第40話 魔王軍諜報部副隊長クロム・カスケードの憂鬱
──前線拠点があった場所に近づくにつれて、寒気が強くなってくる。ちらほらと刃鱗の数も増えてきている気がした。ヴァレリアはそれを横目で見ながら、キリエの霊力を見失わないように注意を払う。
雷鳴騎士の速力を上回る瞬発力は、まるで暴力のようだ。踏み込む度に地面が爆ぜ、足場代わりにした樹木が木片をまき散らして倒壊していく。
「キリエ総長! 前線拠点から煙が……」
雪の薄く積もり上がった平原に高い城壁が見えてきた。だが、それはもはや見る影もなく突き崩されている。
周囲にはやはり赤黒い刃鱗が無数に突き刺さっていた。
高く積み上げられた石材と木材の柱はなぎ払われ、拠点の中を覗けば見るも無惨な廃墟と化している。
「誰か! 誰かいませんか! クレスト親衛隊、ヴァレリア・ボルトザックです!」
声を張り上げるが、静かに響き渡るだけだった。見渡せば、兵舎も厩舎も倒壊していた。霊馬も、補給部隊も何もかも見境なく体を引き裂かれている。
胃の中からこみ上げてくる物があった。だが、ヴァレリアはそれをぐっと飲み込んで堪える。
惨殺。そうとしか思えなかった。キリエの様子を窺うと、躊躇なく死体の山に足を踏み入れている。
その中にはシュヴァルクロイツ親衛隊の姿もあった。しかし、彼女はそれを見ているようで見ていない。生き残りが誰かいるはずだ、と縋るような思いでヴァレリアは拠点の中を探し回る。
「無駄ですよ」
「そんなの、見てみなきゃわからないじゃないですか!」
反論しておきながらも、拠点の中から霊力が感じられないのを認めたくなかった。
折れた剣。引き裂かれた盾。人間軍が誇る装備の数々が、牙を剥くことすら敵わなかったのだろう。中には刃鱗に胴体を切り裂かれている死体もあった。
ヴァレリアは白い息を乱れさせながら、唇を固く閉じて目元を拭う。
生存者は誰もいなかった──だがその中にレオブレド大将軍も、他のクレスト親衛隊もいない。だからまだ生存しているはずだと、ヴァレリアは自分の頬を叩いて活を入れる。
「首都攻略作戦に参加していた兵たちの中に生存者がいるかもしれません」
「……見るだけ見てみましょう」
薄情者、と罵るのは簡単だ。冷静沈着なキリエの横を抜けて、ヴァレリアは拠点から首都スレイベンブルグに向けて歩み出し、そして──後悔した。
魔族も人間も見境なく、そこには犠牲者達が殺されたまま野晒しにされている。
【千刃竜】ヴァルボルヴォスは生命を奪うことに固執していた。善悪も、人魔を問わず、正真正銘の狂った竜の災厄に呑み込まれた戦火が広がっている。
絶句して立ちすくむヴァレリアは、へたり込み、泣き出してしまいたい一心だったが僅かに感じ取れた「波長」に顔を上げて駆けだした。
やっとの思いで見つけた生存者は、魔族──それも、余命幾ばくもない姿の。
「……っ、私はクレスト親衛隊ヴァレリア・ボルトザックです。貴方は?」
大丈夫か、と。とっさに尋ねそうになった。そんなはずはない。
彼は刃鱗によって腕が切り飛ばされ、足は飛んできた瓦礫に押し潰されている。それだけではない、刃鱗が身体を半ばほどまで貫いていた。
寒冷地である故に、彼は簡単には死ねなかったのだ。だがその眼には、ヴァレリア達に対する敵意はなく、むしろ憐憫の情さえ浮かべている。
「──オ、レは。魔王軍、諜報部……げ、っは! ……あ、ぁくそ……いや、いいか……オレの名前なんか……」
「しっかりしてください。何があったんですか。他の人間軍は」
「…………リョウゼン、将軍と。レオブレド大将軍の両名は、退却した。あとは、知らねぇ。親衛隊の連中も一緒のはず、だ……」
その言葉に胸を撫で下ろしたヴァレリアの後ろで、キリエは剣を抜いていた。
「千刃竜は、どこへ」
「……知るものかよ。突然、現れて、人間達の拠点を……ぶっ壊したら、今度はこっちに来やがった…………悪い夢なら醒めてくれ────」
「どの方角に飛んでいったのか、答えてくれますか」
「…………西の、霊峰」
「感謝します」
振り下ろした刃が、魔族の首を刎ねる。
助からない。どうあがいても、助けられない。彼は苦痛と苦悶の中で、どうしようもなかったのだ。慈悲の刃に、ヴァレリアは耐えきれず涙を流す。
──ただの捜索任務で離れていた自分たちが、たまたま助かった。補給任務を終えて戻ってくれば、また兄弟達に会えると脳天気に信じていたのが嘘のようだ。
──キリエはただ、西の空を睨みあげる。西方風獄の山頂、噂に聞く竜の山嶺に宿敵がいると聞いて居ても立ってもいられなかった。しかし、自制心が働いたのか、深く息を吸い込むと数秒維持、それから再び深く吐き出すことで思考をクリアにする。
