第28話 シュヴァルクロイツ親衛隊総長の変わらぬ一日


 前線拠点の兵士達は酒宴の話に浮足立っているのがわかる。

 キリエはそれを横目に、真っ直ぐに兵舎へ向かっていた。


「なぁ、キリエ」

「なんですか、ヘルガ」

「……宴の席には出ちゃダメか?」

「明日の任務に支障をきたさない程度であれば、各自の判断に任せます」

 なにもキリエだってそこまで鬼ではない。レオブレド大将軍がせっかく開く酒宴、自分はともかくシュヴァルクロイツ親衛隊も息抜きを挟みたくもなる。


「じゃあ、私は好きに飲ませてもらおっかなー」

「あ、クローディア! ズリぃぞお前!」

「んふふー、ヘルガちゃんは明日の任務があるから程々にね」

 仲睦まじい様子で宴の用意が着々と進む広場へ消えていく二人を見送り、キリエは残っているシュヴァルクロイツ親衛隊に目を向けた。

 他に酒宴の席に向かう者はいないことを確認してから、再び兵舎へ向かう足取りを進める。




 ──シュヴァルクロイツ親衛隊にあてがわれた兵舎のタープをくぐり、簡素な居住空間でキリエはようやく気を緩めて剣を立てかけた。

 防寒性を高めるためか、通常のテントよりも多めにタープを重ねているだけでなく床に板材を敷かれている。ちょっとした個室を照らすには小型のランタンがひとつあれば十分だった。

 丸めた藁束をマットレス代わりに木枠に敷き詰めて布を被せた簡易ベッドに腰を下ろすと、香草が僅かに香る。


 人間軍の設備は、この十数年で大きく進歩を遂げた。

 リョウゼン将軍の持つ知識の数々は見聞きしたことのない、これまでの“勇士”達とは全く異なる価値観だった。それに目をつけたのが軍を預かるレオブレド大将軍。

 このテントにしたってそうだ。兵士の精神的疲労を和らげるために、わざわざベッドまで用意している。硬い地面に敷かれた寝袋よりもずっと安眠効果があった。


(……ああ、そうだ)

 キリエはベッドに腰掛けたまま鎧を脱ぎ始める。

 シュヴァルクロイツ親衛隊の装備もまた、レオブレドの特注品だ。他に類を見ない黒鉄の鎧は見た目以上に重く頑丈だ。

 金に糸目をつけず多額の出資を惜しまない逸品は、リョウゼンが人間軍最高司令官であることも起因している。

 ──かの英雄が引き連れる戦乙女達が貧相な装備では示しがつかない、と。


 黒鉄の鎧にしてもそうだ。リョウゼンの着用している装備が黒い鉄のような素材で出来ていることから、それに色を合わせて統一感を出している。衣類の統一は、団結力の増加が見込める一方で識別情報の可視化にも一役買っていた。

 とかく戦争は金がかかる。莫大な資金力による衝突だ。その費用を抑えられるものならば抑えて、最小限の投資で最高の結果を残したい。後の統治のことも考えて。


 ガントレットを外し、サーコートを押さえている革のベルトを緩める。それから喉を守る顎当のロックを外すと、肩が軽くなった。それを下ろしてから、肩当てを外すとサーコートとマントが一緒に外れる。

 それらを律儀に木製のローテーブルに置いてから、ブレストプレートを脱ぐ。シュヴァルクロイツ親衛隊の装備の中でも胸鎧は新調の機会が多い。それ自体は良いことではあるのだが、キリエは煩わしくてたまらなかった。

 前垂れの付いた腰当、それからすね当てを外す。

 身体が鎧の重みから解放されて、それから軽い柔軟体操で血の巡りを促した。

 シュヴァルクロイツ親衛隊の装備は「ヴァルキリー・コート」と呼ばれている。

 曰く、我らを勝利に導く戦乙女の鎧──とのゲン担ぎだ。誰が言い出したものかは知らないし興味もなかったが。

 その下に着用する衣類は特に指定されておらず、各自の趣味嗜好がよく出ていた。


 キリエは流行の服や、化粧道具に一切興味を示さない。ただ自分が動きやすい服装や格好を好む。場合によっては男物の衣類に手を出すこともしばしばある。そのせいか彼女に対して色目を使う男は皆無だった。

