第31話 交易都市近郊、小城砦都市ルクセンハイドにて


 ──前線拠点を出てから三日。キリエたちはのどかな草原を眺めながら順調に交易都市に向かっていた。

 魔族との衝突もなく、魔物からの襲撃もない。静かな旅路は気分転換にはちょうどよかったのか、ヘルガとアズラは改めて広大な土地に関心を寄せていた。なぜかは知らないがヴァレリアもすっかり入り浸っている。


「ねー見て見てアレ! めっちゃでかい牛!」

「うわデッカ! 何人分になるかなアレ!」

 意気投合したヘルガとヴァレリアが集落営農の放牧地で自由気ままに過ごす巨大な牛を見てはしゃいでいた。

 キリエは外の景色に一切興味を示さず、道中の時間をほとんど「半跏趺坐はんかふざ」で精神鍛錬に費やしている。決して居眠りをしているわけではない。


「あ、あの……ヴァレリア、副長? えっと、ルートヴィヒくんは、ひとりにして大丈夫……なんですか?」

「うん? 平気平気。むしろ男所帯で落ち着かなくって。私が」

「は、はぁ……そうですか……」

「お。見えてきた」

 車窓から身を乗り出したヘルガが見つめる先、小高い煉瓦の城壁が見えてきた。その手前の関門には街道沿いに櫓が建てられている。

 交易都市の周辺地域は近郊農業地帯。特に北西部は首都スレイベンブルグに出荷するための農業だけでなく畜産業も行われていた。その地域の損失は交易都市そのものの食料問題に直結する。


 近郊農業都市ルクセンハイド。周辺を見下ろせる小高い丘に建てられた都市は、吹き下ろす山風の冷たさはあるものの日差しそのものは暖かい。

 都市を覆う形で建てられた城壁の尖塔は主にサイロとして活用されていた。中は飼葉の保管庫となっており、これは主に魔族の食肉牛として飼育されるベヒモスの食料として使われる。

 ずんぐりと大きな身体。太い足をのんびりと動かして放牧地で気ままに過ごしているベヒモスだが、その巨躯を活かした突進で年間数人の死者を出している。とはいえ基本はのんびりとした気性の魔物。特に北方方面のベヒモスは寒冷地に対応してか脂肪が他の品種に比べて多く、柔らかな味わいが特徴。


「キリエ、そろそろ着くよ」

「……わかっています。今日はルクセンハイドで馬を休めましょう」

 ヘルガの呼びかけに、キリエも瞑想を中断した。




 自分たちがあまり歓迎されない、というのはキリエを含めた全員が覚悟の上だった。人間不信に陥っている魔族からの目は疑念に満ちており、しかしそれでも命惜しさに無碍に扱うような真似はしない。素っ気ない態度ではあるが、衛兵はキリエ達の滞在を許した。

 この小さな城砦都市に戦力と呼べるものは治安維持のための衛兵ぐらいだ。隣の大都市に比べればかわいいものである。とはいえ警備員は必要だ。

 石造の魔物、ガーゴイルと生きた甲冑騎士、リビングアーマーがそこかしこに立ち尽くしているのはそうした理由からだ。物々しさよりも一種の芸術性すら感じる統一感に、副官ヴァレリアは興味津々。


「ほえー」

 好奇心旺盛。じゃじゃ馬、淑女らしからぬ溌剌さ。快活な乙女は貴族の品格たるお淑やかとは無縁な様子で目につく魔族の文化に飛びついていた。

 ボルトザック家、第四子の長姉。孫の代では唯一の華。レオブレドの喜びようはそれこそ有頂天とばかりに舞い上がったものだ。あれこれと何かと溺愛されてきたからか、他の淑女たちに比べてじゃじゃ馬なところはあるが、そこがまたかわいいとさえ言われている。


 大都市近郊というだけあって交易都市を目指す者にはありがたい宿泊先だ。ここから遠方に望む交易都市を眺めながら一泊、休めた身体に期待を胸で膨らませながら急かす旅足を落ち着かせる。

 宿を探す一行を見て、おずおずと声をかけてくる魔族がいた。小柄な体に不釣り合いなほど大きな尻尾、リスの獣人はまん丸い耳を落ち着かない様子で動かしながら封筒を差し出した。