「生存者の捜索は絶望的です。私たちもここで長居すると魔王軍残党に狙われる可能性があります。ひとまずこの場を離れましょう」
「……わかり、ました」
──首都スレイベンブルグを目前にした前線拠点は崩壊。
リョウゼン、並びにレオブレド大将軍は拠点を放棄し、退却した。その知らせは魔族達にとって一時の安心感を得るのに十分な情報だった。しかし、そこに【千刃竜】ヴァルボルヴォスの影があったと知った瞬間、まだ話の通じる相手がマシだったと恐怖に怯えることとなる。
その一部始終を目撃していた魔王軍諜報部、暗殺部隊副隊長クロム・カスケードは苦い顔を見せていた。
あともう一歩のところでレオブレドの首が獲れたというのに、とんだ邪魔が入ったものだと毒づきながらも薄汚れた黒い外套で寒さをしのぐ。
首都防衛部隊である魔王軍の残党は日に日に兵力を失っていた。救援要請をしようにも目鼻の先で拠点を構えられたらそれも叶わない。だからこそ、これを転機と見ていた。
スレイベンブルグの地下道で、魔石ランタンに照らされた一室で会するクロムと北の人狼族。彼らはレオブレドの侵攻から撤退した時、真っ先に首都へ駆け込んできた。それは今はなき北の魔将エンディゴの言葉に従ってのことだ。
「──正気か、クロム?」
「至って正気だとも。むしろ今しかない」
「しかしおまえがここを離れたら、守りが手薄になる」
「そもそも暗殺者を守りの要にしているのは悪手だと思ってたよ」
しかし、主要な魔王軍はもうほとんど残っていないのだから仕方ない。
「ボクはこれから交易都市へ向かう」
「旧都か。あそこなら確かに仲間も隠れているだろうが……」
「足の速さには自信がある、それにリョウゼンとレオブレドは別方面に退却したのもきちんと確認しているとも。そちらに監視の目もつけておいた」
「抜け目の無さは流石だな。わかった、そこまで言うなら頼んだぞ」
「心強い増援を連れてくると約束するよ」
「なら護衛をつけた方がいんじゃないか?」
「おいおい、ボクは暗殺者だよ? 団体様よりお一人様の方が気楽でいいのさ」
ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、黒猫の獣人であるクロム・カスケードはお気に入りの帽子を目深にかぶった。
「そうだな。片道分の水と食料があれば問題ないよ、用意してもらえる?」
「すぐ手配する」
「ありがと、オニキス」
「お互い“黒毛”のよしみだ。多少は融通を利かせてやるさ」
黒狼のオニキスは、雪原ではよく目立つ。だが夜闇にはよく馴染む。それ故に多方面に展開している諜報部では重宝されていた。
数日分の水と食料を受け取ったクロムはスレイベンブルグを後にする。
人間軍の前線拠点が崩壊した今しかない。助けを求めて、どれほどの魔族が協力を申し出てくれるかはわからない。希望的観測でしかないかもしれない。
それでも、亡き魔王デミトゥル・ヴァン・ヴェーグロードが今日まで築き上げてきた魔族の文明は人間に明け渡すわけにはいかなかった。
クロムは昼夜を問わず駆け抜ける。刃鱗の戦場跡を、崩壊した人間軍の拠点を踏み越えて森を走り、川を迂回した。一夜を明かし、再び走り出す。昼も夜もなく、体力の続く限りクロムは交易都市への最短距離を走った。途中の農村では諜報部の仲間から新たな報せを聞かされる。
なんでも、親衛隊がつい最近ここを通ったばかりだという。その様子もおかしな話で、クロムはますます眉を寄せた。だが今は交易都市に向かうのが先決。話半分に聞いて、引き続き周辺の動きを見張るように伝えて先を急ぐ。
三日。それがクロムが自身の俊足に見合った物資。それは彼女の計算通りだった。
魔族の足で、獣人の脚力で駆け抜け続けた甲斐があり辿り着いたのは小城砦都市ルクセンハイド。その奥に望む高い城壁に囲まれた交易都市を見て、トレードマークのキャスケット帽子を脱いで耳を掻く。
ここまで来たらもう一歩だ。
「ぃよーっし、さすがボクだ! 天才!」
──意気揚々と城門を抜けた先で、まず露店で食べ物を買って、宿を取って、それから疲れを癒やすために湯船に浸かって、毛並みも整えて……そんなクロムの計画は三割ほど吹き飛んだルクセンハイドの景観によって台無しになった。
「どーーーいうことだよぉーーー!!」
納得のいかない絶叫が青空に響き渡る。
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