第44話 雷鳴の軌跡を追って


 ──ミルカルド大森林地帯へ向かう道中、マスターは食事時と野営の準備以外の時間のほとんどを寝て過ごしていた。その姿に若干の不安を覚える者はいたが、誰も文句を言う者はいなかった。

 交易都市を奪還しただけでなく、シュヴァルクロイツ親衛隊総長を罠があったとはいえ単騎で撃退した腕は疑いようがない。多少の狼藉は目を瞑ろうとして。


「……ぐぅ」

 呑気なもので。

 ミレア達を乗せた馬車に併走する形でグリフォンの背中にしがみつきながら器用に寝て過ごすこと三日。

 ミルカルド大森林の前で馬車が止まると、誰かが起こすよりも先にマスターは目を覚ました。まるで自分の身体の中に時計でもあったかのように。


「くぁ~、よく寝たぁ……!」

 くぇー。グリフォンも頭を擦り寄せてくる。それに体重を預け、頭をひとしきり撫で回してから大あくび。

 馬車から降りるメンバーを見回す。

 ミレアとルミナリエ、ララフィを護衛する形でマスターとリヴレット。

 それに続く形でアーシュ、ヴィンフリート。そして最後尾をメリフィリアとクロムの諜報部コンビが固めている。

 見上げるほどの大樹が立ち並ぶのを前に、マスターは一度だけ振り返った。


「作戦内容覚えてる人ー。忘れてるバカはいねぇと思うが念の為。クレスト親衛隊と雷鳴騎士は~?」

 尋ねるが返事はない。うんうん、と頷いてからマスターは複合兵装を担ぎ上げて装甲を展開させる。


「ははは。ぶち殺されたくなけりゃ言ってみろ。クレスト親衛隊と雷鳴騎士は?」

「ぶっ殺せ! だな!」

「ありがとう、ヴィンフリート」

 身の危険を感じて先手を取ったのが幸いして犠牲者が出ることはなかった。

 あらためてマスターの恐ろしさを目の当たりにしたミレアが固唾を呑む。


「ララフィねーちゃんがまず案内。そんでリヴレットが霊力の探知。多分すぐ辿り着くとは思うが──」


 マスターが言っているそばから、既に雷鳴が森の中から響いてくる。


「死んだら森の養分だ。そこんところよろしく。作戦開始」




 天候、晴れ。

 時刻。昼前。

 作戦内容──レオブレド大将軍の討伐。

 ミルカルド大森林はエルフ達が長年手を加えたことで森そのものが意思を持つ。それを対等に扱い、畏れ敬い、共に暮らし、共生関係を築くことで天然の要塞となる。そのため、森に害をなすものであれば自然と迷うことになる。正しい道順を辿ることができるのはこの森を生まれ故郷とするエルフだけ。

 つまり、ララフィだけが魔王軍の手綱を握っていた。

 戦地に踏み入れても不安そうな顔をみせるリヴレットにマスターは目配せをする。


「向こうからしたらお前は裏切り者だろうが、自分とララフィねーちゃんの身を守ることだけ考えろ。敵討ちのことは一旦横に置いとけ」

「……何から何までお見通しか」

「むしろ俺からするとわかりやすくて不安になるくらいだ」

 今のリヴレットは篭手と脚甲だけの軽具足だ。それにローブを羽織る形で防御こそ薄いが、雷鳴騎士の加速戦技をもっとも活かせる姿でもある。霊術を扱う基点となる霊輝石も具足の四肢に用いられていることもあって、マスターはそれを採用した。


「リヴレット。多分、今のお前は他の雷鳴騎士から先手を取れるとは思うが、親衛隊連中と将軍は俺に譲ってくれ。反旗を翻す理由はないだろう」

「……なぜ君は私をそうも気にかけてくれるんだ?」

「別に大した理由はないんだが──おっと、早いな」

 ミルカルド大森林を進む足を止めずに飛んでくる虫をはたき落とすようにしてマスターがスリンガーによる投石を掴み取る。その上方、木の幹を足場にして二人の雷鳴騎士が急襲してくるも──左右からの挟撃を無造作に迎撃していた。

 目を見開く相手の襟首を掴み、膝を横から蹴り折って顎に拳を叩き込む。手を放して崩れ落ちる姿に剣を抜いて首を刎ね飛ばすまでの一連の動作は、あまりにも自然に行われていた。リヴレットが剣に手をかけた時には既に地に伏せている。


