第51話 血刃と雷光
グウィンドウェルが崩れ落ちる姿を見て、ウェイルズは怒り狂うでも、泣き喚くでもなく、ただ固く唇を閉じていた。
弟分がやられた。だが、最期まで口にしたのは己の至らなさ。
ならば、皆を率いた兄貴分としてケジメはつける。
「グウィン……、先に待ってろ──!」
ショートスピアを振るい、アーシュを引き離すとウェイルズは呼気を整える。
アシンメトリーな形状の鎧はウェイルズが自分の戦闘スタイルに合わせて拵えたものだ。左手甲に備えつけられているはずの石弩は廃して極限まで軽量化。
身を守るよりも速く、鋭く敵を貫くために造らせた鎧の留め具をウェイルズは霊術で解除すると脱ぎ捨てた。
「正気か?」
「捨て身でやらなきゃ勝ち目がねぇ。死ぬつもりはまだないが……」
盗み見るのはヴィンフリート。自分に向けられた視線に気づいたのか片手を挙げている。
「安心したまえ。正々堂々の一騎打ち。決闘の流儀に則り、君が勝利した際には危害を加えないと断言しよう」
「はっ、そうかよ。ありがてぇ話だ」
勝てればの話だが、ウェイルズはもとより撤退を選ぶのはガラではない。
前に進む。上を目指す。ならば最短で最速、一直線に押し通る。エリートコースを突き進んで手にした親衛隊総長の座だ。残すは将軍の席のみ。ならばここで退くべきではない。
グウィンドウェルの顔を立て、部下の命を守るために撤退命令を出した。
鎧に通していた霊力を切り、ショートスピアに集中させる。
霊力を自身の体に張り巡らせ、防御を捨てて身体強化に費やす。
霊力の「防護」と「強化」は似て非なる性質を持つ。
「防護」はあくまでも、体の外側。表面を霊力の壁で覆うことで軽度の霊障などを遠ざける。その鍛錬を積み重ねれば物理的な強度を有するようになる。
「強化」は体内。内側に作用する霊力だ。身体の隅々にまで霊力を張り巡らせれば、指先だけで岩を砕くほどだ。その両者の均衡が大事だと騎士学校では一般的に教えられる。
例に漏れずウェイルズもそうであり、その鍛錬を欠かしたことはない。しかし今、それらの教えを捨て去り「強化」に霊力を費やす。
属性霊術は霊輝石を必要とする。だが必ずしも身にまとう必要性はない。ショートスピアに埋め込まれた黄金色の宝石があれば十分。鎧にまで装着していたのは兵士の生存力を高めるためだ。クレスト親衛隊に用いられる物ともなれば一級品だが──ヴィンフリートはその防御を貫いてみせた。
ならば防御などするだけ無駄だ。鎧は無用の長物でしかない。
ウェイルズの思い切った判断に、アーシュは一度短剣を握り直して構えた。
「お前たち人間はいつもそうだな。短命で、身勝手で、窮地に追いやれば死に物狂いで抵抗する。しかしそのくせ、侮れない生き物だ。だから私も、お前を見誤ったりはしない。来い」
「応──ッ!!」
応じた刹那、ウェイルズの姿が残光と共に消える。感知するよりも先にアーシュは体が反応していた。
間もなく二人の姿が見えなくなると、ヴィンフリートは上を向く。森の木々を蹴りながら二人が激しく刃を交える姿を捉えていた。
「流石に速いな」
空中で何度も火花が散る。弾け飛ぶ雷光に、木漏れ日を遮るように手で目元に影を作って闘いを見守った。
──ウェイルズが捨て身の加速戦技を使うのは決して初めてのことではない。
頬の傷を作った時にも一度やったことがある。その時は辛くも勝利を収めたが、二度と使うものかと病院のベッドで寝込みながら固く誓ったものだ。しかし今、またもやこれに頼ることになるとは。
アーシュは木々の間に血の糸を張り巡らせて足場としていた。樹木に槍を突き立てて巧みに移動する姿を追って、目を細める。
目で捉えきれないほどの速度で飛び交う相手に、肌の感覚だけで短剣を振るう。命を貫かんとする穂先と刃が火花を散らして再び弾かれるように離れていく。
