第53話 騎士の矜持


 ──ライオウ。雷の王。それ故に、ライオウと呼ばれる神霊である。

 霊力の具現化、出力される精神の波長によってその輪郭を描くものは雷王の加護を生まれながらに授かっているとされた。

 大地から生まれる竜に対する人々の護り手として、竜と獅子は敵対関係にある。

 ある土地では、人に寄り添う神獣は獅子ではなく虎であるとも語り継がれていた。

 しかしそれはどちらも正しく、どちらも間違いだ。

 何故ならば。

 雷の霊術の位階における「紫電」「蒼雷」「白光」とは、獅子と竜と虎を語り継ぐために設けられたものだ。

 この大地に生きる者であれば、等しくライオウは加護を授ける。

 人はそれをしばし、忘れるだけのこと。


 ──それは残酷なまでに平等で、公平な神霊の意思。




 ライオウの爪牙の顕現。

 『神霊御伽噺グランテイル』の一端を引き起こすことから、レオブレドの轟雷の抜剣術は畏れを込めて、人々は口にした。


 ──獅子の爪牙。レオブレドのグランテイル。


 ──『電磁抜剣術レイルガン』と。




 ……耳鳴りがする。まるで眼が焼けたかのように視界が霞む。身体の感覚も朧気だ。自分を受け止めている固く、冷たいものがミルカルド大森林の大地であることに気づくのにしばしの時間を要する。

 頭を振り、痺れる手足に霊力の芯を通して身体を起こす。

 全身が殴られたように痛い。


「っ…………!」

 自分がどれほど気絶していたのか。周囲を見渡せば焼け野原。ミルカルド大森林の中に広大な広場が出来上がっていた。リヴレットは立ち上がって倒れたエルフの身体を揺さぶる。


「おい、しっかりしろ!」

「…………ぅ」

 まだ息があることをひと目見て、胸を撫で下ろした。

 焼けた空気のにおいに咳き込むと肋骨にヒビでも入ったのかじわりと痛みが広がる。倒れているエルフの何人かは身体を起こし始めていた。


「──ほう。存外しぶといな、森人というのは」

 しかし、それを見ていたレオブレドは剛剣に再び雷鳴を纏わせる。その視線の先には、エルフが一人。紛れもなく死が迫るのを前にして顔を恐怖で歪めていた。

 気づけば、身体は動いていた。


「……リヴレット。お前は一体なにをしている?」

「っ……!」

 刃が振り下ろされるよりも先に、自分の身体を滑り込ませて防ぐ。衝突する雷光が弾け合い、眩く輝いていた。


「早く逃げろ──!」

「な、なんで……お前は人間だろ」

「それでも……!」


 ──エルフは閉鎖的な種族だ。

 ──同じ集落で生まれ、同じ里で暮らす者を家族同然に想い、慕い、支え合う。

 ──ならばその生命が奪われることを、彼女はきっと悲しむはずだ。


「君たちは、ララフィの家族なんだろう? 私は君たちにかける言葉をもたないが、それが助けない理由にはならない!」

 レオブレドの剣を弾き、倒れたエルフの手を取ってその場を離れる。


「──は、はぁっはっは! リヴレット! お前は、そうか! 自分の父親と同じ道を歩むか! お前も同じく、二の轍を踏んで死にゆくつもりか!」

 破顔する豪傑の言葉に耳を貸すことなく、リヴレットはエルフに耳打ちした。


(きっと近くにララフィと姫様達がいる。そこまで仲間を連れて逃げるんだ)

