第20話 奔走の若獅子


 交易都市中で起きた暴動は収束の目処が立たないまま陽が傾きつつあった。巡回の兵士の援護に向かった雷鳴騎士が被害に遭うのも当然のこと。極力、剣を抜かずに事態の収束に当たりたかったがやむを得ず、自衛のために刃を向ける。しかしそれがさらに事態を悪化させていた。

 南から始まった魔族の暴動は怒りに狂っている。それまで抑圧していた欲望を爆発させたかのように。トードウィック・フロッグマンという楔から解き放たれた彼ら彼女らは信仰していた魔王様だけでなく敬愛なる領主さえも奪われた。それは直接的にではないが、人間がいなければ起きなかった悲劇だ。

 リヴレットもまた南の地区へ馳せ参じ、魔族に説得を試みていたがいずれも失敗に終わっている。しかし彼の顔は魔族たちの間ではよく知られていた。

 ──腰の低い貴族の人間がいる、と。親身になって相談に乗ってくれる奴がいると影で話題になっていた。

 それでも、魔族にとっては日の浅い隣人でしかない。

 リヴレット・シュバルスタッドは、それでも霊輝石による自衛に努めて降りかかる火の粉を振り払っていた。こんな形でぶつかり合うことは望んでいない。

 自分と同じ雷鳴騎士の仲間が、魔族の市民から金具を投げつけられる。反射的に彼はそれを霊術で弾いた。怒りを覚えていたからか、少し火力の調整を誤ったのか。

 不幸にも弾き飛ばした金具が魔族に怪我を負わせてしまった。

 そんなつもりはなかった。だが不幸な事故が起きてしまった以上、彼らは引くに引けなくなってしまった。

 領主様は人との和解する道を望んでいたはずだ。だがそれは魔王様が生きていたらの話。亡き主人に従い、人々の生活と意思を尊重して、結果として領民に苦難を強いることは正しかったのかと悩み続けていた。その果てに自害したというのならば、この苦難は領民にとって良心の呵責に苛まれるに十分すぎる意味を持った。

 そして、燃料が投下された。導火線に火が着けられたとあれば、止まらない。

 ──魔族の誇りのために立ち上がれ、と。武器は売っている。金も手に入る。人間の思い通りにこれ以上させれば、その誇りすら奪われてしまうぞ、と。


 リヴレットは建物の壁を蹴り、霊術で空へ向かって駆けると屋根の上に退避した。どうすべきか考え、ふと脳裏に浮かんだのは蒼い髪の開拓者。

 彼の知恵を借りればなにかこの事態の収拾の目処が立つかもしれない。そう考えての行動だった。


 南西方角の宿場に泊まっているという記憶を頼りに、リヴレットは馬車道の上を飛び越える。

 大通りから外れた場所にたどり着くと、そこでは魔族が話し込んでいた。その手に自分が持てる得物を手にして、駆け出すところだった。

 彼らの暴挙を止めに走るべきだっただろうか。しかし、悩んでいる間に彼らの姿は見えなくなってしまった。

 仲間たちを信じ、リヴレットはオークの女将が経営している宿の扉を叩いて中へ入る。いつもは女将の料理を求めて魔族で溢れているはずの食堂が閑散としていた。

 沈痛な面持ちの女将と、もう一人。

 閉塞的な種族であるにもかかわらず、都市での生活を望んだ物珍しいエルフの女性がいた。

 街の惨状にふたりとも参っているのか、浮かない顔をしている。


「──リヴレットさん!?」

「アンタ何してんだい。早く扉を閉めな!」

「は、はい!」


 慌ててリヴレットが扉を閉めるとララフィが駆け寄って鍵を下ろした。

 交易都市はどこに行っても騎士と魔族の衝突が起きている。その中には貧民街に追いやられた戦傷者の姿もあった。

 人間軍からすれば、不測の事態にも程がある。対応するにも後手に回るしかなかった。そのせいで余計に被害が広がっている。暴動を抑えるにも人手が圧倒的に足りていなかった。


