扉を叩く音が止んだ。少し気になったが、特に気にせずに鍵を開けてドアノブを捻った。


 その瞬間、俺がドアノブを引いていないにも関わらず、扉が勝手に開いた。どうやら、扉の向こう側にいる誰かが扉を押しているようだ。しかし、その力は一定で、押し入ろうとする気配が無い。俺はドアノブを引きながら、後ろに下がった。 


 すると、一人の男が俺の部屋に倒れ込んできた。顔から床に倒れ込んだというのに、声や体の反応が全く無い。それもそのはずだ。なぜなら、この男の背中には、ナイフが深く突き刺さっているのだから。


 俺は部屋の電気を点け、男の体に触れないようにして、廊下に顔を出した。廊下には誰もおらず、部屋の前の床には血痕が無かった。あの男は、俺の部屋の前で殺された訳じゃなさそうだ。


 再び男の方へ視線を戻し、背中に刺さっているナイフを見てみた。刺さっているナイフは本当に深く刺さっており、銀色の刃の部分が見えなくなっている。服に染み付いている血が黒く乾いている事からして、血が出てから時間が経っているようだ。その証拠に、男の肌は青白く変色している。


 


「酷いルームサービスだな」




 さて、この状況をどうすべきか。俺の部屋には今、背中をナイフで刺された男の死体がある。俺は男を殺していないし、清潔な部屋を汚された事を理由に出来るなら、俺は被害者だ。


 しかし、状況が悪すぎる。男はこの部屋に横たわっていて、発見者は俺以外にいない。ナイフの握り手についている指紋を調べようにも、そういった機器はこのコテージには無い。無罪を証明する物が無い事はつまり、第三者から見た俺は容疑者という事になる。


 一か八か、俺は第三者に知らせる事を選んだ。俺が体験した一連の出来事を全て話す。信じるか信じないかは分からないが、この死体を隠せば、状況が悪化するのは目に見えている。


 廊下に出ると、一階の方から複数人の話し声が聞こえてきた。階段を下り、声が聞こえる方へ足を進めていくと、リビングに見知らぬ人物達が集まっていた。今朝見た顔は一人もおらず、全員二十代前半か後半くらいの男女だ。手には赤ワインが注がれたワイングラスが握られており、囲んでいるテーブルの上には様々な肴が置かれている。


 リビングの扉を開けると、一人の女性が俺の方へ視線を向けた。




「あれ? 子供がいる」




「え?……ホントだ。子供だ」




「おい、ガキ! どっから来た!」




「そんな言い方ないでしょ! 怖がらせてごめんね? こっちに来て一緒にお話しましょ」 




 三人が囲んでいるテーブルの空いているスペースに入り、三人を観察した。俺から見て左側にいる黒髪の女性は、服装もメイクも質素だ。別に容姿が悪いわけではないが、良いわけでもない。


 右側にいる黒髪の男は、無害という言葉が似合う男だ。髪型も顔も服装も、全て特徴が無い。あるとすれば、グラスを持っている右手が少し震えている所。


 前にいる金髪の男は、他の二人と比べて面白い。髪色や服装で悪を気取っているが、その実、臆病なようだ。俺と目が合う瞬間、逃げるように他の場所へ視線を移している。


 おそらく、この三人は映画に出る演者だ。でなきゃ、堂々とした盗人だ。このコテージは撮影で貸し切っているらしく、スタッフは松田さん以外にいない。改めて考えると、監督はよくこんな少人数で映画を作ろうと考えたな。


 


「みなさんは、映画に出演する方達ですか?」




「そうよ。私は戸田奈々。普段は劇団の方で仕事をしてるの」




「僕は垣田凛。役者は副業で、本業は会社員だよ」




「ふーん。それで、あなたの名前は?」




「……見知らぬガキには教えねぇよ」




「いい加減にしてよ、子供相手に! ごめんね? 彼は南正平。見た通りの人間よ」




「俺だって役者さ! 歴が長いからって、先輩面しやがって……!」 




 さっきまで談笑していたのが嘘だったかのように、気まずい雰囲気が流れている。一体どうして急に……あ、俺の所為か。


 それにしても、役者が本業じゃない人ばかりだ。俺の記憶が正しければ、監督は今回の映画に自信を持っていた。それなのに、人数も少なければ、役者も半端な人ばかり。今回の映画の予算が少ないのが理由か、あるいは何らかの目的の為か。




「みなさんは、どれくらい前から飲んでました?」




「二時間前くらい? 一々時計を見ないから」




「役者は三人だけ?」




「ううん。あと二人いるよ。二人共、私達よりも早くにここに来てるみたい」




「……監督は、今何処に?」 




「さぁな。おかげで、好き勝手やれるぜ!」




 あと二人の役者。一人は俺で、もう一人は俺の部屋にある死体。二時間前からここで飲んでいたのが確かなら、俺の部屋をノックしていたのは、この人達じゃない。この場にいないのは、監督と松田さんだけ。


 つまり、監督か松田さんが、あの男を殺した犯人だ。つつけば簡単に崩れる推理だが、現状はこの二人が犯人の可能性が高い。


 


「松田さんの部屋って分かりますか?」




「カメラマンの? 彼なら、屋根裏部屋にいるはずだよ。一緒に飲もうって誘ったけど、酒は飲めないって断られた」




「そうですか……ありがとう。それじゃ、未成年は酒の場に相応しくないので、これで失礼します」




「ちょっと待って! 君の名前は?」




「門倉冬美。エキストラですよ」




 リビングから出て、二階に上がって屋根裏に通じる部屋を探した。外で見た外観の記憶を頼りにして、部屋の扉を開けた。


 そこは物が何も置かれていない空き部屋で、天井には屋根裏部屋へ繋がる階段が下りていた。




「松田さん。いますか?」




 俺が声を掛けると、天井から足音が聴こえ、松田さんが階段を下りてきた。




「どうしたんだい? まだ朝には早いけど」 




「松田さん。松田さんは、ずっと屋根裏部屋にいましたか?」




「え? う、うん」




「本当に?」




「ああ……何か、あったのかい?」




 松田さんはズレていた眼鏡を直し、寝ぼけた表情から真剣な表情に変わった。俺は松田さんの傍に立ち、耳元に囁くように小声で打ち明けた。




「実は、人が殺されたんです」




「……何処で?」




「殺害現場は分かりませんが、死体は今も俺の部屋にあります」




「まさか、君じゃないだろうね?」




「もし俺だったら、今頃松田さんも死体になってますよ。確認の為、一緒に来てもらいます」




「どうして僕に……」




 小声で愚痴をこぼしながらも、松田さんは廊下に出ていった。俺も後を追って廊下に出て、二人で俺の部屋に移動した。


 俺の部屋に着くと、まだあの死体は、死体のままであった。松田さんは死体を見て、悲鳴を上げるでも、吐き気を催すわけでもなく、怪訝な表情で死体を眺めていた。




「この男は、映画の出演者ですか?」




「ああ……確か名前は、木村一郎。酷い臭いだな……あれ? な、無い!? ハンカチが!?」




 いつも胸ポケットに挟めていたハンカチが無い事を知るや否や、松田さんは慌てて自分の部屋に戻っていった。肝心の死体を松田さんも確認したし、この続きは松田さんの部屋でしよう。

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