「……これは?」

「ひ、はい……あの、こちらは、宿の紹介状です。是非ご利用ください」

 キリエの不審な目つきに、今にも泣き出しそうになりながらもリスの獣人はしきりに頭を下げて離れていく。


「へぇ、気が利くじゃん。宿の紹介状なんて」

「…………」

「キリエ総長?」

「……いえ、なんでも。詳しくは宿で話します」

 封蝋のされた紹介状を持ってキリエ達が向かったのは、馬宿が併設された宿泊施設。その窓口には馬面の魔族が立っていた。

 渡された紹介状を手渡すと、しきりに頷いてからキリエ達に目を向ける。


「シュヴァルクロイツ親衛隊の皆様方ですね。それとそちらは……クレスト親衛隊の方ですか。当宿では馬車の預かりも行っております。荷車の点検整備の方も、本来は別料金ですが今回は紹介状の御案内により無料で提供させていただきます」

「やったっ、至れり尽せり」

「ちょっと姉様、はしたないですよ」

「申し遅れました。私、当宿「草葉の息吹」支配人、ルドガーと申します。本日はご利用いただきありがとうございます」

 深々と頭を下げるルドガーの懇切丁寧な対応と姿勢は、人間も魔族も分け隔てなく接するための心意気が感じられた。

 宿は厩舎と荷車の整備工場が併設されており、放牧場も裏口から解放されている。なにせ馬車は移動の要。ましてや馬車馬にとっては重労働の長旅。ともすれば誠心誠意、心を尽くして労い、労るのが良好な関係の秘訣。

 宿の説明を聞き、ルドガーが人数を確かめてから幾つかの部屋の鍵を渡す。


「部屋割りどうしよっか? 私は別にルートヴィヒと一緒でもいいけど」

「いっそアタシらの部屋に彼もいれる?」

「い、いえそんな恐れ多いことできません! 僕は別部屋で結構ですから、姉様はキリエ総長達と同室で楽しんでください!」

 顔を赤くして断るルートヴィヒを横目に、キリエはルドガーに尋ねる。


「すいません、ひとつ質問があります」

「なんでしょう?」

「その紹介状の差出人は、どちらから」

「申し訳ありません。個人情報となりますので、控えさせていただきます」

「……まるで私達がルクセンハイドで泊まるのを知っていたかのようでしたので」

「こちらの紹介状を疑うのはお客様のご自由です。しかしながら、当宿としては誠意を尽くすだけです」

 なにか不満な点があればお申し付けください、とルドガーは再び頭を深く下げる。

 ──キリエはこの支配人が嘘をついてないと判断した。彼はただ、差出人不明の紹介状の案内に従って客人をもてなしている。

 紹介状の封蝋。その印は絡みつく蛇。つまり交易都市の大富豪エキドナの手がかかっていた。


(なぜ今になって)

 人間軍に対し、敵意を抱くでもなければ好意を抱くわけでもない。中立的な立場を保ち、かつ波風立たぬようにとそれらしい“通行税”を設けていた。

 それが今、自分たちの宿を手配したともなれば、なにか情勢に動きがあったと見てもいい。

 険しい表情のキリエの背中を、ヘルガが叩く。


「まぁいいじゃんか、キリエ。せっかくの機会、食事の時間まで観光していこうよ」

「そ、そうです……よ? ずっと戦ってばかりでしたし……息抜きも大事、ですっ」

「……そこまで言うなら止めません。二人の自由行動を認めます。いいですか、ヴァレリア副官」

「あ、今は私が副官だったっけ。はーい、許可しまーす」

 ゆるい。


「……クローディアみたいなことを言いますね」

「噂の天才剣士さん? あの人も中々ゆるい感じで私勝手に親近感覚えてるんですよねー」

 厩舎が併設されているだけでなく整備工場も兼ねているだけあり、隊商を丸ごと抱え込めるほどの大型宿泊施設は混合親衛隊の補給部隊を全員泊めてもまだ部屋に余りがあった。ほとんど貸切のような状態だ。しかし、キリエはどうしてもその不信感が拭えずにいるのか難しい表情をしている。


「あの、キリエ総長」

「なんですか、ルートヴィヒ」

「気にかかることがあるのなら、街の巡回業務も兼ねて姉様たちと一緒に行動するのはどうでしょうか。僕は宿の方に色々と聞いてみたいことがあるので」

 自分よりも年下の新鋭騎士にまで気を遣われては、キリエも断れなかった。

 何よりもその提案は、理に適っている。

 ──もっとも、気分転換と言えるほど気乗りはしないが。

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