第19話 蒼魔対雷鳴騎士


 魔族の葬儀は長命種ながら簡素な物だ。故人を偲ぶ一夜を過ごし、遺体を弔い終いとする。

 駐在武官レオンもまた、その風習に則ってフロッグマン夫人に接していた。


「夫がまさかそのように思い詰めていたとは、わたくし気付きませんでした。あれほど仕事に打ち込み、病に冒されてからもわたくしたちに心配をかけまいと……」

「私も知る限り、トードウィック様は古き良き魔族の一人です。我々が身を置くことを許してくださった寛大な措置に感嘆の念を禁じ得ません。私がこのような言葉を仰るのも憚られますが……」

「いいえ、貴方の言葉は夫もきっと喜ぶでしょう」


 フロッグマン夫人はレオン長官の無罪を知っている。彼は自分たちが魔族からの非難に対する矢面に立つと頑なに譲らなかった高潔な武人たちだ。

 雷鳴騎士の一員として、彼は橋渡し役を買って出ている。どんな苦境と困難が待ち受けていようと退くわけにはいかない──。


 城内を慌ただしく走る兵士の足音にレオン長官は肩を落とした。


「何事だ、騒々しい!」

「も、申し訳ありませんレオン長官! しかし緊急事態です!」

「何が起きた」

「交易都市各地で暴動が発生しております! 巡回中の騎士数名が魔族の手で……」

「っ……こんな時に! 騒ぎを鎮圧するのを急がせろ!」


 レオン長官の言葉に、しかし、兵士は言葉を濁らせていた。言い淀んでいるのを見て、先を促す。


「気にするな、話してくれ」

「……その……我々の首に懸賞金がかけられているらしく……貧民達が血眼になっております」


 絶句して、レオン長官はたまらず聞き返した。


「……なんだと?」




 ──交易都市各地で起きた暴動は人々を血に走らせた。

 南から始まり、西から東、北側に噂が流れるのにそう時間はかからなかった。元々そうした流通経路を第一に設計した都市構造だ。

 だがそれ以上に、暴動の波が押し寄せる速度は異常極まりない。

 僅か三時間あまりで交易都市は戦場と化した。


 貧民街の戦傷者達でさえ欠けた身体を引きずって瞳に憎悪の炎を滾らせている。

 片腕を失ったもの。片足を失ったもの。片目を奪われたもの。都市に見捨てられた者たちが這い上がってきていた。


 その騒ぎを取り押さえようとする防衛隊ですらお構いなしに魔族の人々は不満を爆発させている。

 兵士だけでは手に負えないとみたレオン長官はただちに雷鳴騎士達に出動命令を出した。フロッグマン夫人のいる手前、なるべく犠牲者を出さないようにと念を押す。


 後詰の兵士達にも緊急事態という状況から出動命令をくだした。

 その中にはリヴレットの姿もある。


「レオン長官、これは一体……」

「わからん。ただ私から言えるのは、この交易都市そのものが我々に牙を剥いていることだけだ」


 大時計城の中庭に召集された雷鳴騎士、数百名。

 駐在員である兵士数千名が甲冑を鳴らして大時計城より駆け出した。

 幸いなことに、まだ都市の外周で起きている暴動だ。


 ──魔族の城は、外敵を拒むよりも内部に入り込んだ賊を駆除する方針に特化している。


「リヴレット! 君は南の地区を!」

「はっ! お任せください!」


 強すぎる忠誠心が仇となった。

 魔族達は大時計城に乗り込んでくることまではしてこない。


 ──


 最後の兵士達が騎馬隊長に先導されて大時計城から離れていくと、残ったのは僅かばかりの兵。

 魔族の城だ、元は魔王の居城であった場所だ。その警備と守りは磐石と言える。攻め落とすともなれば容易にはいかない。


 想像してみてほしい。

 数百、数千の石像が雪崩れこみ、襲いかかってくる様を。廊下をスパルタ兵が如くに待ち構えるリビングアーマーの姿を。生半可な覚悟と戦力では到底太刀打ちしようがない。


 だが。攻めるでもなく、城を落とすわけでもない。

 領主が亡くなったばかりで葬儀の後片付けすら半ばの城に、少しばかり──訪問するだけだ。


 ──止まれ、貴様! 何者……、!

