第55話 蒼魔vs万雷の大獅子①


 ──ウォルフェム王国とは狼を神の遣いと崇め、奉る王権制国家。

 ゆえに、ウォルフェム王国における「狼」という称号は最高峰の名誉。かつて王国を興す際に、狼の群れに助けられて窮地を脱したことからその信仰は始まった。


 白狼騎士はランドリオ連合国家、レガリア共和国、ウォルフェム王国の三大国家が並ぶ大陸、通称「三鼎国」においても最強と名高い存在──だった。


 狼達は、もういない。

 二年前にその姿を消した。


 ──たったひとり、狼になれなかった「蒼狗」を残して。




 剛剣と黒い長剣が火花を散らす。

 レオブレドは霊力を温存し、相手の出方を見ていた。そんなことはマスターもわかりきっている。だからこそ、あしらうような形で剣を合わせていた。

 体力勝負に持ち込めば老齢のレオブレドにとって不利に傾く。しかしそこは霊力で補えばいい。

 互いに腹の内を探り合うような剣捌き、それに痺れを切らしたのは、やはりレオブレドの方からだった。


「ふんッ!」

 マスターが長剣で刃を受けたのを見計らい、腕力で押し込む。しかしそれを剣伝いに察知していたのか、力を抜いて受け流された。


「そう力むなよ。急ぎの用事があるわけでもあるまいに」

 減らず口を。


「剣の腕は私が知る限り相当な物とみた。その剣、どこで学んだ。ウォルフェム王国とやらか?」

「ならアンタの剣は獅子から教えを受けたのか?」

 ああ言えばこう言う、まさに。

 だがレオブレドはその“遊び”に付き合うことにした。この男が只者ではないことは理解している。

 異界の訪問者だ。大なり小なり、何なりと、なにかある。必ず持っているはずだ。


「となればお前は狼の手ずから剣を教わったということか。異なことを言う!」

「異訪人だからな、そりゃ意外なことくらい言うさ。足元気をつけな、大将軍閣下」

 マスターがわずかに剣速を上げる。規則的、あるいは模範的な剣術の応報から外れた刃がレオブレドの脚を狙っていた。

 剛剣で防ぎ、足を引くと剣を弾いて今度は踏み込む──レオブレドの眼前に拳が飛んでくる。


 頬骨に走る鈍い痛みに後ずさると、マスターは剣を払って構え直していた。


「あぁ失礼。虫がいたもんで。殺し損ねた。獅子身中の虫って種類だったんだが」

 次から次へとよくもまぁ出てくる罵倒の言葉に、レオブレドは一瞬感情的になりかける。それが相手のやり口だと理解して無闇に消耗しそうな霊力を押し留めた。


「お前のその軽い口が、騎士の風格を貶めるとは思わないのか?」

「死んだやつは文句言わねぇし、言えねぇと思うんだけどねぇ?」

 そんなこともわからないのか? そう見て取れる口ぶりと表情に年甲斐もなく激昂しそうになるのを堪えながら剣速を上げた刃を返す。それをこともなげに切り返した相手の卓越した技能は認めざるを得ない。


「そんな、お伺いを立てるような剣じゃ欠伸が出ちまうよ。殺し合いって言うならもっと本気で牙を突き立ててくれないか、大将軍閣下?」

「……認めよう。確かにお前は強い。ならばこちらも霊力を惜しむような真似はこれで終いだ。──“轟け”!」

 霊力を乗せた言葉「言霊」が精神に感応して発現する。

 マスターの目の前でレオブレドの板金鎧が淡く光を発していた。獣の唸り声のような音を立てて、クレスト・コートがはためいている。

 のんきに顎に手を当てて訝しげな顔、小首を傾げたマスターは「ははぁ、なるほど」と手を叩く。


「雷鳴獅子。万雷の大獅子、そういうことか──ゴロゴロ喉を鳴らしてるから獅子を名乗るわけか」

 地面が爆ぜるほどの膂力と電撃を迸らせながらレオブレドが踏み込む。

 光速の域にまで達する加速にマスターは長剣を合わせて捌いていた。


「力み過ぎだ、将軍様」

「…………」

 頭に来る。こうも自分があしらわれるとは思わなかっただけに、レオブレドは怒りに我を忘れそうになっていた。だがそれを自制して刃を振るうことに専念する。

 だが。

 だが、何故か。

 どうしてかマスター・ハーベルグは加速剣技に難なく応じてくる。


 大樹を蹴った急襲も。地を舐めるような斬撃も。刺突も紙一重で避けては斬り上げも鼻先を掠める最小限の動きで避けていた。


「不思議そうだな。「どうしてこいつは自分に追いついてくるのか」って顔だ」

「っ」

「そりゃ単純な話だ。アンタは雷光の如く駆け抜ける獅子かもしれないが──、生憎と俺はそれより疾い狼を知っている」

「それも白狼とやらか!」

「俺が生涯、ただひとり“兄貴”と呼ぶ男だ」

 頭上より落ちる雷の剛剣を、長剣を斜めに構えて受ける。刃を滑るようにして流されていき、無防備な相手の顔面に拳を打ち込んだ。二度目は鼻っ柱に直撃したのかレオブレドが顔を抑えて後ずさる。

