第38話 嵐の夜に、長き影


 ──マスター・ハーベルグという名前は偽名だ。そして「ファング・ブラッディ」という名義も、過去の依頼で依頼人より貰った報酬。

 「彼」にとって、名前などさほど大した意味などない。

 なぜなら、本当の名前は悪魔に売ったのだから。




 シュヴァルクロイツ親衛隊の三人が正面から迫る。

 クレスト親衛隊、ヴァレリアは稲光となって夜のルクセンハイドを駆けていた。

 ファングはそれを見て、これまでの雷鳴騎士より速いことに口角をつり上げる。


(なるほど。こいつが親衛隊、流石は──!)

 レオン長官、リヴレット。他雷鳴騎士との戦いを通して学んだことは、彼らは足の速さを活かすために一撃離脱を主体とする。対敵に張り付くという戦術は取らない、その基本に忠実なヴァレリアの戦法にファングは翻弄されることなく、むしろ本命のキリエとヘルガに意識を割いていた。

 小手調べで、戦斧がどれほどの威力か測ってある。炎の霊術とは初めてだったが、長時間打ち合わなければ問題ないだろう。

 キリエは論外。霊力による強化が洒落にならない。

 アズラの鏃は見切れない速度ではない。だが、厄介なのはむしろその水の尻尾だ。相手に突き刺さった鏃から水の霊力で様々な霊術に発展する。ファングもそれを理解して鏃を切り払うことにしていた。


 キリエの黒い霊力の刃を防ぎ、長剣が嫌な音を立てる。ヘルガの戦斧を迎え撃ち、ブロードソードで長剣を叩き折った。炎に紛れて顔に降り注ぐ破片に、ヘルガが顔を逸らす。視界が逸れた隙に相手を蹴り飛ばして距離を取る。

 そこへ、ヴァレリアが民家の壁を蹴って横から迫っていた。

 ブロードソードを縦に構えて紫電を纏うショートソードを防ぐ。だが今度は矢継ぎ早に剣閃を繰り出してきた。それを凌ぐ。


「あなたに恨みはありません。本当にありません。神に誓って、絶対に恨み言などないと宣言できますし、むしろいっそこれを機にお祖父様にお会いしてみませんか!?」

「言っていることとやっていることがめちゃくちゃなんだよなぁ!?」

 ヴァレリアの剣に迷いはない。ブロードソードが今度こそ砕け散る。

 距離を離そうにも相手から逃れられるほどの速度は出せない。ならば逆に、こちらから組み付いてしまえばいい。

 ファングが身を屈めて剣を避けると、タックルでヴァレリアの腰に手を回す。


「ひゅいっ!?」

 軽装とはいえ鎧を身につけている成人女性を軽々と持ち上げて駆け出すのは至難の業だ。しかしファングはそれを難なくこなしてみせる。

 ヴァレリアを抱えたことにより、アズラが射撃を躊躇う。ヘルガも一寸、戦斧を振るうのを止めた。キリエだけは問答無用に斬り捨てようとするが跳躍したファングに避けられる。


 民家の屋根を飛び移りながらファングは場所を移動した。




「こ、これはもしや噂に聞く「お持ち帰り」というやつですか!?」

「ヴァレリア!」

「はい! ふつつか者ですがよろしくお願いします!」

「ちょっといてぇぞ」

 ファングが屋根の上からさらに高く跳躍する。そして次の瞬間、ヴァレリアは自分の体が浮遊感に包まれるのを感じた。


「はへ?」

 そして蹴り飛ばされる。痛い、確かに痛いが、堪えられないほどの痛みではない。

 ヴァレリアは空樽を載せていた荷車に背中から叩きつけられて咳き込む。ファングは着地と同時に全速力で露店街へ駆け込むと、その中の一角の屋台で止まった。

 布をかぶせていた複合兵装を持ち出すと、装甲を展開させて中から「処刑人の剣」と長剣を取り出す。

 手にすると、やはりしっくりと馴染む。安心感と言ってもいい。いつ壊れるかわからない武器を手にするよりも、やはり信頼の置ける相手に作らせた一品物の方が扱いやすい。


 ──マスター。妹モノと姉モノ、どっちが好き? え。飯食ってるときにナニってそりゃナニの話であって今夜のネタの話なんだけど。ごめんソーリーすいません、グーだけは勘弁してくださりませんね駄目っすねぎゃあああああ!!!


 脳内に突然出現したスロウド・マクウェルを完膚なきまでに殴り殺す。成仏しろ。


 追いついてきたヘルガが民家の屋根から飛び降りながら炎の戦斧を振り下ろす。それを今度は処刑人の剣で押し返した。


「なッ!」

「こっからが本番、んじゃいくかぁ!」

 ミシリと音を立ててファングは力を込める。そのまま「ヴァルキリー・コート」を着込んだヘルガを弾き飛ばした。

 キリエはアズラを抱えたまま屋根に降り立つとすぐさま下ろして自分も斬りかかる。だが今度は押し切ることも受け流すこともされずにただ防がれた。目を見開く。


「アンタほどの腕前ならこれくらいやってもよさそうだ」

「つッ!」


 ──王国式剣闘術。それはかつての最強。今は亡き「白狼」の名残。

 マスター・ハーベルグが唯一切り離せない人間性。そして過去。


 距離を取り、ファングが身を屈める。それは地に這いつくばるほど低い。獣じみた姿勢にキリエが一瞬眉をひそめた。が、次の瞬間──その姿がかき消えたのを見る。

 どこへ、と考えるよりも先に体が動いた。反射的に右腕が顔を庇う。そして殴られたかのような痛みと痺れに、霊力を集中した。

 すでに懐まで潜り込んでいたファングの処刑人の剣が首に向けられていたのだ。あと数瞬判断が遅かったら致命傷だったに違いない。


(なん、だ……コイツ、動きが……!?)

