第7話
闇の先に、一点の炎が灯った。
ゆらゆら揺れる炎に浮かび上がったのは、艶やかな長い金髪を一つに束ねた、天使のように綺麗な青年だった。
彼はくるりと背を向けて、先へ進もうとしている。
――ヴィル。ダメだ。行ってはいけない。
けれどもボクは声を出せない。身体も動かない。意識が飛びそうになる波が押し寄せる。
あの魔女と契約しては、いけない。そんなことをしたら、ボクは絶対に許さないからな。何度だってヴィルに再会して、その度に殴ってやるからな。
絶対に、ダメなんだ――
「ヴィル!」
そう叫んだ自分の声に驚いて、目が覚めた。
天蓋つきのベッドにいるらしい。昨日はソファの上で色々あって、そこで意識が途切れたのに。
「マレーネ?」
バスタオルを肩にかけたヴィルが、きょとんとした顔でベッドに近付いてきた。
「……ヴィル?」
「いきなりどうしたんだい?」
「……別に」
「わざわざ名前を叫ばなくても、君の愛はしっかり伝わっているよ」
「悪魔が頭のおかしいことをほざいている」
「抱かれている最中はあんなに素直で可愛いのに、君は二重人格なのかい?」
「それ以上言ったら怒るからな!」
ボクは布団を被って隠れた。
その日の夜――
買ってもらったドレスを着て宝石を身に着けたボクは、正装したヴィルにエスコートされて夜会の会場に行った。
昨日会ったリヒトが領主になってから一〇周年の祝いの場も兼ねているからなのか、それとも普段からこうなのかはわからないが、着飾った貴族たちが大勢いて華やかな様相だ。
居心地が悪いのは、ボクが庶民で場違いだからというだけではないだろう。
明らかに、見られている。
貴族の令嬢たちはボクたちを見てヒソヒソ何かを話しているし、貴族の男たちもボクを凝視している気がする。ドレスが似合っていないのだろうか。
「腹回りがキツイ。あんなに酒や料理が並んでいるのに、これじゃ何も入らない」
「ドレスとはそういうものだと、店でも言っただろう」
「じゃあ何であんなに酒や料理が並ぶんだよ? 令嬢には拷問だろ」
「彼女たちは、人生とはそういうものだと思っている」
窮屈そうだと思うが、それはボクだからだろうか。
令嬢として生まれて、令嬢としての人生しか知らなければ、疑問すら感じないのかもしれない。
ボクはヴィルに連れられて、主役であるリヒトのところに行った。
リヒトも正装している。
ボクはドレスの下で片足を引いて膝を曲げて、挨拶した。
ボクが顔を上げると、ヴィルとリヒトがびっくりした顔をしていた。
それを見てボクは戸惑ったが、ヴィルに腰を支えられて体勢を戻した。
何か変なことをしてしまっただろうか。不安だが、彼らはこの件には触れずに会話を始めた。
「ヴィルヘルム様、ご機嫌いかがかな?」
「ああ、すこぶるいいよ。昨日あの後、妻とイチャイチャして可愛い姿をたくさん見られたし」
「へー。マレーネってそういう感じなん? 俺ツンデレって食ったことないわ」
「……」
黒曜石で腕力を上げて、このデリカシーの欠片もない男どもを殴り飛ばしてやりたい。
けれども他の貴族たちの目がある。ボクは拳に力を入れて我慢した。
ヴィルのところには次々と貴族たちが挨拶に来た。
リヒトよりもヴィルのところに集まっている気がするが、リヒトは特に気にする様子はなく独身っぽい令嬢たちに話しかけている。
「ヴィルヘルム様、こちらの女性は?」
「わたしの妻です」
「つ、妻!?」
ヒゲを蓄えた紳士が、目を白黒させた。
「い、いつの間に!? 式に招待してくださればよかったのに」
「ははは。わたしは跡取りではないので、大大的な式は挙げていないのです」
「奥様はどの家のご令嬢ですかな?」
令嬢である前提で質問されている。どうしたらいいだろう。
ボクは困ったが、ボクが何も言わなくてもヴィルがスラスラと嘘を並べた。
「グライフェ伯爵領の、アルブレヒト三世の親族です」
「ほー。アルブレヒト三世は身寄りがないと思っておりましたが、親族がいたのですね」
「はい。わたしは彼女に一目惚れして結婚を申し込みました」
「奥様はとてもお美しいですから、ヴィルヘルム様が一目惚れするのもわかります!」
美しい?
