第24話 異界の異能の異常者、異訪人


 苦戦する二人の耳に、軍靴の音が聞こえてくる。一人や二人ではない、集団の足音だった。それにはファングも「おー?」と首を傾げている。

 大時計城の城門が開かれ、雷鳴騎士コーザが引き連れて戻って来た人間軍の兵士達は半数にも及ばなかった。みな傷だらけだ。満身創痍の者もいる。しかし、魔族達の暴走、暴力に振るわれるよりかはよほどマシだ。彼らも流石に城にまで足を運んで来ない。

 口々に罵声を投げられる。その怒号は津波のように、あるいは暴風のように城を響かせていた。


「ははっ、スゲー声量」

 鼻で笑い飛ばしながらファングは大広間の出入り口に展開する雷鳴騎士コーザたちの一団を眺める。


「リヴレット、無事か!」

「ええ、なんとか……」

「アイツが主犯か。アイツが、レオン長官を……!」

「落ち着きたまえコーザくん。彼は相当な……いや訂正しよう。相当などという代物ではない。“英傑”に数えられる腕前だ」

「だとしてもこの人数差だ! ここで必ず討ち取るぞ!」

 息巻くコーザに兵士達も武器を構える。彼らは後がない。唯一安全を確保できる場所はここしかないのだから。

 相手はたかが一人、どれほどの腕前だろうと数で押せば必ず勝機はある。雷鳴騎士コーザはそうたかを括っていた。


「ありゃ、これはやべぇな。さぁてどーすっかねぇ」

 ケラケラと笑いながら、ファングは肩のナイフを引き抜く。軽く放り投げて刀身を掴むと、振りかぶった。

 誰が狙われようと、それを皮切りに一斉に突撃するつもりだった。──少なくとも、雷鳴騎士コーザを含めて、誰もが。


 しかし。

 ファングはあらぬ方向へ投げた。ナイフは真っ直ぐ飛んでいき、壁掛け燭台の一つにぶつかって軽い金属音を立てる。

 次の瞬間、一斉に燭台から炎が吹き上がった。

 これに青ざめたのは雷鳴騎士コーザを含むリヴレット達。当のファングは、足音を響かせながら迫り出してくるリビングアーマーを両手を広げて迎えていた。


「これだけ広いんだ。せっかくだから使っていこうじゃねえか!」

「アイツは正気か!?」

 壁掛け燭台は、魔族の城におけるセキュリティシステムだ。同時に、リビングアーマー達の起動装置でもある。ファングはその仕組みをメリフィリアと大蛇の三姉妹から聞いていた。


 ──あの壁掛け燭台はね、警備装置。リビングアーマー達の手の届かない位置に設置されるの。滅多なことでは触れられない場所に、等間隔で並べて使うのよ。

 ──だからね。もしも万が一、燭台に危害が加えられるということがあった場合。リビングアーマー達は一斉に厳戒態勢に入るの。


 ──外敵を排除するまで戦闘態勢を維持するわ。これを止めるのは大変よぉ?


 レオン長官が倒したリビングアーマー三体を除き、残る十体の生きた甲冑騎士達が剛剣を携えて迫る。大槍を構え、目につく人間たちへと一斉に襲いかかった。当然それにはファングも含まれている。


