第二章 激闘! 雷鳴獅子編:神鳴らしの雷光対蒼い悪魔

第26話 双角をなす傑物二人


 ──魔族の首都、スレイベンブルグは交易都市より北西部に位置する。背後に西方風獄と北方氷獄の山嶺を構え、天然の要塞であると同時に吹き下ろしてくる凍てついた風が侵入者を拒む。

 都市部に直撃する寒波を魔王城が防風壁となって緩和し、市街地の各所に設置された魔力焜炉の小塔によって魔族の生活を支えていた。


 旧都、交易都市の温暖な気候に恵まれた環境を捨てて、なぜこのような厳しい環境に首都を移動させたのか。

 それは“勇門の儀”によって訪れる勇者を阻むためでもあった。

 かつて魔王デミトゥル自身、勇者と対峙した経験がある。

 今となっては700年以上前の出来事だ。

 その戦いは苛烈を極め、やがて戦火は城にとどまらず街すら焼いた。

 辛くも勝利を収めた王は、酷く恥じる。

 民草の生活を戦火に焚べるなどあってはならぬ事だと。

 それゆえに魔王デミトゥルは旧都を離れ、敢えて過酷な環境に首都を置いた。自らの持つ絶大な魔力を人々の生活を支えるために費やすと決めて。それでもついてきてくれた臣民を無碍にすることなどできなかった。


 ──善良な魔王であったことを、誰もが疑わなかった。

 死後、人々の生活を支える魔力が尽きたその時は魔王城の最下層に貯蔵されている魔石保管庫より障壁を形成する事で都市を守ることになっている。


 それはあくまで、人々が寒さに凍える事がなくなるようにと願ってのことだ。

 だが今は、人間軍からの侵攻を阻むための役割を果たしている。

 亡き魔王デミトゥルは、そのような事は望まれていなかった。

 だが人々は信じて疑わなかった。


 『魔王様の加護が、我々に戦う力を授けてくれた』と。


 ──魔族の土地に侵攻してきた人間軍総勢50万。レオブレド大将軍は常に兵站を気にかけていた。

 美味い飯に勝る士気はない。約50万の兵力、うち20万が補給部隊だ。実質的に実戦に駆り出されるの残り30万。

 鉱山都市、城砦都市、刑罰都市、交易都市──そして首都スレイベンブルグ。要所各地から中継拠点を設営し、検問を敷いていた。あくまでもこれは見かけ倒しだ。兵の訓練でもある。周辺の警戒を怠らないようにするためのものだ。


 真っ先にレオブレド大将軍が設営すると言ってきかなかった前線拠点は補給基地も兼ねている。

 首都スレイベンブルグを前にして築かれる拠点を止める者はことごとくが雷鳴に打たれて息絶えていた。情けないことにも、首都の魔族達は前線基地の設営が終わるまで指を咥えていることしかできなかったのだ。


 寒風吹き荒ぶ冷たい草原の霜を踏みしめながら、レオブレド大将軍は分厚い雲の空を見上げる。

 ほぅ、と息を吐き出せば白く、それはすぐに風でかき消された。

 レオブレドの着込む雷鳴騎士の鎧は、全身を余さず覆い隠した板金鎧である。おおよそ、雷鳴騎士の加速戦技にあるまじき重装甲だ。だがそれは彼の財力の証明でもある。職人に大金を積んで造らせた世界にただひとつだけの鎧なのだから。

 何よりも。肩にかけてなびく純白のファーマント。そこに刺繍された雷鳴を携える獅子の記章こそが彼の威光を示していた。


 齢五十を過ぎた。齢六十を過ぎて、尚、その武威は微塵も衰えていなかった。それどころか老いてますます絶技は冴えている。

 肌のハリも潤いもとても老齢の域とは思えないほど漲っていた。

 まさに益荒男と呼ぶに相応しい体格。二メートル近い巨漢であり、肩幅も広く、どっしりと大地に下ろした丸太のような足も太い。がっしりと鍛えられた上腕も、若き頃はワイルドボアを絞め殺した武勇伝も説得力を増す。


 空を見上げ、思う。

 ──老い先短い我が生涯で成せること、残りはどれほどであろうか。と。

 十歳を過ぎた頃から、変わらず精進してきた。己の欲を満たすために、出世の道を歩んできた。ならば後は人の王になる他ないくらいだ。だがそれは血筋が許さないだろうとすっぱり諦めている。


