第25話 交易都市奪還計画、成就
──あれからどれほど眠っていたのか。
自分の身体の感覚が戻ってくるなり、リヴレットは寒さに身体を震わせた。
全身の痛みに顔をしかめながらも、周囲を見渡す。魔石灯籠によって照らされた屋内は薄暗く見辛かった。ぼんやりとした輪郭にまばたきを繰り返すと、ようやく視界が鮮明に広がる。
「……ここは?」
「おお、リヴレット。我が友よ、気がついたのか」
「ヴィンフリート……? 無事……とは言いがたいが、お互い生きているようだな」
「そうらしい」
向かいの牢屋の中に、見覚えのある夜鬼族。
最後の記憶を思い出そうとするが、頭が酷く痛んだ。しかしその鮮明な痛みによって自分の状態が芳しくないことだけは理解する。
ヴィンフリートを見れば、特に手足に枷をはめられている風でもない。ただ牢屋に入れられていた。その気になればいつでも脱走を企てることはできただろう。
「ここは……」
「大時計城の地下牢だ。我々は幽閉されている」
「あれから何日が経った? 他のみんなは?」
「すまないが私も把握していない。力及ばず、申し訳なく感じているよ」
「いや、責めているわけでは……。外の状況は?」
リヴレットの言葉に、ヴィンフリートは首を横に振った。否定の意思に肩を落とすも、再び仰向けになる。そこでふと、自分の手に目を向けた。
あの時“白光”の位階に到達したのは保有霊力以上の出力が出ていたからだ。当然その代償もある。虚脱感以外にも、身体の感覚が麻痺していた。
それで気が付かなかったが、手に火傷を負っていたらしい。
しっかりと身体に巻かれた包帯を見て、ヴィンフリートに尋ねるように目を向ければ、同じように手当てされていた。
「君の剣と鎧もそこにある」
言われて気づいたが、壁に立てかけるように白塗りの鞘と籠手が置かれている。霊輝石のはめ込まれた脚甲も。
そのことに胸を撫で下ろしていると、ようやく生の実感が湧いてきた。それと同時に胸に暗くのし掛かる敗北の重責に深く息を吐き出す。
──止められなかった。
無力感に身体を投げ出していると、鍵を開ける音が遠くから聞こえる。それから足音。相手はどうやら一人のようだ。だがなんとなく、二人は誰が来たのか察している。そしてそれは予想通りだった。
「よっ。お二人さん、お目覚めのようで」
「……ファング・ブラッディ」
「そう警戒しなくてもいい。戦いに来たわけじゃないんだからな。それに怪我治ってないんだろ、もうちょい寝てろ」
今は黒い外套を着ておらず、仮面も付けていない。現地民らしい格好をしている。
態勢を整えようとしたリヴレットが身体の痛みにうめき声をあげていた。
「ひとつ、謝ることがあるとしたら。ファング・ブラッディという名前は偽名だ」
改めて自分の名をマスター・ハーベルグと名乗ると、ヴィンフリートは頷く。
「ならば今後は君をそう呼ぼう。ところで、状況を整理したいのだが」
「俺もそのつもりで来たんだ」
──交易都市の大暴動から三日。ファング、もといマスターは都市内の人間軍がほぼ全滅したことを確認していた。
大時計城のフロッグマン夫人の説得、交易都市の運営計画の見通しを立てて、その話し合いがまとまったところだ。もちろんそこにはマスターも同席している。
あとは熱に浮かされた市民の扇動。冷めやらぬ興奮のうちに演説をぶちあげてマスターはうまい具合に新たな魔王政権を示唆した。
残りはミレアたち魔王軍残党の到着を待つばかりだ。
「……私の他に、誰か生き残りは」
「さぁ?」
「君は自分が──! ……、いや。理解しているん、だったな……」
自分がどれほどの大罪を犯しているのか正しく把握して理解したそのうえで、マスターは「知ったことではない」と首を傾げている。
あくまでも魔族の政権復興のために彼は尽力しているに過ぎない。
人間ではあるが、人類の味方ではないのだ。
リヴレットは怒りを呑み込む。だが、やるせなさが胸中にあった。
熱くなる目頭を手で覆う。
「……誰もが今の状況を望んだわけではない」
「知ってる」
「……魔王政権の復興だと言うのなら、それでいい。新たな指導者の下で魔族が団結すれば良い」
「そうだな。そうはならなかった。それを望まない奴が人間の指導者だった。違うか、リヴレット」
「…………」
「俺は、この世界の人類がどんな暮らしをしていて、どんな習慣があって、どんな宗教観があるのか知らない。だから魔族側からしか人間を見ることしかできない」
リヴレットはそこで、マスターを盗み見た。
特に悲観にくれるわけでもなく、作戦の成果を喜ぶでもなく、なんの感慨も湧いていないようでもある。
何も持たず、身体ひとつで見知らぬ世界に放り出されて、自分に何ができて、何をするべきなのか。目的のための行動を一貫している。
果たして同じようにできるだろうか。