「騎士の諸君、散開したまえ! リヴレット、君は彼らを援護だ。ファングは私が抑えておこう!」

「わかった! コーザさん、ひとまずリビングアーマーを優先的に!」

 このままでは全滅だ。ヴィンフリートがファングの姿を探すと、信じられない光景を目の当たりにする。

 ファングがリビングアーマーをヴィンフリート達に突っ込んできていた。


「おかわり入りまーすっ!」

「いらねぇぇぇぇっ!!」

 雷鳴騎士コーザの怒号が飛び交う。怪我の具合は良好とは言えない。

 しかし、六体を相手しようとしていたところへ更に四体。合計十体のリビングアーマーが殺到する大広間は混戦状態となっていた。


 ヴィンフリートは冷静にファングを狙って拳を引き絞る。

 それを長剣で防ぐと、鍔迫り合いに持ち込んだ。


「凄まじい頭の回転だ。この環境を即座に味方につける戦術、驚嘆に値する」

「そりゃどうも」

 二人に降りる影から、すぐに飛び退く。間一髪のところでリビングアーマーの振り下ろしたグレートソードから逃れることができた。

 脅威排除を最優先とした警備員は城の損害などおかまいなしだ。

 柱を壊し、床を割り、壁を貫く。それでも人間軍を最優先に狙う。


「しかし解せんのは、なぜ君はこれほどまでの策を善行に尽くさないのかということだな!」

「面白くねぇからだよ」

「なに?」

「善悪の観点から言えば、俺のやっていることは明確な“悪”なんだろうよ。理解してるさ。分別くらいついてる。だが他にやり方があるか? 俺にはわからねぇ」

 ヴィンフリートの刃を、鎌足を防ぎ、捌きながらファングは言葉を続ける。兵士達の悲鳴を背に聞きながら。


「人間軍は魔族の姫様を追っていた。狙いはペンダントだった。それが“勇門の儀”を執り行うに差し当たり必要なものだとは察しがつく」

 同質の代物を人類の姫君が有していると見ていい。それを手に入れることこそ目的だというのなら、サジリス小隊長の言葉も納得いく。

 この状況で和平を結ぶなど無理な話だ。交渉するにせよ、それは魔族にとって不利な話になる。

 ならばやるしかない。徹底的に叛乱するしかない。人類に叛逆するしかない。魔族の土地を火の海に変えるとしても、此処でやらなければ後がない。

 エキドナの邸宅で、幾つか魔族の土地柄について学んだ。思想について学んだ。宗教についても聞いた。政治についても幾つか尋ねた。


 結論として。魔族は“呑気な種族”だ。

 長く生きていれば、そういうこともある。

 生きていればなんとかなるだろう──そんな、長命種特有の“驕り”が感じられた。だからこそ、こうなるまで魔族たちは動かない。気づいた時にはもう遅い。

 そして口を揃えて「こんなはずではなかった」と言うのだ。

 そんなもの、とっくの昔に出遅れているというのに。

 彼らは反乱すべきだった。団結すべきだった。

 魔王デミトゥルが亡くなり、人間軍が攻めてきたその時。交易都市を死守すべきだったのだ。


「わかるかヴィンフリート。とっくに魔族は“手遅れ”だったんだよ。それを取り戻すには大なり小なり犠牲を払ってでもやるしかねぇんだ」

「その結果がこれだと言うのか」

「なら他に提案があるならどうぞ、ヴォーヴェライト家の次兄様?」

「っ……誰からそれを聞いた」

「邪智暴虐な女傑様から」

 エキドナか──。おそらく自分を売り飛ばしたその日のうちに探りを入れていたのだろう。抜け目のなさに気を引き締めながら、鉄拳を見舞う。それを同じくして、拳で受け止められた。


「なら聞き及んでいるはずだ。我が一族の苦境を」

「落ち目らしいな。だから「霜華」のお姫様を?」

 沈黙を貫くヴィンフリートが、初めて表情を崩す。眉をつりあげた怒り顔にファングはバイザーの奥で笑う。


「あれは──」

「“仕方がなかった”とでも? 外の世界を知らず、ただ滅びを待つばかりの箱入りお嬢様を売り飛ばすのが?」

「──!」

 わずかにではあるが、拳が鈍るのを見逃さなかった。長剣を叩きつけるように床に突き刺し、ファングがヴィンフリートに迫る。

 肩が触れるほどの超至近距離において肉弾戦以外にとれる戦闘方法はない。そしてその距離こそ、ヴィンフリート・ヴュルツナー・ヴォーヴェライトの得意とする間合いでもあった。

 だからこそ油断なく顔面を狙い、それを上体を反らす形で避けられた時にヴィンフリートは驚く。カウンターフックが自分の顔面を狙っていることは理解していたが、避けられないと判断して受けるつもりだった。夜鬼族の肉体は人間よりも頑丈だ、受けの一手から反撃に転じる──。

 それは叶わなかった。

 顎を掠める一撃。なんのことはない攻撃だったはずが、グラリと意識が傾く。ひどく悪酔いしたような、深酒にも似た酩酊状態にヴィンフリートはたたらを踏んだ。


「お? あ……?」

 【血相術】という括りはあれど。ヴィンフリートはその“技”を知らない。

 ファングのいた世界には「拳闘ボクシング」という競技が存在する。上体を反らして避ける「スウェーバック」によるカウンターブロー。だが顎先を掠めるのは脳震盪を狙ってのことだ。

