第34話 ご馳走は定番の肉!


 ──「草葉の息吹」で集合したキリエ達は、ポックルの農場から心ばかりの謝礼としてベヒモスの肉料理が振る舞われることになった。

 ルートヴィヒは魔族の振る舞う料理に興味半分、怖さ半分といった具合だ。


「あの、これはあくまで噂なんですけれど。魔族の作る料理って……やっぱりこう、生首とかなんですかね……」

 本で読んだことがある、と真面目に言うルートヴィヒにヘルガが笑いを必死に堪えている。


「そういった料理を好む種族もいる、というだけで魔族全般がそういうわけではないですよ」

「そうなんですね! よかったぁ……」

 胸を撫で下ろす。

 すると、支配人ルドガーが食堂に姿を見せた。並べられているテーブル席はほぼ人間たちで埋まっている。木製の拵えに暖色系の灯りで安心感を覚える工夫がなされていた。

 青々とした新鮮なサラダ、舌と身体を温めるスープが並べられていき、それからベヒモスのステーキが鉄板の上でジュージューと音を立てながら油を跳ねさせる。


「お待たせいたしました。話は私の耳にも届いております。こちらはささやかながらお礼の品とのことです。お口に合えばよろしいのですが」

「お、おぉ……!」

 運ばれてきたステーキを見て感嘆の声を挙げるヘルガ。

 こんがりと焼けた表面に、分厚く切り分けられた肉の壁を滴る肉汁。臭い消しも兼ねた香草を散りばめたリブロースステーキには思わず喉を鳴らして唾を飲み込む。上から垂らされた見慣れないソースがますます弾ける音を立て、まるで食卓の音楽会場となる。それにはキリエも珍しく目を白黒させていた。


 何しろ魔族の土地でこれほどのご馳走に与れるなどとは露ほども思っていなかったのだから。それどころかここまで豪勢な食事を並べられる機会など滅多にない。貴族の食事の席に招かれたとしても早々ない。

 ヴァレリアなら慣れているだろうとちらと目を見やると──。


「ほへー」

 と口を開けて感心していた。ちょっと間抜け面だ。ルートヴィヒも目の前に並べられていく料理に戸惑っている。つまりは、それほどまでに豪華な食事の席。

 補給部隊の面々はすでに歓喜に打ち震えて黄色い声を挙げていた。赤葡萄酒は出せないが、麦酒であれば出せるとの話で盛り上がっている。

 きつね色に焼かれた麦パンも用意されて、支配人ルドガーが「どうぞ、召し上がってください」と手で指示していた。

 ナイフにフォークも完備。


「では、遠慮なく──いただきます」

 利き手を包み込むように手を組み合わせる。祈りにも似た所作から、キリエは分厚いステーキを小さく切り分けてまだ熱を持つ鉄板で焼き目をつけてから口に運ぶ。

 柔らかい肉は口で噛むたびにほぐれ、舌の上で凝縮された旨味が溢れ出す。見慣れないソースだったが、複雑に絡み合う濃厚な野菜の香りが味を引き立てる。


「ッ、~~~!! くぅ、う~~~!! うまぁい!!」

 ヘルガが思ったままに言葉に出していた。

 美味い。純粋に、美味い。ただただ、筆舌に尽くしがたい味の暴力になすすべなくひれ伏すばかり。アズラも口に入れて驚きのあまり固まってしまっている。

 ヴァレリアはさすが、食べ慣れている。というよりも食べるペースが早い。おい貴族それでいいのか。慎ましさやお淑やかさはどうした。ルートヴィヒは噛み切るのに一苦労しているが、それでもこの最高級品のリブロースステーキに舌鼓が止まらない様子だ。