 人の振るう剣術というのは、立って行うものだ。しかし、今、キリエに迫る刃の数々は地に這うようにして振るわれている。

 自らの背丈よりも下、腰に近い位置から繰り出される剣戟に攻めあぐねた。

 身を引いて仕切り直そうと後ろへ飛び下がる、だがファングの瞬発力はそれを上回る。そしてそこでキリエは実感した。

 あれは剣術ではなく、か──!

 獲物を追い立てる。追いかける。追い詰める。人間が、人間を狩るために編み出した、人の域を外れた戦術。それにキリエはまんまと引っかかった。


 眼前に処刑人の剣が月明かりに照らされて迫る。

 だが不意に狙いが横へ逸れた。ヘルガが横から割って入る。珍しく防御の構えを取っていた。


「キリエ!」

「っ、すいません。助かりました」

「いいってことよ」

 後ろへ下がるファングめがけてアズラが「ストームスリンガー」を放つ。今度は「水」の尾を引かずに、溜め込んだ「風」の霊術によって暴風を叩きつける。しかし、目に見えないはずの霊術を肌の感覚だけで避けた。

 地面が抉られ、削り飛ばされた一点に集中した風圧を直感だけで避けられてアズラは慌てる。急いで次の鏃を装填する前に、すでに相手は壁を蹴り上げて屋根の上に立っていた。


「わ、わ……!」

 ぐっと踏み込んだファングの前に、走る雷光。ヴァレリアがその進路を阻むと、二人の間に目にも止まらぬ剣戟の応酬が繰り広げられた。しかしヴァレリアの旗色が悪くなるのを見てキリエとヘルガも後を追う。

 それを一瞥したファングは、突如として処刑人の剣を屋根の上に突き刺した。


「そこ。気をつけろよ」

「え?」

 てこの原理で力任せに引き上げた処刑人の剣がヴァレリアの足下を崩す。またもや落下した相手をのぞき見ると、民家のテーブルの上に突っ伏していた。うめき声が聞こえるので無事らしい。

 ファングがその屋根の上からややずれて、同様に剣を突き刺す。長剣で切れ目を入れてから身を引くと、ヘルガが乗り込んだ瞬間に屋根が崩れ落ちた。


「こ、のわあぁああっ!?」

「ざまーみろ」

 しまった、つい癖で。うっかり憎まれ口を叩いたファングは油断なく回り込むキリエの黒い直剣と火花を散らした。

 落下したヘルガはテーブルではなく椅子を潰した際に背もたれが腹部を直撃して悶絶している。


(あの人、ただ強い、だけじゃなくて……頭も回るから、手強い……)

 アズラは静かに整息すると、ストームスリンガーに霊力を集中させた。

 屋根の上は逃げ場が少ない。だから当てられる確信があった。

 鏃をつかみ取られた時は驚いた。風霊術すら躱された。──そもそもそれだけで驚嘆に値する出来事なのだが。


「──“嵐の夜。長き影に我らは見るだろう”」

 アズラの左腕、ストームスリンガーに風が巻き起こる。それは彼女の霊力を“黒く”染め上げて。

 自らの手元で渦巻く暴風に前髪をかき上げられながら、静かに重心を落とす。


「──“猟師を。神を。精霊を。黒く燃える瞳の猟犬を”」

 霊力で「防護」ができないアズラは、確かに正規の騎士学校を卒業できない。

 霊力で「強化」することができないアズラは、確かに修了課程を認められない。

 だが、彼女もまた特異体質。

 霊力を放出する一点にのみおいて、シュヴァルクロイツ親衛隊の追随を許さない。


「──“黒馬の嘶きを聞け。我らは嵐の夜を引き裂くもの

    ──ワイルドハントの始まりだ”」

 黒き暴風を腕に纏わせて、アズラが照準を定める。


「──ウルヴズ・ストームブリンガーッ!!」

 嵐の夜を引き裂いて、アズラが鏃を放つ。

 暴風と、豪雨と、雷鳴を率いて。それはファングめがけて放たれていた。術者自身、反動に耐えきれず屋根の上から足を滑らせている。

 キリエはそれを見て、ギリギリまでファングの足止めをしていた。


 石畳を捲り上げ、木造の民家から壁を引き剥がして、すさまじい轟音と雷雨を率いて迫る鏃を見ながらファングはキリエを蹴り落とす。

 ──息を吸い込む。そして吐き出す。避けられないことだけは確かだ。

 人は天災に敵わない。嵐の夜に人は怯えて過ごすことしかできない。ただ何事もなく、朝には過ぎ去ってくれることを祈ることしかできないのだから。


 ──祈る? それで誰が救いの手を差し伸べてくれるのか。神か?

 ファングは自嘲した。

 これまでただの一度も俺を助けてくれたことなんかない相手に、なぜ縋る。


「……ちょっと手ェ貸せ。……嗚呼、言い方悪かったな、よこせ」


 ──キリエは見た。屋根の上から退避しながら、嵐を前にした男を。

 その影に、人ならざるものの赤い眼光を見てしまった。


 嵐を前に立ち向かう無謀な人間がそこにいた。


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