第4話

「はあ!? ふざけんな!」


 ボクが抗議のために身を乗り出すと、ヴィルはボクを嘗め回すように眺めて呼吸が荒くなった。

 それを見て鳥肌が立ち、ドン引きした。


「キモイ! ヴィルの妻とか絶対ヤダッ!」


「こ、こいつ! ヴィルヘルム様になんてことを!」

 護衛の一人が割り込んできて怒っている。


「だってこいつめちゃくちゃ気持ち悪いだろ!?」


 この言葉に、護衛たちがザワついている。

 雇い主を侮辱されて、気に障ったか。


「……じゃないっすか」

「あ? 何だよ? 聞こえない」


 隅に立っていた護衛の一人が、ボソボソ何かを言っている。


「カッコいいじゃないっすか」

「何が?」

「ヴィルヘルム様」

「どこが!?」

「だってこの顔っすよ。顔だけで人気者なわけっすよ」

「この顔でカバーできないくらい発言がキモイんだよ」

「お金持ちだし~地位もあるし~多少のキモさと変態っぽさには目を瞑りましょ~よ」

「ムリムリッ! 金でも地位でもこのレベルのキモさは払拭できないし!」


「君たちさすがにひどくないか」

 ヴィルが、微笑みながらいつもより低い声で喋った。

「マレーネ、これはいい話だよね?」


「ど、どこが!?」

「わたしはグライフェ伯爵領を開拓するつもりだ」

「開拓?」

「ああ。移民を募集し、街にする」

「黒い森は恐れられているんだぞ。簡単ではないだろ」

「そうだろうね。でも不可能ではない。そしてその街は――魔女を差別しない」


 そんな街を作るなんて、無理ではないか。


「君に協力してもらいたい」

「ボクは……」

「実現したら、今は隠れている魔女たちが幸せになれるかもしれないよ」


 ボクは溜息を吐いた。


「ボクはヴィルの部下じゃダメか?」

「ダメ」

「ヴィルがそこまで結婚に執着する理由がよくわからないんだけど」

「欲しいから欲しい。それ以外の理由はないけど」

「駄々っ子かよ……。でもなあ……」

「君もなかなか強情だね」

「……何でちょっと嬉しそうなんだ?」


 どうにかして、結婚しない方向にしたい。だって――


「イリーシュア公爵領の法律が適用されるなら、離婚ってできないし」

「できるようになるよ」

「は!?」


 初耳だった。


「わたしがグライフェ伯爵領の領主になることを認めてもらう代わりに、父が進めている改正に同意した」

「どういうことだ?」

「父は今の離婚できない法律を、変えたがっている」

「へー。そっかあ」


 離婚したいのにできなくて愚痴を聞かせてくるマダムもいるし、離婚ができるようになれば救われる女性たちもいそうだ。


「新しい法律が施行されるまで半年から一年はかかるだろう。そこまで我慢すれば君はわたしと離婚することができる」

「ペナルティ……ないか?」

「ないない。しかも財産分与されるから離婚したら君はわたしの財産を半分受け取ることになる」

「それはつまり?」

「グライフェ伯爵領の共同統治権を得る」

「めちゃくちゃいいじゃん! 離婚していいなら結婚してもいいぞ」


 ここで彼らと戦って逃げるより、耐えたほうがいいだろう。

 夢みたいな話だが、本当に――魔女が正体を隠さずに住める街を築けるかもしれない。


「交渉成立。じゃあ、さっそく挙式しよう」


「……は? ――って、おい!?」

 ボクはヴィルに、いわゆるお姫様抱っこをされた。

「お、下ろせよ!?」

 ジタバタしてもビクともしない。


 抵抗も空しく、ボクはヴィルに運ばれて――塀に囲まれた城の敷地の端にある、廃教会に連れて行かれた。


 祭壇の前で下ろされた。ところどころ割れているステンドグラスから差し込む光が、向き合ったボクたちに降り注いだ。

 護衛たちは中には入ってこなくて、廃教会の外で待機している。


「マレーネ、左手を出して」

「ええ?」


 言われた通りにすると、ヴィルは懐から宝石のついた指輪を取り出した。


「……何でボクの指のサイズにピッタリなんだ?」


 ヴィルはボクの左手の薬指に、その指輪をはめた。


「測ったから」

「……いつ?」

「うん。やっぱりこの指輪が似合うねー。指輪を作っていたから侵略に来るのが遅くなっちゃってね」

「……おい、いつ測った?」

「じゃあ、誓いのキスをしようか」

「ヤダッ!」

「グライフェ伯爵領は戦争に負けたわけだよ」

「戦っていないけどな」


「君に拒否権は――」

 突然ヴィルが顔を近付けてきて、ボクの唇にキスをした。

 ボクが目を白黒させているうちに何十秒も経過して、ようやく唇が離れた。

「――ないよ」


 ヴィルがボクを見下ろしながら微笑んでいる。