誰が?
男装しているときは、一般的な少年に比べたら小綺麗だったかもしれないが、女としては並みだと思う。
ヴィルが公爵子息だから、お世辞を言っているのだろうか。
ヴィルの元に押し寄せる貴族たちの波が引いた後で、ボクには別の波が来た。
「ちょっと花を摘みに行きたい」
「無理して行儀良く言い変えなくてもいいよ。花畑はあっちだ」
ヴィルはボクを案内しようとしたが、トイレに同行されるのは嫌だった。だからボクは「ひ、一人で行ける」とヴィルの手から離れて廊下に出た。
◆◆◆
「なあーヴィルヘルム」
恥ずかしがって一人花を摘みに行ったマレーネの後を追おうとしたら、リヒトに話しかけられた。
「何だい?」
「あの子、何者なんだ?」
「アルブレヒト三世の親族」
「嘘だろ?」
「グライフェ伯爵領の相続者であることは間違いない」
「あの子が俺にした挨拶は、他国の貴族がやる挨拶だ」
そうだ。マレーネはリヒトに対し、他国の貴族の女性が、自分より地位が上の者に対して行う挨拶を、完璧に正しい型通りにこなした。
一応グライフェ伯爵領の城の図書室はチェック済みだが、他国のマナーに関連した本は無かったと思う。
となると、マレーネはあの挨拶のやり方を他のルートで知ったということになる。
いったいどこで?
「黒髪は珍しいとはいえ顔はこの国の人間にしか見えないし、言葉にも訛りはないけど、外国人? それとも親のルーツが他国って感じ?」
「わからない」
「……え」
リヒトが戸惑っている。
「まさか素性もわからない女の子と結婚したわけ?」
「ああ」
「……何で?」
「わたしは、彼女を妻にしなければいけない」
「どうして?」
「秘密だ」
「ええ?」
男装に騙されて、最初は少年かと思った。
だから『女の子』という情報を持ってあの場に行ったわたしは、驚いてしまった。
最初は別の目的があったのは事実だが、マレーネは想像以上に可愛くてわたしの好みすぎて、『例の件』は関係なく手に入れたくなってしまったというのが事の顛末だ。
◆◆◆
花を摘み終わり会場に戻ろうとしたら、今到着したばかりらしい貴族の青年に声をかけられた。
「あの」
「な、何でしょう?」
ヴィルにグライフェ伯爵領の領主の親族と紹介されてしまった手前、令嬢のフリをしないといけない。
いつもの言葉遣いは封印して、上品っぽくした。
「初めて姿をお見かけしました」
「ほほほ、普段は夜会には参加しないもので」
「どこのご令嬢でしょうか?」
「ア、アルブレヒト三世の親族です」
「アルブレヒト三世……。グライフェ伯爵領の領主で合っていますか?」
「はい」
ボクはヴィルの嘘に合わせた。
「まさか……そんな……」
アルブレヒト三世の親族ではないとバレたのだろうか。どうしよう。助け舟を出してくれそうなヴィルはここにはいない。
ボクは困ったが、彼の言葉は信じられないものだった。
「アルブレヒト三世に、こんなに美しい親族がいたなんて!」
「……は?」
「ダンスを踊っていただけませんか?」
「誰と?」
「僕と」
「何で?」
「美しいあなたと、一緒に時間を過ごしたいのです」
彼は何を言っているのか。
冗談にしては、センスがない。
ボクが言葉を返せないでいると、彼はボクの指輪に気付いたらしい。
「もしかして、ご結婚されています?」
「え、はい」
「し、失礼しました……!」
彼は謝るなり、そそくさと退散してしまった。
残されたボクはわけがわからなかったが、とにかく彼は誰にでもお世辞を言うのが趣味の人だったのだと思って忘れることにした。
気を取り直して、ヴィルのところに戻るために会場の出入口に近付くと、夜会にふさわしくない大声が聞こえてきた。
「リヒト・フォン・エスターディネを更迭する!」
場違いな教会騎士団の騎士たちが、夜会の会場を制圧した直後らしい。
更迭――
難しい言葉だな。
確か、偉い人をクビにするときに使うっけ?
冷静に理解してから、ボクは戸惑った。
リヒトがここの領主の座から引きずり降ろされるってことか?