「生きててよかった……!!」

「すいません、あの、もう一皿いただけませんか!」

「もう食べたのヴァレリア!? はっや! アタシも! アタシもください! ハグッ、あぐっ、もむっ!」

「へ、ヘルガさん……そんな、勢いよく食べて大丈夫……そうですね……」

 約二名ほど淑女の嗜みなど無視して食欲に負けているが、キリエは黙々と切り分けて口に運ぶ。


「……キリエ総長って、一口が小さくてかわいいですね」

「むごっ」

 ルートヴィヒの何気ない一言に咳き込みつつ。


 支配人ルドガーとホールスタッフが他の隊員達にも慌ただしく料理を運ぶ。ヘルガは四枚目のステーキを平らげ、ヴァレリアは五皿目に突入していた。

 ふと思い出したかのようにヴァレリアは口元を拭き、スタッフに手を挙げる。


「こちらの料理を手がけたコックをお呼びいただけますか? ぜひ直接お顔を拝見して感謝したいと思います」

「はい、少々お待ちを」


 スタッフが食堂から離れ、やがて厨房から現れたのは意外にも人間の男性だった。

 追加の料理を載せたトレーを器用に片手で持っている。

 髪が混入しないようにバンダナを巻き、袖を捲って厚手のエプロンまで着けて衛生面にも気を配っていた。

 しかし、その顔を見てステーキを切り分けていたキリエの手が止まる。──なお、これで三枚目である。


「お呼びですか──おや、これはまた奇遇ですね」

「ファングさん!?」

「おっと失礼。よければこちらもどうぞ」


 「草葉の息吹」厨房から現れたのは他でもなく、キリエ達が探している蒼髪紫眼の人間、ファング・ブラッディだった。




「いやぁ、驚いた。誰かと思えばヴァレリア嬢ではありませんか。どうもご機嫌よう。料理の方はいかがでしたか?」

「あっ、いえ、その! 大変美味しかったです! はい!」

「……あ、あの。もしかして……ローブをかぶってた方ですか……?」

「えぇ、まぁ。ここは日差しが暖かいですが風は少々肌寒いもので。それにほら、人間に対する目線って、どうしても否定的なものになりがちでしょう? どうも初めまして。ファング・ブラッディです。お見知りおきをー、とは思いましたが、気に留めていただくような者ではありません」

 支配人ルドガーにいくつか話をしてから、バンダナを外すと蒼髪が揺れる。それを横目で見たキリエが口元を拭うと立ち上がった。


「なにが目的ですか」

「これはまた単刀直入な」

 肩をすくめて見せるファングに、キリエは鋭い視線を向ける。ヴァレリアとしては気を悪くしたのではないかとハラハラしていたが、見たところ気にした風はない。


「私の顔に見覚えはありますか」

「ええ、まぁ。交易都市で、リョウゼン将軍の隣にいた親衛隊の方でしょう?」

「シュヴァルクロイツ親衛隊総長、キリエです」

「これはまたご丁寧にどうも。ではそちらの面々も?」

 ヘルガとアズラ、それから遅れてルートヴィヒが自己紹介をするとファングは軽く手を振った。


「立ち話もなんです、席をご一緒しても?」

「……かまいません。ヘルガの隣へ」

 キリエの指示に大人しく従い、ヘルガの右隣の席へ座る。さらにその隣はルートヴィヒが座っていた。会釈してから、ざっとテーブルの皿を見渡す。


「ご好評いただいたみたいで何より」

「すごく美味しかったです、今まで食べたことがないような味わいで、その、えっと!」

「姉様落ち着いてください」

 てんやわんやのヴァレリアはともかく、キリエも腰を落ち着かせる。この場から逃げ出そうと考えるほど馬鹿ではないはずだ。

 しかし、その逆に。


(この落ち着きようはなんだ?)

