第50話 貴族流の決闘と礼儀


「ねぇねぇ、なんであの騎士逃がしたの? 別に殺しちゃってよくない?」

「なんで逃がしたって、そりゃ決まってんだろ。生き証人がいないのに、誰が「クレスト親衛隊壊滅!人間軍大打撃!」って吹聴して回るんだ」

「……言われてみれば確かに。それもそっか。ここで全滅させたってそれを知らない人類側は涼しい顔、か。キミってもしかして天才?」

「猫の小さい脳みそと作りがちげぇんだ」

「あっはっは、言うねぇ! でもほら、ボクはかわいくて強くて天才だからキミより偉いぞ! どうだぁ、フフン」

「歴史上、類を見ない魔族側唯一の異訪人様に勝てると思ってんのか」

「メーリーーー! こいつめっちゃ性格悪いーーー!!!」

 ざまぁみろ。真正面から堂々と論破したマスターはアアルの案内で森の中を歩いていた。その後ろからゾロゾロと魔王軍諜報部の面々が続く。


「んー、そうねぇ。強くてかっこよくてかわいくて切れ者で美味しそうだからクロムに勝ち目ないでしょ?」

「なんだよなんだよ、ボクだって暗殺部隊副長だろぉ! 強くてかっこよくてかわいくて切れ者なところは一緒じゃないか!」

「でも美味しくなさそうなんだもの。あなたの負け」

「そんな冷たいこと言わないでさー」

「だって魔王様から言われたのよ? 「お前と長く仕事をすることになるのだから、一番美味しくなさそうな者を選べ」って」

「副長選抜ってそういう基準だったの!? ボクは今まで実力で選ばれたとばかり思ってたのに!? 嘘だぁぁぁ!!」

 クロムはメリフィリアと違って、暗殺者らしくない。むしろ陽気でお喋り好き。それでいてやかましい。これみよがしに怪しい風体で隠そうともしないメリフィリアがちょっとおかしいだけだが、よくよく考えてみるとちょっとどころではない。


「あーもーニャンニャンうるせぇな。作戦行動中だぞ、仮にも」

「ニャンニャンなんか言ってないだろぅ、なんか、その……にゃんにゃんっていやらしくない……?」

「なんだ、いやらしいこと考えてんのか」

「ちーがいますけどぉ~!? なんでそうなるんだよこれだから人間ってやつは」

 マスターはもうクロムのことは無視することにした。かまっていたら日が暮れるどころの話ではない。


「アアル。ララフィねーちゃんの場所まではどれくらいだ」

「ここからそう遠くはないようだ。しかし、すんなりとは行かないな」

「なにか問題でも?」

「ああ。雷鳴騎士が道を阻んでいる。だが魔族もそこにいるようだ」

「数はわかるか」

「少し待て。動きが素早くてなかなか数が絞れない……」

 アアルが樹木に手を当てて耳を澄ませていた。瞑想するかのように静かに息を繰り返し、閉じていた目蓋を開ける。


「雷鳴騎士は二人、魔族も同じだ」




 ──アーシュとウェイルズの“血闘”は、速度による手数勝負となっていた。

 もとより雷鳴騎士の基本戦術は速度による撹乱。相手を翻弄し、刃を打ち込むことで対敵を仕留めるものだ。そうした戦術の推移は多々あれど、他の属性霊術との連携行動においては先陣を切る役割が適任と言える。

 ならば個人戦ではどうなるか。無論、それもスピード勝負だ。


 ……ウェイルズは、剣術は凡才の域を出なかった。孫の代の一番手として、祖父の期待を裏切ることになるのではないかとばかり恐れていた。しかしそんなウェイルズに、レオブレドは「ならば剣以外を極めればいい」と諭した。たまたまお前の才能が剣ではなかっただけやもしれぬ。そう言って、様々な武芸に挑戦させた。

 そして祖父の目に留まったのは、槍の腕前だった。

 孫の代の一番槍と呼んで褒めてくれたのを覚えている。

 だから励んだ。他の兄弟達の誰よりも強くなろうと精進に精進を重ねて、槍術を独自に研究して鍛錬を積み──いつしか、雷鳴騎士の中で一二を争うまでの実力者に数えられるようになった。

 ひとえにただ、偉大なる祖父の役に立ちたいがために。

 いつか自分が、年老いて一線を退いた獅子の後釜に座るのだと。

 ……まぁ、そんなものはだいぶ気の長い話になってしまったが。


 雷鞭を振るいながら絶え間なく放たれる槍術。ショートスピアの取り回しの良さを活かして、指で巧みに回転させることで突きを溜める前動作をかき消すように振るう。

 神速の乱舞を前にして、アーシュはそれと同等の速度で短剣と“血の刃”を振るうことで全て防いでいた。

 眉間を狙う刺突を交差させた剣で払いのけると、地面を踏みしめて間合いを詰める。だがウェイルズも例に漏れず、雷鳴騎士の筆頭格らしく素早い身のこなしで距離を取っていた。

