第7話 誰かが何処かで見ている

 放課後、廊下を歩いていたら、進藤先生が大量の書類を抱えていた。積み重なった書類の塔は進藤先生の前方を塞ぎ、塔のバランスを崩さないようにしている所為で足取りがおぼついている。


 俺が声を掛けるよりも先に、書類の塔は崩壊し、廊下を埋め尽くすようにして散らばった。進藤先生は溜息を吐きながら書類を集め始めた。帰宅するにはこの先を通らないといけないし、ついでに拾うのを手伝おう。


 最後の一枚を拾おうとした時、先に手を伸ばしていた進藤先生の手に触れてしまった。 




「え? あ、門倉君か! ごめん、気付かなかった」




「随分とまた大量の書類ですね」




「そうなのよ。まぁ、雑用は新人の役目だと理解はしてるけど、それにしたって多過ぎ! 手の空いている先生もいるんだから、少しは手伝ってくれても―――って、また門倉君に愚痴っちゃった」


  


「いいんですよ。ストレスは体に悪いですから」




「やっぱり優しい子ね」




「それで? 今度は何処にこれを運べばいいんですか?」




「い、いいよ、そこまでしてくれなくて! これは私の仕事なんだから!」




「さっき先生が言ったんですよ? 少しは手伝ってくれてもって。だから、僕が手伝います」




「……ありがとう。それじゃあ、視聴覚室まで一緒に運んでくれるかしら」




 集めた書類の山を両手で持って、俺と進藤先生は視聴覚室に向かった。書類の内容を盗み見てみると、近日行われる学校行事の案内について書かれていた。




「山登り?」




「そう。この学校の最初の行事が休み明けに行われるの。山登りって言うけど、本格的な山登りじゃなくて、歩いて三十分くらいで登頂出来る高さみたいよ」




「何処の山なんですか?」




「ほら、ちょうどここの窓から見えるよ」




 窓に視線を向けると、林の向かい側に立つ低い山が見えた。それでも、実際歩くとなると、高く感じてしまうだろう。来週の月曜は休もうかな?




「門倉君は山登りした経験ある?」




「潜った事なら」




「も、潜る?」




「先生は登った経験が?」




「数回くらいかな? 大学時代、色んなクラブに入ってたの。その内の一つに、登山愛好家っていうクラブがあってね。友達の誘いで入っただけで、私自身は愛好家ってわけじゃなかったけど。何度も途中休憩を挟んで、ようやく登頂した頃には、みんなもう下山する準備をしてたわ。でも、山頂からの眺めは、何処も綺麗だったな~」




「じゃあ今回は疲れるだけですね。低い山なら、眺めもあまり良くないだろうし」




「そうかもしれないけど、なにも眺めだけが目的じゃないのよ? 頑張って頑張って、ようやく登頂出来た達成感は、中々味わえないものよ。門倉君にも味わってほしいな!」




「達成感、ね……」




 貫かれた腕、感覚を失った左足、何度も殴打された背中。山で思い出せるのは、怪異にされた酷い仕打ちだけ。あの後、俺はどうやって山から下ってきたかも憶えていない。気付くと道の真ん中で目覚めて、手には報酬が握りしめられていた。


 毎度終わった後に心底腹が立つが、生きる為には金が必要だった。親も頼れる親戚もいない子供の俺にとって【誘い役】だけが食い扶持だった。死ぬ事が確定している誘い役で生計を立ててるだなんて、改めておかしな考えだ。


 


 視聴覚室に着き、運んできた書類を机の上に置いた。室内にある棚の一つに目がいくと、過去の聖歌高校についての記事がまとめられたファイルが並んでいた。適当に一つ手に取り、中身をペラペラと見ていくと、一ページだけ記事が挟まれていない空白の部分があった。前後の記事から空白の部分を予測しようとしたが、見当もつかない。


 別のファイルを見ようとした瞬間、視線を感じ取った。後ろに振り向いて進藤先生を見たが、進藤先生は書類のチェックをしているようで、俺を見ていなかった。


 おそらく、生徒会の誰かが俺を監視している。何処にいるかは分からないが、今も俺を見ているのは確かだ。俺が棚から離れていくと、感じていた視線は徐々に薄れていき、進藤先生とぶつかった時には、完全に消え去っていた。