何で? って――
「……心当たりありすぎる」
ボクはボソッと呟いた。
司教は本来禁欲生活を送るものだが、リヒトはルールを破っていた。それがバレたなら、『こうてつ』もありえる。
「ま、待てよ! 俺が領主じゃなくなったら――」
「無くなったら何でしょうか?」
急に白い聖職者服を着た策略家っぽい眼鏡男が前に出てきて、クククと悪役っぽい笑い声を漏らしながら眼鏡のフチをクイッと上げた。
「お、俺はエスターディネ家の人間。父は公爵だ」
そうだったのか?
公爵家の子息っていうのは、変な奴率が高いのかもしれない。
「公爵家の人間としてここの領主に就任した。俺が選ばれた理由を、お前が知らないわけがないだろ?」
「そうですね。ですがもう関係ありません。さあ――連れて行け!」
騎士たちがリヒトを取り押さえたところで、ゴホンと咳払いの音がした。
「お待ちください」
「あなたは……ヴァレンシュタイン家のご子息、ヴィルヘルム様ではないですか」
周りの貴族たちが息を呑んで事の成り行きを見守る中で、前に出て床に組み伏せられたリヒトの傍に立ったのはヴィルだった。
「更迭とは、穏やかではないですね」
「聖職者としてあるまじき目に余る行為の数々。このような者がトップでは、信者に顔向けできません」
「そうですね。こんな領主ではダメでしょう」
リヒトを庇うのかと思いきや、ヴィルは笑顔で言い放った。
「ヴィルヘルム様にも納得いただけたようですし、この者を連行――」
「するなら、わたしにください」
「は?」
皆の前で婚約破棄されたご令嬢に、突然横から割り込んできてプロポーズする貴族みたいなノリだ。
眼鏡が、困っている。
「どういう意味でしょう?」
「連行して幽閉するコストをかけるなら、わたしにください」
「……何故?」
「わたしはアルブレヒト三世の親族である妻と結婚したことで、グライフェ伯爵領を相続しました」
「はあ。ご結婚おめでとうございます」
眼鏡は律儀に言った。
「グライフェ伯爵領はイリーシュア公爵領の管理下とはいえ、長らく放置していました。しかしわたしが領主となったからには、街としての形を整えようと思っています。街を作るためにまず必要なモノが何かわかりますか?」
「商人とか農民では?」
「いいえ、聖職者です」
ヴィルは眼鏡に近付いた。
「わたしが妻と共に第三司教領を訪れた理由の一つは、教会に聖職者の提供を依頼するためでもありました」
そうなの?
ボクは初耳だった。
「ヴィルヘルム様は、このどうしようもない司教が欲しいと?」
「はい」
ヴィルはきっぱり言った。
「司教である彼に出向してもらうわけですから、ヴァレンシュタイン家はそれなりの手続きを踏みましょう」
ヴィルがそう言うと眼鏡はしばし何かを考えていたようだが、眼鏡のフチをクイッと上げて頷いた。
「承知しました。詳しい話を聞こうではありませんか」
「ありがとうございます」
リヒトは教会騎士たちに連行され、夜会はお開きになった。
事の次第をただ見守っていたボクの元に、ヴィルがやってきてボクの手を取った。
「行こうか」
「えーっと」
ボクはよくわからないままヴィルに腰を抱かれ、その場を後にした。
その後、ヴィルは宿泊している古城に護衛のジャックたちと共にボクを置いて、一人で出かけてしまった。
戻ってきたのは数時間後だった。
「ヴィル」
ボクが出迎えると、ジャックたちは空気を読んで何も言わずに出て行った。
「話はまとまったよ。第三司教領にそれなりの謝礼を渡す代わりに、リヒトにグライフェ伯爵領の司教として駐在してもらう権利を得た」
話がよくわからない。
「まあ、女癖が悪くて仕事しない無能ってだけじゃ処刑はできない。幽閉しても食費がかかるし、いらない奴を追い出して利益になるならそうして当然だよね」
「どういうことだ……?」
ヴィルがボクの頭に手を乗せて、優しく撫でた。
「リヒトは公爵であるエスターディネ家の三男だ。家の跡は継がないから幼少期に全寮制の神学校に入れられた」
「へー」
「そして一三歳で第三司教領の領主になった。家柄も充分だし、見た目がいいから客寄せ役として使えるし、それに――まだ子供だから実質政治に関われない」
