第29話 ハンカチ
ホラー映画の出演依頼を受ける事にした。あの後調べて分かった事だが、俺に依頼を持ちかけてきた監督は、ホラー映画界ではそれなりに有名な人物で、リアルな演出が得意らしい。俺が出演を受ける事を電話で伝えると、彼は泣きながら喜んでいた。
そうして、俺は今、山奥に建てられたコテージに来ている。外観は洋風で三階建て。パッと見た感じでは汚れは無く、手入れが行き届いているというよりは、建てられたばかりの新築のようだ。
「おや? こんな場所に何か用かな?」
コテージ前に停まっている車から、眼鏡を掛けた男が俺に話しかけてきた。高身長で細い体。シャツの胸ポケットにはハンカチが挟められていて、そのハンカチから線香に似た匂いがした。
「ここで映画の撮影をすると聞いて来たんですが」
「情報通だね。残念だけど、今は撮影準備中で忙しいんだ。それに、他の人に見つかったら、凄く怒られるかもよ?」
「いや、そうじゃなく。映画に出ろと言われて来たんですけど」
「待ってたよ! 麗しの殺人鬼!」
気色悪い声を発しながら、監督がコテージから出てきた。監督が俺の目の前に立つと、腰を曲げて両手を擦りながら、ヘラヘラとした笑顔を向けてくる。
「君が依頼を受けてくれて、俺は嬉しいよ! これで今回の映画は成功―――いや、大成功さ!」
「なら、報酬は期待していいんだな?」
「もちろんだとも! おい、君。この方を部屋に案内するんだ。二階にある一番良い部屋だぞ?」
俺に対する好意的な感じから反転し、酷く無機質な態度で俺の隣にいる男に指示を出した。監督というより、詐欺師の方が性に合っている気がする。
コテージの中を簡単に案内してもらった後、俺が泊まる部屋に着いた。一人では余してしまう広い部屋には、生活に必要な物や、特に必要ない物が置かれている。トイレとシャワールームは別になっており、その中間には洗濯機と乾燥機まで置かれている。
一人だけの部屋なのに、こうも物が豊富だと居心地が悪い。幸い、棚に毛布がいくつかあるのが救いだ。この部屋で生活するのは、少なくとも三日間。功昇先生が融通を利かせて一週間の休みをくれたが、その間に撮影が終わる事を願うしかない。
「じゃあ、撮影は明日からなので。今日はゆっくり休んで、明日に備えておいてね」
「分かりました。そういえば、まだ名前を聞いていませんね? 俺は門倉冬美」
「僕は松田健斗。今回の撮影のカメラマン兼、雑用係だ。にしても、監督から話を聞かされた時は半信半疑だったけど、確かに光る物があるね」
「どういう意味ですか?」
「僕が君をこの部屋まで案内している間、君は物の配置や特徴を観察していただろ? それに度胸だってある。まだ十代なのに、たった一人で見知らぬ場所に平然と立ってる。監督が言った通り、君が殺人鬼役をやってくれるなら、成功は間違いないね。台本は机の上に置いてあるから、軽く目を通しておいてくれ。どうせ本番になって、監督が内容を変えるけど」
松田さんは言い終わった後に溜め息を吐くと、胸ポケットに挟んでいたハンカチを嗅いだ。どうしてか、俺はそれが気になってしまった。
「そのハンカチ。香水か何かを染み込ませてるんですか?」
「おや、鼻が良いんだね。実を言うと、僕は他人よりも感情を制御出来なくてね。障害と言える程のものではないけど、生まれつきなんだ。感情が崩れそうになった時に、このハンカチの匂いを嗅ぐと、落ち着きを取り戻せるんだ」
「俺も松田さん程ではないけど、毛布が無いと寝れないんだ。だから、この部屋に毛布があって助かった」
「どうして、それを僕に教えてくれたんだい?」
「自分だけ相手の秘密を知っている事が嫌いなんです。人付き合いは吊り橋のようなものでしょ」
「ハハハ! 監督が君をここに連れて来てくれて本当に良かった。僕は昔から、人付き合いが苦手でね。唯一の話し相手は妹だった。彼女は僕に優しくしてくれたし、良い匂いもしてた……もう、亡くなっちゃったけど……あー、ごめんね! 急に重苦しくさせてしまって。君とはどうしてか、色々と話したくなってしまうんだ。それじゃあ、僕は戻るよ」
「俺には両親がいない」
「え?」
「お互い秘密を言い合った。これで平等だな」
「……ハハハ! 本当に、君と出会えて良かった」
部屋から立ち去る際、松田さんは俺に笑顔を向けながら扉を閉めた。廊下を歩く足音が階段を下る音に変わり、音が聴こえなくなってから、俺は警戒を解いた。松田さんを怪しんでいる訳ではなく、単なる癖だ。俺に親しくしてくる者の九割が危険人物だった。その為、俺は意識せずとも相手を警戒するよう身に沁み込ませている。
ベッドに毛布を敷いて、その上で横になりながら台本を開いた。人物名と台詞は見ずに、状況説明だけ目を通していく。
大雑把にすると、四人の若者が訪れたコテージで脅迫文が見つかる。最初は悪戯かと疑うも、最初の殺人事件が起きる。犯人探しを開始するも、隠されていた各々の秘密が暴かれていき、やがて身内を疑うようになる。結局、最後は殺人鬼に最後の一人を殺され、物語は終わる。
ホラーというよりサスペンスだが、少しだけ好感が持てた。ホラー映画特有の分かり易い化け物がいない分、他の作品よりリアルさがある。面白いかどうかは別だが。
物語の流れを把握し、次に台詞に目を通していった。演者に台詞を要求している書かれ方だが、台本っていうのはこういうものなのか? だとしたら、将来の夢から俳優は排除しないと。
最後のページまで読み進めてみたが、俺がやる殺人鬼役の台詞や要求が一つも無かった。ただ立っていればいい訳じゃあるまいし、これはアドリブを頼まれているのだろうか。役者経験の無い素人に対する仕打ちじゃない。
「……というか、殺人鬼ってどう演じればいいんだ?」
殺される事は多々あれど、殺した事はあまり無い。このままで演じれば、良くて大根役者、悪くて作品の癌になってしまう。こういう時は、知り合いを参考にするのがベストだ。殺人鬼っていうのは、非情で、冷血で、頭のネジが外れてる奴の事。
考えるまでもない。ルー・ルシアンだ。アイツよりもイカれた人間は、この世界全体で見ても、片手で数える程度だろう。
「明日から本番か……そういえば、演者さんの姿が見えなかったな。明日ここにやってくるんだろうか?」
俺は持ってきた鞄を開け、中に入っている物を改めて確認した。鞄の底には、功昇先生から渡された小さな箱が確かにある。
これは【万が一】の時の為に、功昇先生が俺に貸してくれた物。中身は分からないが、恐らく祓い士が使う道具の類だろう。撮影もそうだが、こいつを使う万が一が起きない事を願うばかりだ。
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