 相手が魔族だろうと人間だろうと、人の姿をとっているのであればある程度の医学が通用する。


 明確な隙の生まれたヴィンフリートの顔面に、今度こそファングの固く握りしめた拳が頬骨を穿つ。殴り抜けて吹き飛ぶ身体は柱を突き崩し、壁に激突して止まった。


「ヴィンフリート!」

「よそ見するな、リヴレット! ッ──!」

 雷鳴騎士コーザがリヴレットを肩で突き飛ばしてリビングアーマーのグレートソードから逃す。大盾によるシールドバッシュを受け止め、床を転がったところを兵士達に引きずられて柱の影に退避していた。

 受け身を取り、迫る三体の足元を雷光となって駆け抜ける。


 ヴィンフリートは土煙の中から姿を見せると、おぼつかない足取りで立っていた。

 おもむろに胸に手を入れたかと思えば、小綺麗な櫛を取出して髪を整えている。それにはさすがのファングも身構えていた。見立てが甘かったか、と。


「紳士というのは、いつ如何なる時も身だしなみを崩さないものなのだよ」

「貴族のたしなみってやつか、覚えとくよ」

 髪を整えて櫛を懐にしまい込み、ファングに指を突きつける。しかし、その身体がぐらりと横に傾いて倒れた。


「……いや、ダメじゃねーか!」

 意識を保っていただけ驚きだったが、どうやらしっかり効いていたらしい。

 ファングは迫るリヴレットの白剣を防ぎ止める。胸板に足を置かれて、次の瞬間には凄まじい衝撃に襲われてファングが蹴り飛ばされた。

 加速戦技の初速。それを相手に押し当てる形で発動させる。

 リビングアーマーの群れが飛んできたファングに気づく。仰向けの視界に広がる生きた甲冑達からの敵意と殺意に、自嘲する。


「あーやっべぇなこれ」

 リヴレットは倒れたヴィンフリートの身体を揺らして起こそうとしていた。


「ヴィンフリート、しっかりしろ! 立てるか?」

「……これほど酷い悪酔いは初めてだ。新鮮な気分だよ、世界が回っている」

「……少し痛むぞ!」

「ほぉっぐぁ!?」

 左手で雷撃を打ち込むと身体が跳ねる。少し焦げた様子だが、良い気付けになったのかヴィンフリートが頭を振って立ち上がっていた。


「気分は?」

「最悪の一歩手前と言ったところだ。また倒れるぞぉこれは!」

「ならそうなる前に仕留めるぞ!」

「君たちの流儀に則って、速戦即決と行こう!」

 一度は解除された【血相術】を再起動させると、ヴィンフリートが身を屈める。その隣で同じようにリヴレットが身体を屈めて床に手を当てていた。

 二人の視線の先。

 ファングはリビングアーマーの連撃を踊るように避け、飛び跳ね、蹴って跳躍しながら軽々と避けていた。その獣じみた動きに翻弄される形で兵士達は狼狽え、身体を突き飛ばされてはリビングアーマーの餌食となっている。あくまでも自分の手を下すつもりはなく、巻き添えで数を減らす算段だ。攻撃に割くことなく、防御と回避に専念するだけでいい。


 これまでの戦闘で理解した。

 『アレは頭がどうかしている』と。まともにやりあえば勝算などない。

 一撃で仕留める。どちらにせよヴィンフリートは意識がフラついている。【血相術】の維持ができるのはこれが限界だろう。

 リヴレットは意識を集中させる。


(──雷鳴よ。剣に宿れ)

 白剣の刀身に蒼雷が奔った。


(──雷光よ。我が身を纏え)

 雷鳴騎士の銀鎧に、紫電が奔った。


(──雷刃よ。我が敵を屠りたまえ)

 蒼雷、紫電、白光──人類が振るうことが許される雷鳴の三光。

 刹那。

 脳裏をよぎる恩師の姿。


(──我が師よ。どうか御身に力を!)

