第43話 決戦前夜、作戦はシンプルに

 ──レオブレド・ボルトザック大将軍の捜索作戦。通称「獅子狩り」はマスターが名付けた作戦名だ。それはすぐに大時計城に集まった魔王軍残党たちの耳に届いた。

 当初は三十名に満たないメンバーだったが、ヴィンフリートの宣伝活動も相まりすでにその人数は倍以上に膨れ上がっている。戦力が増えるのは喜ばしい限りだが、マスターの懸念点は兵糧のことだ。

 雇うのは簡単だが、食わせていかなければならない。維持費用を考慮すると、増えすぎるのも懸念事項のひとつ。


「はぁ……」

 山積みの仕事にため息ひとつ。なにも好きで軍の参謀役を買って出ているわけではない。それがやれる人材がいないからだ。

 見所がありそうなアーシュだが、あぁ見えて意外に脳筋だ。剣術指南役ということもあるため、参謀より実戦向き。眼鏡のくせに。マスターは毒づく。

 ルミナリエは不向き。ミレアはすでに役割が決まっている。

 増えた人材、維持費用、多種族であるが故の衝突の回避、兵糧の確保。軍部の運用だけでこれだけの仕事があるのに、交易都市の相談役として北の貧民街の復興、東の跳ね橋再建、南の鋼材調達、西の食料輸入、財源管理。頭が二つあっても足りない仕事量だ。


 マスターは決して権力者になりたいわけでもなければ一財産を築きたいわけではない。単純に自分が元の世界に帰るために協力しているのであって、そのために必要な手筈を整えているだけだ。

 再三、何度も繰り返し言っているはずだが、なんでか知らないが自分の知恵を借りようと魔族たちが殺到してくるものだからマスターは仕事が滞っていた。


 大時計城の一室、もとは客室らしく、マスターはそこを自分の仕事部屋代わりにしていた。

 ダークウッドのシックな扉がノックされると、顔を見せたのはヴィンフリート。手には木の巻物、木簡を抱えていた。


「ヴィンフリート・ヴュルツナー・ヴォーヴェライト、入るぞ! 頼まれていた名簿の作成が終わった!」

「こりゃまたかさばるな……」

 魔族の情報媒体は石材や木材を主とする。紙があればもっと手軽だが、その加工技術が追いついていない。──というよりも、必要としていない。

 記載するのに必要な材木を切り出し、魔術で加工する。それで終わり。より長期間保存するのであれば石材を切り出して魔術で加工して終わり。簡素かつ効率的な工程と作業は人員さえ確保できれば容易に大量生産が可能だ。


 意外にも。本当に意外にも。

 胡散臭い貴族だと思っていたヴィンフリートは現在もっとも参謀役に向いているとマスターは思っていた。頭の回転が早く、貴族らしく高水準の教養も備えている。さらに立ち振る舞いも(少々うるさいのを除けば)申し分ない。

 足りない知識を補ってくれるのに申し分ない人材ではあるが、残念なことにヴィンフリートは長居はしてくれない。今回の“獅子狩り”を終え次第、彼は再び旅に戻ると聞いていた。


「頼まれた通り、種族別に名簿を作成したが。これをどうするつもりだね」

「人材管理。作戦に参加させる奴を選ぶ」

「それとこちらは姫様達の名簿だ」

「気が利くな」

 テーブルの上に木簡を広げてから、マスターは名簿に空きがあるのを見つけた。


「ヴィンフリート、空欄があるが?」

「そこは君の分だ」

「は? 俺? なんで?」

「何故も何も、君が主導しているのだから当然だろう。気づいていないかもしれないが、魔王軍の中には君を指導者に据えるべきとの声もある。あぁ心配は無用だ! 無論、彼らは姫様に対する忠誠心も厚い。それとこれは話が別だからな!」

