第6話 偶然は必然に勝る
今日の授業は水泳から始まる。ふざけるな。まだ朝の九時なんだぞ? 一限目から水泳なんて、ここは特殊部隊養成学校か?
だが、授業は授業だ。学生にとって、授業は仕事と同じくこなさなければいけない。この聖歌高校の謎を解き明かす任務もあるが、俺はこの学校の生徒でもあるんだ。調査を止めて、学業に打ち込むのも必要な事だ。
水着は学校側が用意した物を着用する義務があり、トランクス型かブリーフ型かを選べる。俺は迷う事無くトランク型を選んだ。ブリーフ型をはけるのは選ばれし者だけ。俺は選ばれし者ではないし、選ばれたくもない。
室内プールに入ると、中は体育館より少し狭いくらいで、十分な広さがあった。中学の頃はロクに学校に通えなかったから、プールなんて久しぶりだ。まだ俺は泳ぎ方を憶えているだろうか。
「門倉君!」
入り口から声が聞こえ、振り向くと、周囲の視線を独り占めしている宮下さんが俺に手を振っていた。宮下さんは外見が良いから、スクール水着も当たり前のように似合っている。普段スカートで隠れている生足がさらけ出され、体のラインがハッキリと分かるようになっている。顔もスタイルも良いのに、恐ろしい本性を秘めているのが残念だよ。
俺は足だけをプールの中に入れて座り、周囲のクラスメイトからの嫉妬の視線から背を向けた。嫉妬されるのも当然だ。人気者である宮下さんが、ただの凡人である俺の隣にいるのだから。
「まだ春なのにプールの授業なんて、少し早過ぎると思わない?」
「そうだね。でも、宮下さんの水着姿を拝めて、みんな幸せなんじゃない?」
「門倉君も幸せ?」
「肌をさらけ出している人は見ないようにしてる。特に女性はね」
「それって、なんだか紳士的! でも、私は門倉君にこそ見てほしいんだけどな~」
「気軽にそういう事を言っちゃ駄目だよ。俺のような知り合いたての人間は、何を考えてるか分からないんだから」
「それを知りたいから言ってるの。門倉君には、ずっと躱されてばかりだったから。この授業を機に、仲良くなりましょ?」
「それは……多分無理だと思うよ?」
その後、水泳の授業が始まった。授業と言っても、決められた種目は無く、ただプールを自由に泳ぐだけのお遊びだ。自由となれば、みんな宮下さんの周囲に集い、その光景はさながらシンデレラのようだった。宮下さんはクラスメイトからの誘いを断れず、視線で俺に助けを求めていた。
ビート板を抱えれば、どんな人間でも水に浮く事が出来る。俺は泳げるが、この浮き方が好きで、こればかりをやってしまう。目を瞑って浮いている内に、何も考えられないようになれる。
「キキキ……!」
特徴的な笑い声だ。目を開けてみると、前髪で目が隠れている女子生徒が、目と鼻の距離で俺を見下ろしていた。笑った時に見える歯はサメのように尖っているが、魚臭くは無い。
宮下さんと俺のクラスの顔は全員記憶しているが、彼女は見た事が無い。今は一年の授業の為、上級生というのも違うだろう。
「君、門倉冬美、だよね……?」
「そうだけど。君は?」
「私? 私は海香。生徒会の役員、だよ」
「俺はまだ問題を起こしてないぞ」
「キキキ! 入学早々に生徒会に呼ばれる人なんて、今まで初めて……! 興味、ある……!」
「光栄だね。でも、今は授業中だ。生徒会室に招待するなら、放課後にしてくれ」
「大丈夫……! みんなの目と耳が届かない場所に……案内する!」
海香の手が俺の肩に触れた途端、俺の体はプールの底へ沈んでいった。天井のライトが見えなくなる程の深さにまで沈み、覆い尽くす暗闇の圧迫感に息苦しくなってきた。
明らかにおかしい。いくら広いプールとはいえ、これは沈み過ぎだ。座ってプールを眺めていた時は、確かにプールの底が見えていた。ここまで深い底じゃなかったはず。
俺は暗闇の中で目を閉じ、この空間に意識を集中させた。確かに水の中だが、水中を泳ぐ時に感じる制限は無く、普段過ごしている地上と同じ感覚がした。息も出来るし、目を開けても痛くない。
しばらく暗闇の中でジッとしていると、前から青い光と共に海香が俺に近付いてきた。海香は平然としている俺を見ると、心底嬉しそうに笑いながら手を叩いていた。
「ケッケケケ!!! やっぱりやっぱり! 君、こういうのに慣れてるね!」
「あんたも、攫い慣れてるな。これは俺を生徒会室に連れてきたのと同じ原理か?」
「そうだよ。この学校には、君が思ってる通り、隠された場所や空間がある。ここは私の空間。私だけが連れてこれて、私だけが連れ出せる」
「随分教えてくれるな。あの副生徒会長は、何一つ教えてくれなかったんだが」
「キキキ! 君は特別! 私のお気に入り!」
海香は俺の手を握ると、人魚のように足を動かして、更に深い水底へと俺を連れていく。暗い水の中が、やがて青い深海へと変わると、周囲の景色は一変した。遺跡の残骸、珊瑚礁、透明な魚群。
俺は知っている。これら全てが、綺麗に創られた幻想である事を。その幻想を創り出した海香が、怪異の類であると。
それでも、この美しさには目を奪われてしまう。孤独と悲しみが詰まったこの空間が、表面上で見る海よりも美しい。
「誰かを招くのは初めて……! みんな、すぐに溺れ死んじゃう……本物と偽物の区別が、つけられなくて……だから、嬉しいの……!」
そう言って微笑む海香の前髪がなびき、隠されていた彼女の瞳が露わになる。宝石のように輝く青い瞳。ただの綺麗な青ではなく、内に秘めた孤独や暗さが表れた瞳だった。
彼女は利用出来る。心の奥底まで俺を連れてきた所から察するに、俺に対する警戒心は無いと見ていいだろう。生徒会についてや、この学校に隠された場所や空間の情報を手に入れられる。
「……俺達、友達になろう」
「友達……?」
「ああ。ここは気に入ったよ。ただ美しいだけじゃない。ここは君の心。誰の手にも触れられていない神聖な空間。俺はここの住民になりたい。君にとって、初めての住民に」
「……ごめん……それは、出来ない」
「どうして?」
「外部と繋がりを持ってはいけない……だから、残念だけど……私の心に君の居場所を創ってあげる事は……」
「……ハハハ! そう真剣に落ち込むなよ!」
俺は海香の手から離れ、自由気ままに泳ぎ回った。
「俺達はまだ会ったばかり。お互い知らない事ばかりだ。だから、こうして時々、会って話せばいい。偶然を装ってな!」
「偶然?」
「偶然って言葉は便利でな。どんな必然も、偶然が勝っちまうんだ。ここでも、外でも、偶然俺に会いに来ればいい!」
「……キキキ! やっぱり……君は私の特別だよ……」
海香は俺の傍まで泳いでくると、俺の右手を両手で包み込んだ。
「また、会おうね……偶然に……!」
「ああ。偶然に会おう」
良心は痛まない。彼女と友達になりたいという言葉は嘘じゃないからだ。ただ、ほんの少し協力してもらうだけ。俺は彼女から【偶然】情報を手に入れるんだ。
プールに戻ってくると、他のみんなはいなくなっており、授業は終わっていた。俺は海香に別れを告げようと振り返ったが、既に海香の姿は消えていた。
広い空間に独り取り残され、どうしようもない孤独を覚えながら、俺はプールから上がった。
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