 ハイネックシャツにズボン、それがキリエの普段着。

 色恋沙汰にも一切の関心を示さず、他人に興味も示さず、だが同じ境遇の仲間とだけ心を通わせる姿は非常に扱いにくい異端児だった。

 表情の変化にも乏しく、常に他人を寄せ付けない剣呑な空気を崩さない。そのせいか立っているだけで場の空気が張り詰めることもしばしばある。

 そんな自分が、わざわざ宴の席で空気を悪くすることもない。そうした気遣いをするだけの社交性程度持ち合わせている。

 だからこうして人との関わり合いを避けていた。


 自分の顔の傷痕を指でなぞる。

 ──顔だけではない。服の下にも消えない傷痕は刻まれている。

 暗い感情が自分の中から沸き上がるのを感じ取り、すぐに思考を切り替えて精神鍛錬を始めることにした。

 一人の時間を確保できると、決まって自己鍛錬に費やしている。その生活ルーティンは自分の身がどこに置かれていたとしても変わらない。


 立てかけた黒剣を手にして、ベッドの上で「結跏趺坐けっかふざ」を組む。

 左足を右の股の上に乗せ、それから右足を左の股の上に乗せる。踵が自分の下腹部に触れる程度まで寄せてから、その上に鞘を寝かせ、手を添えて瞑想。


 「霊力」とは、人間の魂に宿るものだ。それを制御するためには強靭な精神力を要する。ならばその強靭な精神力とは、どう宿すのか。

 不変、不撓、不屈。

 いわゆる「信念」というものだ。或いは「誓約」と言ってもいい。それを自らに課すことで「霊術」は威力を増す。

 有り体に言えば「神への誓い」だ。

 その源となる「霊素」は生命あるものには必ず宿る。動物であれ、魔物であれ、何であれ。だから石像や鎧に命を与えられたガーゴイルやリビングアーマーは手強い。


 ならば、霊術とはなにか。

 一般的には、霊力を用いた術の総称を指す。

 霊力を身体に張り巡らせる「強化」。

 霊力を放つ「波動」。

 霊力で身を守る「防護」。

 基礎中の基礎として学ぶものはこの三つだ。

 属性に依らないこれらは、人間軍の基礎訓練に必ず含まれる。騎士学校卒業試験の必須課題だ。


 属性霊術の修得ともなれば、そこからさらに難易度が高くなる。

 五大霊素、炎・風・水・雷・土──氷属性は本来風霊術に含まれる。バランスの問題だ。そのため純粋な氷霊術は希少価値が非常に高く、アイレス将軍は前任の風霊術の五天将から席を譲渡されている。

 「炎」の五天将、人呼んで【緋炎片翼】のフェレン・ファルツ将軍。

 「水」の五天将、人呼んで【鏡花水藍月】のクォーク・ウォンドラ将軍。

 「土」の五天将、人呼んで【常磐不変】のアレクサンドル・アイガルシラド。

 「雷」の五天将、レオブレド大将軍は何度かその冠名を変えられている。今でこそ【雷鳴獅子】と呼ばれてこそいるが、かつては【千刃万雷の大獅子】と呼ばれ、恐れられていた。

 「氷」の五天将、人呼んで【冰霏氷槍】のアイレス将軍は生粋の人嫌いで知られている。そのため兵士を有さず、単独行動を常としていた。それが許されるだけの制圧力と戦果を挙げているため特例だ。


 属性霊術を修得するには、まず適性試験を受けなければならない。望む属性でなければ修学を辞退することも可能だが、近衛騎士を目指すのであれば適性試験に従うのがベストだ。


