第36話 狂人、ふたり
「……、お前は今。自分がどれほどおかしなことをしているか気がついているのか?」
「人並みには。あんまり霊感強い方じゃないんだけどな。今、自分になんか向けられてる程度のことは理解している」
(どういうことだ?)
キリエには、ファングの行動が理解できなかった。
霊力の総量というのは、高位になればなるほど制御が難しくなるのが定説とされている。それから転じて「賢者は黙して語らず」という。
どれほど扱いに長けている者であっても、隠し通せる者はいない。
魂を持たない生物はいない。存在しないのだから──存在してはいけない。
だが、キリエが困惑しているのはファングからその「波長」が一切感じ取れないことだ。
一見すればただの人間。どれほどの神算鬼謀の策略家だろうと不可能だ。
「あんたは今、俺に霊力を向けて推し測っている。どれほどの実力者か。どれほどの霊力を持っているのか。どう仕掛けようか観察してる」
「……お見通しか」
「自分を客観視できない異常者は破滅するだけだ」
自らを異常者だと理解した上で、ファングは“それらしく”振る舞っている。口元を手で覆いながら。
「有り得ない話だ。霊力の波の中で、波風ひとつ立てずに居続けるなど」
「ふぅん、なるほど。その影響を受けない奴がおかしいって話か。ならどうしたら満足いただけるので? アンタに倣って、霊力とやらを放出してやりゃいいのか?」
「やれるものなら──」
そう言いかけて、キリエの脳裏にふと考えがよぎった。
過剰な霊力を内側に抑制するというのは、至難の業だ。一時的に行うならば可能だろう。しかし、それを常とするのであれば、霊媒の助けがいる。道具に頼らなければならない。
キリエですら、媒介として黒剣の助けを必要とする。
だがもし。もしもの話として──。
肉体そのものが霊媒としての器であれば不可能ではない。
──だがなんのために?
──降霊術だとして、何を降ろしているのか。
──何のために?
──霊力の影響を受けないというのなら、それは正しく人類にとっての天敵に他ならない。
「……お前はその身体に、何を降ろしている」
キリエの言葉に、ファングは何も語らず剣を抜いた。
「世の中には知らない方が幸せなこともある。気づかない方がマシだと思うことも、ままある。だから言っておくが、知らない方が身のためだ」
まるで触れてはならない秘密だったかのように、冷たく言い放つと剣を揺らした。
「さて? 剣を先に抜いたのは俺の方だ。だからアンタは何も気にすることなく、気兼ねなく俺に刃を向けることができるわけだが……どうする?」
しかしファングは、冷静に事を運ぶ。
──どうするか。キリエはわずかに考え、やはり剣を抜く。
せっかくお膳立てしてもらった手前、良い機会だ。
「明確にお前が我々の敵であることが判明した以上、放置しておくわけにはいかない。ここで始末させてもらう」
「そんなら、まぁ、お手並み拝見といこうか」
──夜の小城砦都市ルクセンハイドを駆ける二つの影があった。
軽装ではあるが、キリエには自己研鑽の賜物である霊力による防護がある。
対して、ファング・ブラッディはどうか。
羽織っているローブには防御性能は見込めないだろう。上半身は半袖。下はベルトで留めたズボン。革のブーツと、戦闘用とは思えない。
魔族の姿が無い道を選び、壁を蹴り、放牧場へ飛び出す。そこではベヒモスたちが団子になって眠っていた。もとより巨体がウリの草食獣。おいそれと手を出す肉食獣もいない。それでも聞き耳を立てて顔をあげる。しかし、それが小さな人影であることを確かめると再び眠りについた。
睨み合いを続けていた二人が、急に進路を変更すると刃を振り上げる。
キリエの黒剣が。ファングの長剣が。
火花を散らして甲高い金属音と共に弾けるようにして剣戟の音を奏でた。
初撃の手応えに、キリエが訝しむ。ファングは笑っていた。
「どうした、随分遠慮がちだな」
「…………?」
明らかに手を抜いていた。あまりに軽かった。
下段に構えた黒剣を跳ね上げる。それを上からの打ち下ろしで迎撃された。しかしやはり、軽い。
「────仲間を待たせている。悪いが一撃で終わらせてもらう」
キリエはその遊びに付き合うつもりなどなかった。
黒剣に霊力を込めると不吉の黒十字はそれに呼応して刀身に霊力の刃を纏う。
漆黒の刃を見て、ファングは興味津々といった様子で笑っている。
命の駆け引きにヘラヘラと緊張感の無い男だ。不気味でもあり、不愉快でもある。
「もし。一撃耐えたらどうする?」
「その時は、死ぬまで叩き込むだけだ──」
キリエは自戒していた。
どうにも戦闘の時は熱くなりやすい。制御を誤りがちになる。ヘルガにさえ諌められるほどに。抑えなければならない。抑えなければならないのだ。
我が身に宿した殺意の本領は、あの竜を殺すためだけにある──!
