第35話 裸の付き合い
──食後のデザートも美味かった。
支配人ルドガーの話では「草葉の息吹」では湯治も行っているという。あくまでも馬のために用意した物であり、せっかくならば、という副産物的な施設だ。
お言葉に甘えてキリエ達も湯浴みで体の疲れを癒すことにした。
「うわ、広っ!」
「うはーでっか!」
ヴァレリアも色々デカいがそれはそれ。
「あ、あの。誰もいないとはいえ……隠した方が……」
「私は気にしませんが」
「気にしてくださぁい……あぅぅ……」
女所帯だからといって、素肌を露わに包み隠さず全開なのはどうなのか。身体をタオルで隠しているのはアズラだけだった。
キリエが大衆浴場を見渡す。
木造の壁に屋根、北方氷獄の針葉樹を用いた作りは湿度に強く、また吸水性が高いことから浴室に適している。広々とした空間に、どデカい湯船が置かれているだけの場所は実にミニマリストな魔族の気風に合っていた。
木桶でかけ湯をしてから、香り付きの馬油で髪を洗い、身体を洗う。
キリエが身体を洗っていると視線を感じ、誰かと目を向けるとヴァレリアだった。
「なにか?」
「いえ。貴方の身体を見ると、どれほどの【竜害】だったのか肌身に感じますね」
鍛え上げられた肢体は、薄く筋張っている。キリエは鍛錬を欠かしたことなどこれまでただの一度もない。暇と隙さえあれば自己研鑽に費やしている。
しかし、キリエとてまだ華の乙女だ。その少女の身体に刻まれた無数の傷痕は、どれもが致命的と言う他にない。
腕や足だけでなく、背中に脇腹と。原型を留めていただけ奇跡的だったが、そこからの生還はまさしく神がかりと言える。だが、キリエはそれを喜んだことなどただの一度もなかった。
「しっかし、ヴァレリアってアレだな。アズラよりでっかいな。アタシはほら、出るとこ出てないから動きやすくていいんだけどさ」
「ぴゃうっ!」
いつもヘルガの被害者になっているアズラが耳まで赤くしながら手ぬぐいで自分の身体を隠す。親衛隊内でもセクハラ常習犯だ。キリエはその被害に遭ったことがないのでちょっぴり疎外感を覚えてたりする。【天才剣士】とまで呼ばれるクローディアですらその被害に遭ったことがあるというのに。
「やー、デカくてもいいことないよぉ? 着る服選ぶの大変だし、男からはいやらしい目で見られるし。むしろヘルガみたいにすっとんとーんの方が羨ましいくらい」
「ふふん、アタシはこれのおかげで今まで女扱いされたことなんてほとんどないからね。どうだ、動きやすくて羨ましいだろー」
「いーなー」
ぽよぽよと自分で胸を持ち上げて揺らしてみせるヴァレリアに対し、どうだと言わんばかりに胸を張るヘルガが勝ち誇った鼻息を鳴らす。
そんな二人をよそに、キリエはすでに湯船に足を浸からせていた。少々熱いくらいだが、ねずみ返しから入り込む外の空気は常に身を引き締めるほど冷たい。覗きに来る愚かな魔族はいないだろうと思うが、念の為霊力で周囲を探査しておく。
人影、なし。──いや、自分たち以外に反応があった。
それは脱衣場の方からだ。
戸を開けて姿を表したのは、猫の獣人。黒猫の斑模様で、慣れない宿の様式に困惑の色を浮かべている。
「あ、猫ちゃん」
「ぅにゃう! な、なんだよぅ。オレになんか用か」
「ありゃ、人見知り」
「んー、実に猫っぽい」
「見てわかるだろそりゃ……猫なことくらい……」
ヴァレリアが名前を尋ねると、ジェイルと名乗った。ファングの同行者だと言うと、聞き耳を立てていたキリエが警戒を強める。
「うぅ、あの人間がめっちゃこわい……」
「こらーキリエ総長。猫ちゃんいじめちゃだめです。霊力抑えてください」
「いじめてません。抑えてます。言いがかりです。やめてください」
警戒心を強めているジェイルだが、こんな豪華な場所に宿泊するのは初めてで緊張しているらしく、それならばとヴァレリアが目ざとく身体を洗っていく。ジェイルは身体を強張らせてずっと不満そうな唸り声を挙げていたが。