「お前はどうするんだ……?」

「……一人でも多く助ける。必ずだ」


 ──ずっと悩んでいた。マスターから投げられた言葉に対する答えが出なくて。

 ──恵まれた環境で生まれ育った自分が、恵まれない環境の相手にかける言葉がどれほど空虚なものなのか。

 ──だが。彼はどうなのだろう。マスター・ハーベルグはどうして“こちら側”ではなく“あちら側”に立つことができるのだろうか。

 ──きっと、彼も。同じように恵まれない環境で生まれ育ったに違いない。

 ──私にはできないことだ。羨ましいと思った。それは称賛すべき行動力だ。

 ──だから私もそうするしかないと。

 ──私は、同じ大地で生きる魔族と手を取り合って生きていきたかった。


 レオブレドの剣を防ぎながら、リヴレットはエルフを立たせて逃げるように背中を押していく。その身体に雷撃を受け、斬撃で具足を歪ませながら。

 それでも前を向く。前を見て走る。誰よりも速く。疾く、駆ける。

 ひとり。またひとりとエルフたちが去っていくのを見送り、他に誰も残っていないことを確かめてから──改めて、レオブレドと対峙する。


 若獅子は満身創痍となっていた。

 汗と土埃で金の髪は乱れ、肩で呼吸するほど息は荒れている。

 エルフ達を助けるのに体力と霊力を消耗した。

 肌は焼け、血を滲ませて。立っているのもやっとの状態だ。

 それでも眼光だけは鋭く、闘志は一切の衰えなくレオブレドを睨みつけている。

 白剣の刀身もそんな使い手の意思を表すかのように一点の曇りなく輝いていた。


「──待たせたな、大将軍閣下。続きといこう」

「…………理解ができんな。なぜお前はそうまでして他者に手を差し伸べる?」

「なぜ、と問われても。私にも理解ができません。なぜなら「そうすべきだ」と教えられてきました。雛が羽ばたくことに疑問を抱かないように」

 霊力を振り絞る。白剣は応えるように紫電を奔らせた。

 レオブレドは手にした剛剣を変わらず構える。次の一撃を防ぐことは敵わないだろうと算段をつけていた。見ればわかる。

 手負いの若獅子は今にも命の灯火が消え入りそうだ。体力の消耗がそのまま霊力の回復を阻害している。放っておいても虚脱状態で植物のように眠るだろう。

 しかし、それは、どうにも憚られる。──美しくない、と思った。

 獅子の名を語るならば、獲物は仕留めなければ。


「我が振るうは獅子の閃刃、すなわち「電磁抜剣レイルガン」だ。今のお前が受ければ死は免れられんぞ?」

「…………受けて立つ」

 レオブレドは両の手で剛剣を握り込むと天上に高く掲げた。

 その刀身から雷光が放たれる。刹那、光となってリヴレットに降り注いだ。それを白剣を交差させる形で受け止める。

 耐えられるはずがない。だがレオブレドは一切の油断なく剛剣を押し込んだ。


「ッ──、電磁抜剣レイルガン!!!」

「バカな!?」

 振り下ろしたはずの雷光が霧散する。その霊力の光はリヴレットが持つ白剣の霊輝石によって制御され、刀身を白く燃やしていた。

 自らを撃ち出す加速戦技によってリヴレットの身体が消える。しかし、反射的にレオブレドの剣は姿を捉えていた。

 直線的な動きに対して剣を振るう。だが刃が触れた瞬間、その姿はすぐさま光となって消えた。

 霊力で自らの残像を作り出すことで相手を翻弄する雷霊術の上位技「残光アフターグロウ」。


 目を見開いたレオブレドが矢継ぎ早に迫るリヴレットの残光を切り払う。自らを包囲する形で次々と襲いかかる残像に混じって刃が火花を散らす。

 四方を囲まれ、八方より絶え間なく襲いかかる「電磁抜剣レイルガン」を同等の霊力で迎撃するレオブレドは、光の中で見た。

 刃を振りかぶるリヴレットの背に、ライオウの姿を。


 渾身の一撃が自らに迫るのを察して、咄嗟に走らせた刃が今度こそリヴレットの身体をすれ違いざまに捉える。

 板金鎧の防御能力に身を任せ、確かな手応えに振り返れば膝をついて血溜まりの中に倒れ込もうとするところだった。


「惜しかったな、リヴレット──」

 左腕の違和感に足を止める。視線を落とせば、篭手の内側が妙に温かい。指先に力が入らず、手が震えた。力をいれると腕全体が痛む。

 最後の一撃を防ぎきれずに、どうやら霊力の刃で手傷を負ってしまったらしい。だがレオブレドはそれをつまらなさそうに鼻を鳴らして無視した。


「“残光”を交えての電磁抜剣の乱舞、見事なものだった。それをモノにすることができていればこのオレを討ち取ることができたかもしれんが、残念だったな。獅子の首はまだ繋がっているぞ」