「代筆を頼めるか、ヴィンフリート」

「ん任せておきたまえぇっ!」

 うるせぇなこいつ。

 そう思いながらマスターはヴィンフリートが木簡に「マスター・ハーベルグ」と記載するのを確かめる。

 加工魔術というのは素材を魔力の膜で覆い、素材の劣化を防ぐというもの。

 ちょうどボールペンほどの大きさの杖で文字を描く。感覚としてはタブレット端末にペンを走らせるようなものなのか、滑らかな筆跡にヴィンフリートは満足げにしていた。


「自信作だ、君のお眼鏡に叶うかね!」

「読めんしわからんが達筆なことだけはお前の顔見て確信した」

「ありがとう! 実のところ君に褒められるのはとても気分が良いものだ! 褒めちぎってくれ!」

「また今度な」

「ところで他に何か手伝えることはあるかね。もし手がかかりそうならば遠慮なく頼りたまえ。夜鬼族はここからが本番だ。夜明けには君に自信を持って報告できることを約束しよう」

「なら、そうだな──」

 マスターは引き続きヴィンフリートに幾つかの仕事を任せ、仮眠を摂る。なにせ交易都市に着いてからというもの一日中フル稼働、やっと休めると思った矢先にクロムが来て仕事が増えた。

 こんな多忙な生活をしてまで一攫千金を夢見るほどマスターは欲深くない。




 ヴィンフリートは頼まれた通り、兵糧の確保に始まり今回の作戦に参加する魔族の選抜を始めていた。

 マスターから提示された参加条件は大きくわけて三つ。

 ひとつは森林での行動が得意な魔族。突発的な戦闘、足場の悪さを物ともしない人材が好ましい。

 ふたつ、雷鳴騎士に対抗できる実力。これは数で覆せなくはないが、人手不足であることに変わりはないため貴重な人材を消耗したくないからだ。


 みっつ──これが最も重要な条件。

 最悪、千刃竜ヴァルボルヴォスに襲撃される覚悟のある者。戦場では不測の事態は付き物だ。敵と刃を交える前に死を迎える不運に見舞われることもある。栄光ばかりではない、無様な死を遂げて笑い話にされる覚悟のある魔族を選んでほしいとマスターは断言した。

 ヴィンフリートはその言葉に、なんと心強い事かと胸が震えた。

 一種のカリスマ性とも言える魅力に惹かれつつあることを隠さず、魔王軍志願者に条件を提示する。予想通り、千刃竜の名を聞いた途端に顔が曇り、躊躇した。当然だ。どれほどの無惨な死を遂げるかなど、魔族は千年前から聞き及んでいる。

 それでも我こそはと名乗りを挙げた魔族の名をまとめておく。

 数えてみれば、その人数は三十名に満たなかった。

 気落ちしていたヴィンフリートが夜の大時計城の廊下を歩いていると、中庭でアーシュの姿を見かける。


「ぅおっほん」

 櫛で髪を整え、身なりを整えてからヴィンフリートは声をかけた。


「いい夜だな、我が愛しの夜の君」

「……お前は本当に飽きない奴だな。私の答えはとっくに知っているだろう」

「もちろんだとも。だが私の気持ちに変わりはない、君が誰を愛そうと。誰と結ばれようともな。君の幸福を私は心から祝福すると約束しよう」

 呆れ顔のアーシュは丸眼鏡を外している。夜鬼族は陽の光に弱く、眼鏡をかけている者が多い。そうでなくとも昼間に出歩く物好きは少なかった。


「お前は何をしているんだ」

「マスターに頼まれて条件に見合う魔族を選抜しているところだ。君も参加するだろう、アーシュ。私は参加するつもりだが」

「私は参加しても問題ないが……何故お前まで」

「当然、我が友リヴレットのためでもある」

「わかっていると思うが」

「無論、聞くまでもなく」

 魔族と人間とでは寿命に圧倒的な差がある。一時は確かな友情を実感しても、いずれは訪れる別れに長く苦しむことになる──だから人間とは親密になるべきではない。というのが魔族からの共通認識。それはヴィンフリートも弁えている。しかし困っている相手を放っておけないことも事実。