「はーい綺麗になりました!」
「……さっぱりしたけど……そんなとこまで洗わなくてもいいだろう、この変態騎士……」
「アタシもドン引きだよヴァレリア……」
「そ、そういうのも……あり、なんですね……」
「正直神経を疑いましたよ、ヴァレリア副官」
「なんか私の評価下がってない!? なんで!?」
湯船に浸かるヘルガとアズラ。ヴァレリアもジェイルをお風呂に入れようとするが、やはり猫。水場が怖いらしく足湯で満足していた。いつでも逃げられるように身構えている。
「ねぇねぇ、君確かファングさんと一緒にいたよね。あの人とどういう関係?」
「別になんか特別な間柄ってわけじゃないぞ。ただちょっと、世話になっただけで……」
「そうなんだ。ファングさんってどういう人?」
「どういうって……う~~~ん……変なヤツ。得体が知れなくて、底が見えなくて気持ち悪いけど、料理は美味しいし、嘘もつくけど約束は守るし、腕も立つし、なんかこう、とにかくなんか、変なヤツ」
「……だそうですよ、ヴァレリア」
これには流石にお近づきになりたがっていたヴァレリアも苦笑い。
「いや、でも、ほら! ファングさんの顔がものすごく好みだし、声も良くない?」
「……アタシは微妙だなぁ。なんかアイツ、やっぱ胡散臭いっていうか。信用できない顔してるし」
「物腰丁寧だったじゃん」
「悪いことは言わないからやめておけって、ヴァレリア。ああいうのは外面だけよくて中身じゃどんな悪いこと考えてるかわかんないんだから」
「まるで経験者のような助言」
「ごめん、恋愛未経験だけど。ただの勘」
「ということらしいけどそこのところどうなのジェイルにゃん!」
「にゃん!? いや、あ~……ぅう~……半々?」
その言葉に、深く悩み始める。
「…………だめかな? キリエ総長」
「やめておいたほうが身のためですよ」
「うーん、堅実な助言」
「……彼の目つき、普通ではなかったので」
──人間一度や二度死にかけると、頭がどうかする。
死生観が壊れる。倫理観が壊れる。つまり、アレはそういう部類だ。
キリエ自身、自分が“まとも”とも考えていない。
ただ、ファングとの違いは「自分は救われた」ということだけだ。
「警告します。彼だけは、絶対に辞めたほうがいいですよ」
「……恋って向かい風の方が燃えると思いますぅ」
「わ、わかります。その気持ち。逆境を乗り越えて結ばれる二人、とても素晴らしいですよね……」
「アズラちゃん理解力あるぅ! だよねだよね! よかったぁ!」
恋は盲目。ヴァレリアには何を言っても無駄だろうとキリエは肩をすくめた。男所帯なのだから恋に夢見るのは無理もないだろう、とヘルガからのさりげないフォローに適当な相槌を打つ。
「私は先にあがります。貴方達ものぼせない程度にしておいてください」
せっかくの大浴場だ、もう少し堪能すればいいのにとは思いつつ。ヘルガはキリエに手を振って見送った。
「キリエ総長ってホントお堅い人。鉄みたい」
「あはは、付き合い短いとそう思うよね。でも実際、このお風呂気に入ってたみたいだし割と機嫌は良いよ?」
「あれでぇ?」
「そ、あれで」
──キリエは夜風に当たり、火照った身体を涼ませる。
ルクセンハイドに立ち寄ったのは今回が初めてだが、交易都市ほど雑多ではない。過ごしやすい場所だと認識していた。移住者があまりいないのは、やはり夢を見て交易都市に住もうとする魔族が多いからだ。
遠征任務の一環だというのに、すっかり旅行気分で浮かれている隊員たちにキリエはため息をつく。だがそれが普通の反応だ。自分からはゴッソリと抜け落ちた感受性を羨ましくも思う。
(……確かに、ここは過ごしやすい場所だ)
素直にそう感じた。
黒剣だけは手放すことはせず、軽装のまま夜のルクセンハイドを散策していると人目の少ない場所──つまり店の裏。