 自らの勝利を確信して歩み寄る足元に、矢が突き立つ。

 顔を上げれば、一度は逃げたはずのエルフ達が蔓を手に大樹の上から飛び降りてくるところだった。

 更に矢が数本放たれる。それを切り払う。続けて、筒のようなものが投げ込まれた。それもまた同じように剛剣で捌くと、中から粉塵が舞う。

 クレスト・コートで顔を覆うことで吸い込むのを防ぎながらレオブレドは注意深く煙幕が晴れるのを待っていた。

 煙に紛れて攻め込んでくる気配が無い──逃げたか。


 外套で煙を振り払うと、周囲は静寂に包まれていた。揺れる木の葉によって奏でられる環境音だけが耳に届く。

 焼け野原に立つレオブレドは見上げた木々の隙間からわずかに覗く大霊樹の方角を確かめると、笑みを浮かべて歩き出す。




 ──マスター・ハーベルグ達がミレア・ヴァン・ヴェーグロードたちと合流すると、そこではリヴレットが横たえられていた。

 その周囲には傷ついたエルフ達がいる。

 ララフィが必死に治療魔法で傷を癒そうとしているが、それに耐えられる体力が残っていないのか止血だけに留まっている。それが辛うじての延命措置になっているのかリヴレットは顔に嫌な汗を流していた。

 それらの状況から、マスターはおおむね何が起きたのか把握すると一団に歩み寄っていく。


「マスター。その、彼は……」

 ミレアの言葉を無視して、横になっているリヴレットのそばにかがみ込む。

 相手も気づいたのか、咳き込んで血を吐き出すと力なく笑った。


「一応。念の為聞くが、なにがあった」

「……レオブレド、大将軍はこの先だ」

「そんで。テメェが突っ走って返り討ちか。だからバカな真似するなって言っただろうが」

「そんな言い方──!」

「ララフィねーちゃん、やるだけ無駄だ。治療を止めろ」

 リヴレットの腹を真横一文字に切り裂く傷にはエルフ達の傷薬が塗り込まれている。しかし、傷口を縫い留めることにも耐えられないだろう。肉の焼けた嫌な臭いから火傷も体中にあるはずだ。どうあっても助からない傷にマスターは何の感慨もなくリヴレットを見下ろす。


「……父の仇だった。君の言う通りだったよ。わかってた。わかって、いたんだ──だけどどうしても信じられなかった。本人の口から聞くまでは」

「それで、カッとなって斬りかかったのか?」

「……、そうだな。私では、首までは獲れなかったよ」

 悔し涙を浮かべながらリヴレットは帯びていた白剣を外してマスターに差し出した。それを受け取ることなく、ただじっと視線を向けている。


「だろうな」

「──お願いだ。どうか、頼む。私の代わりに、父の仇を討ってくれないか」

 剣を差し出しているのもやっとの思いなのか。力を振り絞って握っている白剣は震えていた。


「お願いだ、というのなら。そいつは聞けない相談だ──ただし」

「……ただし?」

「それがアンタからの“依頼”なら、俺には引き受ける責任と義務がある。それに見合う対価と報酬を提示するならの話だが」

「ああ……そうか。そういうことなら──この剣を、受け取ってくれ」

 リヴレットのか細い声で、ようやくマスターは白剣を手にする。


「それでは、足りないだろうか……?」

「父親からの形見の品なんだろ。なら十分だ」

「そうか──、それなら……たのんだよ……」

 涙を流すララフィの手を振り払い、治療魔法を中断させると間もなくしてリヴレットは息を引き取った。

 マスターは立ち上がると、ミレアに歩み寄る。


「姫さん。緊急の依頼が入った。先にコイツを片付けてもいいか?」

「え? え、えぇ……ですが」

「やることは変わらない。レオブレド大将軍の首を獲るだけだが、意味が変わってくる。俺にとって大事なことだ」

 手を伸ばして複合兵装の装甲を展開させると、長剣とマチェーテをハードポイントにマウントさせた。左腰にはリヴレットから受け取った白剣。


「魔族のためではなく。リヴレット・シュバルスタッドからの依頼でレオブレド大将軍を殺す──こいつは復讐と報復のための私闘であり、“俺個人の仕事”だ。だからアンタら魔族の出る幕じゃない。俺の仕事の邪魔すんじゃねぇぞ、ぶち殺すからな」

 念を押してミレアを指差すと、アーシュが何か言いたげな顔をしていた。


「マスター。私は彼の友として、仇討ちに参加したいがこれに許可は?」

「出ねぇよ。ここで待ってろ」

「オイラは」

「黙ってろ」

「ひゃい……」

 マスターは殺気立ちながらエルフ達にレオブレドの居場所を尋ねる。示された道を見ながら、アアルに声をかけた。


「アアルねーちゃん。ミルカルド大霊樹に伝えておいてくれ。人の邪魔したら、誰も住めねぇ土地にしてやるって。誰もついてくるんじゃねーぞ」

 リヴレットの死を偲ぶでもなく、涙を流すでもなく、同情の余地すらなく。

 マスター・ハーベルグはレオブレド大将軍のもとへ歩き出していた。

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