第1話 Bパート

「ただいま、かあさん、そして、とうさん」


 帰宅した勝利は、仏壇に手を合わせた。警察官だった父親の望月大貴は、Xデイの当日に紋黄町のショッピングモールに現れた怪人から民間人を守って亡くなっている。


「高校、卒業したよ」


 制服についていた『卒業おめでとう』のバッジを取り外して、父親への報告として供える。勝利は体育以外の成績がまったく振るわず、一時期卒業が危ぶまれていた。父親からは「サッカーに打ち込むのはいいが、勉強も頑張ってくれ」と苦言を呈された日もある。だから、真っ先に報告しなくてはならなかった。


「おかえり、勝利。卒業おめでとう。今日は、勝利の好きなものを全部作ったわよ」



 テーブルの上には、母親の言葉通り、勝利の好物であるコロッケやメンチカツが並べられていた。怪人たちは農作物にも被害をもたらしている。ところかまわず出現して、暴れ回るからだ。


「わあ……」


 これだけの食事を用意するのには相当苦労したことだろう。その苦労を微塵も感じさせない母親に、勝利は心の底から感謝した。


「さっそく召し上がれ、と言いたいところだけど、勝利にコンマさんからお荷物が届いていたわ。結構重たかったわね」

「ボクに? ……なんだろう。来週、オリエンテーションがあるっていうのは聞いているけれど」


 スマートフォンを確認する。新しいメッセージは届いていない。


「そのときに渡せばいいものを今日の必着で送ってきたということは、すぐにでも渡したい大事なものなのね。お部屋の机の上に置いておいたから、見てらっしゃい」

「わかった。見てくる」


 勝利は階段を駆け上がった。父親の書斎と、兄の勝風しょうぶの部屋が並び、二階の一番奥の角部屋が勝利の自室である。


 兄はコンマで働いている。


 Xデイの前までは、部活動の終わる時間と兄が退勤する時間はだいたい同じだった。兄弟は連絡を取り合って、商店街の精肉店で揚げたてのコロッケを買い食いして帰っている。

 Xデイの後からは、学校の部活動は全面中止となり、全生徒の一斉下校が義務づけられてしまう。

 時を同じくして、兄の帰宅が一週間に一度あるかないかになった。兄と最後に帰った日が、遠い昔のように感じられる。


 怪人騒ぎに店主の老齢化の影響が重なり、個人経営の商店の多くは休業もしくは廃業してしまった。精肉店も例外ではない。今の商店街は、大手チェーンのスーパーマーケットのみが営業している。


「兄貴って、コンマで何しているの?」


 まだ世界に怪人が出現せず、平和だった頃。ある日の帰り道。ふと、勝利は勝風に問いかける。当時の勝利はサッカー少年で、大学や専門学校への進学は考えていなかった。専門的に学びたい学問はなく、将来的に就職したい職種も特にない。大好きなサッカーを続けられるのがいちばんだが、プロ選手にお声がかかるほどではなかった。


「何って、仕事だよ」

「いや、ボクさあ、進学しないのだったら、兄貴と同じコンマで働きたくて」

「ほう、そうか。バレーボール部に誘っても『兄貴と一緒はいやだ!』と言って断ったのにな」


 勝利が紋黄高校の新入生として入学したとき、勝風は三年生。高校生活最後の試合が終わると、受験やら就職やらに向けて、運動部に所属するだいたいの三年生は引退する。この三年生の世代がごっそりと抜けてしまって、男子バレーボール部は部員を募集していた。これを勝利は断っている。


「そんな昔の話、よく覚えているね……。いや、仕事って、何をしているのかなって、気になって」


 勝風はメンチカツにかじりつく。しばし咀嚼してから、こう答えた。


「人類の平和を維持するための仕事、かな」


 それから、勝利は高校三年生を対象とした会社説明会に参加する。望月勝風の弟、という立場は、自己紹介の段階で有利に働いた。さまざまな関係者が「望月くんの弟さんか!」と気付いてくれる。


 個別の面接では、ほとんど世間話をして終わった。これまでの学校生活だとか、サッカーの話とか、兄との思い出だとか。不安になるほどだったが、後日メールで採用通知は届いた。当時は存命だった父親はとても喜んでくれて、家族全員でお祝いをしたのがもはや懐かしい。もし生きていれば、紋黄高校の卒業も、きっと祝ってくれただろう。