「大したやつだよお前は。清々しいまでの潔さだ!」
「っ──テメェこそ、こっちの速度についてくるとはな! 惚れ惚れするぜ! 雷鳴騎士でないのが惜しいくらいだ!」
「見くびってもらっては困るな。これでも王族の剣術指南役だ!」
「そいつぁどうりでッ!」
宙で瞬く火花の星星。ウェイルズは自らの身体に浅い切り傷が増えていることに歯噛みした。しかし、相手も無事ではないことに霊力をますますショートスピアに込めて速度を上げる。
槍を自らの脚の代わりにして負担を和らげることで持続的な瞬間加速で血の糸の上を踊るように足を運ぶアーシュに差し迫っていた。
不意に、ウェイルズはショートスピアを振り上げて血の糸に叩きつける。その衝撃と雷撃によってアーシュが姿勢を崩したのを見逃さずに槍を突き出した。だがアーシュはあろうことか、自らを支えていた血の糸を解除する。
ウェイルズのショートスピアはアーシュの肩口をかすめる程度に終わった。
落下していく相手の姿を見て、木の幹に着地したウェイルズが仕留めようと槍を腰だめに構えて突撃する。
──その姿に、短剣ではなく空いた左手を向けていた。
「あぁ、まったく……惜しい男だったよお前は!」
スナップ。パチィン!と小気味良い音を立てて鳴らされた指を合図に一度は解けた糸が意思を得たかのように動き出す。
それはウェイルズの身体を捕らえていた。網にかかった魚、蜘蛛に囚われた蝶のように一瞬にして身体から自由を奪われたことに気づく。自分から罠に飛び込んだようなものだ。
しかしアーシュの身体を支えるものはなにもない。このままではミルカルド大森林の地面に赤い染みを作るだけだ。【血相術】も無限ではない、限りある魔力で手繰る血の魔術。それを大量に使えば当然使用者に多大な負担を強いる。
短剣の強化。血の刃の錬成。加えて糸を張り巡らせるだけでどれほどの血液を消耗したというのか。ウェイルズは自らを縛る糸を引きちぎろうと力任せに押し通ろうとしていた。
不意にその拘束が緩む。血の霧となってアーシュの短剣に集まると、それは血の槍となって凝固する。
互いに宙に身を投げたままで穂先を向け合う。
「【血相術】にはいくつか流派が存在する。だがそれらは共通点もある。だからこれから私が放つ技の名前も、グウィンドウェルを屠った物と同じ「ブラッドレイ・スティンガー」だ」
「だったら負けるわけにはいかねぇだろうがぁよぉ!!」
全身で振りかぶるショートスピアにありったけの霊力を叩きつける。まばゆいほどの稲光を放ちながら、それは雷の槍となった。
アーシュはただ血の槍を突きつける。
「──白光よ! 我が敵を討つ槍となれ!」
ウェイルズの手から放たれる“雷の槍”は一条の閃光となってアーシュに迫った。
「……ブラッドレイ・スティンガー」
その雷撃を捌く形で血の槍を振り払う。衝突する魔力と霊力がせめぎ合い、やがて雷の槍はアーシュの身体から逸れて地面に突き立つ。
外した。しかしそれは相手も同じこと。ウェイルズがほくそ笑む。
「──?」
しかし、首の左に違和感を覚えて手を当てる。
掌にドロリとした感触。手を見れば、それは真っ赤に濡れていた。
「な……ぁ……?」
一体、いつ、首を斬られたというのか。疑問に答えるかのようにウェイルズの視界に映る血の糸はヘビのように樹木の影に隠れた。
迎撃して見せたのはあくまでも目くらまし。本命の刃を背後から忍び込ませるためのもの。それは血の霧で仕込み済みだった。
その出血は到底止血できるほどの量ではない。動脈から溢れる鮮血に意識ごと流れ出すような錯覚を覚える。
アーシュが血の糸で落下する自らの身体を受け止め、地面に緩やかに降り立つ。
それは情けからか、ウェイルズも抱きとめていた。
