第1話-2
ボクは彼をベッドに座らせて、塗り薬を塗ってから足に包帯を巻いてやった。
「あなたはどうしてこんな森の中の城に?」
「……」
「どうして男装を?」
「……」
「名前は?」
「……」
「好きな食べ物は?」
「……」
自分の紫の瞳から感情の色を全て消して、無視を続けた。
「職業は何ですか?」
「手当は終わった。家に連絡してやるから、住所を――」
「家はダメです」
「何で?」
「家出してきたからです」
「家出ぇ?」
「どうしてそのようなしかめっ面をするのですか?」
「だって貴族だろ?」
「わあ! よくわかりましたね!」
貴族以外の何者でもない外見のくせに、本気で言っているのか。
「貴族が家出をしたら変ですか?」
「まあ。貴族に憧れて、見染められたがっている庶民の娘がいっぱいいるわけだし」
「回答になっていませんが」
「貴族が裕福で恵まれた生活を捨てる理由は何だ?」
「親と不仲なんです」
ベタすぎる理由だった。
「わたしの父はナルシストで話が通じず、最低な男です」
「誰かにそっくりだな」
「わたしは父のようにはなりたくない」
「で、家出中に森で行き倒れになったと」
「はい。どこで食料を買えばいいのかわからなくて」
「はあ?」
「身の回りのことは全て従者がやっていましたから」
ボクは生暖かい微笑みを浮かべて、彼の肩にポンと手を置いた。
「なあ、家に帰ったほうがいいと思うぞ」
「どうしてですか?」
「パパは絶対アンタのこと心配しているって」
「いいえ。わたしは跡継ぎではないので、心配なんてしていないと思います」
「心配しているってぇ! 親不孝はいけないぞぉ!(訳:これ以上関わりたくないからさっさと帰れ)」
「わたしをここに置いてくださいませんか?」
「ボクの話を聞いていたか……?」
「料理、洗濯、護衛、肩もみ、何でもします」
「買い物の仕方も知らない奴にできることなんてない」
「お願いしますっ!」
「ヤダ」
「お金ならいくらでも渡しますので」
ボクは溜息を吐いて、彼の頭を軽くはたいた。
「その金は誰のものだ?」
「わたしの財産です」
「アンタの嫌いな親から譲り受けたものだろう?」
彼は黙った。
「三〇分以内に出て行け。そうすれば夜になる前に街に戻れる」
ボクはそう言って彼に背を向けた。
生活力のないボンボンが家出するなんて無理なことだったのだと、きっと彼も現実を理解したことだろう。
ボクは中庭に出て、草花の世話をした。薬を作るためには、魔力を有したこれらの草花が必須なのだ。
「それは薬草ですか?」
「そうだ。さっきあの男に塗った薬もこの薬草から――って、まだいたのかよ!?」
振り返ると、彼がいた。 金髪が夕陽に照らされて、キラキラ輝いている。
「帰れって――」
「いたたたた!」
突然彼がうずくまった。
「お、おい?」
「足があああ! とても痛くて街まで歩けそうにないです」
「嘘だろ」
「あの塗り薬、本当に効果あります?」
「ボクが薬作りを失敗したって言いたいのか!?」
「え、あの塗り薬、あなたが作ったのですか?」
しまった。余計な情報を漏らしてしまった。
「そうですか。失敗作だと事実を指摘してしまって申し訳ございませんでした」
「……なんだかすっげームカつくぞ」
「あの塗り薬に効果がなくて足が痛いままだから、わたしはここに泊まろうと思います」
「帰れって!」
「名乗り遅れましたが、わたしはヴィルヘルム・フォン・ヴァレンシュタインと申します。ヴィルと呼んでください」
「名前なんてどうでもいいから帰れ――って……ヴァレンシュタイン……?」
「はい」
「え……いや、アンタ……まさか……」
「はい。イリーシュア公爵の三男です」
ボクの顔面が青くなった。
ヴァレンシュタイン家は、イリーシュア公爵領の領主の一族。この国で最も地位が高い『公爵』の爵位を持つ貴族で、この城がある黒い森を含めた土地はイリーシュア公爵領に組み込まれている。
彼が貴族だとは思っていたが、もっと規模が小さい家の人間だと予想していた。
ボクが口をパクパクさせていると、彼――ヴィルは、子犬のように無邪気な笑顔を浮かべた。
「ここは我がヴァレンシュタイン家の土地ですよね。つまりあなたは――不法滞在ということになります」
「……」
「でもわたしは何も見ていない。たまたま廃墟の城に泊まるだけです。ここには誰も住んでいない」
子犬の笑顔に、影がかかっている気がする。
「……怪我が治るまでだ」
「承知しました」
家出して行く当てがないからと、もっと粘るものだと思っていたが、素直すぎて不気味だった。
「ところで、あなたの名を伺ってもよろしいでしょうか?」
女であることは既にバレているから、男性名ではなく本名を伝えてもいいだろう。
「マレーネ」
「良い名ですね」