「結婚成立~」

「おおおおおおまままま!」

「何?」

「キ、キスした!?」

「マレーネ、真っ赤だねー」

「いきなりなんて卑怯だろ! ここは抵抗するボクを説得するところだろ!」

「いや、君、戦争で負けて領地を奪われた元領主様だからね」


 ヴィルがボクの肩を掴み、黒い微笑みを浮かべた。

「――新しい領主の命令は絶対だ」


 追い詰められた小動物のように肩身が狭い。冷や汗が出てきた。今のキスの衝撃のせいだろうか。


「君はわたしの命令を拒否できない。法律で決まっている」

「でも――」

「法律が変わったら離婚するつもりの君が別の法律は無視するというなら、わたしもそれなりの対処をするけど」

「……」


 何だろう、ヴィルは微笑みを絶やさないのに威圧感が凄い。


「わたしたちは今日からここに住むから」

「わたし『たち』って……?」

「わたしと、ここに連れてきた騎士団の皆だ」


 何だかとんでもない急展開だ。五年も一人暮らしをしてきたのに、魔女でもない赤の他人の男と共同生活なんてできるだろうか。


「マレーネ」


 ヴィルがボクの頬を両手で挟んだ。無理やり顔を上げさせられて、ヴィルと目が合った。


「さっそくだけど、今夜は初夜だね」

「……え」

「すっごく楽しみだな」

「……」


 ボクの頭は真っ白になった。


「マレーネ?」


 初夜とは、つまりそういうことをするのだろうか。

 この、成り行きで結婚した、まったく好きでもない男と?


「あ、もしかして処女? そっかあ。わたしは燃えすぎて優しくはできないと思うけど、大丈夫。痛いのは最初だけだから」


 しかも発言の節々が気持ち悪くて変態っぽいこの男と?


「嫌だって、またわがままを言うのかな? グライフェ伯爵領は戦争で負けて―」

「何時だ?」

「へ?」

「望むところだ」

「これから戦いに行くみたいな顔だね」


 こいつと結婚すると決めたのはボクだ。

 嫌だからといって、嫌だ嫌だと言っても解決しない。決めたからには最善を尽くす。


「魔女に二言は無いってばっちゃが言っていた」

「誰だい? それは」

「ボクはアンタと結婚した」

「うん。わたしのワイフになったね」

「とんでもなく嫌だけど、義務だからこなしてやるよ」

「君って結構人の心を抉るよね」

「指定された時間に行くから、すぐに終わらせろよ!」

「わかった。三時間くらいで終わらせるようにするよ」

「それは短いのか……?」

「短い短い。普通は五時間くらいするから」


 そうなのか。経験がないから知らなかった。


 そしてその夜――

 ボクはヴィルが指定した時間に、これから二人の寝室として使うことになった部屋に行った。

 ベッドは元々ボクが整えていたダブルベッドで、以前は一人で呑気にダイブしたりしていた。

 そんな楽しい思い出が詰まったあのベッドが、今日で大人の階段を上ってしまう。


 しばし廊下をウロウロしていたが、ボクは覚悟を決めてドアをノックした。


 ドアノブを下げて開けると、ベッドに腰掛けていたヴィルが目を丸くした。

「え、嘘」


「文句あんのかよ!?」

「いや……君、本当にマレーネ?」

「本物だよ!」

「だって、髪が――」


 ボクは姿見に映った自分を見た。

 普段はショートヘアだが、今は長い髪をしている。眼帯も外したから――いつもは隠している右の瞳も見えている。


「……これが本当の姿だ。普段は特殊な発動方法の魔法で短くしている」

「どうしてわざわざ?」

「魔女の髪には魔力が宿るから、処分が大変だ。簡単に切っていいものではない。でも長い髪だと女だとバレる」

「眼帯は?」

「あの眼帯を外すと魔法のバランスが乱れて髪の長さが戻る」

「へー。魔女って面白いね。あの思春期の黒歴史みたいな眼帯にそんな秘密があったのか」

「うるせー!」


 ボクはいつも通りに振舞っているが、気持ちはいつも通りではなかった。


「マレーネ、おいで」


 ここまで来て逃げ出すわけにはいかない。ボクはおとなしく従ってヴィルの隣に座った。


 手が伸びてきて、ボクの頬に触れた。


「――っ」


 触れられたところが熱くて、胸がドキドキしてきた。


「髪は伸びても、服は少年のままか」

「ボクは少年用の服しか持っていな――」

 言葉が出てこなくなった。

 ヴィルがボクを見つめている。

 いつもの微笑みもなく、射るようにじっと。

「あの……」


 ヴィルの顔が近付いてきて、ボクがギュッとまぶたを閉じると、唇に柔らかいものが触れた。

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