 少なくとも、今周りを固めているのは人間軍でも選りすぐりの精鋭達。にもかかわらず、ファングは隣のルートヴィヒに声をかけて談笑している。悪い食べ方を教えるな。


「このスープにパンを千切り入れて染み込ませて食うととても美味しい」

「い、いいんですかそのような食べ方をして……!?」

「ふふ、俺が許す」

「……! 美味しいです!」

 それを見ていたアズラが真似しようとしていたのでキリエが止めた。ヘルガは止めるのが間に合わなかった。


「貴方にいくつか質問があります」

「どうぞ」

「目的はなんですか」

「……目的、と言われても」

 はて。とぼけたようにファングは首をかしげる。


「どれのことです?」

「……交易都市に滞在していた理由は」

「理由。まぁ、強いて言うなら……商売柄?」

「……商人のようには見えませんが?」

「んまぁ、開拓者なもんで」

 変わり者が属することが多い開拓者という職業については、キリエ達もなんとも言えない顔をしていた。

 例えば──食べれば死ぬと言われているキノコを、どう調理すれば食べれるか。

 例えば──どう調理すべきかわからない野菜を、何を思ってか石灰岩と混ぜ合わせて食べてみる試みをしてみるとか。

 例えば──身体ひとつでどこまで山の頂に辿り着けるのか。等々。

 とにかくチャレンジャー精神溢れる奇人変人の集まりだ。一部の界隈では「ある意味勇者では?」とまで言われている。


「……まぁいいです。貴方の職業はわかりました。私達を尾行していた目的について答えてください」

「へ? 尾行?」

「……違ったんですか? 鎧通りで貴方を見ました。その後の露店街でも、貴方の姿を見かけたものなので」

「観光名所が限られているのですから偶々では?」

 それを言われてはキリエも言い返せない。顔を見る限り、尾行していたつもりなどなかったようだ。


「私の思い違いだったようです。申し訳ありません」

「いえ、お気になさらず。俺も気にしませんので」

「では何故この宿に?」

「何故って、そりゃあ……金払いが良かったので」

 “人当たり”も良いし、と付け加える。交易都市から離れてこの小城砦都市の方が身の丈にあっているらしく、露天商の魔族との交流もぼちぼち上向き。


「では、連れていた獣人は?」

「あぁ。あの子は、まぁ、交易都市で少し世話になったのでお礼にでもと」

 食堂の一角を指し示すと、隅っこの方でおとなしく食事にありついていた。

 ──話を聞いている限り特に不審な点は感じられない。ヴァレリアが落ち着きのない挙動をしているのは、なんとかお近づきになれないかときっかけを探しているからだった。

 キリエは少し考え込み、それから話を切り出す。


「ところで、私たちがこの宿に泊まるのを知っていたようですが」

「そう見えます?」

「ええ。

 違和感がないことそのものが、違和感の正体だ。

 魔族と人間というのは種族柄どうしても垣根を越えることがかなわない。それは人間からすれば魔族というのは、恐ろしいからだ。畏れている。

 自分たちを遥かに凌駕する寿命と、得体のしれない術を扱い、独自の形態と様式を築き、他種族間の交流も盛ん。それでいて良好な関係を築いているそこに、人間の入り込む余地など無い。短命種と長命種の圧倒的な時間間隔の差異がある。

 しかし、ファングは違った。ことがおかしいのだ。


「貴方は魔族を畏れていない。恐怖もなければ、隣人として対等の関係を築いている。それがどれほどの重罪か理解していない。仮に貴方が本当に開拓者だとして。貴方が本当に頭がどうかしている人間だとしても、それでも人間の領分というものは弁えているものだ」

「…………」

「先程も述べた通り。単刀直入に聞きます──貴方の目的は?」

 二言を許さぬ宣言に、ファングはこれまた頬をかいて困った顔をしている。


「目的。目的ねぇ……言わなかったら?」

「斬ります」

「そっすか」

 自分の命が天秤にかけられているというのに、鼻で笑って肩をすくめる姿にキリエは黒剣を抜刀した。


「コレを見てまだ冗談だと笑っていられるなら大したものだ」

 ファングはテーブルに頬杖をついて、剣の切っ先を注視している。

 漆黒の刀身は黒い十字架という印象を受けた。しかし、それを見ても微塵も恐怖の色はない。

 ただ、目の前の出来事を鼻で笑って流している。


「アンタは俺と同じだと思ったんだが、違うらしい」

「……どういう意味だ?」

「いやぁ、なに」


 つい、と。黒剣の切っ先に人差し指を当ててファングは口角を上げた。

 紫色の“魔眼”を細めて。


「人間、一度や二度。死にかけると頭がどうかするんだが──アンタは違うのか?」

 刹那。

 黒剣が動く、よりも先に雷光が奔った。

 キリエの剣を止めたのは、事の成り行きを見守っていたヴァレリア。


「キリエ総長。いい加減にしてください」

「離してください、ヴァレリア副官」

「貴方が剣を下ろすのが先です。譲りません」

「こんな男にかける情などありません」

「それでも我々は人間を斬るためにこの場に居合わせたわけではないはずです」

 黒剣を引き抜こうとするが、ビクともしない。目を凝らすと、ヴァレリアの手から霊力の波が揺れていた。


「違いますか、シュヴァルクロイツ親衛隊キリエ総長」

「……いいえ、違いませんね。クレスト親衛隊ヴァレリア・ボルトザック副長」

 キリエが剣を収めると、静かに腰を下ろす。

 その光景に胸を撫で下ろしたのはヘルガたちだった。

 それと入れ替わりで立ち上がるファングは、何事もなかったかのように気楽にかまえている。


「ファングさん。お見苦しいところをお見せしました、キリエ総長に代わって謝罪させてください」

「いやいや、お気になさらず。実際俺はこうして無傷なわけですし、貴方が頭を下げることはないでしょう」

 そうだ、と手を叩く。


「口直しがてら。なにか甘いものでも用意しましょう。こう見えて、食にはちょっとしたこだわりがあるもので。少々お待ちを~」

 ひらひらと軽く手を振って、ファングは食堂を後にする。

 ──キリエにはそれがかえって不気味で仕方がなかった。

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