第54話 獅子と狼──
──ミルカルド大森林をひとり歩くレオブレドが、不意に足を止める。
隠しもしない殺気に振り向けば、そこには一人の青年が立っていた。
何者か、と尋ねる前に自らの目でその姿を隈なく観察する。
蒼い髪。紫色の双眸。魔眼の色を魅せ、黒い外套に身を包んだ相手は一言も発することなく佇んでいた。
「ほう……お前か。リョウゼンの言っていた人間というのは。思っていた以上に随分と若いな」
「報連相がしっかりしてて助かるよ、レオブレド大将軍閣下。俺が聞いていたよりも随分と老け込んだ爺さんだ」
「私に何用だ、とは聞くだけ野暮か」
「アンタに用はねぇよ。用事があるのは、その大将首と命だ」
やはりか。レオブレドは剣を向ける。
「まぁ待てよ。殺し合いの前に、少しだけ話し込まないか? アンタも森の中彷徨ってて体力消耗してるだろうし──リヴレットを相手して霊力も消耗してるだろ。立ち話もなんだ、腰を据えて話そうか。その後で、アンタを殺さなきゃならん」
「…………見上げた小僧だ。よかろう! お前の心意気に免じて、今は刃を収めてやる。名は」
「マスター・ハーベルグ」
──倒木に腰を下ろしたレオブレド・ボルトザックに向かい合う形で丸太に腰掛けていた。当然ながら互いの話が終わった時点で始まるのは殺し合いだ。
しかし、レオブレドは相手に興味が尽きなかった。
「私から問おう。お前は何者だ?」
「この世界で言うところの異訪人。こちらからの質問をしても?」
「よかろう」
異訪人、という情報は自ずと察していたからか驚きはない。
「ベルモンド・シュバルスタッドを殺害した動機は?」
「────」
「答えられないほど耄碌しちゃいまい? でもなきゃ軍を率いて首都陥落なんてしてねぇわな」
「なぜそのようなことを聞く」
「ただの好奇心。すっとぼけて「忘れた」と言わない辺り、覚えてるんだろ。教えてくれよ」
マスターはレオブレドが口を開くのを待つ。
「──ベルモンドの奴はな。当時、雷鳴騎士の中でも名うての使い手だった。だがアイツは真面目過ぎたのだ。今からもう五年も前の話になる」
──当時、魔族と人類の交流がまだ盛んだった頃。
レオブレドは精力的に魔族の土地へ踏み入り、様々な交易を行っていた。そこには通商隊を率いるベルモンドの姿と、レオンがいた。まだ年若い、新鋭の騎士としてウェイルズとアイルトン、グウィンドウェルとヴァレリアも。
北の魔将エンディゴより聞いたのは、「
曰く、エルフが住まう森の最奥には「不老長寿の霊薬」があるという。
ひと目見たい。あわよくばこの手にしたい。我が物としたいという欲から部隊を率いてこの森へ一度は足を踏み入れた。
エルフたちの集落へ辿り着き、ミルカルド大霊樹を目の当たりにしたところでベルモンドは罪悪感に耐えられなかったのだろう。
目的が霊薬であることを明かすと、エルフ達に襲撃された。当然のことだ。
だからベルモンドを斬った。斬って捨て去り、森に火を放ちながら退却することに成功する。
「だから私は、前線拠点が崩壊した今。再びこのミルカルド大森林へ足を踏み入れたというわけだ」
「そうかい。なら次はそちらの質問に答えようか。どうぞ」
本当にただの好奇心からだったのか、すぐに話を打ち切った。それはレオブレドにしても好感の持てる印象を受ける。
顎髭を撫でながら、次の問いを考え──。
「リョウゼンのやつから聞いた話では、交易都市にいたそうだな? 魔族達と生活を共にして、何か感じたことはあるか」
「別段、特には。種としての特徴が完全に人間と乖離しちゃいるが、特に不自由は……あー……無くはなかったかな」
特に衛生面。厳密に言えば厨房。キッチン。台所。あんな不衛生な環境で調理するのだけは絶対に御免だ。よく腹を壊さなかったな、と自分の健康に感謝しつつ。