 亡き父の遺品を届けるために、嵐の夜に訪ねてきたことを思い出す。

 邁進してきたのは父の死の真相を暴くために。

 世界をこの目で見て、真実にたどり着くために。

 そのためにここまで来たのだ。

 怒りを覚えている。だが悲しみに暮れている暇はない。その全てをこの一撃にこめて弔いの花とする。

 リヴレットの手元で、白光が爆ぜた。


「私が“血路”を開く。君はただ全速力で駆け抜けろ、リヴレット!」

 ヴィンフリートが床を殴りつけると、ファングまで一直線に血の道が出来上がる。そのぬかるみに気づいた瞬間にはもう遅い。

 両足を捕らえる形で血の茨が拘束していた。すでに周りには兵士の死体が重ねられている。リビングアーマーも残りは片手の数まで減っていた。


「──“吼えろ”、雷鳴よ!」

 雷鳴騎士が吼える。雷鳴を轟かせ、大気を震わせながら。

 リヴレットの姿が光となって駆け抜ける。


「獅子の閃刃、受けてもらうぞッ!!」

 ファングは自分の動きを拘束する【血相術】が振りほどけないのを察知して、肩を落としていた。

 迫る姿を見て防ごうともしない。


「──あーあ、面倒くせぇなぁ」


 心底。本気で。そう軽蔑していた。

 ヴィンフリートの血路による血の道を蒸発させて血煙を上げながら一条の光となって駆け抜けたリヴレットの白剣は、ファングの身体を貫く。

 その加速の衝撃によって吹き飛ばされた身体が大時計城の大広間から柱を砕き、壁に受け止められた。それに留まらず、遅れて叩きつけられる暴風によって壁を崩しながら中庭に転がるのが見える。


「石弩、放てぇぇぇいっ!」

 雷鳴騎士コーザの号令に兵士達が霊力で弦を形成した。石を番えると引き絞り、リビングアーマーに基礎霊力を込めて放つ。純粋な威力の増加だけでなく、霊力による加速によって放たれる投石は一般兵士達にとって重要な遠距離攻撃の手段として重宝されていた。

 残るリビングアーマーたちも動きを止めたところを雷鳴騎士の手によって停止させられる。

 突入した時は百名以上いた人間軍は、わずか十名に満たなかった。

 みんながみんな、満身創痍といった状態。ようやく静けさを取り戻した大広間に尻もちをついて雷鳴騎士コーザたちは健闘を称える。


 リヴレットも膝をつき、過剰な霊力放出による虚脱感に襲われながらも立ち上がるとヴィンフリートに視線を向けた。

 【血相術】を解除することで、保っていた意識が限界に近づいたのか床に倒れてはいたものの顔をあげている。


「……ヴィンフリート、やったぞ」

「ああ。もちろん見ていたとも。我々の勝利だ──、…………」

「…………?」

 疲労困憊といった様子だが、笑みを浮かべるだけの余裕があったらしい。しかし、その顔が驚愕に固まっていく。

 とても信じられないものを見たというような表情のまま、ヴィンフリートは気を失った。

 リヴレットが慌てて駆け寄ろうとした時、周囲の兵士達からも困惑の色が見える。雷鳴騎士コーザの短い悲鳴。


 ──足音が聞こえる。どこから?

 ──ファングが消えた方角からだ。

 ──いいや、まさか。そんなはずはない。

 ──急所を貫かれたのだから。即死のはずだ。


 背筋が凍りつく思いで、リヴレットは背後に振り返る。


 立っていた。

 顔を覆う仮面を自ら剥いで、投げ捨てながら。血を吐き捨てている。

 絶命するのに十分すぎる一撃だった。黒い外套は黒く焦げ、刃を受け止めた左胸を中心に肌が焼けている。


「──こんな風に、夕焼けに染まる時間をなんて言うか知ってるか?」


 立っている。

 まるで何事もなかったかのように。

 リヴレットは自分の立っている地面が崩れ落ちるような感覚に襲われ、なんとか踏み留まる。

 笑っている。

 悪魔のように口元を三日月型に歪めて。

 愉しそうに。


「“逢魔ヶ刻”って言うらしいぜ。──いわく、悪魔に遭う時間だそうだ」

「…………──────きみは」

 理解ができなかった。

 視線を不意に外せば、雷鳴騎士コーザは頭に剣が突き刺さって死んでいる。

 兵士達も信じられない様子で震えていた。


 ──霊力は精神力に左右される。もっとも要求されるのは忍耐力だ。強靭な精神力のもと、確かな意思で振るうからこそ霊力は真価を発揮する。

 その霊力の最大の弱点は、“恐怖”だ。

 人は恐れた瞬間から、魔物の餌になる。


「いーよなぁ、お前ら。死んで楽になれて。羨ましいぜ、まったく」

「きみは──いったい、何だ?」

 リヴレットの震えた声に、ファングは鼻で笑っていた。

 大股で歩みながら、兵士の頭を鷲掴みにすると床に叩きつける。即死だった。頭が石材の床に陥没している。

 首の骨を鳴らし、肩を回し、腕を大きく伸ばしていた。まるでこれまでが準備運動だったとでも言うかのように。


「テメェらの言葉で異訪人って言うんじゃねぇのか? 俺は


 遠のく意識に、視界が暗転する。

 リヴレットは霊力の過剰放出による虚脱状態に気を失った。

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