「オヤジ殿、身体が冷えるぞ。いい年なんだ、隠居してくれていいだろうに」

 そう声をかけてきたのは、同じく純白のファーマントを羽織った男性だった。歳の頃は二十代後半。精悍な顔つきに、頬に走る一筋の刀傷が目立つ。

 レオブレド同様に、体格に合わせたプレートアーマーを着込んでいるが左右非対称の形状に整えられていた。

 その手には、湯気の立つグラスが二つ。


「何を言うか。魔族の首都が目と鼻の先にあるのだぞ! ここまで来て一目見ずに帰れるものか!」

「はいはいはいはい、わかってるよ。魔族の芸術品とか見たいんだろ」

 差し出された紅茶を受け取り、呑み込むと身体の芯から温められる。


「生涯ただ一度でいい。魔族を統べる王の居城に訪れてみたかった」

「聞き飽きるくらい聞いたってその話」

「いいから聞け」

「それも聞き飽きるくらい言われた」

「……見たくないのか? 魔族の美術品」

「それも。聞いたことある」

「むぅ」

 唸りながら孫の入れた茶で一服。

 レオブレドの趣味は美術鑑賞だ。

 この世に美に勝る芸術はない。そう豪語していた。

 東に美があれば一目見ようと遠征、西に美があれば一目見ようと遠征。大陸横断など毎年やっている男だ。よる年波に負けてそのうち諦めるだろうと、妻も息子達も呆れていたが一向にやめる様子などなかった。

 それどころか自分の足で動いてるうちに道の往来の不便さを痛感して金に物を言わせて道を舗装してしまった。人呼んで「獅子の大街道」である。


「まぁお前は」

「お前はまだ若い。私の若い頃なんて東西奔走、云々。以下、武勇伝。聞き飽きてるっての。夢に出てくるくらいには」

「縁起が良いではないか」

「アンタまだ生きてんでしょーが! くのっ、くのっ!」

「ばぁっはっはっは! おっとっとっと、こぼれるこぼれる」

 しきりに肘で小突かれてグラスから紅茶がこぼれそうになるのをレオブレドが手で押さえていた。

 孫のウェイルズは第一子ライルの息子だ。祖父である立ち位置のレオブレドによく懐き、騎士学校卒業後はクレスト親衛隊総長を務めている。剣術は凡才の域を出なかったが、槍術は目を見張るものがあった。

 【雷鳴先駆の一番槍】としてウェイルズ・ボルトザックはレオブレド大将軍の大遠征に参加している。


「で。前の戦況は?」

「こちらが優勢を保っている。でも保ててるだけ」

「守りは崩せんか」

「睨み合いが続いて兵達も神経質になってる」

「──ならばここは一度酒宴でも開くか!」

 まーたバカ言い始めたよ、うちの大将軍様は。ウェイルズは呆れながらも、道理に敵った提案にしばし悩んだ。

 兵の消耗というのは武器や装備に限った話ではない。戦いが長引けば精神的にも消耗する。そうして神経を擦り減らし、些細なことで衝突して内部から分裂した組織は規模が大きいほどに著しく戦力が低下する事をレオブレドは知っていた。


 ならばいっそのこと。

 デカい宴でパーッと気晴らしをした方が兵のためにもなる。──というのが祖父の思惑なのはウェイルズも理解できるが、敵陣のど真ん中。首都を目前とした前線拠点で派手にやることに抵抗感があった。無理もない話だ。ウェイルズは実戦経験こそ多いが、兵役はそれほど長いわけではない。だが経験豊富な祖父の言うことだ、間違いないだろうと判断する。


「そう決めたなら、まずうちの備蓄を確認するよ。どれぐらい派手にやるかは知らないけどさ」

「つい一昨日届いた物を含めれば後一年は戦える」

「いやまぁそうなんだろうけどさぁ。使い過ぎるのもどうかと思うぞオヤジ殿」

「足りなければ魔族から買うだけだ」

 交易都市の魔族達から仕入れれば良いだけだとレオブレドは言って聞かなかった。それならまぁいいか、とウェイルズは嘆息する。

 寒風に身を震わせていると、伝令役の兵が指揮所に駆け込んできた。


「レオブレド大将軍閣下! リョウゼン将軍並びにシュヴァルクロイツ親衛隊、到着致しました! 如何しますか!」

「おお、早いな! 流石は我が戦友! すぐに通せ! もてなすぞ!」

「はっ! 直ちに!」

 白いショートマントの伝令役の兵がすぐさま雷鳴と共に走り去る。

 二人は同時に紅茶を飲み干すと、白い息を吐き出した。


 前線拠点の内部へ通されたリョウゼンとその親衛隊は隊列を乱すことなく指揮所へ向かう。拠点の設営そのものは終えているが、常に増改築の手を休まず進められているせいか要塞じみていた。しかし攻城兵器の類は見当たらない。というのも、交易都市の検問がそれを許さなかった。トードウィック最後の抵抗とも言える。