「大したことじゃない」
「ほぅ、そうか。私の首を狙うのは、魔族のためか」
「半分は」
「もう半分は?」
「“友人”からの、依頼だ。本当は規則上、引き受けちゃいけなかったんだけどな」
マスターが腰の白い鞘を叩く。それは紛れもなく、ベルモンドからリヴレットのもとへ渡り、つい先刻まで打ち合っていた物と同一の品だった。
「依頼? お前の職はなんだ」
「質問が続くな。まぁいいけどよ。簡単に説明すると“何でも屋”だ。提示された報酬と仕事の内容にこちらが納得いくならどんな仕事でも引き受ける」
「……なるほど。傭兵のようなものか」
「ま、そんなとこ。そしてその中にいくつかの規則が存在する。例えばそうだな……傭兵同士の依頼を禁ずる、とかな」
同業者に依頼を出すのは御法度。特に“労働組合”に属している者は。
「その中に。報酬を先に受け取ってはならない、という条件がある。自衛の意味を込めて作られた規則だ」
「報酬を受理した以上、どのような無茶な仕事であっても引き受けなければ沽券に関わる。体裁上の問題からか」
「さすが商売上手、理解が早い。まぁ、そういうことだ。今回は二つも規則違反したもんだからな、これがバレたら面倒だ」
「ほう。ならばもうひとつはなんだ?」
「死んだ人間から仕事を受けてはならない。依頼人は報酬を支払う義務がある。それを踏み倒すような真似をされたらたまったもんじゃない」
だから契約を結ぶ。依頼人は、報酬を支払うまでの期間、依頼屋が責任を持って安全を保障する。ただし依頼人側が故意にそれを不義理にした場合──ペナルティが待ち受けている。
「今回は依頼人がすでに瀕死だった上に、報酬の先払いまで受け取っちまったからな。間もなく死んだけどよ」
「リヴレットの仇討ちではないのか?」
「そんなもんに何の意味がある。死んだアイツが喜ぶか? 生き返るってなら考えものだが、そんなはずはない。だから俺は、この件に関しては完全に仕事と割り切った」
「……ふっ、はっはっ! 良い! 実に小気味良い傭兵だ! 気に入った! 次はお前の問いに答えよう! 重ねて問うたのは、すまんかったな」
「いや結構、お気になさらず」
マスターは頭を下げるレオブレドを手で遮った。
「ならひとつ──“勇門の儀”によって召喚された存在を、元の世界に帰す技術。あるいは儀式があるかどうかを聞きたい」
その問いに、レオブレドは眉を寄せる。だがすぐに察した。目の前の異訪人がこれまで召喚されてきた勇者達とは異なる目的で動いていることに。
「……ある。とだけ、答えておこう」
「それが聞ければ十分」
「──これは私の独り言だが。これまで勇門の儀によって招かれてきた勇者というのは、不思議なものでな。元の世界に帰りたい、などと口にはしなかった」
あのリョウゼンでさえもだ。
「それゆえに、長らく“返還の儀”を執り行うことはなかった。しかし問題があってな。これをやるには、とある条件がある。魔族の秘宝、そして人類の秘宝。この二つを揃えることが要と伝承には残されている」
「そいつは嘘だな、大将軍閣下。残念だが俺の方ですでに調べがついてる」
交易都市。大時計城に滞在していた際にマスターはメリフィリアの協力で文献を読み漁った。過去にそうした例が無いかの調査のために。
結果として、儀式そのものの存在は確かめられた。そのために必要なのは秘宝──そして、遺跡。
「とはいえ。俺は魔族の文献資料を読み漁ったことで得られた情報だ。もしかすると人類と情報が食い違っている可能性もある。ここは追々、自分で調査を進めていくつもりだ」
「……食えん男だ、ますます気に入った! ヴァレリアの奴とは会ったか?」
「危うく玉の輿に乗せられるところでしたが?」
「そうかそうか。ハァッハッハ! 流石我が孫娘、抜け目のなさは親譲りか!」