「望月勝利」


 母親を疑うわけではないが、宛名に間違いがないかを確認した。一字一句、住所も家のものだ。ご丁寧に『親展』の判子が押されている。


「ほんとだ、結構重たい」


 持ち上げて、ひっくり返すだけで一苦労。これを二階まで運んでくれた母親に改めて感謝する。


「……まあ、開けてみるか」


 伝票をびりびりと剥がして、灰色の包み紙を手で破っていく。こういう雑なことをすると、兄から『ペーパーナイフを使いなさい』とよく怒られたものだ。丁寧に開けても、雑に開けても、中身が変化するわけではない。


「うーん?」


 包み紙から出てきたのは、アルミ製のアタッシュケース。と、日本語で書かれた手紙。


「キミは『仮面バトラーフォワード』としてパスを繋いでください。……?」


 文面を読み上げる。剥がした伝票の送り主には『COMMA』としかない。手紙には、差出人の名前がない。読み上げた文字だけが並んでいた。


「仮面バトラーって、なんだろう」


 首を傾げていると、アタッシュケースの中から『ピピーッ』とホイッスルのような音が鳴り響く。たまらず、開いた。


「……ボール?」


 そこには手のひらサイズの球体――よく見れば、サッカーボールの形をしている――と、留め具の装飾が豪華なベルトと、執事服を着た山羊のぬいぐるみが収まっている。電子音は、サッカーボールから聞こえているようだ。どの部分を押せば止まるのかわからず、ぐるぐると回転させてみる。


『キミが、ショーリ・モチヅキか。さすが兄弟。ショーブに似ておるわい。同じコート上にいたら、見間違えてしまうのう。いや、ショーブのほうがのっぽか』


 山羊のぬいぐるみが起き上がり、勝利に話しかけてきた。可愛らしい見かけによらずダンディな渋めの声をしている。


「わあっ!」


 驚いてサッカーボールを放り投げてしまう勝利。飛び上がって、そのサッカーボールをキャッチする山羊のぬいぐるみ。


『こら! 変身アイテムをスローイングするやつがあるか!』

「あっ、わ。ごめんなさい」

『素直でよろしい』


 山羊のぬいぐるみは、キャッチしたサッカーボールを勝利に返してくる。20XX年においてしゃべるぬいぐるみのオモチャはないわけではないが、こうして自立して動いているものはなかなかお目にかかれない。


「キミは」

『わしをキミと呼ぶのかね』

「……ええと、あなた様は」

『わしはお助けゴート。仮面バトラーを管理する者。いわば、執事バトラー執事世話役じゃな。ゴートさん、と呼ぶがいい』


 小さなからだでよくしゃべり、よく動く。有無言わせぬ威厳を感じて、勝利は背筋を伸ばした。


「あの、その、ゴートさん。仮面バトラーというのがいったい何なのかから教えていただいてもよろしいでしょうか?」

『前向きでよろしい。しかし、ホイッスルが鳴っていたということは、お嬢様が怪人を感知した証拠でもあるぞよ』


 お嬢様。全世界で、血眼になって捜されている人。


「え、お嬢様って、来年までに『apostrophe』に差し出さないといけないっていう、あの?」

『その話はドリブルしながらでいいか?』

「ドリブルって。ボクはこれから卒業祝いを」


 ゴートはアタッシュケースに収まっていたベルトを、制服姿のままの勝利の腰に巻く。サイズが縮まって、ベルトの長さはジャストフィットになった。


『無事にシュートを決めてからだ。行くぞ、ショーリ! しろ!』

「ええ、ああ、……変身!」


 かけ声に合わせ、正面の留め具の部分にサッカーボールを埋め込む。どう見てもサッカーボールのほうが大きいが、サッカーボールは留め具のサイズに合わせるように縮まって、ゴールネットのように吸い込まれていく。


 そして、勝利はサムライブルー色の執事バトラー――仮面バトラーフォワードへの初変身を果たした。


「これが……ボク!?」


 部屋の鏡に映る自分の姿を見て、勝利はその両手で頭部に装着された仮面をなで回した。紋黄高校の制服から、青色をベースにした執事服に服装が変わっている。ベルトにサッカーボールを埋め込んだだけでこの変化が現れるのは、仮面バトラーシステムバージョン4によるものだ。


『ショーリ、ベルトのボタンをタッチしろ』


 ゴートの指示に従い、手袋のはめられた手でベルトをなでながらボタンを探す。留め具の近くに三つ、ボタンがあった。


「どれですか?」

『レッドボタンだ』

「赤……これか!」


 ボタンを人差し指で押し込むと、しれっと右肩に移動していたゴートとともに、フォワードの姿が勝利の部屋から消えた。

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