「おいおい、ここはもう敵地なんだからしっかりしてくれよ。そんな反応速度でどうすんだ。おーい、メリフィリア」

「はぁーい?」

「雑魚は任せた。好きなだけ食ってよし」

「いいのぉ?」

「いいよぉ」

「やったぁ♪」

 ふひ。笑みを見せると、クロムの隣からメリフィリアの姿が消えた。その姿を目で追いかけると、樹林を跳ねるようにして獲物を探し求めて飛び出している。


「あーぁ、ボクはどーなっても知らないからなぁー!」

 キャスケット帽子を抑え込みながら、クロムもその後を追いかけた。


「よかったのかね、マスター」

「食費が浮く」

 それにメリフィリアの食事風景を見て味方の士気が下がることもない。雷鳴騎士に対して一方的に士気の低下を招くのなら別行動をさせる。バカとハサミは何とやら。

 諜報部がクロムの後を追って飛び去るのを気配で感じながらマスターは引き続きララフィの案内でミルカルド大森林の違和感の場所へ向かっていた。


「まって」

「どうした、ルミナリエ」

「アイツ、動いた」

「ヴァルボルヴォス?」

「うい。山頂から、どっか行った」

「……どっかってどこよ」

「わかんない」

 最悪、霊術の気配でミルカルド大森林に襲撃してくる可能性を考慮しながらもマスターはルミナリエに礼を述べる。

 ヴィンフリートとアーシュが片眼鏡と丸眼鏡を外すと【血相術】で武器を作り上げた。マスターが言っていた通り、すでに此処は敵が散開している戦地。


「マスター。我ら夜鬼族は血の匂いに敏感だ。特に芳醇な香りにはな」

「近いか」

「ああ。この匂いは実に甘美と言える。それほど長い時間は経っていないようだ」

 血液ソムリエめ。マスターは内心思いながら口にはしなかった。

 ヴィンフリートの口ぶりから、大地に飛び出した木の根を飛び越えてすぐにその正体が判明する。

 焼け焦げたエルフの死体。近くに転がるいくつかの動物の死体は、彼らの狩猟をサポートする使役獣だろう。犬や鳥の死骸からはまだ湯気が漂っていた。

 ミレアやララフィが口を抑えるのをよそにマスターは死体に近づいて調べる。

 急所を一突き。鮮やかな手口に感心するが、その中にひどく殴打されたような死体を見つけて訝しんだ。

 雷鳴騎士であるならば、速力を武器とするのが主体のはず。だが、胸が窪んだ死骸は大槌で殴られたように思える。

 一般兵が支給された武器以外を扱うとはあまり考えられない。攻城武器を携行するにしても、雷鳴騎士の規律から離れていた。そうなるとクレスト親衛隊が少なくとも二名以上は同行している。


「この傷は……」

「リヴレット。余計な情報出すなよ。お前は人間軍を裏切ったわけじゃないんだからな。あくまで犯人探しで同行しているってだけだ」

「……わかった」

「あ、そうだ。さっき言いそびれたんだけど、アンタに味方してる理由だけどな」

「今言うのか……」

「なぁに、単に親近感ってだけ。俺も昔、上司に裏切られた事がある」

 その言葉にリヴレットが居心地の悪そうな顔を見せた。しかし、木の根を飛び越えたミレアを受け止めて、ルミナリエを抱きかかえたアーシュは腰に手を当てる。


「そうだろうな。お前の立ち振舞は他人を信用していないように感じられる」

「自分の仕事を信じられるのは自分だけだ。他人の仕事ぶりなんて最初から期待なんかしちゃいねぇよ。俺を裏切ったのは、王国騎士やってた頃の兄貴分だ」

「────王国騎士?」

「もっと正確に言うなら、王家直属の親衛隊」

 精鋭中の精鋭。その言葉に驚きはしながらも、アーシュはどこか納得した顔をしていた。そうでもなければあのような大立ち回りはできない。だが、同時に不可解な点も思い浮かぶ。

 それほどの栄誉に授かりながら、何故「依頼屋」という仕事にありついているのか──自然と答えは導き出された。


「どうして辞めたんだ」

「辞めたんじゃねぇよ。俺は逃げたんだ」

「お前がか? 珍しいな」

「そりゃそうさ。俺以外みんな死んだんだからな」

 嫌にもなる。そうきっぱりと吐き捨ててマスターは背丈の高い木々に囲まれた天然の広場を見渡していた。


「つまらん話で士気を下げることもねぇな。先を急ごう。ララフィねーちゃん、どっっち行けばいい?」

「えっ? えーっと……、あっちの方で騒ぎが起きてるみたい、です」

 おずおずと指し示した方角から稲光が見える。どうやらエルフと交戦中のようだ。


「ほーん? んじゃ行ってみるか。よーしぶっ殺すぞー」

 物騒なことを言いながらマスターは不安定な森の中を身軽な足取りで進んでいく。自らの背丈を越える黒い棺桶を担ぎながら、器用なものだと感心しながらもリヴレット達はそれに続いた。

 ──王家直属の親衛隊、最後の生き残り。

 その言葉にミレアは胸に引っかかる思いを馳せながらも、アーシュに手を引かれて倒木を乗り越えていた。

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