第33話 命短し恋せよ戦乙女

「ヴァレリア、そちらは任せてもよろしいですか」

「もちろんです。いざという時は逃げます」

「逃げないでください」

 ヴァレリアはポックルに案内されて離れるキリエたちを見送り、改めて自分の目的であるローブの相手を観察する。

 背丈は標準的な成人男性程度。自分よりもやや背丈が高い。

 腰に下げたショートソードを確かめてから、ヴァレリアは相手に接近する。


「すいません、そこの方。少々よろしいでしょうか」

 魔族の群衆をかき分けて声をかけると、相手を手で制してからローブの人物がヴァレリアに視線を向けた。目深にかぶったフードのせいで表情を窺うことはできない。


「はい? 俺がどうかしましたか?」

「んっ、声がいい……! こほん、失礼しました。私はクレスト親衛隊、ヴァレリア・ボルトザックです。お尋ねしたいことがあります、お時間は取らせません」

 その名前を聞いて、ローブの男性は頭を下げるとすぐに手を差し出した。


「これはこれは、噂に名高いクレスト親衛隊の方とお目見えが叶うとは願ってもないことです。まさに僥倖。天のお導きに感謝するばかりです。お会いできて光栄です、ヴァレリア様」

 聞き慣れた世辞の言葉に、ヴァレリアは握手に応じるとすぐに態度を改める。


「あなたの素性を検めさせていただいてもよろしいですか?」

「はぁ、それはまたどうして」

「実はですね、レオブレド大将軍閣下の耳に、とある情報が入りまして──なんでも、見慣れない人間が交易都市にいると」

「それがもしかすると、俺の可能性がある、と」

「話が早くて助かります」

「相手方の特徴などは?」

「目撃情報によれば、蒼い髪に、紫色の双眸である、とのことです。大詰めに迫るこの戦局で用心に越したことはないという判断から私達が派遣されてきました。どうかお気を悪くしないでください」

 ローブの男性はすぐにフードを外した。

 蒼い髪。紫色の双眸。うなじで縛った髪が狼の尾のように揺れている。


「ならお探しのお相手は、俺で間違いないかと」

「────」

 ヴァレリアは、じっとその顔を見つめ。

 見つめ──。

 次の瞬間、顔が真っ赤になった。手を突き出し、視線を遮って顔を背けている。


「あの」

「すいません、ちょっと、すいません、ごめんなさい。無理です」

「……はい?」

「ちょ、ちょっと待ってください。ちょっとだけ待っててもらっていいですか。ごめんなさい、ちょっと、えっ、無理です」

「……はぁ」


 ──これまで、親の決めた相手としか縁談を用意されたことがなかった。家柄で決められた貴族としか出会ってこなかったヴァレリアにとって目の前の男性は衝撃の一言に尽きる。

 つまりは一目惚れだった。


「っすーー……、コホン。失礼しました。お見苦しいところを」

「いえ、お気になさらず」

「……その、大変顔立ちがよろしくて……驚いてしまって」

「褒められて悪い気はしませんが……あの、大丈夫ですか? 顔が赤いようですが」

「いえ、全然だいじょうぶです。大丈夫かもしれないですが平気ですっ」

「今しばらくはこちらに滞在の予定があるので、もしよければ日を改めた方がよろしいかと……」

「声もよくて顔も良くて気遣いできてしまう殿方……! 縁談とか玉の輿とかご興味ありませんか?」

「申し訳ありません、身を固める予定は今のところなくて……」

「で、では気が変わることもあるかもしれないということですか」

 グイグイ来る。淑女らしからぬ肉食系の素振りには相手も少し警戒を強めていることに気づき、ヴァレリアが手で口を押さえる。


「すいません、私ったら貴方のお名前も聞かずに……!」

「ああ、いえ。気持ちはわかります。正直、貴方のような姫騎士と出会えて些か心が昂っていますので抑えるのに精一杯です」

「はうっ……!」

「ですので、あまりお気になさらず。俺は「ファング・ブラッディ」。以後お見知りおきを」

「ファング。ファングさんですか……とても頼りになる響きですね。素敵です」

「ありがとうございます。それで、その。申し訳ありません、皆様を待たせてしまっているので、詳しい話は日を改めて」

「あ、はい! こちらこそ、お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした! それではファングさん、また近い内に」

「はい。それではまた」




 ──キリエ達がポックルに案内されたのはベヒモスの放牧場。そこでは三頭のベヒモスが珍しく荒れていた。普段はのんびりと過ごしているはずだが、どういうわけか急に暴れ出したという。

 本来ならば衛兵が出てくるべき事態だが、小城砦都市ルクセンハイドではそれも叶わないことだ。こうした外部のトラブルに対して脆弱な面があるのは魔族の土地ではよく見られる。


「うっひゃ~……あれ仕留められるかな」

「わ、私が援護しますので、ヘルガさんはいつもどおり突っ込んでもらって……」

「いやまぁ、アタシいっつも突っ込んでるけどもさ……」

「そちらは二人で仕留めてください。私はひとりで押さえますので」

 その言葉に、ポックルがギョッとしていた。

 成体のベヒモスは体重にして優に三千キログラム。非常に大柄な地上の草食動物であり、一頭当たりから取れる食肉の大きさは魔族の生活を支えてくれる。主な調理法は焼く、煮込むといったものだが部位によっては燻製や干し肉にして長旅のお供にもなる。