「わっ!? 門倉君どうしたの?」 




「まだ終わらないのかなって」




「フフ。私の事は気にせず、先に帰ってもいいのよ?」




「まだ帰れませんよ。先生からのお返しを貰ってませんからね。恩に報いるのが、先生のポリシーなんですよね?」




「ちゃっかり対価を貰おうとしてるなんて、意外としっかりしてるのね。それじゃあ、もう少し待ってね? これが終われば、私も帰れるから。また家まで送ってあげる」




 進藤先生は俺に微笑むと、書類チェックのスピードを速めた。この調子なら、あと数分で終わるだろう。


 それにしても、厄介な事が判明したな。海香が言った通り、この学校には一般生徒や教員が認知していない場所や空間があり、生徒会が管理している。この視聴覚室にも空間があるはずだが、特定する事は不可能に近い。こっちは認識出来ず、あっちからは筒抜けとなれば、安易な調査は疑惑を深めるだけだ。




「よし! 終わったよ、門倉君!」




「それじゃあ、帰りましょうか。先生の車で」




 校内から出て、教員用の駐車場に停めている先生の車に乗り込んだ。相変わらず甘い香りが車内に漂っており、頭が馬鹿になりそうだ。




「今日も門倉君に助けられちゃった。なんだろうね? 門倉君って、救いの女神様か何かなのかな?」




「僕は男ですよ?」




「そうだったね……でも、時々ね? ふと門倉君を見つけた時、自然と目で追っちゃうの。とっても可愛いなって……」




 横目で進藤先生を見ていると、ハンドルを握っていた進藤先生の手が、俺の頬に伸びてきた。指先で頬を撫でられ、吐いた息が進藤先生の小指の先に触れた。


 恍惚とした表情で堪能していた進藤先生だったが、我に返ったのか、慌てて手を引っ込めた。




「ご、ごめん! 生徒相手に、こんな事して……!」




「大丈夫ですよ。進藤先生は、悪い人じゃないし。触られても嫌悪感は抱きません。この学校の生徒からしたら、先生に触られるのは、むしろご褒美かと」 




「……私、大人としての自覚が足りなすぎる」




「子供も大人も、大した変わりはありません。あるとすれば、生きた年月の差くらいですかね?」




「門倉君の方が、なんだか大人らしい……いつも冷静で、落ち着いた口調で話すし……」




「捻くれた子供なだけです。じゃあ、こうしましょう。僕にご飯を奢ってください。僕は晩ご飯を食べられるし、先生は僕に奢る事で罪悪感を拭えます。もちろん、どうするかは先生次第ですが」




「……ファミレスで良い?」




 そうして、俺は進藤先生と一緒にファミレスへと向かう事になった。触られただけで食事代が浮くなら、毎回触ってもらおうかな。


 窓側の席に座り、向かい側に座る進藤先生とメニューを見ながら、今晩の食事について吟味した。話している内に、進藤先生の調子が元に戻り、純粋な笑顔を浮かべるようになった。


 これで心置きなくタダ飯を楽しめると思った矢先、窓の外から色濃い気配を感じ取った。窓の外を見ると、宮下さんが俺を見ていた。宮下さんは俺に笑顔を浮かべると、店内に入ってきて、流れるように俺の隣に座った。


 


「門倉君、偶然ね! 私もここで晩ご飯を食べようと思ってたの!……先生も、一緒なんだね」




 宮下さんの乱入で波乱の兆しが見えたのも束の間、店に入ってきたばかりの豊崎さんと目が合ってしまった。豊崎さんは俺に向かって馬鹿みたいに手を振ると、強引に俺の隣の席に座り込んだ。




「奇遇だな相棒! アタシもここで飯食おうとしてたんだが……アタシの相棒は、随分と罪作りな男みたいだな」 




 宮下さんと豊崎さんに挟まれ、向かいの席には進藤先生が座っている。色々とややこしい事情や立場の女性に囲まれたこの状況に、タダ飯への高揚感が途端に薄れていく。


 嵐が訪れる。俺はその嵐の目に立たされた。

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