坊ちゃんと黒曜石の魔女
朔世よみ
第1話-1
「結婚してください」
長い金髪を後ろで一つに束ねた眉目秀麗の青年が、ボクの白い手を取った。主人に甘える犬のような眼差しで、こちらを見上げている。
この城に飾られている絵画のように浮世離れした雰囲気を纏う彼を、ボクはとても冷めた気持ちで見下ろしながら答えた。
「無理ッッ!」
「どうして?」
信じられないとでも言わんばかりの表情だ。むしろどうして承諾してもらえると思った。
「だって今日会ったばっかで、ボクはアンタのこと何も知らないし」
「今日結婚すれば明日は服の下の隅から隅まで知る最も親密な仲です」
瞳に輝きを宿して言うセリフではないだろう。
「マジで気持ち悪いッ!」
「男性慣れしていないところもわたしの好みです」
「アンタの好みなんて知らねーよ」
「さあ、恐れずにわたしに身を委ねて」
「つーか、手ぇ放せよ」
「恥じらう姿もいいですね」
「アンタの目は節穴か!? 恥じらってんじゃなくて嫌がってんだよ!」
「そんなあなたを、わたしが女の子にしてみせます!」
「……」
まったく話が通じない。
とんでもなく気持ち悪い男を拾ってしまった。
過去をやり直す魔法があるなら、今すぐ発動したい。
今日は厄日だ。魔法を使ったいかさまで荒稼ぎしてきた天罰が下ったのだろうか。
◆◆◆
魔女――と、呼ばれる存在が、呪術屋や薬屋や占星術屋のような怪しげな店を営んでいた古き良き時代は終わった。
魔女狩りで、ほとんどの魔女は処刑されたのだ。
生き残った魔女たちは各地に散らばり、正体を隠してひっそり暮らしている。
例えば、ボクのように。
「一万デルだ」
ボクが立てた人差し指を、向かいに立つ屈強なおじさんが握った。盛り上がった肩が嵩上げして、横幅はボクの三倍ある。
「一万デルだぁ? おいおい兄ちゃん冗談キツイぜぇ」
「本気だ。ボクが負けたらアンタに一万デルやるよ」
指を握られたボクと指を握るマッチョの睨み合いを、酒場の客たちが息を呑んで見守っている。
無理もない。
奥の窓ガラスに映った自分を見ればわかる。
黒いシャツに黒いマント、サスペンダーで留めたひざ丈のグレーのズボンという服装に、右目を隠す黒い眼帯の組み合わせ。闇を抱えた孤独な貴公子っぽいだろう。
そりゃあ、ボクのような『小綺麗な少年』は、こんな野蛮な場所には不釣り合いだ。
ボクは男としては身長が低く細見だから、周囲には一五歳くらいに映っているだろうが、実は一八歳で、しかも男ではない――
「お、おいあんた……よそ者だから知らないかもしれないが、このガキに手を出すのはやめときな」
酒場の店主がおそるおそる言った。
「ガキを怖がる俺様じゃねー!」
「じゃあ、やるか?」
ニッと笑って尋ねると、マッチョも同じく口角を上げた。
「いいだろう。泣いても許してやんねーからな」
「ふんっ。泣くのアンタだよ、マッチョ野郎!」
ボクはマッチョの手に包まれた人差し指を引き抜き、マントを翻した。
「いくぞぉぉぉぉ――――」
ボクが右腕を上げると、マッチョも右腕を上げて、「はああああ!」と雄叫びを上げた。
そしてボクたちは互いに腕を振り下ろし、拳と拳をぶつけ合――わずに向き合って席に着いて互いの手を握った。
「レディゴー!」
店主の声を合図に、ボクたちは腕に力を込めた。
酒場でよくある風景、腕相撲対決だ。
一分だけ、力量が互角のフリをした。もうそろそろいいだろう。ボクはポケットに突っ込んだ左手が握っている『黒曜石』と、自分の魔力の接続を強めた。
直後にボクが右手に力を入れるとマッチョの腕はテーブルに直撃し、テーブルを真っ二つに割った。
方針状態のマッチョを見下ろして、ボクは満面の笑顔を作った。
「一万デル、払えよ」
◆◆◆
「ふんふん~♪」
肉や卵やパンを詰めたバスケットを抱えて、ボクは森の奥へと進んだ。
一万デルあれば二週間は生活できる。家賃がかからないからできることだ。
茶色い枯葉を踏みつけるたびに小気味良い音がする。季節の変わり目だな。そんなことを考えながら歩いていると、見慣れないものが目に留まった。
金色の毛の何かが倒れている。
遠目では魔物かと思ったが、服を着ているから人間か。
『黒い森』として恐れられているこの場所には、まともな人間は近付かない。盗賊か、どこかから逃げてきた罪人か。
いや、それにしては質の良い服を着ている気がする。
近付けば近付くほど、その異質さの輪郭が色濃くなった。
呼吸はしているから生きている。ボクは『それ』の扱いをどうするか逡巡した。
金髪で、刺繍で装飾された白いトレンチコートを着ている。