「そ、それは無茶が過ぎるのでは」

「問題ありません」

 放牧場を見やると、興奮状態のベヒモスが二頭。

 そこからやや離れて群れを威嚇する一頭がいた。

 キリエは目配せとハンドサインでヘルガとアズラに二頭を任せる。


「仕留めたやつってもらっていいわけ?」

「はい、もちろんです。腐らせてしまうのも勿体ないので。あぁ、少し値段崩して卸さないと……」

「よっし、そういうことなら俄然やる気出てきたァ!」

 ヘルガが腰に下げていた赤い斧を持ち、息を整えた。


 ──霊術。霊力を扱う際には、言を発することも重要になる。内に込めたものを発することでより明確な具現化が可能となるとされていた。

 それを“言霊”という。古来より、言語によって人々は繋がりを持ってきた。


「──“燃えろ”!」

 単純明快であればあるほどに、容易かつ素早く霊術は発動する。ヘルガもまた、そうした小難しいことは苦手な部類だ。

 真っ直ぐ行って、叩き切る。単純明快、シンプルであるが故に対策は容易。ならばそれより速く、強く切ればいいだけのこと。わかりやすい。


 アズラは左腕の籠手と一体化している特製のスリンガーを展開させる。

 黒鉄の石弩は「ストームスリンガー」。水と風の霊輝石を用いており、相乗効果によって破壊力だけでなく応用が利く逸品だ。


 キリエは黒剣を抜くことなく、無手で歩み寄っていく。ただ、昂ぶる身体の血を鎮めるように呼気を深く長く繰り返していた。


「アズラ! 後ろから当てないでくれよ!」

「あ、当てませんってば!」

 地面を踏み締め、ヘルガの周囲で陽炎が揺れる。

 土煙をあげてロケットスタート、一息にベヒモスまでの距離を詰める後ろ姿を見てアズラはストームスリンガーに「やじり」をセットしていた。

 頭突きを繰り返していた二頭のベヒモスがヘルガに視線を向ける。


「そぉ……、らっ!!」

 炎を巻きあげながら振り下ろしたバトルアックスがベヒモスの頭部に深々とめり込む。だが流石は最大級の草食動物、一撃必殺とまではいかなかった。

 絶叫と共にヘルガを振り払い、前脚で地面を掻くと頭部から流血しながらも血走った眼で睨みつけてくる。骨が覗き、しかし、鼻息荒く突進しようとする一頭の前脚目掛けてアズラが照準を合わせていた。


「──“はしれ”」

 霊力で編んだ弦から、鏃が放たれる。それは水の尾を引きながらヘルガを避けてベヒモスの脚に突き刺さり、遅れて水の軌跡が投げ縄のように脚を縛りつけた。自重を支え切れずに前のめりに転倒したベヒモスは哀れにも自らの体重によって首が折れて絶命する。

 残る一頭はそれを見て、まだ興奮状態が冷めやらぬのか嘶くと前脚で地面を強く叩いていた。その振動にヘルガは口端をつり上げる。


「いいねェ、ぶち上がるよ! やっぱこういうのがアタシ向きだ!」

 続く二頭目の眉間に鏃が突き刺さると、今度は水の尾が風船のように膨らんで頭部を包み込む。


「そのまま、頭を冷やしててくださいっ」

 草食動物ではあるが、水地でも活動する姿が目撃されるベヒモス。水中でも十分は潜水が可能なほどだが、酸欠を待つほどアズラは気が長くない。水の尾で首を絞めあげて行動不能に陥らせると、ヘルガが遠慮なく首を横から叩き切った。


「アーズーラー、せっかく盛り上がりそうな時に横槍入れないでくれよぉ」

「ご、ごめんなさい。でも、その、早く解決した方が良いかと思って……」

 ともあれ二頭を仕留めることは成功。

 残る一頭はキリエに向けてすでに突進している。


「逃げ、逃げてくださぁぁぁい!!」

 ポックルが思わず叫んでいるが、聞く耳を持たずにブラリと歩いていた。

 ヘルガもアズラも、すでに武器を収めている。

 体重三トンに及ぼうかという巨体の速度にして時速四十キロ。その突進攻撃だけで魔族は死に至る。止めようとするリビングアーマーを用意するのも一苦労だ。腕の良い猟師であれば急所を狙うことで素早く射止めるが、魔術の助けが必要となる。

 だがキリエは魔術師ではないし、成人女性ではあるがヘルガやアズラのように属性霊術の扱いに長けているわけでもない。


 突進してくるベヒモスの頭に向けて手を突き出すだけだった。

 あわや少女の体が巨獣の体躯によって跳ね飛ばされる──かに思われた、が。ポックルは目の前で起きる出来事に愕然とする。

 ベヒモスの巨体を、で押さえ込むキリエがそこにいた。

 わずかに後退りはしたものの、姿勢を崩してはいない。力任せに頭から地面に沈み込ませると、口腔から吐息をこぼす。


「──“黙れ”」

 キリエのそれは、単純明快に「波動」で圧をかけるというものだ。ただしそれは霊力による波を浴びせられるものであり、動物の鋭敏な感覚器官には絶大な恐怖を植えつけることとなる。

 抜け出そうとするベヒモスの体が跳ねると、糞尿を撒き散らして足を震わせてへたり込んだ。

 大きな目鼻から涙と鼻水を垂らす始末。抵抗の意思が失せたのを確かめてから、キリエは手を放す。


「制圧、終わりました」

「………………ひゃい」

 ポックルはあまりの気迫に、思わず失禁しそうになった。

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