ミルカルド大森林に血の雨が降り注ぐ。それを【血相術】で自らの血液に返還させながらアーシュは背を向けてヴィンフリートに歩み寄る。
ザッ──、草葉を踏みしめる音に振り返ると、そこにはウェイルズが立っていた。右手で首を押さえ込んでいるが指の隙間からドクドクと血が溢れている。左手でショートスピアを掴んでいるが、血で濡れた手から滑り落としそうになっていた。
「待、て──待ちやがれェ! 俺はまだ、立ってるぞ! まだ終わってねぇんだ!」
「…………」
血を吐きながら吠える姿に、アーシュは短剣を鞘に収める。
「一騎打ちだって言っただろうが! だったら、俺を倒して──」
歩み出そうとした足が、なにもない場所で踏み外す。倒れそうになる身体を槍で押し留め、両手で掴むことで辛うじて立っていた。
血の気の引いた青ざめた顔で、しかし歯を食いしばって睨みつける。
「待ちやがれ、アーシュ・ガルグラントォ! てめぇ、くそ……あぁ、チクショウ──!」
朦朧とする意識に抗いきれず、槍を手にしたまま膝をつく。立ち上がろうと槍を引き抜くが、苔で足を滑らせて地面に倒れた。
「…………行くぞ、ヴィンフリート」
「ああ、そうだな」
遠ざかっていく足音を聴きながらウェイルズは力尽きる。朦朧とする意識と視界に寒気が襲いかかってきた。猛烈な眠気を覚え、頭を振る。
「……チクショウ、あー、クソ……ここまで、か──」
悔しい。悔しくて、悔しくてたまらない。
ボルトザック家の第一子である父とは喧嘩して飛び出してきた。
お前に剣の才能はないのだから、政に専念してくれと嫌と言うほど聞かされた。
家を継ぐことになるのはお前なのだから、槍など捨てて静かに暮らせと言われてきて──どこかの令嬢を許嫁と預けられた。
認めたくなかった。認められなかった。自分の価値を“剣術”の才能だけで見てきたくせに、騎士学校を槍術で首席で卒業しても大して喜びもしなかった両親に孝行する気になどなれなかった。だから、祖父をオヤジと呼ぶようになったのに。
別に許嫁に不満はなかった。
淑女らしい女性で、自分と釣り合うのは家柄くらいのもの。
(……──くそったれ。悪いことなんか……、するもんじゃあねぇなぁ……)
祖父の魔獣征伐に付き合うようにして、いつしか家から目を背けるようになった。それでも嫁から不満の声を聞いたことはない。
「それが貴方の望む生き方なら」と。止めもしなかった。
今にして思えばあれは、止めるだけ無駄という諦観ではなく──争いとは無縁な彼女からの精一杯の優しさだったのかもしれない。
良家に生まれて。美人の嫁さん貰って。子供もいて。
それで一体なにが不満で飛び出したのか。
ウェイルズは冷たくなった全身の力を振り絞って、なんとか身体を仰向けにすると浅く、長く、息を吸い込み──やがて吐き出した。
(……あぁ、そうだ。ヴァレリアのやつ、大丈夫かな……ルートヴィヒも、無事だと……いいんだけどなぁ…………)
ボンヤリとそんなことを考える。
仲の良い兄弟たちに囲まれて。騎士としての名誉にも恵まれて。
──どうしてそんなに頑張っていたのか、自分でもわからなかった。
だけど。ただ一言、父親から認めてほしかった。
どんなに鍛錬を積んでも、どんなに修練を重ねても、武勲を挙げても、実の父親とは喧嘩ばかりで。
「…………──あぁ、クソ……にんげんじゃ……竜に勝てねぇのかな──」
心の底から悔やむのは、ただそれだけ。
ウェイルズは目蓋を閉じる。心地よい眠りに誘われて──。
(──まぁ。あんな美人に負けたなら、それでも悪くはないか)
そんなことを考えながら、二度と目が覚めることはなかった。
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