第52話 ライオウの爪牙
──ウェイルズを倒した二人は、言葉もなく森の中をまっすぐ歩く。
ふと、ヴィンフリートがアーシュの頬と肩に裂傷が残っているのを見つけた。
「アーシュ。傷は大丈夫かね?」
「ん? あぁ、この程度なら問題ない」
「そうか。とはいえ早く治した方がいい。君の顔に傷が残るのはいただけない」
「別にいいだろう、そのくらい」
「姫様も不安がるぞ」
「はぁ。わかったわかった」
頬の傷を指でなぞると、まるで何事もなかったかのように傷が消える。
「君の珠のような肌に傷が残るのはあまりに勿体ない」
「お前はその喧しさとお節介なところが玉に瑕だな」
「そうかね? なら戒めるとしよう。さて姫様達の後を急いで追わなければな。我が友リヴレットの様子も気がかりだ」
先を急ぐヴィンフリートが、すぐに足を止めた。
迂回する形でアーシュ達を待っていたマスター達が二人の姿を見つけて気さくに手を挙げて挨拶をする。
「よっ。お疲れ様、ふたりとも無事みたいだな」
「おぉ! 我が異界の友マスター・ハーベルグ! はぐれた時はあわや大惨事かと気を揉んだものだが杞憂に終わってよかった!」
「むしろ大惨事なのは敵方だけどな。こっちはクレスト親衛隊副長含めた一団を全滅させたところだ」
「大戦果ではないか。褒美を与えたいところだが、惜しみない称賛くらいしか贈れない我が境遇を恨みたまえ。拍手!」
「うるせぇ」
しょんもり。ヴィンフリートが気落ちしていた。
「メリフィリアたちも合流できたようだな。そちらのエルフは……」
マスターがアアルたちを紹介すると、互いの自己紹介を会釈に留める。
「さて。アアルねーちゃん、姫様達の居場所は今どのへん?」
「…………その、ねーちゃん。と呼ぶのはやめてくれないか」
「なんで?」
「……なんというか。胸が苦しくなる」
魔族と人間の寿命差は、ある種の差別意識がある。中でもエルフというのは閉鎖的な部族だ。そのため彼らあるいは彼女たちからすれば人間というのは犬猫と変わらない生き物である。
それが意思疎通が可能で、なおかつ自分たちに懐いてくる。アアルからすれば子犬や子猫が鳴きながらすり寄ってくるようなものだ。
ははぁん、とマスターが悪い顔をする。
「たーのーむーよー」
「ん゙ん゙っ!!」
袖を引っ張って子どものようにねだってみると、アアルが顔を真赤にして悶えていた。おもしろ。
長い耳を上下させて呼気を整え、顔を背ける。にやけそうな頬を必死に引き締めてアアルは鬼気迫る表情でマスターを見た。
「し、仕方のないやつだなぁ! 少し、待っていろぉ!」
「よっしゃ」
「アアル様、一人っ子だからな……」
「年下の異性が好みと聞いていたが……」
ヒソヒソとエルフ達がなにか話しているのが聞こえる。だがマスターはそれよりも、瞳孔をかっ広げてこちらを見つめるメリフィリアの視線のほうが怖かった。隣に立っているアーシュも呆れ顔だ。
「メリフィリア。妬むな、顔が怖い」
「ふしゃーっ」
「私を威嚇するな」
──まもなくして、アアルがミレア達の居場所を探知すると森の中に雷鳴が轟く。
「……こりゃちょっと急いだほうがいいかもしれねぇな」
ミルカルド大森林の青々しい空気を切り裂いて駆ける雷光が二つ、空中で衝突すると弾かれたように人影が飛び出した。
リヴレットとレオブレドの衝突を見守るのは、里守のエルフ達だ。どちらに加勢すべきかなど決まっている。だがそれは掟に反する行いだ。静観するしかない自分たちの愚かさに焦燥感を覚えながらも、槍と弓を握る力を強める。
(流石は雷鳴獅子──、万雷の大獅子と謂われていただけのことはある!)