リヴレットは考えた。恐らく自分には無理だろうと。
「その俺が。人間の姿形をしていたところで、人類の味方だとは限らないだろう?」
「……人を殺すことに罪悪感は感じないのか?」
「元の世界には面白い諺があってな。「賢者でも死は訪れる」。これは、どんな天才であろうといつか死ぬって意味だ。当たり前だけどな、生半可に人間ってのは賢い。賢いから自分は死なないと思い込む。いつまでも自分は生きているんだと世界を観て生きる。そんなはずはないのにな」
人はいつか死ぬ。自明の理。それをしばし、人は忘れる時がある。
「いつ死ぬのかわかれば、この世に不幸な死なんかねぇのにな。それが、たまたま、今日明日。“事故”に遭っただけの話だ。罪悪感なんてもの、どっかに忘れてきた」
依頼屋は国際テロ組織だ。
彼らには名前も手柄も功績も何もかも残さない。歴史にもその名前を残してやらない。話すべきこともない。だからこそ“事故”で処理される。
マスターはそういうものだと学んだ。
自分のコレは、事故なのだと。災害のようなものだからと。
「大切な人だったんだろ。レオン長官」
「……私の父の、親友だった御方だ」
「家族ぐるみの付き合いか。良い腕してたよ」
「……騎士学校に進路を決めた時、あの人は一度は止めてくれた。危険な道を選ぶことはない、と。それでも私は、雷鳴騎士だった父の死を暴くためには同じ道を歩むしかないと思ったんだ」
シュバルスタッド家の跡取りとして、本来ならもっと安全な生き方が選べた。だがそれでも、母を説得し、弟と妹に家を預けることで歩んだ道に後悔はない。
リヴレットの話に、マスターとヴィンフリートは静かに耳を傾けていた。
「レオブレド大将軍閣下も、父の友人の一人だった」
「顔広いな親父さん」
「それは驚きだ」
「いや、まぁ、私の家は……元は商家だったからな。その繋がりからなんだ」
王家へ納める財宝を運ぶ行商が賊に襲われ、雷鳴騎士となる前の父ベルモンド・シュバルスタッドは死に物狂いで抵抗した。そこへ駆けつけたのが、当時【百剣長】だったレオブレド。
賊に襲われ、立て続けに魔物に襲われ、それでも王都へ無事に財宝を届けた二人は、いつしか酒を酌み交わすほどの仲になった。
かたや軍を財力に物を言わせて鍛え上げるだけでなく、兵站に装備の支給、果ては自らも最前線へ赴き戦果を挙げ続ける百獣の長。
その男が目にかける家が平凡のままでいられるはずもなく、自衛の術と学んだ王国騎士剣術と霊術は頭角を表していく。いつしかベルモンドは、雷鳴騎士の代表者として数えられるほどの人材となっていた。
「……親父さんの死因は?」
「──わからない。ただ、レオン長官は……父が亡くなった、と。形見の剣を届けて泣いていたんだ」
そういった事は少なくない。行商の護衛で賊にやられる者、魔物の餌食となるだけでなく不慮の事故で不運な死を遂げる者たち。しかし、リヴレットはどうしても腑に落ちなかったのだ。
ベルモンドは、思い出したように物事に臆病になる。慎重になるクセがあった。それは商家だった頃から変わらない。物事が最初に決めた予定通りに進むとは限らないことを知っていた、だからどこかで必ず一度立ち止まって、もう一度予定を組み直してから進めていた。
そんな慎重な人物が、死因も定かではなく亡くなるだろうか。
「だから私は確かめたい。父の死の真相を。それまで死ぬわけにはいかないんだ」
「リヴレット……そうだったのか。ならば君の友として、私の方でも調べてみるよ。なに、私も君の父君ほどではないが顔が広い家柄だ。名前の方が知られているかもしれないがね。なにか困った時は私の名を出すといい」
「なら遠慮なく今後使わせてもらうわ」
「マスター、君はダメだ。悪用しかねない」
「なんでぇケチんぼ」
初めてヴィンフリートの口から否定的な言葉が出てきたことに、思わずリヴレットが笑みをこぼした。
身体は痛む。心の中ではまだ納得がいっていない。マスターのやったことに対して許せそうになかった。だが、生きている。
レオン長官は理解していたはずだ。いつかこうなる日が来ることを。
──自分の足で進むべき道は常にひとつしか選べない。立ち止まってもいい。だけど、決してそこで終わってはならないと教えられた。
今はまだ難しいかもしれないけれど、少しずつでも前に進めたらと思う。
「マスター。私達はどうなる」
「んー? 別にどうも。邪魔立てするなら斬るし、しなけりゃ知らん。ま、それはあくまで俺の判断だ。アンタ等の処遇は姫様次第だな」
それまではこの地下牢暮らしだ。
だが。それは長くは続かなかった。
交易都市の大暴動から四日目の昼。
ミレア率いる魔王軍残党が南西部の城門から姿を現したことで交易都市は大いに賑わっていた。
ガーゴイル達が修繕工事のために瓦礫の撤去などを行っている北東部の大広間を避けて、大時計城を訪ねたミレア達を慌ててマスターが迎える。