故に、こんな男に割く余力などそれこそ露ほどもない。
「──“消し飛べ”」
上段から黒剣を振り下ろす。先程までとの決定的な違いは、その刀身を覆う黒い霊力の刃にある。竜を殺すためだけに研ぎ澄ませてきた復讐の刃はこれまであらゆる対敵を斬り伏せてきた。
防ぐ鎧もろとも叩き切ってきた。
避ける心の臓を貫いてきた。
何を思ったか、ファングは即座にローブを脱ぎ捨てると刀身に巻きつけて振り上げた。黒い霊力の刃を正面から打ち払おうとしている。キリエはそれを鼻で笑い、間もなく相手の防御もろともに切り落とす自信があった。
しかし、霊力の刃はローブの繊維が絡みつくことで威力が落ちたからか長剣を叩き割ることが叶わずに防がれる。
「なにッ!?」
ファングは逆に黒剣にローブを巻き込むと、包んでいた長剣を引き抜いて刃を跳ね上げた。キリエは咄嗟にその刃を自らの手で防ぐ。
「そんなんありかよ」
今度はファングが毒づいた。
金属の刃を生身で防ぐことなど到底出来ない。だが、長年の鍛錬によって研ぎ澄まされた霊力を纏った肉体は鋼にも勝る。
顔を狙った凶刃を、キリエは乙女の柔肌に傷一つつけることなく薄皮一枚で防いでいた。
刃が軋む。黒剣から霊圧を放出してローブが宙を舞う前に、ファングはその端を掴んで手繰り寄せながら身を翻す。
眼前を閃く剣の軌跡に、前髪が僅かに斬り飛ばされた。嫌な音を立てて長剣がへし折られる。
距離を取り、態勢を立て直す。
へし折った長剣の切っ先を握りしめたままキリエは直立不動の構えを見せていた。
ファングは折れた長剣の先端を見やると、ねじ切られた部分を観察している。
「……はーん? なるほどね。手強いって話は本当らしい」
ぺしぺしと剣の腹で手を叩くと、相変わらず緊張感の無い口元を見せていた。
「楽しいか?」
「んー? まぁ、それなりには。アンタは楽しくなさそうだな」
「何が面白い、こんなこと」
「へぇ。なら“こんなこと”に命賭けてるの馬鹿馬鹿しくねーの?」
キリエの口角が僅かに動くのをファングは目ざとく見逃さない。
手首を返して剣を回しながら、草原を歩く。視線は相手から外さずに。
「だってアンタ、戦闘以外役に立たねぇだろ」
「──……だったらどうした」
「自分からすべてを奪った【千刃竜】に復讐するためだけに生きてる暴力装置が、こんな男ひとり殺せずに「竜殺し」なんてできるのか?」
「…………──────そうか。しにたいのか」
夜空に浮かぶ月に影が降りる。そちらに一瞬だけファングは気を取られた。
肌身に染みる夜風の冷たさに背筋が震える。それだけではない。
キリエの身体から放たれる霊圧が草木を揺らした。
──執念。あるいは怨念。憎悪と憤怒に塗れた、ドス黒い霊力がキリエから陽炎のように立ち昇る。
ビリビリと肌がひりつく感覚にファングが笑う。
「なんだ、やりゃできるじゃねぇか。最初っからそうしてりゃよかったんだ。殺意なんてものは出し惜しみなんかしなくても減りゃしねぇんだから」
「……」
「あぁ、そうなると口がきけなくなるのか? 不便だな。でもちょっと安心したよ。アンタと俺は同類だってことがよくわかったからな」
一緒にするな、とキリエは口にしたかった。だが、この身体の内側から溢れ出す殺意と憎悪を押し留めることに精神を集中している。
いつもはこんなことが起きないというのに。
疑問を抱いていたが、ファングの眼を見てすぐに気づいた。
──月明かりに照らされて妖しく煌々と燻る紫の魔眼。
愉しそうに。心底うれしそうに。楽しそうに笑って、目を細めている。
それがどうしても──あの【千刃竜】を彷彿とさせるからだ。
そこでようやく、キリエは理解する。なぜ自分がこんなにもこの男に対して生理的な不快感を覚えているのか。