政治に関われないのに、領主にするなんてわけがわからない。
「つまり、リヒトのための補佐役が必要だった」
「リヒトを看板にして、実質補佐役が頂点だったってことか?」
「そういうこと。リヒトがあれだけ派手にだらしないことをしていてもお咎めがなかったのは、客寄せできることに価値があり、本人が第三司教領の政治にまったく興味を持っていなくて関わらなかったからだ」
「それがどうして今になって更迭なんだ?」
「リヒトの補佐役は高齢となり老衰で亡くなった。リヒトは二三歳でもう子供ではないが、政治には興味がないから次の補佐役に全てを任せるつもりでいたが――」
裏切られたのか。
「新しい補佐役は、リヒトを排除して自身が表に立ちたいと考えた」
ヴィルがふっと微笑んだ。
「まあ、そうなると思っていたからわたしはここに来たのだよ」
「最初から……リヒトをボクたちの領地に連れて帰ることが目的だったのか?」
「うん」
堂々と言われた。
「……何でボクに相談しなかったんだよ」
「あれえ? すねてる?」
「ボクたちは……」
「うん?」
「……夫婦……なんだろ」
ボクは俯いた。
ヴィルは何も言わない。怪訝に思って顔を上げた瞬間、ヴィルがボクを抱き締めてきた。
「うわっ! 放せよ!」
「ごめんね、次からは万が一気が向いたら相談するから」
「気が向いたらって何だよ!?」
「ねえ、マレーネ」
ヴィルに抱き締められながら、ボクは耳を傾けた。
「リヒトはゴミかもしれないけど、移民を呼び込むための看板として役に立つ。街を作るには聖職者が必要だ。これでグライフェ伯爵領を街にする準備が整った」
「……何でわざわざ、そこまでするんだよ?」
金のためではないだろう。
ヴィルは跡取りではないとはいえ、莫大な資産を所有しているはずだ。わざわざグライフェ伯爵領を街にして税金などの収入確保を目指さなくても、生活には一生困らないだろう。
「マレーネのためだ。プロポーズしたときに、言っただろう?」
ヴィルが腕を解き、ボクの頬に手を触れた。
「明日あのゴミを連れて、帰ろう。わたしたちの家に」
「……うん」
「まだ裸にしていないのに、随分素直だね」
「うっせー!」
ボクは顔を真っ赤にして、ヴィルの手を振り払った。
「ははは。わたしはマレーネのそういう、どうせすぐに素直にさせられるのに素直じゃないフリをするよくわからない意地っ張りさが好きだよ」
「ボクはヴィルのそういうよくわからない腹黒さがムカつくぞ」
「ところで、マレーネ」
「?」
「また浮気をしたね」
急にヴィルの微笑みに影が差した。
「な、何のことだよ?」
「貴族の男に言い寄られていた」
「いつだよ!?」
「言い訳をするのかい? わたしは嫉妬でおかしくなりそうだ。あの彼を殺してしまいたい衝動を必死で抑えた」
「物騒だな!」
「リヒトは街に必要だから見逃したが、男が君に言い寄るたびに、そいつが危険になると思ってくれ」
ヴィルの顔から笑みが消えて、腹黒い表情になった。
多分、本気で言っている。
「屍を生み出さないように、君は自分の行動に責任を持たなければいけない」
ボクは何も悪いことをしていないはずなのに、罪悪感が生まれてくるのは何故だろう。
「さあ、浮気した罰として今日はわたしに奉仕してもらおうかな」
ボクはヴィルに抱えられてベッドに連れて行かれた。
ヴィルは腹黒い表情のまま、服を脱ぎ始めた。
「奉仕って何だよ……?」
「わたしがいつも君と繋がる前に君の身体に準備させるためにしていることと、同じことをしてもらおうか」
「え、ムリッ!」
ボクはこれまでの行為を思い出して、真っ赤になった。あんな恥ずかしいこと、できるわけがない。
「そうしないと、わたしの嫉妬は収まらない」
「だって……」
「あの貴族の青年は、この近くに泊まっているはずだ。わたしは今からそこに――」
ボクは恥ずかしくて涙目になりながら「や、やればいいんだろ!」と言った。
嬉しそうな顔をしているヴィルがムカつく。
ヴィルはボクの手を取り、ヴィルが触れて欲しがっている場所に導いた。
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