寄る年波に衰えているのではないかと淡い期待を抱いていたが、そんなはずはない。年老いてなおも最前線に立つ豪傑が人並に衰えているはずがなかった。
リヴレットは呼気を整える。──相手は全身を余さず覆う板金鎧の傑物だ。
こちらはどうだ。軽具足で一撃でも与えられようものなら即座に致命傷。ならば小回りの効く機動力で上回る他にない。
体力勝負に持ち込みたいが、それは五分といったところか。
ならば剣術。こちらも拮抗するが或いは相手方に軍配が上がる。
霊力は言うまでもない。五天将に数えられ、歴史に名を残す相手だ。
(さて、どうするか)
白剣を握り直し、リヴレットは頬の汗を拭う。
防御は鉄壁。攻撃は苛烈。しかし、勝算が無いわけではない。
マスターを打倒したあの時──確かにこれまで感じたことのない霊力の滾りを感じていた。それは感情の爆発によって引き起こされた励起現象。
それを今一度引き起こし、霊力を込めた白剣で鎧を貫けば。あるいは……。
(……やるしかない)
やらねばならない。父の仇を前にして、命を惜しむ理由などなかった。
リヴレットは白剣に霊力を込める。
──亡き父の形見。それは、レオブレドより賜った珠玉の逸品。
“ライオウ”の白き稲妻を象った直剣は信頼の証として送られたはずだった。
裏切られた。見捨てられた。ベルモンド・シュバルスタッドはこの場所で、この土地で、この森の中で無二の親友と疑わなかったはずの雷鳴騎士団に捨て置かれて死んだ。その死をどれほど母が嘆いたか、知らないだろう。その死を幼い弟達がどれほど偲んだか知らないだろう。
だから今此処で。この場所で、この土地で。
死に至らしめる雷撃で、その身に知らしめる。
「──雷鳴よ。我が剣に宿れ!」
言霊を紡ぐ。それはすぐに応えた。
霊力が雷となって発現し、白剣に紫電を迸らせる。
「──雷光よ。我が身を纏え」
「ほう! ほう、ほう! そう来るか! がぁっはっはっはっ! 潔し! ならば私もそれに応えねばならんなぁ! ──轟け雷鳴よ。我が道を示せ!」
リヴレットの身体を包み込む、淡い光。霊力による「防護」が放電していた。
レオブレドはそれを見て口角を上げる。
この短期間でよくぞそこまで辿り着いたものだと感心していた。その感情に嘘偽りはない。
「──雷刃よ。我が敵を討て!」
リヴレットの身体が三度、雷光に包まれる。
白く燃える若獅子の姿にレオブレドは目を見開き、歯をむき出しにして笑みを浮かべていた。
獅子の閃刃──リヴレットは白い稲妻となってレオブレドに突貫する。
豪傑の板金鎧を打ち貫くには他にない。
踏み込んだ木の根を焼き、苔を蒸発させ、空気を切り裂いて突き出した刃は防がれる。遅れて白き閃光がレオブレドを飲み込み、森の奥深くへと突き飛ばした。
「ッ──!」
しかし、リヴレットの顔は険しい。直撃した、だが手応えが浅いことに致命傷ではないことを直感していた。そしてやはり、過剰な霊力の放出による反動からか手足に軽度の痺れを感じる。
剣を取りこぼしそうになり、立っていられずに膝をつくと見守っていたエルフたちが慎重な足取りで近づいてきていた。
「……、私を捕らえるというのなら構わない。だが少しだけ待ってほしい」
精神集中。呼吸を整え、意識を繋ぐ。
「せめて──獅子との決闘が終わるまでは、どうか待っていただけないか……! 身勝手なことは百も承知している。後生だ。父の……、ベルモンド・シュバルスタッドの仇なんだ!」
リヴレットはどっと吹き出す玉のような汗を浮かべながら立ち上がる。想像以上に霊力を消耗した。やはり付け焼き刃の霊術では限界がある。
「お前は……彼の、息子か?」
「──父をご存知なのですか」
「知っているも何も……俺達の里を守ってくれたのは、お前の父親だ」
「……それは、どういう」
重ねて尋ねようとして、視界の端で動く人影が見えた。咄嗟にリヴレットはエルフの身体を押し退け、白剣の背を手で押さえる。
レオブレドが振り下ろす剛剣が唸りをあげていた。それを十字に交差させる形で受け止めたリヴレットが歯を食いしばる。
「っふ、っはっはっは! ハァッハッハッハ! 実に! 実に良い、素晴らしいぞリヴレット! 良いものを見させてもらった!」
「くッ……!」
「実に涙ぐましいなぁ! ああ、こう見えて私は感動しているんだ! 嘘ではないぞ。お前は本当に美しい。その義侠心も、忠義心も、褒めて遣わす!」
顔を笑みで歪めたままさらにレオブレドは刃を押し込んだ。
「ベルモンドとまったく同じだ! 血の繋がりを感じずにはいられん! 実に美しい親子愛だ、お前の中に流れる血筋を確かに感じられる! このオレが、芸術を愛することは知っていよう! まるでオレ自身、劇の舞台に挙がったかのような心地だ! ああ忘れん、お前のような美しい騎士がいたことは。このレオブレド・ボルトザック! 生涯を通してお前だけだ!」
どこにそんな膂力があったというのか、リヴレットは全身の筋肉を総動員してレオブレドの押し込む刃を防ごうとするが力負けしている。たまらず刃を滑らせて後ろへ下がると、雷の刃が飛んできた。それを逆袈裟に弾くと、すでに相手は次の動作に入っている。
「受け取れ、リヴレット。これがオレからの褒美だ──“吼えよ。我が雷光”」
背筋が凍りつくような錯覚を覚えた。剛剣が雷光を纏う。
「“獅子よ。我が敵を喰らえ”」
言霊に応じて霊輝石がまばゆく輝いた。その霊圧の奔流だけで逃げ出してしまいたくなるような威圧感を放っている。
リヴレットがエルフたちに目配せすると尻込みしていた。とても逃げれるような状態ではない。
「“牙を突き立てろ。その爪で叡智を引き裂くが良い”」
レオブレドが剛剣を構える。背を向けるほど深く、深く身体を沈み込ませて光の白刃を携え、口腔より息を吐き出ていた。
「“我が振るうはライオウの爪牙”──!」
「ッ──雷光よ。我が身を鎧え!」
振り上げられる獅子の雷光が、ミルカルド大森林を白く灼き尽くす。
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