第56話 蒼魔vs万雷の大獅子②


 マスターを襲う、レオブレドの光速の加速戦技。

 雷鳴を纏い、雷光と共に駆け、雷刃を持ってして対敵を絶命に至らしめるはずの技を前にして黒服の異訪人は互角以上に渡り合っていた。

 その事実そのものが信じられない様子でレオブレドは剛剣を振るう。

 触れる空気を唸らせて迫る刃。刀身を奔る霊力による雷光。その雷刃をもってしても断ち切れぬ黒い長剣が触れるのは刹那、すぐさま刃を逸らして逃れる。

 しかしレオブレドはそれを読んでいた。

 これまでの打ち合いから剣の手癖のようなものがわかる。

 剣を凌ぐ時、長く触れないようにしているのは感電を避けるためだ。だから刃を防ぎ、すぐに流すなり弾くなりと対策をしている。


(レオンの奴をやったのも頷ける!)

 変幻自在の妙手。剣術だけではなく体術も織り交ぜての攻防は手の内が読めない。

 しかし、相手は霊術、あるいは、魔術を使う様子がないことからレオブレドはそれこそがマスターの弱点であると看破した。


「はんっ。そういうことか、若造! 読めたぞお前の弱点が!」

「へぇ。本当かい、そりゃどんな弱点だ?」

「お前の身体からは不思議と“霊力”も“魔力”も感知できない。それ自体は瑣末事だ、そういった特異体質の者も稀にいる。だがお前は、特異体質であるが故に霊術も魔術も使うことができない! だから話術や詐術、剣術や体術といった具合に口先と手先で相手を出し抜くことしかできんわけだ!」

 レオブレドは得意げな笑みを浮かべながらマスターへと再び斬りかかる。

 剣を交差させる形で防ぐ相手が、すぐに捌くだろうと読んで更に剣を力任せに押し込む。するとマスターは刃筋に沿って剣を滑らせて後ろへ下がった。

 その手応えに、やはりか、と口角を上げる。

 手に走る紫電を鬱陶しそうに振り払うと、ため息をついていた。図星か。それともまたなにか返しを考えているのか。うまい言い訳が思いつかなかったのだろう。


「はぁーあ……それがどうしたよ?」

 開き直る様子にレオブレドは笑いが堪えきれなかった。

 それみたことか、と。


「危うくお前の口車に乗せられたままに葬り去ろうとしていたわ! 相手を嘲笑い、挑発し、怒りに身を任せた相手の隙を突く狡猾さ。いやぁたしかに、なるほどお前は狼らしいと言える!」

「…………」

「だが残念だったな。オレはそうはいかん、豪傑にして豪商! 人からそう讃えられるからにはそれだけの理由がある!」

 それを見せてやるとばかりに更に雷光が奔る。

 マスターは首の骨を鳴らし、黒い長剣を軽く振っていた。

 ヒュン──軽い風切り音。さらにもう一度。

 キンッ──甲高い音を鳴らして、満足そうにする。

 準備体操。名前通りの“鳴らし”だ。


 ──深く、深く息を吐く。調息する。呼気を整える。

 人の息遣いではなく“狼”として。


 左手に巻き付けていたクレスト・コートを即興の防具として雷刃をしのぐ。だがもはや脅威ですらない。

 一気に勝負を決めてしまおうと苛烈な追い込みをかけるレオブレドに対し──マスターは静かに息を吐き出す。

 そして、身を屈め──跳んだ。

 文字通りに。


 それは正面から斬りかかるレオブレドに衝突する形となり、刃に自分から飛び込む姿にはレオブレドも目を見開いた。

 しかし刃がマスターの体を斬りつけることはなく、すれ違う形で相手を見失う。

 だが、焦ることはない。なにせ霊術も魔術も使えない特異体質の異訪人だ。雷の霊術が扱えるレオブレドより逃れる術はない。


 踏み込んだ足を軸に振り返り、レオブレドは余裕を見せていた。しかしその視界はマスターの投げ放ったクレスト・コートで覆われる。

 視界一杯に広がる獅子の鬣の付いた白い外套が視界を奪っていた。


(迂闊──、とは思うまい。子供だましだ!)

 清水のように澄んだ思考で冷静にその外套を手で振り払う。

 ──だが、森の中にあるはずの黒い不吉な姿はどこにもなかった。そのことにレオブレドは驚愕する。


「バカな──!」

「どこ見てんだ老眼」

 その声は、上から聞こえてきた。

 首を上げるよりも先に、肩に重量がのしかかって来る。目で見やれば、黒い狼が刃を振りかぶっていた。

 レオブレドは咄嗟のことながら自分の板金鎧に紫電を通すことで防御策をとる。しかし、自分が手にしたクレスト・コートによって発揮される防御機能は腕に流れていく形となっていた。

