第22話 孤独
俺は今、帰り道とは逆の方へ足を進めている。向かう先は聖歌高校。豊崎さんとの会話で、気になった事を確かめる為だ。
聖歌高校に着くと、学校の明かりは全て消えていた。正門を飛び越え、学校の壁に手を当てながら進んでいく。冷たいコンクリートの塊に紛れた空間を探していくと、薄い壁を隔てた空間があるのを察知した。触れていた場所はただのコンクリートの壁だが、まるで水に手を当てているかのような感触だ。片膝をついて目を閉じ、意識だけを向こう側へ飛ばす。
目を開けると、俺は保健室に立っていた。幽体離脱は初めてだが、かなりコントロールが難しい。自分が幽体だと自覚すれば、故郷である器へ意識が帰りたがる。厄物の再生能力も相まって、刻一刻と終わりが近付いてきている。意識が器へ戻る前に、保健室の窓の鍵を開けた。
再びを目を開けると、俺の意識は器である門倉冬美に戻ってきていた。幽体の時に開けた窓を試してみると、鍵が開いていた。干渉は出来るみたいだな。
保健室に侵入し、鞄の中に常備している懐中電灯を取り出して、辺りを照らしながら廊下に出た。誰もいない学校内は当然として明かりが点いておらず、唯一点いている消火栓の赤いランプは、広い廊下では微弱で心許ない。
懐中電灯の明かりを消し、暗闇の中で違和感を探った。外から隔離された暗闇の中でだと、普段以上に違和感に気付きやすい。あちこちから感じる違和感の中から、信頼性の無いものを排除していく。
「……ん?」
とある違和感の中で、人の気配を微かに感じた。ここより上の階のようだ。生徒会の人間かと思ったが、その気配は揺れ動いている。これは恐怖で生と死が曖昧になっている証拠だ。
四階に上がり、三年生の教室を懐中電灯で照らしながら見ていくと、三組の教室で異変が起きた。誰もいないはずの教室内で、椅子がひとりでに動いた。その机に近寄り、鞄からノートとペンを机の上に置いた。
しばらく様子を伺っていると、置いていたペンが宙に浮き、ノートの空白のページに文字を書き始めた。二ページ分を贅沢に使って大きく書きなぐられた言葉は、たったの一言。
【助けて】
ノートに書かれた言葉に手を当て、こっちとあっちを繋ぐ橋として利用する。
「聞こえるか? 聞こえるなら、自分が書いた言葉に手を当てて返答してくれ」
『……る……える……聞こえ……聞こえる!?』
「よし、定まった。手を離すなよ。離せば、また一から感覚を合わせないといけないからな」
『分かった! はぁ、良かった~! ずっと閉じ込められたままかと!』
姿は見えないが、聞こえる声は女性のものだ。声の感じで年齢を当てるのには自信が無いが、若い女性だというのは確かだ。
「ずっと閉じ込められたままというと、いつから?」
『分かんない。こっちはずっと夜みたいで暗くて、そっちの方の音だけが聴こえるの』
「学校のチャイムは何度聴きました?」
『そんなのどうでもいいでしょ!? お願いだから、早くここから出して! あなたしか頼りがいないの!』
「無理ですね。連れ戻す方法も分からないし、その準備も出来ていません」
『ふざけないでよ!!! 早く私を―――』
声が聞こえなくなった。怒った拍子に、ノートから手を離したな? 俺も退散しようとしていたし、丁度良いタイミングだ。残酷だが、まだ彼女にはそっちにいてもらう。彼女が囚われている空間の入り口は別の何処かである事は確かだが、見つけた所で、今の俺ではどうしようも出来ない。
だが、このノートに書かれた【助けて】という一言がある。これがあれば、ここから空間に侵入する事が出来る。本来の入り口とは別の入り口を作ったようなもの。問題は、彼女を連れ戻す方法だ。ずっと閉じ込められているという事は、俺が空間に侵入したのとは別の方法で彼女は空間内に閉じ込められている。
俺は保健室から外に出て、帰路についた。幽体離脱は初めてだったが、この感覚を完全に掴めれば、聖歌高校の謎に大きな進展が期待できる。その反面、癖になった時のリスクを考えると、安易に行える行為じゃない。
しかし、今日は立て続けに収穫があった。この調子なら、三年経たずとも、短くて一年以内にはルー・ルシアンからの依頼を完遂出来る。報酬を貰ったら、クロに合わせた家に引っ越すか。趣味が無いおかげで貯金はあるし、引っ越した後に無一文になっても、また依頼を受ければいい。人に感情がある限り、怪異は存在し、そして新しく生まれるのだから。
「……普通の暮らしって、何なんだろう」
俺は厄物のおかげで生きていられる。その所為で、俺は死の恐怖を失ってしまった。体を喰い千切られようとも、喉を裂かれようとも、厄物は俺の体を元に戻す。腹を刺されたくらいは掠り傷と認識してしまっている。
見えている世界も同じだ。俺は普通の人では一生見る事が無い世界を見て、感じ、干渉する事が出来る。その所為で、普通の人が生活している世界について知らない事ばかり。
ルー・ルシアンは俺に約束した。成人になれば、厄物を取り除くと。厄物が無くなれば、俺はただの人間。利用価値の無い普通の人間に戻る。感覚は自分の力で得たものだから、厄物が無くなっても残り続ける。
俺は普通の人と同じ世界で生きていけるのだろうか? 到底信じられない体験。麻痺した死生観。残り続ける感覚。
豊崎さんが話してくれた【不変と思われたものも、いずれ忘れ去られる】という言葉が、今更胸に突き刺さる。宮下さんを始めとした人達から好意を寄せられているのも、厄物あってこそ。ただの人間に戻った俺など、見向きもしなくなる。そうなれば、俺は一生孤独になる。
「……独りか」
飽き性の主人に忘れ去られた植物のように、誰にも知られずに俺は枯れていく。そんな未来を思い浮かべながら、いつの間にか着いていた自宅の扉を開けた。
「あ……ハハ……そうだな。俺には、お前がいるもんな」
扉を開けた先で目にしたのは、玄関で俺の帰りを待っていたクロだった。未だよく分からない存在だが、クロは俺から離れようとしない確信がある。俺達を繋ぐ黒い線は、厄物とは関係ない。出会うべくして出会った運命の相手。例え俺が独りになっても、傍にクロがいれば寂しくならない。
「ただいま。クロ」
俺の言葉にクロは静かに頷くと、その長い腕で俺を抱き寄せて、孤独に蝕まれる俺を温もりで包み込んでくれた。
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