そこで大きな尻尾を見かけた。話し声に、咄嗟に身を隠す。
盗み見れば、そこには件の人物。ローブをかぶっていた。
「……──では、どうしたらいいでしょうか?」
「それなら──……」
「────わかりました。ご助力ありがとうございます、今後もご贔屓に」
ポックルがしきりに頭を下げながら離れていく。
ファングはそれに軽く手を振っていたが、その場を離れようとはしなかった。
今は帯刀している。見慣れたロングソードを腰から下げていた。
「…………盗み聞きとは感心しないな、キリエ総長?」
(──気づかれていたか)
相手に気取られている以上、身を隠していても仕方ない。キリエが姿を表すと、ファングはため息をつく。その顔は食堂で見たときとは違い無愛想なものだった。交易都市で初めて見た時と同じ顔、それが彼の素面なのだろう。
「こんばんわ。まだ俺になにか用でも?」
「いいや。たまたまだ。盗み聞きのような真似をするつもりはなかった」
「そうですか」
「……なんの話を?」
「いやなに、昼間のベヒモスの肉をどう卸そうか、という相談をされたものだから助言を少しばかり」
解決策として、氷属性の魔法で肉の品質低下を遅らせて交易都市で卸値を下げて出すのが一番だと助言した。ただし、その売り文句は「限定特価」とすれば商人が食いつくだろうとも。──余談ではあるが、この商法に味を占めたルクセンハイドは交易都市から多大な金銭を得ることになる。
キリエからの視線は相変わらず厳しい。それにはファングもいい顔をしなかった。
「そんなに俺のことが嫌いですか」
「……、別に私は睨みたくて睨んでいるんじゃない。そう見えたなら、人並みに謝罪もする。すまない」
「他の親衛隊は? まだお風呂?」
「入浴中だ」
「女の子が一人で夜の街をふらつくのは褒められたものじゃないけれども、親衛隊総長なら大丈夫か」
「当然だ。──聞きたいことがある」
またかよ、という顔をするがファングはそれに応じる。それこそ面倒そうに。
「ヴァレリア副長がお前のことを大層気に入ってしまったようだが、それについてなにか思うところは?」
「……悪い気はしないけれども困惑が十割」
「迫られたら逃げることを推奨する」
クレスト親衛隊相手に? ──無理だが?
キリエなりの助言のつもりだった。
自分も立ち去ろうとしたその時、思い出したようにファングが口を開く。
「あぁ、そうだ。これはちょっとした情報なんだが……交易都市で動きがあった」
「……話してみろ」
「交易都市領主、トードウィック・フロッグマンが自殺した。そのせいで今は人間が立ち寄るにはあまりに危険な場所になってる」
「だからお前も此処にいるのか?」
「余計な面倒事に巻き込まれたくないもんでね。それと東の跳ね橋が落ちたらしい」
その話にはさすがのキリエも看過することはできなかったのか、振り返った。
──鋭い眼光の中に、疑念の色を含ませて。
「……お前はなにを企んでいるんだ?」
「質問の意図が変わったな。俺の企みなんてものは、大したことじゃない。明日の朝飯はどうしようか、日銭をどう稼ごうか。そんな程度のものだよ、キリエ総長」
(…………試してみるか)
この男に対して凶器による脅迫は効果がないことは理解している。
ならば今度は霊力で威圧する。相手の霊力の総量を上回っていれば気圧されるものだ。ただし、それにもやり方はある。対象を捉えて霊力の流れを作る。
気圧されれば、後退ったり、人によっては跪くといった形で効果が見れた。
──だが。
ファングはそれに、一切の反応を示さなかった。
「そんなに俺を試してどうするおつもりで?」
ただ鼻で笑い、霊力による波の中で不動であり続けたことがキリエにとって決定打となった。
──この男は間違いなく“敵”だと。
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