 仕切り直し、槍を回してから再び構える姿にアーシュは頬に違和感を覚える。

 親指の腹で拭うとわずかに頬を掠めていたのか血が滲んでいたのを見て微笑む。


「なかなかどうして、やるじゃないか。ウェイルズ総長」

「はっ、言ってくれる。随分と楽しそうなツラしてるじゃないか、アンタ」

「そうか? いや、そうだな。楽しいよ。私は夜鬼族の中でも比較的好戦的な方だからな。自覚しているよ」

 口ぶりこそ丁寧かつ冷静沈着だが、その顔は確かに笑っていた。


「……アーシュ・ガルグラントって言ったか。アンタのその姓、まさかとは思うがガルグラント大公の娘か?」

「だとしたらどうする。命が惜しければ逃げればいい」

「ご冗談を。むしろアンタの首を穫ればオヤジ殿も椅子を渡してくれるかもしれねぇからな。望むところだ」

「そうこなくては」

 二人が再び踏み込もうとした瞬間、その間を勢いよく横切る人影に踏みとどまる。

 木の根を砕き、地面を跳ねて、樹木に身体を預けてようやく止まった。そちらに視線を向けるとヴィンフリートが地面に倒れるところだった。

 その後を追うように、頭から爪先まで一部の隙も無く全身を覆う板金鎧の巨漢、グウィンドウェルが大槌を引きずりながら歩み出てくる。


「フーッ……! 兄者殿、そちらは無事か!」

「おうよ。まだまだこれからってところだ。さぁて二人がかりになるが文句はあるか?」

 ウェイルズの言葉に、ため息を吐くアーシュは倒れた貴族に視線を向ける。


「ヴィンフリート! いつまで遊んでいるつもりだ、さっさと立て!」

「ふんっ。そう簡単に立てるものか、大槌で思い切りぶん殴ってやったんだ」

 ズンッ、と地面を打ちつける大槌はクレスト親衛隊の中でも剛力で知られるグウィンドウェルの得物だ。巨人族を相手にしても砕けなかったと言われている。そんなもので殴られればいかに魔族の身体が強靭と言えどひとたまりもない。

 ──ひとたまりもないのだが、アーシュの言葉にヴィンフリートは素早く立ち上がると手ぐしで髪を整えていた。身体の土埃を払い落とし、襟首を緩める。

 それにはクレスト親衛隊の二人が驚いていた。


「いやはや失敬! 私としたことが少々お見苦しいところをお見せしてしまったようだ。もしや心配したかね?」

「誰がするものか」

「ははは! それもそうか。いや失礼した。さぁ、続きといこうかグウィンドウェル! 我が【血相術】の真価はまだまだこれからだ!」

「遊ぶな。さっさと終わらせろ。姫様が気がかりだ」

「任せたまえ! 君がそうまで急かすならば一撃で仕留めてみせよう!」

 右に左に忙しいヴィンフリートは相変わらずやかましいくらいに元気な様子。それにはグウィンドウェルが困惑している。

 ウェイルズも訝しむような目を向けていた。


「おい、グウィン。お前まさか手加減したのか?」

「獅子に誓ってそのようなことはないと断言できる」

 そのはずだ。言葉で疑い、目で尋ねてもグウィンドウェルが手加減などするはずがないことはウェイルズがよく知っている。

 つまりは、ヴィンフリートが単純に耐えただけであり、生半可な耐久力ではないという事だ。


「不思議かね。私がどうやって耐えたか。ならばその疑問にお答えしよう! その後で、君を一撃で地に沈めることを約束する」

「ぬかせ、道化者がッ!」

 それはグウィンドウェルにとって屈辱だった。雷鳴騎士の中でも剛力、腕っぷしを買われてクレスト親衛隊の中でも随一の怪力と持て囃された「轟雷のグウィンドウェル」である自分が対敵を踏み潰せぬとあっては名前負けしてしまう。

 それだけは看過できなかった。

 地を踏むたびにズンと鳴らしながらグウィンドウェルはヴィンフリート目掛けて大槌を構えながら迫る。


「まぁ聞きたまえ! 我が【血相術】はすなわち「鋼血」。つまり鋼の血液。凝固させることにより君たちの纏う鎧に匹敵する防御力を誇る! まぁここまではいいだろう、理解が及ぶとは思う」

