第15話 一難去ってまた一難

 山に棲む怪異を殺した翌日の月曜日。予定通りに行事は開催され、低学年から順に山を登り、終わったら授業を受ける形で行われた。授業と言っても、山登りで生徒も教師も疲労しており、授業の名を借りた休憩だった。


 山を登る際に、あの祠を確認したが、やはり祠は消えていた。教師の何人かが、あったはずの祠の消失に違和感を覚えていたが、騒ぐ事はなかった。


 結局、何事も無く放課後を迎え、俺は鞄を肩に担いだ。




「門倉君!」




 廊下を出るや否や、宮下さんが声を掛けてきた。宮下さんは俺の隣に立つと、腕を組んで肩に頭を乗せてきた。




「そういうのやめてくださいよ」




「お母さんとお父さんが、今の内に門倉君と既成事実を作れって!」




「既成事実って……マトモそうに見えてたんだけどな」




「でも、門倉君は人に好かれるでしょ? 特に、女。だからこうして、門倉君は渡さないぞって見せつけないと!」




「頼もしいですね」




 周囲の生徒が俺を見ている。男も女も平等に、俺に敵意以上の憎悪を刺してくる。いつ襲い掛かってきてもおかしくない状況だ。宮下さんは俺を殺したいのだろうか? まぁ、それは叶わない願いだけど。


 階段を下り、自分の下駄箱を開けると、一通の手紙が入っていた。




「手紙?」




「恋文かしら? チェックするよ」




「どうして頼む前提なんですか。プライバシーの侵害ですから、少し離れて……離れなさいよ」




 強情な宮下さんを片手で抑えながら、手紙の封を口で噛み破って、中の文を取り出した。  


 


【私の車で待ってます】




 差出人は書かれていなかったが【私の車】から察するに、差出人は進藤先生だろう。でも、今日は進藤先生は休んでいる。とりあえず、駐車場に行ってみよう。


 駐車場に来てみたが、やはり進藤先生の車は無い。となれば、進藤先生は何処で待っているんだ?




「ねぇ、どうしてここに来たの? 告白の場所にしては、ロマンが無い場所だけど」




「恋文じゃありませんよ。あと、なんでついてきたんですか」




「門倉君を他の誰にも取られたくないから」 




「俺なんか、特売にしたって売れ残りますよ。誰にも取られませんから、宮下さんは安心して家に帰ってください。あと、俺に対するご両親の助言はあまり聞かないように」




「えぇ~……分かった。じゃあ、明日また学校でね!」




 そう言って、宮下さんは帰っていった。奇病の件で俺に親近感を覚えているのだろうが、いささか束縛が強い。洗脳の類に耐性がある事が苦になるとはな。


 しかし、あの手紙は何だったんだろう。車で待っていると言われても、肝心の場所が書かれていないんじゃ意味が無い。


 もう一度手紙を読み直していた時、すぐ傍でエンジン音が聴こえた。まるで、テレビのチャンネルを変えたような感覚で。


 手紙から自分の目の前に視線を移すと、そこには車が存在していた。さっきまで確かに空いていた場所にだ。


 車の窓から車内を覗き見ると、運転席には進藤先生が座っていた。何かに焦っているのか、落ち着きが無い。




「ッ!? か、門倉君! 早く乗って!」




「え?」




「いいから!!!」




 進藤先生の余裕の無い声色に急かされ、俺は助手席に乗り込んだ。




「先生、どうしたんですか? 今日は休んでるんじゃ?」




「ずっといたし、何度も話しかけたの! 門倉君にも、他の人にも! でも、誰も私の声が聞こえないどころか、私を見ようともしなくて!」




「落ち着いて。とりあえず、何が起きているかを―――」




「分かんないよ!!!」




 パニックを起こしている進藤先生は、苛立ちからハンドルを叩いた。その手が丁度真ん中に当たり、クラクションが鳴り響く。何が起きているかは分からないが、まずは落ち着かせる事が先のようだ。クラクションの音で様子を見に来た他の先生が、俺達が同じ車内にいるのを目撃されるのはマズい。