「……そういえば、クレスト親衛隊は孫の代で固められているそうで。なら貴方の子息達は人類領で内政を?」
「その通りだ。望むならばヴァレリアの奴をくれてやってもいいが?」
「いらねぇよ。あんなじゃじゃ馬淑女」
「むぅ、そうか。いや、だがあれはあれで良いものだぞ? あの快活ぶり、剣の腕も悪くない。気立ても良い! 料理の腕は……まぁ、追々。何よりも」
「「胸が大きい」」
マスターとレオブレドの声が綺麗にハモった。それに一瞬呆気に取られていたが、やがて大獅子は豪快に笑い出す。膝を“右手”で叩き、額に拳を当てて涙が出るほど。
「ああ、実に! 実に──惜しいかな! これほどまでに殺すのが惜しいと思ったのは初めてだ! いや、まったく! 願うならばこの手にしたい! 不甲斐ない不良息子どもではなくお前に獅子の名を継がせたいわ!」
「そうかい。それで──もういいか、大将軍閣下? じゅうぶん休憩しただろう。小腹が空いたなら食うといい。喉の乾きがあるなら潤すといい。その後でアンタを殺すからよ、せいぜい噛みしめろ」
静かな口ぶりで投げかけながら、マスターが立ち上がると腰の水筒を持ち出して水分補給。
レオブレドは投げられたそれを受け取ると、三分の一ほどまで減っていた中身を一息に飲み干した。
(──この小僧は、なんだ?)
ずっと拭えない違和感があった。
これから殺し合いをするというのに、異様に落ち着いている。
騎士の決闘とは血湧き肉躍る戦の華だ。
それは往々にして合戦の習わし。
持ちうる最強同士の勝敗を兵士たちは固唾を飲み、熱狂の渦と共に見守るのだ。
此処は些か静かにすぎるかもしれない。だがやるべきことは変わらず、レオブレドの血は騒いでいた。今か今かと闘いを待ちわびているのが手に取るように判る。
──しかし。マスター・ハーベルグの顔はさもつまらなさそうにため息混じりだ。
「お前は死が恐ろしくないのか? 私は恐ろしい。この齢になり、また一段と老け込んだと痛感している。昔ほど足腰も強くない」
「死ぬのが怖いなら逃げりゃいいじゃねぇか。雷鳴騎士の速度に俺は追いつけないからよ。アンタが背中向けて逃げ出したらこの話はそれで終わりだ」
挑発混じりの冷笑。鼻で笑われて逃げ出す将がどこにいるのか。
「それをしねぇってことは、アンタは自分から闘いを望んでいる。違うか? 絶対の自信がある。それを裏打ちする経験と、実力がある」
腕を伸ばし、筋肉を解す。今更準備体操を始めているマスターを前にして、レオブレドは笑みを湛えたまま剛剣を引き抜いていた。
霊力の滾りに変わりなし。体力も十分回復した。
クレスト・コートを翻して、刃を突きつける。
「見物人がおらずとも、一騎打ちとあれば戦の作法は弁えていような──」
「どうだか。ちょっと自信ねぇなー」
「我は万雷の大獅子、レオブレド・ボルトザック! 雷霊術において人類最強の名を賜った五天将がひとり!
さぁ、さぁ。さぁ──! 名乗るがいい、光栄に思え! 我が万雷の裁きを賜る名誉を!」
森を駆け抜けるレオブレドの咆哮が木々を揺らす。
しかし、やはり。
マスター・ハーベルグの顔には、何の感情も浮かばなかった。
気だるそうに頭を掻き、ため息をつき、長剣に手を掛ける。
「どう名乗ったものかね。まぁ、そうだな──これはあくまでも。俺個人の感情だが……リヴレット・シュバルスタッドの騎士道に則って、俺も今だけは騎士を名乗らせてもらう」
鈴を鳴らすような風切り音に一寸、レオブレドは聞き惚れていた。
そして見た。
「──ウォルフェム王国、白狼騎士団。マスター・ハーベルグ」
その名を語るのが苦痛なのか、顔を僅かにしかめる異訪人を。
「ただの一匹狼だ」
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