「もう少し状況が安定したら文を出そうと思っていたんだが、早かったな。どうやってこっちの異変を察知したんだ?」
「わたし」
険しい表情のミレアの隣。ルミナリエが挙手していた。
「ぶい」
真顔ダブルピース。ミレアの反対側でアーシュは丸眼鏡を押し上げる。
「言っただろう。ルミアは竜脈を感知できる、と。領主であるトードウィック様が亡くなられたことを知って居ても立ってもいられず集落を飛び出してきたんだ」
「……もしかして主要都市の領主って竜脈で感知されてる?」
マスターの質問に、アーシュが頷いた。
それは完全に計算外だったことに内心毒づく。ちらりと視線をミレアの後ろに向けるとそこにはメリフィリアとラルフが並んでいた。
「……事の顛末は、メリフィリアさんから聞きました」
「……で?」
反省の色が欠片も見られないマスターに向けて、ミレアが平手打ちをすると小気味よい音が響く。
気丈に振る舞ってはいるが、目に涙を溜めている。
「──貴方は、最低の人間ですッ!!」
無辜の民を争いに利用しただけでなく、領主の死すらも利用した。トードウィックが魔王の忠臣であることを知った其の上で。
マスターは叩かれた頬のじわりと鈍い痛みに、やはり、鼻で笑っていた。
「自分じゃなにもしないくせに他人任せで、いざ思い通りにならなけりゃ手を出すのか。大したわがままぶりだよ、お姫様。気に入らねぇな、そんで気に食わねぇ。俺のやり方はこうだ。コレ以外の方法が思いつかなかった。なのにこの仕打ちときたもんだ。さて。ならどうすりゃよかったんだ?」
「なにか、もっと他に方法が──」
「あったさ。俺が人間軍をひとり残らず殺して回るって方法がな。だがそれが、魔族のためになるか?」
それは面白くない。
それは結果が見えているから面白くない。
だからやりたくない。
自分だけがズルをして勝っても面白くない。
「俺がひとりで全部片付けりゃ、それで何事もなく万事解決になるか? なるならそう命令すればいい」
「それは!」
「その後で。魔族達がアンタを支持するっていうなら俺も一考の余地がある」
今度はミレアが叩かれたように言葉を詰まらせる。
自分が誰で、何者で。どういう立場で、どういう動きをすればいいのか。それをすべて考慮した上でマスターはこの策を採った。
手柄も、地位も、名誉も。何もかもいらない。ただしその代わり──。
「逃げ回って、後からしゃしゃり出てきたお姫様がおめでたい言葉を並べ立てて魔族の政権復興ができるってのか? 馬鹿も休み休み言ってくれ。俺は魔族を救う英雄になんかなりたかねぇんだ。だから。テメェ等でやってくれって話をしてるんだ」
「……それは……ですが」
「アンタは言ったはずだ。──自分がどんなに大切なものを失うことになったとしても、必ず約束は守るって。契約違反は命で贖ってもらう。確認のために聞くんだが姫様よ? この程度でやめるつもりじゃないだろうな?」
「…………、わたし、は……」
「慣れろ。この先もっと知ってる顔が死ぬぞ」
有無を言わせない言葉に、ミレアは押し黙った。それを見かねたアーシュが歩み寄ってくる。
「他に言い方はないのか?」
「無いね。少なくとも事実だ」
「お前は失うものが無いからさぞ気楽でいいだろうな」
「そうだな。失って怖いものなんか、もう全部なくなっちまったからな」
どう言葉を受け取ったのか、少しだけ間を置いてからバツの悪そうな顔をしていた。マスターはそれを訂正する。
「あぁ、勘違いしないでくれ。こっちの世界に来たからってわけじゃない。元の世界でとっくに無くしたって話だ」
「……お前、家族は?」
「俺は自分がどこの生まれで、親の顔も知らない。帰る場所も──」
──思い出しかけて、すぐに辞めた。
「……帰る理由があるだけだ」
ミレアたちはそこで初めて、目の前の異訪人がどういう境遇なのか気づく。
天涯孤独の身だ。それでいて、あれだけの剣の腕なのだから自ずと察しがついてしまう。誰にも頼れず、誰にも心を許せず、誰からも必要とされない。
だから、全部自分一人でできなければならなかった。ある種天才と言えるだろう。しかしそれは、数多の悲劇で作り上げられた怪物でもあった。
「つかぬことを聞くが。そうまでして帰りたい理由はなんだ?」
「つまらねぇこと聞くなよ。──殺さなきゃいけない奴がいる。それだけだ」
アーシュ達が今度はいたたまれない気持ちになる。
「とりあえず、俺の作戦成功を祝って──飯でも食うか」
なにはともあれ。
マスター・ハーベルグの大仕事、交易都市奪還は成功した。それだけは喜ぶべきことであり、ミレアたち敗退魔王軍の大いなる前進と言える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます