第6話

 ヴィルがいつの間にか手配していた馬車に乗り、ボクとヴィルと護衛たちは一日近くかけて第三司教領に到着した。

 朝早くに出発したのに、すっかり深夜になってしまった。

 ボクたちにあてがわれたのは、小さな古城まるまる一棟だった。


「夜会は明日の二〇時だよな」

「うん」


 寝室であれこれシミュレーションしながらウロウロしているボクがヴィルの腰掛けるベッドの前を通り過ぎようとしたとき、腕を掴まれた。


「マレーネってさ――」

「?」

「何でもない」

「何だよ!? めちゃくちゃ気になるだろ!」


 ヴィルの妻として参加する手前、今回は男装をしていない。夜会用ではない移動用の服は、ヴィルがいつの間にか準備していた。


「ところで、そろそろ夫婦のコミュニケーションを――」

「ボクは夜会のシミュレーションを続けるから先に寝ろ」

「夜会に誘ったのはわたしだから、無理やり押し倒せないね」

「完璧に振る舞ってやるから、期待してろ」


 ヴィルを寝室に残し、ボクは赤い絨毯が敷き詰められた廊下に出た。

 慣れ親しんだ自分の城ではないから、落ち着かない。

 外の空気に当たりたくて城から出るなり、ブルッと身震いした。

 イリーシュア公爵領より第三司教領のほうが北に位置しているから、夜の冷たさが厳しい。


「でもボクは寒いほうが好――」

「酷いですわ!」

 泣き喚く声が轟いて、何事かと思った。


 大木の陰を盾にそろりそろりと近付いてみると、古城の窓から漏れる薄明り越しに男女が揉めていた。


「他の女性とも関係を持っていたのですね!」

「あー。ごめん」

「わたくしは本気であなたを愛していたのに」

「でもほら、君って貴族のお嬢様だから、夜会のときくらいしかここに来られないだろ?」

「だから何ですの?」

「会える頻度が少なすぎて性欲解消には足りないっていうか――」


 バチィンと大きな音が響いて、ボクは思わず目を閉じた。


 枯葉を踏み鳴らす大きな音が収まってからゆっくり目を開けると、男が尻餅をついて頬を押さえていた。


「いてて」

 痴話喧嘩は犬も食わない。

 さっさと離れて関わらないようにしようと歩き出した矢先、ボクは石につまずいてその場に転んだ。


 慌てて逃げようとしたが遅かった。


 音に反応して様子を見に来た例の男と、ばっちり目が合ってしまった。


「こんな時間に可愛い女の子発見~! 日頃の行いが良いからかな」


 ボクは窓越しの光に照らされた彼を見て、目を丸くした。

 銀髪の長身痩躯の美青年だった。

 白い聖職者服を着ている。下級の聖職者は黒を着るから、地位が高いのは確実だ。しかも彼の聖職者服には金色の刺繍が施されている。


 これが許されているのは――確か司教以上だけではなかったか?


 偉い聖職者が、痴話喧嘩?