 そしてそれこそが首都スレイベンブルグの制圧が進まない原因でもあった。包囲こそ成功すれども、だ。


《レオブレド大将軍、戻ったぞ。こちらの戦況は》

「おぉ我が戦友リョウゼン! 予想以上の早さだな! こちらは相変わらずの膠着状態。して、そちらが戻ってきたということは」

 当然、とも言える不遜な笑みに《ふっ》とリョウゼンは頭部を覆うフルフェイスの下で薄く笑みを返す。


《鉱山都市、並びに城砦都市の制圧が完了した。こちらへ戻る道中、魔族の襲撃に遭ったことと兵の休息も兼ねて少しばかり到着が遅れた。すまんな》

「何を言うか! その凱旋だけでお主の城が建つ! よもや攻略不可能とまで言われた城砦都市まで陥落させたとあれば、まさに向かうところ敵なしよ!」

 レオブレドはその言葉に、同意の返事が返ってくると思っていた。しかし、リョウゼンから返ってきたのは、どこか迷いのある、曖昧な言葉。


《……さて、どうだかな》

「私が言うのだ、誇れ!」

《ああ。理解している。誇りはすれど、驕るわけにはいかん》

「もしや未だあの【竜害】を引きずっているのか?」

《それもある》

「ならば他に何が?」

 心底不思議そうに首を傾げるレオブレドに、腕を組んでいたリョウゼンは話すべきか考えたがすぐに悩みを打ち明けることにした。


《交易都市で、変わった人間に出会ってな。どうにもそいつが気にかかる》

「ほう! ほう、ほう、よもやお前のお眼鏡に適う人間か! 私も興味がある。話してくれるか」

 すぐさま出会った相手の特徴を述べると、レオブレドが難色を示す。


《蒼い髪に、紫色の魔眼の青年だった。年は二十代前半ぐらいか》

「……他に何かないか?」

《ふむ。ロングソードを持っていたな》

「そうではない。他に何か惹かれるところはあったかと聞いているんだ」

《……そうだな。変な話かもしれんが、俺の気の迷いかもしれん。ただ一目その青年を見た時、懐かしさを覚えた。郷愁の念、とも言うべきか》

 なぜそんな心地になったのかわからない。確証も何もなかった。しかし、レオブレドは緩めていた顔を引き締め、真剣に考える。好々爺である表情から一変、戦士としての顔つきに場の空気が引き締まった。


「……なるほど、気にかかる」

《お前もか》

「その者の素性は?」

《定かではない。服装は庶民的だったがな》

「名前は?」

《……すまん、聞き忘れた》

「いや結構だ! ならばこちらから探すまでよ! 交易都市にいるであろう蒼髪紫眼の人間、確かに怪しい。兵を出す!」

《しかし。良いのか?》

「かまわん! 報告してくれてこちらも助かる! いよいよ大詰め、という折にそのような不穏分子が現れたとあっては用心に越したことはない!」

 リョウゼンは、フルフェイスヘルメットのバイザーの奥で目を細める。

 相変わらずこの男は、頼りになる存在だ。

 自分がこの異世界に召喚された日のことを思い出す。

 右も左もわからない自分にこの世界のことを教えてくれた。

 ──竜害に遭遇し、唯一の生存者を連れて勇者の使命を投げ出した時も、この男は決して笑わなかった。それを貶さなかった。むしろ感涙にむせび泣いてたほどだ。

 常日頃から自分の装備に興味を示し、元の世界に関心を示し、羨望の眼差しを向けていた。その時ばかりは、年甲斐もなく子どものように胸を躍らせていたように思える。リョウゼン自身、それは決して不快なものではなかった。むしろ居心地の良ささえ覚える。

 気づけば。自分が友と呼べる数少ない存在として、この老骨の大獅子の名前が挙げられる。


《……戦友とも、か。俺にそんなものができるとは思わなかった》

「ん? どうしたリョウゼン」

《いや、なんでもない。ならばこちらからも親衛隊を何名か向かわせる。俺の言い出したことだ。その代わりと言ってはなんだ──》

 リョウゼンが自らの手のひらに拳を打ちつけると、重い金属音が反響した。


《首都攻略戦、この俺が直々に最前線へ赴こう》

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