 身体から振り落とそうとするよりも先にマスターは持ち替えていたマチェーテで肩当ての留め具を歪めると引き剥がしながら飛び降りる。

 肩に走る鈍い痛みに顔をしかめるレオブレドに対し、地に這いつくばるような形で構えるマスターはハードポイントにマウントさせていた鞘にマチェーテを納刀。


「アンタ今、左手に怪我を負っているだろう」

「……」

「図星か。顔に出てるぞ、御老体。人体ってのは思っている以上に痛みに弱い。さっきから左手を意図的に庇っているように見えるから、もしやと思ったんだが」

「それがどうしたというのだ!」

「いやぁ、別に。リヴレットの奴がせっかくお膳立てしてくれたんだ。利用しない手はねぇなと思っただけ。そんだけだよ」

 つま先で地面を掴み、曲げた片膝を地に着かせる。片手で身体を支えるようにしてマスターは構えていた。

 おおよそ、剣術において見ることはない姿勢から繰り出されるのは──人の規格を外れた瞬発力と跳躍力。

 瞬時に距離を詰めてくるマスターに、レオブレドが剛剣で迎え撃つ。

 肩当てを剥がされた。刃を一手弾き、今度は腰鎧の留め具を壊される。マチェーテの柄で殴りあげるようにして。


(こいつ……!)

 プレートアーマーの防御能力は一個人が持てる防具の中でも随一。それを白兵戦で攻略するとなると至難の業だ。レオブレドは兜で顔を覆ってはいないが、そこを狙わないのはマスターの性根の悪さが垣間見える。

 だからこそ、身ぐるみを剥ぐ。留め具を壊す。関節部を狙う。構造上の欠点を突くように防御能力を奪っていく。

 本来ならばそのような真似をせずとも正面より割り砕くことも容易なはずだが──それもやはり、マスターの性格の悪さが出ていた。

 相手のメンツに唾と泥を吐きつけ、塗りたくり、地べたを這いずる姿を嘲笑う。そのうえで容赦なくぶち殺す。


 左の肩当ては剥がされ、腰鎧は壊され、更にレギンスも隙間が広がっていた。加速戦技も初速を潰されては見る影もない。


「ッ、ぬ、ぅ……!!」

 レオブレドはことごとくその初動を潰されていた。

 胴体よりも低い体勢から繰り出される剣術と体術を織り交ぜた“狩猟術”は、まとわりつくようにして姿勢を崩してくる。

 剛剣で払えば剣術で応じて捌く。霊術で対抗しようにも、足を掴まれ、腕を掴まれ、組み付いて阻害されて動けずにいた。

 そのうえ無尽蔵の持久力で追いすがってくる。

 手傷も増えてきた。

 ──レオブレドは一瞬、嫌な考えがよぎる。

 この森の中で自分が死を迎えるのか、と。

 こんなわけのわからない若造に遅れを取って、万雷の大獅子と呼ばれた自分は息絶えるのか。誰に看取られるでもなく、孤独なままに──?


「獅子はなぜ強いのか──そんな問の答えは決まって「元々強いからだ」と言う」

「っ」

「獅子を語るなら死ぬ時まで強がってみろよ、大将軍閣下」

 剛剣を足で払い、体ごと回転させた回し蹴りがレオブレドの顔面に打ち込まれる。並々ならぬ脚力で放たれた蹴撃によって胴鎧が軋んだ音を立てて蹴り飛ばされた身体は大木に背中を受け止められて止まった。


「アンタは所詮、獅子の名を騙るだけの。傲慢で、強欲で、自分勝手な。そこらの三流貴族と何一つ変わらない性根の腐った老人だ。相手しててそれがよくわかった。くっだらねぇ。結局テメェ、金と権力があるから他人がへりくだってきただけの権力者じゃねぇか。あーあ、クッッッソ萎えた」

 心底軽蔑して、マスターは吐き捨てる。


「五天将。人類最高峰の雷霊術使い。大将軍閣下、とまでおだてあげられてるもんだからどんな殺し甲斐があるのかと期待したもんだが──何のことはねぇ。そこらの奴らと大差ねぇじゃねぇか。腕は良いよ、認めるさ。そんだけだ。

 テメェの中にはなんにもねぇ。何一つとしてな。相手するだけ時間の無駄、付き合って損した。キリエ総長の方がまーだ面白ぇ」

 だが。

 ──だが、仕事だ。

 この世界で出会った「人間の友人」からの、最初で最後の依頼だ。


「じゃあな、レオブレド・ボルトザック。テメェの名前は生涯において今後、二度と思い出すことがないように蓋をしておくよ」

 ──レオブレドが吼える。それは怒りからか、それとも獅子の誇りか。

 マスターにとってはどちらでも大差のないことだが。


「テメェはただの成金ジジイだ。今更本気出したって」

「黙れェェェッ!!」

 巨躯の獅子が消える。

 ──だが、その剛剣がマスターを切り裂くことはなかった。


 

 刀身に走る電熱が指を焼いても、紫電が腕から肩に走って肌を焼いてもマスターは眉一つ動かさなかった。

 あまりにも異様な光景に、その佇まいにレオブレドが絶句する。


「──これは、俺のいた世界の話なんだがな? 大将軍閣下。


 その昔、神様に喧嘩売った悪魔がいたらしい」


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