第26話 二人で一人

 高野美知という同姓同名の双子の再会に、俺は安堵していた。俺には家族がいない。両親の温もりも知らず、育ててくれた祖父母は家を残して亡くなった。家族の別れは最大の悲しみであり、家族の温もりは最高の贈り物だと俺は知っている。


 しかし、いつまでも安堵している場合じゃない。俺は未知と再会したいという願いが叶えば、卵の姿から元の姿に戻ると思っていた。だが、高野美知は未だ卵のままだ。 


 そもそも、あの卵は一体何だ? 殻の中から人の気配がしたのは感じたが、それは本当に高野美知なのか? 双子の片割れである未知が、殻の中に高野美知が存在していると確信しているが、はたしてそれは未知が知る高野美知なのだろうか?


 ひとたび疑問が浮かぶと、安堵していた気持ちが途端に冷え切り、冷静さが戻ってくる。俺は馬鹿だ。安全も確認せず、卵が望む者を手中に収めてしまった。もし中身が堕落した高野美知であれば、俺は双子の再会の手助けではなく、怪異の手助けをしただけだ。


 


「未知! その卵を俺に一度寄こせ!」




「な、何を! これはあの子だよ! 間違いなく、私が知ってるあの子なのよ!? ほら、今も私を呼んでるわ!」




「呼んでる? どんな言葉でだ?」




「うん……うん……私も、あなたの元へ!」




 この時、俺はまばたきをしていなかった。確かに未知の姿を捉え、未知の手に包まれている卵の変化に意識を集中していた。


 それなのに、未知は消えてしまった。まるで、初めからいなかったかのように。だが、床に落ちて割れた卵の殻の残骸が、未知が確かにそこにいた証を示している。殻の中身には、何も入っていなかった。


 やられた。高野美知は既に堕落していた。今思えば、卵もそういうメタファーか。怪異に堕落する為に未知を使い、卵の殻を割った。血を分けた自分の片割れを材料に、高野美知は怪異になった。




「頭にきた……!」




 俺の名を叫ぶ宮下さんを無視して、俺は功昇先生がいる部屋を訪ねた。




「功昇先生!!!」




 俺が部屋を訪ねた時には、功昇先生は机の上に置いた探知器を使って、既に怪異の位置を特定していた。


 


「指針は何処を指してますか! この学校か? あるいは外か?」




「この学校の四階。二つ目の位置、三年二組の教室だ。教室に貼っている札の反応が無いのを見るに、空間の中だ」




「俺が行く!」




「そのつもりだ。そうでなくては、お前の腹の虫が収まらないだろう。コイツを貸してやる」




 功昇先生は懐から取り出した一枚の札を消費し、現した槌を俺に貸してくれた。ただの槌のように見えるが、手に持っているだけで、俺の怒りが吸い取られていくのを感じた。 




「人の感情は最大の武器。激流する滝のように昂れ!」




 功昇先生に背中を叩かれたのを合図に、俺は駆け出した。廊下や階段でうろついている人を蹴飛ばして、一秒でも早く四階へと駆け上った。


 三年二組の教室の扉を蹴り破り、ズラした感覚にある空間の教室へ足を踏み入れた。現世とはズレた場所に存在する怪異の世界を認識しつつ、その世界が現世だと自分を騙す。功昇先生が教えてくれた空間に入る方法は、矛盾を身に着ける事。怒りのおかげか、一発で体現してみせた。


 踏み入れた空間内の教室には物が一切無く、鏡映しになった教室内が窓の外に見える。黒板前を見ると、巨大な人の顔があった。切り取られた二つの右手に顔を支えられ、切り裂かれた眉間からアンテナが伸びている。