──コイツはあいつと同じ目をしている。
──私からすべてを奪った竜と同じ眼をしている。
──コイツは、生かしておくべきではない。
「────!」
「ハハハ、いやぁ、おっかねぇ顔。すまし顔よりそっちのほうがずっといい! 今のアンタの方が、ずっと“生きてる”顔してる」
殺そう。キリエはただ純粋に、その一心で動いた。
これ以上、あんな男の言葉に聞く耳を持つ必要はない。
死ねば黙る。
牙を剥き出しにして、怒りに満ちた顔を見てファングは嬉しそうに笑っていた。不愉快だ。ああ不愉快だ。甚だ不愉快だ。
霊力による「身体強化」を重ねて踏み込んだ地面が爆ぜる。霊力を使えば使うほどに消耗する。だがそれ以上に制御が困難になる。最小限の動作によって消耗を抑え、最大限活かす。
芝を捲りながら駆けるキリエが回り込み、振り下ろした黒剣はやはり刀身に黒い霊力を纏っていた。
ファングはそれを目で追いかけ、先端の折れた長剣をぶつける。だが今度は受けることが出来ずに弾かれた。一撃で刃が潰れ、欠けている。痺れる腕の衝撃に、今度こそ自らが虎の尾を踏んだと気づいたのか呆気に取られて──嗤っていた。
すかさず切迫するキリエの刃に対してファングは長剣を削られながら追いすがっている。
「命の駆け引きだぁ? あんなおすまし顔でやれるほどお上品なやり取りかよ! はっはっは、たまんねぇな! ヒャッヒャッヒャ、ゲェアヒャヒャヒャヒャ!」
(コイツは────!!)
確信めいたものがあった。
まともじゃない。
自分も“こうなっていた”かもしれないと思うとゾッと背筋が寒くなる。
ひとしきり笑っていたファングの手元から長剣が粉々に砕け散った。それをためらいもなく投げ捨てると、左腕に巻き付けていたローブを投げて目くらましにする。
無駄なことを。──キリエが踏み込み、霊圧の刃を突き刺すと切り払った。
柄を握りしめて上段から振り下ろした黒剣はファングの身体を袈裟懸けに斬り捨てる。──はずだったのだ。
何を思ったのか、手を緩やかに持ち上げる。
(無駄なことを──!)
しかし、キリエは見てしまった。ファングの眼を見てしまった。
紫色の魔眼。宝石のような色をした双眸から虹彩が消えている。
嘲笑っていた仮面を脱ぎ捨てて、まるで劇の芝居のように顔から表情が消え失せていた。
──白刃取り。それも片腕で黒剣の刀身を握りしめている。
「──は、?」
「……で。アンタまさか、自分だけが“そう”だとでも思ってんのか?」
遅れて地鳴りと共に地面が沈み込む。霊圧の衝撃に耐えきれなかったのだ。そのクレーターの中心で、ファングは立っている。
キリエはそこで初めて困惑した。無防備な隙を晒す。それを見逃さず、固く握りしめた右拳が頬面に突き刺さる。
華奢な身体が殴り飛ばされると、ルクセンハイドの城壁に身体を受け止められた。だが、その衝撃に耐えきれずキリエの身体が何軒か巻き込んで地面を転がる。受け身を取ったのは、自分が砂利を噛んでからだった。
ファングは殴り飛ばした拳の感覚を確かめてから目を閉じ、静かに目蓋を開ける。
「親衛隊最強が聞いて呆れる。こんなんじゃ将軍相手じゃないと面白くねぇな」
──紫色の魔眼に、静かな激情を宿らせて。
「おっとそうだ。放牧場にゴミ捨てていくわけにいかねーわ」
思い出したように刀身が綺麗になくなった長剣と切り裂かれたローブを拾い上げると顔をあげたベヒモスに「なんでもなーい」と手を振って歩き去った。
「これだから人間製は。脆くて仕方ねぇ」
そう吐き捨てて。
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