「どーも」
「怪我が治るまで、よろしくお願い致します」
泊めるからには、こき使ってやる。
――と、思ったのに、ヴィルは想像以上に使えない奴だった。
乾いた洗濯物を地面に落とすし、洗い物をさせたら食器を割るし、掃除も円を描くように掃くばかりで角を掃くという発想がないらしい。
「角にっ、埃は、溜まるんだよっ!」
掃き掃除のお手本を見せてやるとヴィルは感心して上品に拍手した。ヴィルの後ろに貴族御用達の劇場の風景が見えた気がした。天性の品格というか、身のこなしが上品すぎる。
「もういいよ。自分でやったほうが早いから、ヴィルは客間に戻って休んでいろ」
教えるのを諦めて家事をしているボクの後ろを、ヴィルはアヒルの子供のようについてくる。
「何でついてくる……客間で休んでいていいって言ったよな」
「マレーネを観察するのが楽しくて」
「はあ?」
「こんなに働き者な女性は、わたしの周りにはいません」
「実家にメイドはいるだろ?」
「はい。ただ、家主が家を掃除する姿は初めて見たので新鮮です」
「言っとくけど、家事なんて庶民には普通のことだからな」
ヴィルは興味深そうにキッチンを観察してから、あまりにもナチュラルにボクの髪の毛先に触れた。
ボクは突然のことに硬直してしまった。男性と腕相撲はしても、男性にこういう触れられ方をするのは初めての経験なのだ。
「綺麗な黒髪ですね」
「綺麗は、ヴィルみたいな金髪につける言葉だろ」
「はい。しかしわたしは、マレーネの髪はカラスの羽のように艶やかで美しいと思います」
言動がおかしい衝撃ですっかり忘れてしまっていたが、ヴィルは天使のような美貌の持ち主だ。
至近距離で真っすぐに見つめられて、ボクは動けなくなった。
心臓が早鐘を打つ。頬も熱い気がする。
「黒い服も似合っています」
「――っ」
ボクは慌てて目を逸らして、ヴィルと距離を取った。
「貴族の女性たちは明るい色のドレスを好みます」
「そりゃそうだろ」
目を逸らしていると、だんだん落ち着いてきた。
「マレーネはどうして黒を着るのです?」
「貴族と同じ趣味嗜好である必要はないだろ。ボクは庶民なんだから」
「マレーネが掃除した場所はピカピカで、何でもできて素晴らしいです」
「はっ、坊ちゃん」
思わず、失笑してしまった。
庶民の娘なら家事くらいできる。これくらいで感心するなんて、よほど世間知らずなのか。
何も反応がない。
怪訝に思って逸らしていた目線をヴィルに合わせると、ヴィルの肩はわなわな小刻みに震えていた。
「……今、わたしのことを『坊ちゃん』と、呼びました?」
詰め寄ってきた。
ボクは猫の臨戦態勢、いわゆる『やんのかポーズ』を取って威嚇した。
「も、文句あるのかよ?」
「わたしのことを坊ちゃんと呼ぶのは、あの家で唯一わたしを愛してくれた乳母だけでした」
「へ、へー」
「つまりあなたは――」
「な、何だよ?」
「わたしを愛しているのですね?」
――は?
「ごめん、話が見えてこないんだけど」
「わたしのことを坊ちゃんと呼ぶのは、わたしを愛している証拠だと」
「いや、思考回路おかしいな! 大丈夫か!? ボクちょっと本気でアンタのこと心配になってきたぞ!」
「わたしのことが心配……? やはり愛ですね」
「どうしよう、こいつ結構ガチでヤバい奴だ!」
「マレーネ」
「な、何だよ!?」
やんのかポーズのまま後ずさりすると、ヴィルは自分の胸に胸に手を当てて伏し目になった。
キッチンの窓から差し込む光がヴィルの背後に落ちて、後光が差しているかのようだった。
「わたしもマレーネと同じ気持ちです」
「は?」
「マレーネ、愛しています」
「いやいやいや! 色々おかしいだろ! 冷静になれ!」
ヴィルの胸倉を掴んで揺さぶると、ガシッと力いっぱい腕を掴まれた。
そしてヴィルはそのまま跪き、ボクを見上げた。
「結婚してください」
ボクの悪夢はまだまだ始まったばかりだと、この瞬間はわかっていなかった――
◆◆◆
出会ったばかりで結婚なんてできるわけがない。頭を冷やすように説得した翌朝、食堂で顔を合わせるなりヴィルはボクの手を握った。
「結婚してください」
「まだ冷静になってないみたいだな」
「マレーネは、出会ったばかりでわたしのことを知らないから結婚できないと言いましたよね」
「うん」
「それなら、互いを知るために街でデートしませんか?」
ボクは、これを承諾した。
ヴィルとの結婚を意識したからではない。
街に出ればそのまま追い出せると思ったからだ。
こんな生活力のない男を黒い森に出して死なれたら後味が悪い。デートという名目で街にさえ行けば、やっとこいつと離れられる。
「マレーネ、お茶でもしませんか? わたしが払います」
貴族だと気付かれないようにボクが貸した庶民風のジャケットを着たヴィルが言った。