黒髪で黒い眼帯と黒いマントを身にまとっているボクとは真逆だ。
ここ、ハウツォーレン帝国では、魔女や悪魔といった存在を恐れるあまり、天使や昼の象徴である金色と白色を高貴さの代名詞として貴族が好んでいる。
いつの間にか貴族の色というイメージが定着し、庶民は白を基調とした服を結婚式のときくらいしか着なくなった。
つまりこの行き倒れは――貴族の可能性が高いということだ。
「……はあ」
関わりたくないが、放置して死なれても後味が悪い。許可は取らずに勝手に住み着いているのだが、自分の庭といえば庭だし。
「おい、大丈夫か?」
うつ伏せの相手の肩を掴み仰向けにさせるなり、ボクは目を見張った。
年齢は二〇歳くらいだろうか。閉じたまぶたは金色の長いまつ毛に縁どられ、彫刻品のように整った鼻筋と唇は、神が間違えて人間界に天使を送り込んでしまったかのように美しい。
「……落ち着け」
見ず知らずの男に見惚れるなんて不覚だ。
ボクは頭を振って冷静になり、溜息を吐いた。
「おい、起き――」
そこで、彼が足を怪我していることに気付いた。ズボンが破れ、脛から血が出ている。
「―――っ」
本当は嫌だが、不可抗力だ。ボクはポケットの中の黒曜石に触れて、空いた右手を伸ばし、人差し指で魔法陣を描いた。
「≪
腕相撲でいかさまするために腕力を上げる程度ならいいが、発動に言葉が必要な魔法は黒曜石を消耗するから避けたかった。けれども相手は怪我人だし、仕方ないだろう。
ブラックアウトすると同時に、紙芝居のページが切り替わったかのように風景が変わった。
豪華な装飾の部屋だ。
窓越しに、城壁が見える。
ここはボクの城で、中は貴族の邸宅のように豪華だが、外からは禍々しい廃城に見えるように魔法をかけている。
この城の客間に、自分と彼と荷物と共に空間転移した。
「げっ……座標をちょっとミスったぁ……」
無駄に広い客間の入口の前に到着してしまった。本当は彼をベッドに直接落とすつもりだったのに。
「……修行不足だな」
ボクはもう一度「≪
ボクの前には魔法陣が具現化している。
そのまま、倒れている彼に左手の人差し指を向けながら歩き出すと、子供がヒモつきの馬のおもちゃを引っ張るときのように、彼の身体が一定の距離を保ったまま引きずられてついてくる。
高貴なトレンチコートが床に擦れる音がする。
ベッドの前に到着した。
ボクが左手の人差し指を下から弧を描くように素早く動かすと、彼の身体は空を舞いベッドに投げ込まれた。
さあ、ここからどうするか。家に他人を入れたことがないから、気まずいな。まあまだ寝ているからいいか――
宝石のような青い瞳と、ばっちり目が合った。
投げ飛ばされた衝撃で、起きてしまったらしい。
「あなたは……」
「通りすがりの少年だ」
「ここはあなたの家ですか?」
「まあ」
彼はベッドに横になったままキョロキョロした。
「素晴らしい調度品の数々ですね。あなたは貴族ですか?」
「違うけど」
「では豪商か何かで?」
「気軽に個人情報を聞いてくんなっつーの。手当するからおとなしくしてろ」
「手当て?」
「アンタ足を怪我しているだろ」
「え?」
彼の視線が、足元に向いた。
「あ、足があああ!!」
「お、おいどうした!?」
急に青ざめて震え始めた彼に、ボクは戸惑ってアワアワした。
「わ、わたしのぉ」
「お、おう?」
「陶器のようにきめ細やかな質感の美しい足がぁ」
「……あ?」
何だこいつ。
「わたしは死んでしまうのでしょうか!」
「そんくらいじゃ死なねーよ!」
彼は上半身を起こし、顔面蒼白の状態でボクのマントを掴んできた。変な奴を拾ってしまった。
「お願いします。何とかしてください!」
彼がボクの腰に両腕を回して、しがみついてきた。
「ちょ、離れろって!」
咄嗟に押し返そうとしたが、魔法で腕力を上げていないときには男の力に太刀打ちできない。
ボクはバランスを崩した。
ボクにしがみついていた彼も巻き添えになり、ボクは彼に押し倒されているかのような体勢で床に倒れた。
「す、すみません。これは不可抗力――って、え?」
彼はボクの顔を見て、次に自分が手を置いているボクの左胸を見て、また顔を見て、口をパクパクさせた。
「あの……ひょっとしてですが……」
「おい、早くどけ」
「もしかして、おおおおおんな――」
「早くどけっつってんだろーが!」
黒曜石を握って上げた脚力で、ボクは彼を思いっきり蹴り飛ばした。
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