 ──なんだ貴様、どこから……!


 兵士達の声が途切れ途切れに聞こえてくる。

 それから、何か大きな荷物でも下ろすような、ごとりという音。

 そして、静寂。


 城の中庭には、駐在武官レオンただ一人。

 由々しき事態に騎士達は出払っている。


 鎧が擦れる金属音。それは足音だった。


 レオンとて、歴戦の古強者。かつては【千剣長】まで上り詰めた腕前だ。今は後進の育成に注力し、一人でも多く生きて帰ってくることを願っている。だが決して鍛錬の手を緩めたことはない。


 剣に手を伸ばし、警戒する。頬を撫でていく空気が肌を刺すような不快感を伴っていた。


 知っている。身に染みている空気だ。

 命を直に剣山で転がしているかのような心地悪さ。


 ──カチャリ、カチャリ。音を鳴らして侵入者が姿を見せた。


 異様な姿だった。

 漆黒の、オオカミ人間。

 黒い外套のあちこちに剣を懸架した、刺々しい姿は威圧感と異彩を放っている。

 一目見た瞬間、レオンは気圧されたほどだ。

 血の滴るロングソードを見て、すかさず剣を抜く。


「賊か。何が狙いだ! 我らを【雷鳴騎士】と知っての──、いや、待て……なんだ……貴様は」


 事切れた兵士達同様に、レオンは狼狽した。

 ──魔力が感じられない。それどころか霊力すら。

 目の前に立つオオカミ人間から感じ取れるはずの力が、何一つなかった。


 魔族は魔術を扱う。

 人間は霊術を扱う。

 それらは似通っているが、異なる力だ。だが共通していることがある。

 それは“波長”だ。

 力の波、目に見えぬ本質の波形。

 それらを映し出す鉱石を“霊輝石”と呼び、人々は魔術に対抗してきた。


 それが一切感じられない目の前の存在は、なんだ。


「……答えろ!」


 よく手入れされた年季の入った剣の切先を突きつける。

 それでも相手は答えない。

 城内に見える葬儀の名残を見て、惜しむような息を吐き出すと剣を持ち上げ、同様にレオンへ突きつけた。


 互いに剣を向けるのは、一騎打ちの合図。奇しくもそれが成立してしまった。


「……よほど腕に覚えがあると見た。雷鳴騎士所属、交易都市駐在武官レオン・ボルベア千剣長! 貴殿の名を聞こう!」


 名乗りを上げるのは一騎打ちの作法だ。それは騎士同士であれ、相手が魔族であれ、誰であろうと弁えている。


 ──しかし。それでもなお、相手は答えない。


 無礼にして無作法な狼藉者。となれば不意打ちも一度は許される。

 レオンが霊力を奔らせ、踏み込もうとした瞬間。


「──名は明かせない」


 若い声が返ってきたことに、機を逃すところだった。


「ならばそれでもよし。目的は」

「その命」


 命を狙われる理由など、レオンは身に覚えがない。だが、確かに目の前の相手はそう宣言した。

 敢えて理由は問うまい。混乱に乗じて人間を排除して魔族に流れを作ろうという魂胆なのだろうと察しはつく。

 だが、易易とくれてやるつもりなど毛頭なかった。


 雷鳴騎士──名の通り、彼らは雷鳴と共に駆ける。

 篭手と脚甲の爪先に備えた霊輝石に霊力を通し、獅子のように獲物に飛びかかり一息に仕留めるのを得意としていた。

 しかし、レオンはその定石を使うことなくただ毅然と駆け出す。それに合わせてオオカミ人間もまた距離を詰めた。


 互いが振るう直剣が刃を叩きながら火花を散らす。その軽い手応えに、絶妙な加減を感じ取りながら攻め手を緩めない。