「よかった、貴方は無事だったんですね」

「まぁ、その……私も先程出動命令を出されたばかりで。それよりもこれは一体」

「なんと言えばいいかね。ヤキが回ってきたとしか言いようがないよ。アンタら人間が人様の土地で好き勝手やってきたツケを払う時が来たってところかね」

「好き勝手など……、いえ。言い訳がましいですね。仰るとおりです」

「そもそも、勇門の儀だってアンタら人間が始めたことだろう」

「女将さん。リヴレットさんに言っても仕方ないことです!」


 ララフィがすかさず女将の言葉を遮る。わかってはいる、だが言わずにはいられない。そうでもなければ溜飲が下がらなかった。


「……。だからこそ、私は此処に来ました。お二人にお尋ねしたい──

 という男性がどちらにいるかご存知ですか? 彼の知恵をお借りしたいのですが」


 リヴレットの言葉の意味がわからないといった様子で、二人が顔を見合わせる。その顔には疑問符を浮かべていた。


「知らないね、そんな奴。聞いた覚えはあるかい、ララフィ」

「いえ、ないです」

「────」


 そんなはずはない。そんなはずはないのだ。彼自身の口から聞いた言葉なのだから。知らないということはない。

 背筋を悪寒が走る。もしやすると、もしかすると。

 自分たちはなにか大きな間違いをしていたのではないか。

 人間のような顔をして。人間のように振る舞い。堂々と魔族達の中に溶け込み、交易都市という大都市で大立ち回り。

 あれは誰だったのだろう。あれは何者だったのだろう。

 リヴレットは改めて彼の特徴を口に出そうとして、言葉が出てこなかった。

 蒼い髪。紫色の双眸。しかしそれだけだ。着ていた衣類も、言葉遣いも、彼の特徴らしい特徴が出てこない。

 独特な感性を有していた。だが、それしかない。開拓者という職業の人種は総じて変わり者が多いからだ。

 顔面蒼白となって口を押さえるリヴレットがよろめき、テーブルに手をついて頭を振る。


「そんなはずはないんだ! 確かに彼は宿に泊まっていると言っていて──!」

「──そこな騎士よ! お困りのようだな! いやなに、気にすることはない! 迷える者を導くことこそ貴族の務め!」


 女将とララフィがげんなりとした顔を見せた。その胡散臭い声の胡散臭い言い回しの主は階段を降りてきていた。

 大仰に腕を広げると、柱に指をぶつけて顔を渋らせている。だが気丈に振る舞い、眼鏡を押し上げた。


「んぅ我が名はぁ! 偉大なる血族ぅ! ヴィンフリート・ヴュルツナー・ヴォーヴェライトォ! 君の名を聞かせてもらおうかぁっ!」

「…………私は、リヴレット・シュバルスタッド。雷鳴騎士の一員だ。その、大丈夫だろうか」

「心配無用だ!」


 説明を求める視線を女将に向ける。なんでも当人の弁では「庶民の生活に慣れ親しむのもまた貴族に求められるもの!」と断言して一昨日から泊まっている客らしい。

 ヴィンフリートはリヴレットに手を差し出し、握手を求めた。それに最初は戸惑ったが、あくまでも彼にとってそれは親交の証。応じるとすぐに朗らかな笑みを見せてくれた。


「よろしい! これで私と君は知らぬ顔ではなくなったわけだ! さて、君の言うファング・ブラッディという人物についてだが私は聞き覚えがある。当然、見覚えもあるとも。聞きたいかね?」

「本当ですか! もしご協力いただけるのであれば助かります! もし謝礼が必要と言うのであれば、少ないかもしれませんがお渡しできます」

「いや結構! 見返りを求めての善意は善意に非ず! これは君への助けになればという私の心からの助言だ! 気にすることはない、気にすることはないぞぉ! それに私は金銭に関する悩みなど……個人的には無いからな!」


 個人的に、というところに引っかかりながらもリヴレットはヴィンフリートの言葉に従い、感謝の言葉に留める。それに心を良くしたのかどこか満足気にしていた。


「殊勝な心がけだ! 今の私は実に気分がいい。君のような好青年は実に好ましい限りだ。おっと誤解しないでいただきたいのだが私はあくまでも、とても好印象を受けたというだけであり男色家ではないことは此処に明言しておこうか! 私は心に決めた女性がいるのでな! さて、話が逸れた。ファング・ブラッディという名を知らないかという話だったな。私が最後にその名を聞いたのは三日前の闇競売だ」

「────では、彼は人売に?」

「そう考えてくれていい。だが私も興味がそそられた、彼の動向を探ったところ西の大富豪であるエキドナ・ラトリヴジアに落札されたらしい」


 その話は女将もララフィも初耳だったのか驚いている。交易都市に住む魔族であれば誰しもエキドナの悪名高さは耳に入るはずだからだ。

 西の大城門は首都スレイベンブルグへ通じる近道でもある。その通行税として人間軍から奴隷を譲り受けていると言われていた。

 それにはリヴレットも心当たりがある。

 何のために連れてこられたのか定かではない獣人の忌み子を見た覚えがあった。彼ら彼女らは、個体差のばらつきのある獣人の中でもその特徴の薄い個体。例えば獣耳だけであったり、尻尾だけといった特徴しか引き継がなかった子供は忌み子としてすぐに手放される。しかし、逆にそれが人間たちにとって親近感を覚える容姿をしているだけに奴隷市場では主流となっていた。


「では、彼はそこに?」

「可能性は高い。が! しかし、だ! エキドナは自分の夫すら謀にかけるほどの悪女だ。君のような高潔にして清廉、実直な精神の持ち主でれば奸謀に謀られてしまうかもしれない。そこでどうだろうか。私も同行するが、よろしいかね?」

「は? いや、しかしそれは……確かに助かりますが……」

「よろしい。助かる、というのであれば遠慮することはない。なぜなら私と君は、互いの名を知る仲だ。いわば種族を越えた友と言える。ならば! 互いを知る手始めとして、共に困難に立ち向かうというのは実に効率的だと私は思うが。君の意見も聞いておこう、リヴレット・シュバルスタッド」


 ヴィンフリートの眼は真っ直ぐ向けられている。それは彼の言葉に嘘偽りがないことを雄弁に語っていた。

 だからこそ、リヴレットは目を逸らすことなく力強く頷く。


「私も同じ思いだ、ヴィンフリート殿」

「なに、堅苦しい呼び方をする必要はない。友という間柄は対等であるべきだ。私の名に敬称は不要。種族が異なる手前、年齢差は埋められない。もっと肩の力を抜いてくれてかまわない」

「わかりまし……いえ、わかった。そういうことであれば頼らせてもらう」

「実によろしい。君は私が出会った人間の中でも極めて好感が持てる人物のようだ。それでは共に向かうとしようか!」

「待ちな、ヴィンフリート!」


 いざ宿を出ようとする背中に向けて女将が声を投げる。


「なに、我らに心配は不要だ! この争乱を治める鍵を手にして戻ると誓おう!」

「別にそれはいいんだよ。アンタまさかタダで寝泊まりする気じゃないだろうね!」

「…………これは大変失礼した。リヴレット、少し待っていてもらえるだろうか?」


 先を急いでいるというのにこの体たらく。

 リヴレットはすでに内心不安でたまらなかった。


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