「自分のぶんは自分で払うよ」
「気にしないでください。わたしはお金だけは持っています」
「うわああ!」
庶民風のジャケットの懐から札束を取り出しかけたヴィルの手を、ボクは慌てて掴んでしまわせた。
「街には悪い奴だっているんだから、気をつけろ」
「さすがマレーネ、生活力がありますね」
「これは生活力っていうより一般常識だ」
ヴィルと話しながら商店が並ぶ石畳の通りに足を踏み入れると、八百屋の主人に声をかけられた。
「お、マーヴィン! 今日は腕相撲しないのか?」
『マーヴィン』というのは、ボクの偽名だ。
「今日は用事があるんだ。またな」
ボクは相手にせずに通りを進んだ。
「お、マーヴィン大食い大会には出場しないのか?」
「今日は無理。また今度な」
カフェの店主にヒラヒラ手を振って、もっと先に進んだ。
「随分美形な兄ちゃんを連れてるな。人身売買ビジネスでも始めんのか?」
「ちげーよ!」
足を止めて声を荒げると、肉屋の主人がケラケラ笑った。
「マレ……いえ、マーヴィン。あなたは人気者なのですね」
「いや、街によく来るからってだけだ」
「おーい、マーヴィン!」
そのとき、声が響いた。通りの先から青年が走ってくる。この街にある大学に通っている学生だ。
「ごほっ、な、なあ……メシに行かねーか?」
彼は何故か頬を赤らめて、モジモジしている。
「いや、今日は無理」
「お、俺がおごるから会計は心配すんな!」
「そうじゃなくて、連れがいるんだ」
青年はボクから視線を移し、ヴィルを見た。
「え……か……」
「?」
ボクは首を傾げた。
「か……彼氏?」
「ちげーよ!」
「夫です」
「もっとちげーだろ!」
ボクは清々しい顔で嘘を吐いたヴィルの胸を叩いた。
「ち、違うのかあ。よ、良かったあああ」
「違うに決まっているだろ」
「俺にもまだまだチャンスはあるよな?」
「何の?」
「なあ、いつならメシに行ける?」
「いつって言われても……」
そのとき急に寒気がした。ふと横を見ると、ヴィルが真顔でボクを凝視している。
超美形の真顔って、妙に威圧的だよなと思った。
「行きましょう」
ヴィルがボクの両腕を掴み、引きずった。魔法を使わないと、男の力には勝てない。
「放せって!」
「マレーネ」
ヴィルが足を止めたのは、噴水がある広場の一画だった。
「他の男には優しいのですね」
「はあ?」
「わたしに対する態度とは違う」
「そりゃあそうだろ」
「どうしてです!?」
「だってアンタは、ボクとは住む世界が違うから」
ボクはポケットに手を入れて、黒曜石を触った。次に、空いている左手でヴィルの腕を掴んだ。
この広場の傍に騎士団の詰め所がある。ヴィルを連れて行き、家に帰らせる。ボクがヴィルの腕を引くと、抵抗虚しくヴィルは力負けして引きずられた。
魔法の発動中だけできることだ。
「やはりそうですか」
背後で、ヴィルの低くて冷たい声が聞こえた。
「あなたは――魔女ですね」
ただのアホだと思っていたが、気付いたか。
「マレーネ」
ボクはヴィルを無視して、進んだ。
「わたしは秘密にします」
あと少しで、騎士団の詰め所だ。
「――あなたが結婚してくれるなら」
ボクは思わず足を止めて、振り返った。
「言いたければ言え。バレたら別の領地に逃げるだけだ。アンタとは結婚しない」
「どうして頑なに拒むのです? わたしの肩書と財産は魅力的なのに」
「まあな」
最後だから、正直に言ってもいいだろう。
「でもボクは、何かに縛られるのは嫌なんだ」
「あの城で、孤独ではないですか?」
「孤独――か。なあ、知っているか?」
「?」
「本当の自由は、孤独の中でしか得られないんだ」
だからボクは一人でいい――
「え? 自由って、そんなにいいものですか?」
心底わけがわからないといった感じで、ヴィルが言った。
「だってヴィルだって自由が欲しくて家出したんだろ!?」
「いえ。わたしは親が嫌だったからで、自由が欲しかったわけではありません」
「ヴィルはそうでも、ボクは自由がいいんだ。ヴィルのことなんて絶対に好きにならない!」
「わたしよりも、先程の青年のほうがいいと?」
質問の意図がよくわからないが、とにかく拒否を続けよう。
「ああ! アイツのほうがヴィルよりいいね。だから――さよならだ」
ボクはヴィルの腕を掴んで引っ張り半回転させると、突き飛ばした。
突風が巻き起こり、彼は吹き飛ばされ、後方の騎士団の詰め所の塀を超えて敷地内に落ちた。
ヴィルが地面に激突した衝撃音が響き、中がザワついている。
ボクは急いでその場から逃げた。
適材適所で生きる。それが、一番なのだ――
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