 そう思っていたが、不思議と俺は焦りを感じていなかった。焦るべき状況なはずなのに、焦るべきではないと直感している矛盾。


 そんな矛盾を抱えていると、騒ぎを聞きつけた先生がやってきた。その視線は確かに俺達が乗っている車に向けられる。


 しかし、先生は頭を掻いただけで、学校へと立ち去っていった。クラクションが鳴った車は分からずとも、同じ先生である進藤先生の車が停まっている事に疑問を持つはず。ここに進藤先生の車があるのは、休んでいるはずの進藤先生が来ているという事になる。となれば、車内を覗き見る事はせずとも、近付いてくるはず。


 


「……出勤した時、いつもは車が並ぶ道が空いてたの。少し変だと思ってたけど、今日はツイてる日だと思って、あまり深く考えなかった……でも、学校に来て、すぐにおかしく思った。誰も、私がいる事を知らないの。目の前にいるのにさ!」




「でも、俺は確かに進藤先生を認識して―――認識?」




 自分の言葉に疑問を持った。俺はどうして【認識】という言葉を使ったんだ、と。進藤先生はただの人間で、怪異のようなズレた世界に棲む者ではない。認識という言葉は不自然だ。


 考えられるのは、進藤先生が怪異と化したか、進藤先生が怪異から何かを遺伝してしまったか。依然として人の気配を持っている事から、前者は違う。


 となれば、答えは後者。そして遺伝してしまったのは、怪異が持っていた力の一部。




「……神隠しか」




「え? で、でもあの化け物は……!」




「ええ、死にました。ですが、死に際に進藤先生に呪いを植え付けたんです。先生は怪異を前にしても、俺の盾になろうと立ってくれた。先生の強さに、怪異は弱さを見出した。守るべき者の盾になれず、ただその行く末を見る事しか出来ない呪いを」




「どうすれば、呪いを解けるの!?」




「……呪いは解けません。呪いは目にも見えず、感じる事も出来ない。例えば、先生が怪我を負ったとしましょう。医者は先生の怪我を治そうとしますが、その怪我が何処にも無いんです。対処するべき場所が分からなければ、治す事も出来ない」




「そんな……じゃあ、私は一生このままなの!?」




「いえ、そうとは限りません。さっき、先生は忽然と俺の前に現れました。たった一瞬の間でしたが、現世に姿を現せたんです。その時の感覚を自由自在に出来れば、元の生活に戻れます」




「……分かんない……分かんないよ……!」




 無理もない。新しく宿った感覚を扱うというのは、無いはずの部位を動かすようなもの。それに、進藤先生は普通の人間だったんだ。今の進藤先生は、産まれたばかりの赤子となんら変わらない。




「今すぐにどうにか出来る事ではありません。時間が必要なんです」




「どれくらい……?」




「人によるとしか言えませんね。まずは神隠しを解く感覚を掴む事。それさえ分かれば、後は慣れです。俺も出来る限りサポートします」




「……ありがとう。やっぱり、門倉君は優しい子だね」




 疲弊しきった顔をしながら、進藤先生は俺に微笑んだ。今度は、俺の目を見ている。こんな時に感じる事じゃないが、少しホッとした。進藤先生が俺に怯えていない事に、安堵したんだ。自分勝手な男だな。




「よーし! 落ち込んでばかりじゃいないぞー! 頑張って呪いを解いてみせる! 門倉君に背中を押してもらったからね!」




「良い感じですよ。どんな事にせよ、やる気が無きゃ始まりませんからね。じゃあ、俺の家に行きましょうか」




「もちろん! 相談に乗ってもらったし、喜んで送ってあげる!」




「いや、そうじゃなくて。これから先生は、俺の家に居てもらいますから。神隠しが解かれているかを確かめるには、それを確認する人が必要です。俺は現世も怪異の世界も認識出来ますし」




「……へ?」




 幸い、俺の家には空き部屋が沢山ある。女性物の服とかは持参してもらう必要があるけど。一応、ルー・ルシアンにも聞いてみた方がいいな。多分何も教えてくれないかもしれないが、気まぐれで教えてくれる可能性もある。


 問題は、先に俺の家に住み着いたクロが、進藤先生と仲良くしてくれるかどうかだけ。

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