「高野美知だな。何故だ? 何故、自分の片割れを狙ったんだ!」




「アノ人ガ、欲シカッタカラ。アノ人モ、欲シテタ」




「それは人間のお前をだ! 未知はお前が心配で駆けつけたんだぞ!? それをお前は、贄として利用した!」




「私達ハ、高野美知。二人デ、一人」




「違う! どんな人間にも唯一性がある! 例え双子でも、同姓同名でも、全く同じじゃない! 長所があり、短所がある! だからこそ人は他人と補い合うんだ!」




「ダカラ、一緒ニナッタ」




「この分からず屋がぁぁぁ!!!」




 何を言っても無駄ならば、実力行使だ。助走をつけて、右手に握りしめた槌を怪異の目に振り被った。怒りを吸収した槌の威力は凄まじく、その見た目に似合わぬ強大な力で怪異の目を潰した。途端に血の洪水が目から噴出し、その勢いに俺の体は吹き飛ばされてしまった。


 


「イダイイダイイダイイダ!!!」




 鼓膜が破れそうな悲鳴を上げる怪異。口の中に漂う重厚な鉄臭さを覚えながら、俺は怪異に近付き、再び槌を振り下ろした。残っている方の目、顔を支えている右手、頬、鼻、口。叩ける場所を片っ端から潰していった。


 もう叩ける場所が無くなった頃、怪異は肉の塊と化していた。それでも俺の怒りは収まらず、硬く握りしめた槌を振り上げた時だった。




「お願い。もう止めて」




 未知の声だ。怪異に取り込まれて尚、彼女は意識を持っていた。




「この子が一体何をしたの? 周りが騒動を起こしているのも、この子がキッカケなだけであって、この子が命令した事じゃない。それなのに、あなたはこの子を痛めつけるの?」




 耳を貸すな。確かに未知の声だが、彼女も既に怪異と化している。躊躇わず、振り上げた槌を振り下ろすんだ。人でなくなった以上、情は不要だ。




「私達は一つになる事が願い。母親の子宮の中で、離れ離れになった自分の片割れを取り戻したいだけ。私達は苦しんだ。私達は耐えた。もうこれ以上、苦しむ事も耐える事も嫌。だから、放っておいて。私達を私でいさせて」




 駄目だ。これ以上聞いていたら、正常な判断が出来なくなる。目の前にある肉の塊は人ではなく怪異。俺は人を殺すのではなく、怪異を殺すんだ。


 目の中に生温かい液体が入ってきた。目の前にある肉の塊は、もう何も言葉を発さない。人の目がつかない空間内なら、放置していても問題無い。高野美知という人間の存在が消えた今、現世で騒動を起こしている人達の記憶から高野美知が消え去っていくだろう。


 全て丸く収まったはずなのに、達成感が湧かない。心の底から湧き上がるのは、やるせなさばかり。ルー・ルシアンや功昇先生なら他の方法で高野美知を救えたかもしれないが、俺には出来なかった。何の力も持たない俺には、終わらせる事しか出来なかった。




「……クソッ!!!」




 俺は苛立ちに身を任せて、槌で黒板を叩いた。黒板は割れ、隣のクラスへと通じる穴が出来た。思いっきり怒りを込めて槌を振り被ったおかげか、やるせなさは綺麗さっぱり消えていた。


 穴を通って隣のクラスに入ると、隅で縮こまっている女子生徒を見つけた。彼女は化け物を見るような目で俺を見ながら、足元に水溜まりを広げていった。


 そういえば以前、ここの空間に閉じ込められてる女子生徒から助けを求められたが、彼女がそうだろうか? だとしたら、丁度良いタイミングだ。




「言われた通り、助けに来ましたよ」




 彼女の傍に近寄り、手を差し伸べた。この時、俺は全身に怪異の血がついている事を完全に忘れていた。俺は慣れた臭いだが、慣れていない普通の人からすると、耐え難い悪臭だ。現に、怪異の血の臭いを嗅いでしまった彼女は、白目を剥いて気絶してしまった。


 本当に、締まりが悪い幕引きだ。

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