 小さく息を吐き出し、気息を整えながらマスターは長剣を払って立ち上がった。


「もうひとつ種明かしをするとな──アンタらは“走る”前に、眼が動く。自分が足を着ける場所が安全かどうか確かめるために」

「バカな!? たった、それだけのことで私の加速戦技に追いつくことなど」

「これまで自分たちより速い相手に出会ったことがないだけだろ」

 レオブレドは息を呑む──確かにマスターの言う通り、加速戦技において肝要なことは足場の安全性だ。自らの身体を撃ち出す性質上、どうしても足捌きが重要性を占める割合が大きくなる。ましてやこの密林地帯では起伏が激しいだけでなく湿度も関係していた。

 確かにこの環境は雷霊術の一助になっている。だがそれによって制御しきれないほどの速度を出せば当然、待ち受けているのは“不慮の事故”だ。

 狼狽するレオブレドの前で、初めてマスターが犬歯を見せて笑みを浮かべる。


「バカが! 一体誰が交易都市の雷鳴騎士を全滅させたと思ってやがる。テメェら軍隊はお行儀よく規則に則って行動をする、そんなもん十人や百人相手にすりゃ統計的に基礎くらいは見抜けんだよ! 何年国家権力相手に喧嘩売ってると思ってんだ!」

(こいつは──!)

 もしも。

 リョウゼン・R・グランバイツが、人類の歴史上最強の“異訪人”であるというのなら、マスター・ハーベルグは人類にとって最強の天敵に他ならない。

 もしもこの男が人類領に踏み込めばどうなるか。残る五天将であれば心配は無用だが、しかし。万が一にでも王都に乗り込むことがあれば──レオブレドは悪寒に身を震わせた。

 それだけは駄目だ、と。


「──お前がごとき“野良犬”に、奪わせんぞ! このオレが築き上げてきた家だ、地位だ! 名誉、名声! 財産! 指一本足りとて!」

「あぁ、安心しろよ。アンタの遺産に何一つ興味はねぇからよ。毛ほども興味はねぇんだ──いや待てよ? ははぁ、いいこと思いついた」

 背筋が凍りつくような笑顔だった。くっくっ、と忍び笑いをしながら、これ見よがしに。


「アンタが死んだらその遺産を巡ってどれだけ血眼になって人類同士で殺し合うのか観物だとは思わないか? そいつぁちょっと、楽しみだ」

「──こ、の……外道めがぁ!!!」

「人のこと言えんのかよ」

 雷光を伴う剛剣が叩き込まれる。

 その刃がマスターの姿を捉えることはなく、レオブレドは自らの肩にズシリとした重さを感じた。

 肩鎧に足をかけて、クレスト・コートの毛房を掴んだかと思うとそのまま力任せに捻り上げる。

 すると、留め具ごと巻き上げた外套は獅子の首を締め上げていた。咄嗟に手を伸ばして引き離そうとするのを見てマスターはクレスト・コートを掴んだまま横に跳躍する。首一つで人一人分の体重を支える形となり、ますます苦悶の声を上げた。


「テメェは自分の私利私欲で人を殺してんだ。それは人の道を外れた行いだ。テメェも俺も同じ外道だ。同じ穴のムジナって言うらしいが、お笑い草だな。で? どうにかしねぇとこのまま絞め殺すわけだが、脱がねぇの?」

「ぬ、ぅううああああぁぁぁっ──!!」

 全身で振りかぶり、引きちぎるようにしてクレスト・コートの留め具を外すとマスターが毛房を掴んだまま振り払われる。地面に背中から落ちると同時に受け身を取って転がると、すぐにコートを手で巻き取って左手から垂らした。

 見た目以上に重量があるのは、裾の裏地に重しを入れているからだ。それによって常に綺麗な形で納まるようになっている。上等なスーツやコートと同じ、仕立て屋の知恵に鼻で笑っていた。おそらくは霊輝石だろう。

 レオブレドは怒りを露わに霊力を解放していた。

 心地よい怒気だ。自分に向けられる殺意が快い。生温いじゃれ合いなど飽き飽きしている。


「ああ、いいね。そうこなくちゃ面白くない。老い先短いんだからもっと早くやる気出してくれよ」

「お前のような命知らずは初めて見たわッ! 消し炭一つ残さんぞ、若造!」

「消し炭一つ、ね……」

 地面を走る稲妻を見て、膨れ上がる雷光の霊気が森の空気を焼いて霧を蒸発させる。蒸し暑さすら跳ね除ける熱量にマスターは目を細めて長剣を肩に当てた。

 ──地上から自分を消すほどの威力であるならば、それは果たしてどれほど有り難い話であることか。

 鼻で笑い飛ばす。


「やれるもんならやってくれよ」

 無駄だろうけど。

 ──雷光に照らされて、影が蠢く。

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