「初めて見る顔だけど、もしかして夜会の招待客?」

「……」


 答えられないでいると、彼はその場にしゃがみボクの手を握ってきた。


「暇ならどこか静かな場所に行かない?」

「……アンタは教会の偉い人か?」

「あー。うん。そうだね。一応この第三司教領の領主だ」

「え、マジで?」

「ああ。俺はリヒト・フォン・エスターディネ司教。よろしく」

「……」

「ところで君、彼氏いるの? 黒髪って珍しいな。俺まだ黒髪の子とは寝たことないかも」


 マズイ。

 そんな立場の人間のスキャンダルを知ってしまったことがバレたら、ろくなことにならない。


 教会は権力の塊で、傍若無人だ。

 難癖をつけられたら面倒くさい。


「ボ、ボクハナニモミテイナイ!」

「何もって?」

「ナニモシラナイ!」

「はーん? 司教様が痴話喧嘩しているところを目撃したわけか」

「ナンノコトカナ。ボクニハナニモワカラナイヨ」

「司教領で司教の秘密を目撃したら、どうなるかわかるか?」

「ミテナイッテバ」


「教会が持つありとあらゆる権力を使って徹底的に追い詰めることができる」

 司教はニッと笑ってボクの頬に手を触れてきた。


「見逃してもいい。今から俺と遊ぶならだが」


 本来なら弱みを握られているはずの側が、どうしてこんなに上から目線なのか。

 この強引さと腹黒さと卑怯さ、何となくデジャヴだ。

 似ている。ボクの悪夢の原因である、あの男に――


「って――結婚指輪?」

 司教はボクの左手を持ち上げて、指輪を確認している。


「え、君、多分だいぶ若いよな? 一七とか八くらいだろ?」

「まあ」

「もう結婚したのか? 早くないか?」

「丸め込まれて」

「へー。まだ一〇代の娘を丸め込むなんて、やべー男もいたもんだな」


 お前が言うか。


「どんな顔か見てみたい――って……この古城って……」


 今いる場所を認識した司教の顔が、薄暗い中でもよくわかるくらい青ざめた。


「もしかして、君の夫って――」

「夫を放置して、他の男と逢引か。君には困ったものだ」

 凍てつくような低い声が響き、ボクも司教も追い詰められた小動物のように縮こまった。


 ボクは何も悪いことをしていないはずなのに、恐怖で心臓がバクバクする。


 どこからともなく現れたヴィルが司教の腕とボクの腕を掴んで、微笑みを浮かべながら物凄い力で引き離した。


「いだいだい!」

 司教が悶えている。


 ボクの腕を握るヴィルの腕にはそんなに力は入っていないが、ボクは固まったまま動けない。


「マレーネ、説明してくれるかな?」

「……はい」

 どうしてだろう。素直に返事をしてしまった。


 古城の中に場所を移したボクたちは、応接室で向かい合った。


「この無駄に地位だけ高いゴミは、わたしの幼馴染だ」

 ヴィルが笑顔で辛辣なことを言った。


「ゴミって何だよゴミって!?」

「わたしの妻に手を出そうとする男は全員ゴミだ。ゴミ捨て場に埋められなかっただけありがたく思ってくれよ」

「人妻だって気付かなかったんだよ!」

「なあ、ヴィル……」

「何だい?」

「本当にこのリヒトって人が、第三司教領の領主なのか?」

「うん。信じられないよね? ゴミが領主だなんて」

「ゴミって言うなって!」

「昔から女癖が悪くて数々のトラブルを起こしている。別名、性欲モンスターさ」


 次から次へと酷い言葉が出てくるが、否定する気になれなかった。


「この人がヴィルを夜会に招待した人か?」

「そうだよ」

「俺は一三歳でここの領主になった。今年は就任一〇周年だから、盛大に夜会をやるんだ」

「一三歳……? 早すぎないか?」

「そうだな。お飾りには丁度いいだろ」


 意味がわからない。首を傾げたボクのことを、ヴィルが突然抱き寄せた。


「彼女はわたしの妻のマレーネだ」

「マジで結婚したわけ?」

「もちろん。君の夜会なんてくだらないし面倒くさいし普段なら断るが、マレーネを見せたくて参加することにした」

「なるほど。縁談除けか」


 ボクはその言葉で察した。

 ヴィルは二一歳。貴族なら結婚相手を決める時期だろう。この顔と公爵子息の地位なら、結婚したがる貴族の令嬢はたくさんいるはずだ。


 つまり、貴族の令嬢から言い寄られないようにするために、結婚したことを公にアピールしたいのか。


「……そんなことしなくても、本性をバラせば求婚は減るだろ」

「何か言ったかい?」

「イッテイナイ。ていうか離れろよ!」


 ボクは腕の中でもがいたが、振りほどけない。


「おー。君たちラブラブでいいな」

「どこが!?」

「俺なんてさぁ、司教だから一生結婚できないわけだ。幸せな家庭なんて築けないから、だから――可愛い女性たちとたくさん遊ぼうと思って」


 せっかく同情しかけたのに、司教ことリヒトは最低なことを言い出した。


「今は得策ではないよね?」

 ヴィルが言った。


「関係ないって。俺は今でもただの傀儡だし」

「そうか」


 ボクには、二人の会話の意味がわからなかった。


 そうこうしているうちに時間が過ぎ、リヒトは領主が暮らし夜会の会場にもなる大きな城に帰って行った。


「二人きりだね」

「もう遅いし、そろそろ寝――」

 ボクはヴィルに、ソファの上に押し倒された。


「あのー……?」

「わたしは今、とても気が立っている」

「何で……?」

「結婚したばかりの妻に、浮気されたから」

「いつ、どこで、ボクが浮気した!?」

「リヒトに手を握られただろう?」

「アイツが勝手にやっただけで、ボクから握ったわけじゃないし!」

「君は振りほどかなかった」


 目撃してしまったことの衝撃で、それどころではなかったのだ。


「わたしはマレーネをこんなに愛しているのに」

「ヴィルはいつもそういうことを言うけど、愛が生まれるほどの時間をボクたちはまだ共有していないだろ」


 ヴィルはそれには答えず、抵抗するボクの服の下に手を滑り込ませてきた。

 触れられて声が漏れそうになり、ボクはヴィルの服をギュッと握った。


「移動で疲れているだろうし、シミュレーションとやらを頑張っているから今日はシないつもりだったけど気が変わった。君をとことん鳴かせることにする」


 黒い微笑みを浮かべたヴィルに抵抗できず、ボクは服を脱がされた。

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