 高貴なる者には高潔な精神が宿るものだと信じている。

 アーシュはそんなヴィンフリートが嫌いではなかったが、好きにもなれなかった。だが、【血相術】の使い手として一流の風格と品格を備えていることは認めている。


「どうせ寝れない夜だ。少しばかり付き合ってくれ」

「願ってもない誘いだ。朝まで付き合おう!」

「いや、軽くでいいんだ。軽くで……」

 アーシュが短剣を引き抜くのを見て、ヴィンフリートは白手袋を詰めた。


 【血相術】──すなわち、「血塊武装」。血液を媒介とし、己の武装を錬成する夜鬼族特有の戦闘術。そのため夜鬼族同士の戦いは文字通りの「血で血を洗う戦い」となる。互いに相手の血相術を吸血しながら武装に変換し、攻め手を繰り出す。

 アーシュは短剣に血を纏わせて長剣に錬成すると、空いた左手に血液の刃を握る。

 ヴィンフリートは両腕に血液の篭手を纏わせ、拳を鳴らした。


 言葉もなく、同時に駆け出す。

 刃と拳が衝突すると甲高い音を立てて弾かれるようにして距離を取り、連撃の応報によって幾度となく火花が散る。

 アーシュの剣がヴィンフリートの頬の薄皮一枚を掠めた。空気を唸らせて拳が鼻先を掠める。互いに一歩も引かず、しかし口端に笑みを貼りつけていた。

 血流が渦を巻き、同時に突き出した刃と螺旋が互いの眼前でピタリと止まる。


「……、腕は鈍っていないようだな」

「君こそ相変わらずの剣の冴えだ。惚れ惚れする」

「獅子狩りの時は頼りにさせてもらうぞ」

「君のためならば我が生命、五体が四散しようとも必ず守り抜くとも」

「やめろっ、縁起でもない……」

 唇を尖らせて、短剣を収めるとアーシュが足早に立ち去っていく背中を見送ってからヴィンフリートは顎に手を当て「ふむ……」とこぼした。


「……なにか間違えたか?」

 それはさておき。マスターから頼まれていた業務に取り掛かることにした。




 ──魔王軍諜報部から届いた情報により、レオブレド大将軍の足取りを掴んだ。

 それは事前に予測されていた通り、ミルカルド大森林地帯へ向かっているという。だが問題はそこから先。

 エルフの妙薬を求めている、との情報にララフィが青ざめる。

 大森林の中心地。樹齢三千年を越える“ミルカルド大霊樹”の樹液によって作られる霊薬の話をどこから聞きつけたのかは定かではない。しかし、エルフの警戒心の強さから人間にその情報を渡すとは考え難い。となると考えられるのはひとつ。

 人間軍とエルフの警備隊が衝突し、返り討ちに遭ったのだろう。

 が。

 そんなことはマスターにとって何の関係もないので聞き流した。


 大事なのは敵の戦力、兵力、頭数。こちらが用意できたのは一個小隊。

 対する諜報部が持ち寄った人間軍の兵力は、大隊。その戦力差を聞いて、ミレアも難色を示す。本当に実行するのか、という不安に対してマスターは鼻で笑った。

 エルフに手を出したというのなら、頭数を揃えるのに不足はない。これで兵の数に不安はなくなった。あとは質の問題。


 マスターは作戦の陣頭指揮を執るにあたり、部隊を複数に分けた。

 各分隊長に、アーシュ。ヴィンフリート。メリフィリアとクロム。

 ミレア、ルミナリエの両者とララフィを最重要護衛対象として、リヴレットとマスターが護衛する。

 作戦内容は単純明快。バカな魔族でも一発で覚える。


 クレスト親衛隊と雷鳴騎士は見かけ次第ぶっ殺せ。

 コレ(リヴレット)以外、──以上。


 若干の不安を覚えつつも、ミレアたちを乗せた馬車はミルカルド大森林地帯を目指して移動を始めていた。

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