「ぬゥオオオォォォっ!!」

「元気で結構、実に良きかな!」

 笑いながら、空気を唸らせて迫る大槌を避けるヴィンフリートの両腕は血液の籠手で固められていた。


「しかしだからといって鍛錬を怠れば当然ながら術技というのは鈍る! 君たちもそうした精神鍛錬を重ねることにより霊術を洗練させるだろう、同じことだ」

「ちィっ! 素早いやつめ!」

「よって! 君の霊術を、我が鋼の肉体と血液が阻んだということであり! 力自慢という君の驕りこそが敗因となる! 理解したかね!」

「黙れェっ! 誇りはすれど驕りになったことなどただの一度もないっ!」

 振り回す大槌が触れた物全てを砕かん勢いで荒れ狂う。

 木の根が。大木が穿たれ、木片が紫電で弾け飛ぶ。それをヴィンフリートは拳一つで打ち払い、脇をしぼって構えていた。


「──ならばこれより、それが最初で最後の敗北となる」

 唸る鉄拳。それは地を掠めるほどに低く、天高く打ち上げた。次の瞬間、新緑の木々を染め上げる赤い絨毯が敷かれる。

 ──血路。また或いは“バージンロード”とも呼ばれる、ヴィンフリートの血相術。それはグウィンドウェルの足元まで真っ直ぐに伸びていく。

 無謀にもそれに踏み込んだグウィンドウェルが違和感に気づいたのは間もないことだった。足が離れない。

 膂力を持ってして足を引き剥がそうとするが、まるで底なし沼に踏み入れたかのような感触に体勢を崩しそうになる。

 その違和感にウェイルズが気づき、加勢に走ろうとするがアーシュの刃が眼前を掠めた。


 グウィンドウェルは足を束縛する血路に大槌を振り回す。鋼の血液による足場、ともすれば砕けぬはずはない。そう考えての行動だったが、大槌を受け止めた血路は絨毯のようにたわむばかり。


「君を打ち倒すのに一撃と私は宣誓したな、グウィンドウェル! この言葉、偽りなく実行してみせよう。構えたまえ、そして願うならば耐えてみせたまえよ」

 ヴィンフリートの右腕に血液が凝縮されていく。形を変え、それはより鋭く、より無骨に洗練されていった。

 変貌した右腕の籠手は大きく肘から突き出し、まるで破城槌のような形状へと姿を変えている。

 グウィンドウェルはそれを見てヴィンフリートの魂胆を測る。


(──この俺を捕らえ、動きを封じたその上で破城の一撃を打ち込む魂胆と見た! そうはいくか!)

 ならばこちらは、その上で動くだけのこと!


 ヴィンフリートが血路の上を駆けだした。その瞬足は、踏み込んだ血の路を霧散させていく。

 速い、だが兄者殿ほどではない。グウィンドウェルはそう見切りをつけて大槌で横薙ぎに払う。振り下ろせば横に避けられるかもしれないと思っての判断だ。そしてそれは間違いではなかった。

 丸太のような大槌の面が、ヴィンフリートの上体を芯で捉えている。

 相手を吹き飛ばすだけの腕力と霊力を込めて振った一撃は、先程までと同様に夜鬼族の貴族を大きく殴り飛ばす──グウィンドウェルはバケツのような鉄兜の中で笑みを浮かべていた。


 しかし。空気の爆ぜる音、腹の底まで響く重い音を目の当たりにしたグウィンドウェルが驚愕に固まる。

 ヴィンフリートの身体は宙を飛ぶでもなく、体勢を崩すでもなく、その場に立っていた。


「グウィンドウェル──今、君の足を捕えている血路が私にも作用しないとでも思っていたのなら、些か浅慮であると指摘せざるをえない」

 ヴィンフリートの足元。血路が張りついて固定している。ましてや、片腕一本で防がれるとも想定していなかっただけにグウィンドウェルがどれほど自らの力量を見誤っていたか。

 弦を引き絞るようにヴィンフリートが腕を引き、血路が波打つ。刹那、グウィンドウェルは地面が滑るような感覚に体勢を崩した。

 前のめりに崩れる板金鎧に乾坤一擲の手甲が打ち込まれる。

 巨躯が宙に浮くほどの膂力は貴族風の見た目からは想像できないほどの衝撃波を伴って森を吹き抜けていった。

 血風を吸引し、肘から大きく伸びた破城槌に凝結していく。


「宣誓通り、一撃だッ! 受けてもらうぞ──ブラッドレイ・スティンガーッ!」

 宙に浮いた胴鎧を穿つ鮮血が、抉りこむように打ち込まれる。グウィンドウェルが霊力で防御しようとした時には既に遅く──レオブレドが造らせた特注の板金鎧を粉砕して轟雷の牙城を撃ち抜いていた。

 拳を引くと同時に板金鎧の巨躯が真横一文字に森の中を吹き飛び、やがて受け止めた樹木に磔となる形で止まる。

 その胴体は大きく穿たれていた。だが、打ち込まれた【血相術】が渦巻いている。 

 大槌で殴られた風圧で乱れた髪を整えてからヴィンフリートは大きく腕を払い、グウィンドウェルに背を向けた。


「冥府での再戦、いつなりとも承ろう! このヴィンフリート・ヴュルツナー・ヴォーヴェライト、逃げも隠れもしないことを誓う!」

 その背後。吹き飛んだグウィンドウェルを中心として爆ぜる血液と魔力は血の霧となってミルカルド大森林を赤く染め上げる。

 口腔から、腹部から致死量の血を吐きながら巨躯が揺らぐ。


「ァ──……、っか……! あ、にじゃ殿──すま、ぬ…………!!」

 膝より地に伏せ、グウィンドウェル・ボルトザックは絶命した。

 最後まで彼は前を向いていた。

 そこに崇敬した兄の姿があることを信じて疑わずに。


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