 ──キリエは、適性試験を受けても結果が出なかった。

 王宮霊媒師の水晶に何も映らなかったのだ。

 あの凄惨な災害唯一の生き残りである彼女に突きつけられた残酷な現実と言える。

 しかし、それに落胆の色ひとつ見せずに当然の結果と受け止めたキリエは変わらず鍛錬に打ち込んだ。


 詰まるところ、属性に依らずとも斬れるものは斬れる。そう結論づけていた。

 【忌術士】リョウゼン・R・グランバイツ将軍のシュヴァルクロイツ親衛隊総長を務めているのだから、他になにもいらない。

 欲しいのは力だけ。

 必要なのは力だけ。

 他には何もいらない。

 ──私から全てを奪ったあの竜に、断罪の刃を突き立てられるのなら悪魔に魂を売ってもいい。


「……────」

 あぁ、いけない。瞑想の途中だというのに、邪念が自分の心の底で燻っている。それを鎮めるための気休めに、呼吸を深くした。

 六秒息を吸い込み、同じ時間をかけて吐き出す。呼気を制御することで精神を安定させる。これもリョウゼン様より教えられたこと。

 部屋の薄寒さが肌に心地よい。

 再び穏やかさを取り戻した精神の内側に目を向けて、静かに呼吸を整える。


 ──肉体の鍛錬には限度がある。男女の体格差は年齢を重ねるごとに広くなるし、その上限も異なる。だが精神性の強度には優劣が存在しない。

 女性は霊術の扱いに長けている。肉体のアドバンテージをものともしない程に。

 だからといって男性が劣っているわけではない。いかに肉体が優れていれども、中身が伴ってなければ“虚仮威し”でしかない。張子の虎だ。

 身分相応の鍛錬を。人間軍の鉄則でもある。

 身の丈にあった生き方を選んでいるつもりだ。

 少なくともキリエはそう思っている。

 人類最強の勇士と共に戦場を駆ける戦乙女として。




 キリエが目を開けると、テントの外からは朝日が差し込んできていた。

 夜通し精神鍛錬に費やしたが、疲労感はない。むしろ楽なほどだ。

 ベッドから降りると凝り固まった身体をほぐし、大きく伸びをして肺の空気を入れ替える。


(……もう朝か)

 首都スレイベンブルグの天候にしては珍しく分厚い灰色の雲から陽の光が差し込んできていた。絶好の日和だ。それでも肌寒い気温は変わらず、キリエはサーコートを羽織るとテントを出る。

 昨夜の宴会は大盛況で終わったのか、前線拠点の広場はまるで食糧庫をひっくり返したかのような状態。

 それを片付ける補給部隊の黄色い紀章に混じって、まだあどけなさの残るクレスト親衛隊の顔があった。

 ルートヴィヒ・ボルトザックだ。騎士学校卒業後間もなくして親衛隊に編入されているが、経験が浅いことから補給任務や輸送部隊の護衛を主にしている末っ子はみなから可愛がられている。

 十代半ばほどの子獅子は懸命に食器を片付けていた。残飯を袋に詰め、空になった食器を重ねて炊事当番に渡している。よく目を凝らせば、わずかにだが身体に蒼雷を纏っていた。どうやらそれで作業速度を上げているらしい。

 キリエに気づくと、ルートヴィヒは爽やかな笑顔を浮かべながら駆け寄ってきた。


「おはようございますっ、キリエ総長」

「はい。おはようございます」

「朝食でしたら、ええと……もう少し待っててください。すぐ片付けますので」

「大丈夫です、おかまいなく。湯浴み場の方は空いてますか?」

「清掃でしたら終わっていますので、ぜひご利用ください。それで、朝食はどうされますか?」

「あとでいただきます。それと、今日からよろしくお願いしますね」

「はい、よろしくお願いします」

 礼儀正しく、深々と頭を下げるルートヴィヒに会釈してからキリエは湯浴み場へ向かう。

 ……その途中、背中を預け合うようにして眠りこけるヘルガとクローディアを見つけて叩き起こした。

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