第16話 臆病者
進藤先生が神隠しの呪いを受けてから、一週間が経った。未だ神隠しの感覚を掴めず、たまに姿を現せても、一瞬の間に消えてしまう。あまり力まずに、感覚を研ぎ澄ます事だけに集中してほしいが、そもそも感覚を研ぎ澄ます事が出来ていない。まだ初日だし、焦る事は無いと進藤先生に言い聞かせ、俺もそう思っていた。
しかし、進藤先生は学校の先生だ。音信不通で休みが続けば、噂が立ち始める。それが憶測からくる嘘の情報であっても、真実が明るみに出来ない以上、信用度は増していく。噂とはそういうものだ。
「こら! 先生は不倫なんてしてません! 谷口さんも信じないで! ああ!? 奥田君! 学校にゲーム機を持ってきちゃ駄目でしょ!」
進藤先生は姿も声も認識されない事を良い事に、以前よりも高圧的な指導者の立ち振る舞いをしている。 案外、この状況を楽しんでいるのかも。
昼休みになり、俺は人気の無い屋上で進藤先生の愚痴に付き合わされた。
「みんな好き勝手言い過ぎ! 不倫だとか、借金だとか! 私は一度も経験してません!」
「まぁ、噂ですから。でも、火のない所に煙は立たぬって言いますし、そういう事を想像させる仕草とかがあったんじゃないですか?」
「無いよ! ああ、どうして昔からこうなんだろう……大学時代も、他人の恋人を奪う女だって誤解されてね? 最終的にその人達とは和解出来たけど、結構息苦しかったなー」
「八方美人?」
「それが原因なのかな~。でも、周りと合わせるのって、社会的にも交友的にも必要じゃない?」
「つまり、進藤先生は自分の意見を全く出していなかったと」
「だって、意見の食い違いで喧嘩したくないし。門倉君は……自分の意見を押し通す人だもんね」
「俺を暴君か独裁者と勘違いしてます? ほら、先生のお昼です。誰にも認識されなくても、腹は減るもんでしょ」
俺は購買から買ってきていたメロンパンとリンゴジュースを進藤先生に投げ渡した。進藤先生はメロンパンの封を開け、外側の硬い所だけを一口かじった。
「それにしても、不思議な感じね」
「メロンパンの味がですか?」
「違うよ。今の私は、門倉君達がいる世界とは少しズレた世界にいるわけじゃない? なのに、こうして物を持ったり、食べ物を食べれたりする」
「それに関しては上手く説明出来ません。俺も全ての事を熟知している訳じゃありませんから。でも、先生は重要な事に気付きましたよ。その状態でも、こっちの世界に干渉出来る事。それが神隠しを解くヒントになるはずです」
「もしかして、私って天才?」
「そんなわけないでしょ」
「酷いな~。ただの冗談じゃん」
俺が思うに、進藤先生はもっと焦った方が良い。進藤先生は神隠しを解くヒントに気付きながら、俺が言うまでそれがヒントになる事を理解していなかった。この調子だと、神隠しを解く感覚を掴むのは、かなり先になるかもしれない。
だが、俺は進藤先生に助言しない。これは進藤先生の問題であって、進藤先生自身が答えを導き出さなきゃ意味が無い。宿題を他人にやってもらうのと同じ事だ。自分で考え、自分で仮説を立て、答えを導き出す。自主性はどの分野においても重要だ。
「……ねぇ、門倉君。一つ、聞いていいかな?」
「なんです?」
「門倉君は、いつからこういう事に詳しくなったの?」
「小学生になる前からですよ。幼少の頃から、他人が見えない者を見て、他人が体験しないような不可思議を体験してきました。初めは怯えて隅に固まっていましたが、徐々に慣れてきて、今の俺がいます」
「友達は?」
「出来ません。友達と言える関係になる前に、みんな俺から離れていきました。それでも離れずに親しくしてくれた人達は、巻き添えで死んじゃいましたよ」
「……寂しく、ならない?」
「寂しいですよ。でも、仕方ないじゃないですか」
缶コーヒーの蓋を開け、一口飲んだ。ブラックコーヒーのはずなのに、苦味が薄く、まるで水のよう。ハズレのコーヒーだったか。いや、缶コーヒーに期待を寄せても駄目だ。手間暇かけたコーヒーと、百円ちょっとで買える缶コーヒーじゃ、天と地の差がある。
柵に寄りかかって、空を見上げた。青空と太陽。何の飾り気も無いのに、ひたすらに綺麗で、それでいて何故か切なさを覚えてしまう。
「じゃあ、私が門倉君の初めてだね」
隣に視線を向けると、進藤先生が俺の肩に寄りかかっていた。俺よりも少し高い身長の進藤先生が、俺を見下ろして微笑んでいる。その綺麗な瞳には、俺だけが映っている。俺の瞳は、進藤先生を映しているだろうか?
「化け物の呪いを受けちゃってるけど、私はまだ生きてる。こうして門倉君の傍で、門倉君の体温を感じられてる」
「……いつまで続くか分かりませんがね」
「そうだね。でも、確かに今がある。未来が分からないなら、今を大事にしたい。例え私達が離れ離れになる運命でも、こうして触れ合った過去は残せる」
進藤先生の手が、俺の手に絡みつく。細くて、柔らかくて、温かい。意識すればする程、俺の体が麻痺していく。毒のように意識が朦朧として、そよ風のように心地良い。これは、危険だ。
俺は進藤先生の手を離し、背を向けて進藤先生から離れた。あのまま心地良さに身を委ねていれば、弱くなってしまう気がした。
「……俺と進藤先生は、生徒と先生。親しくなれても、この関係なんです」
「……そっか」
「俺は傍に誰かいてほしい訳じゃない」
「じゃあ、どうして手を握ってくれたの? 門倉君は、どうして素直でいられないの?」
「……分かった口を!」
俺は進藤先生を置いて、屋上から出ていった。さっきまで穏やかだった心が、今は苛立ちで落ち着かない。進藤先生に対する苛立ちではなく、俺自身に苛立ってる。正直な気持ちを表に出せない自分の弱さが情けない。恐怖に慣れたと自負しておきながら、実際はそう言い聞かせているだけで、誰よりも臆病だ。
消化出来ない苛立ちを抱えながら階段を下りていくと、階段下でネムレスが待ち構えていた。いつも通り、不敵な笑みを浮かべて、俺を見ている。
「おめでとう。君は最初の行事を消滅させた」
「何を言ってる。行事は行われただろ」
「あれはただの山登りさ。君は怪異を殺し、一つ目の封印を解いた。残るは十一。次も期待してるよ。門倉冬美君」
「勝手に決めつけるなよ!」
「君は絶対に次の怪異も殺すよ。だって、君は優しいからね」
そう言って、ネムレスは階段を下りていった。一発殴ってやりたいが、勝てない戦いを挑む程、俺は自暴自棄になってはいない。
俺は一体、何をやってるんだ? 何を、やりたいんだ?
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