 中庭から響く剣戟に、城内の魔族達は騎士達の鍛錬だと思っただろう。

 それほどまでに剣を合わせてくる。


「──良い腕だ!」

「…………」


 素直な称賛に、謙遜の声はなかった。


 雷鳴騎士の甲冑は防御性能が低い。彼ら本来の速度を殺さぬようにだ。それを補って余りある速度と威力を誇る。

 騎士に任命された者はある程度の期間を集落や村の衛兵として過ごす。魔獣や魔物を退けることを役目とするが、不幸にも徴兵されてすぐに前線へ送られる者もいる。

 レオンに預けられる兵というのは、そうした者が多かった。

 霊輝石を授かり、五天将の兵隊として任を帯びることができるのは【十剣士】レベルの腕を要求される。

 サジリス小隊長のように【百剣士】ともなれば部隊を任されるほどになる。

 サピリオン大隊長は【百剣長】ほどの功績を打ち立てていたが、残念なことに腕を振るう機会には恵まれなかった。


 【千剣長】とまで上り詰めれば、残りは五天将の近衛兵。魂の研鑽にさらなる磨きをかければ、一国一城の主も夢ではない。

 人類総人口十億の中から選出された五名の将と肩を並べることを許される。

 ──いや。今となっては存在しない六人目がその頂に君臨していたが。


 幾度打ち合ったか、頃合いを見て互いに剣を離して距離を取る。

 整息。そこで初めてレオンが構えた。


 右手を引き、矢のようにロングソードの切っ先を突きつける。

 その刀身に左手を添えて、精神統一。

 にわかに輝き出す四肢の霊輝石に、オオカミ人間が身構える。


「……“駆けよ”!」


 レオンが左手で刀身を撫でると、紫電が奔った。

 そして。


 一筋の雷鳴となって、騎士が駆け抜ける。

 狙うは一点。ただ一点。一撃必殺にして一撃離脱。

 最速にして最短距離を駆け抜ける、最適解の電撃戦──!


 ──“ガキィン!”と、硬い手応えに今度こそレオンが絶句した。


 自らの身体を撃ち出す雷鳴騎士の必殺が

 突き出したロングソードが狙ったのは左胸。刺突による一撃必殺は失敗に終わった。オオカミ人間はまるでそれを予期していたかのように、長剣の腹でレオンの霊術を防いでいる。


「……神よ。我らの罪を、三度赦したまえ」


 レオンが身を引く。

 すかさず距離を詰め、長剣が足を払う。


「神々より簒奪した大地に生まれた我らの罪を赦されよ」

「くっ!?」


 薙ぎ払い、突き出し、払う。袈裟斬りから、フェイントを絡めた肘打ちがレオンの鼻っ柱に突き刺さる。たたらを踏む相手の胸当てに向けて蹴り出し、それは防御する間もなく直撃した。

 凄まじい衝撃に引っ張られたレオンの身体は宙に浮き、そのまま背後のガラスを突き破って大時計城の大広間へ落下する。

 床にひれ伏し、頭を振って身体を起こそうとして──自分に降りてくる影を見て咄嗟にその場から転がって避けた。間一髪。


「神よ。貴方の信に背き、生きる我らの罪を赦されよ」


 強い──! レオンは率直な感想に総毛立った。

 広間の並べられた台座から騎士甲冑達が動き出す。背丈は三メートル。大時計城の警備システムであるリビングアーマーは総数にして十三体。

 侵入者を感知した甲冑の魔物達が二人に向けて踏み込む。しかし、オオカミ人間は見向きもせずにレオンへ駆け出していた。


「ぬっ、くっ──!」


 息をつかせぬ連撃を捌き、相手が引いたのを見計らって自らもリビングアーマーの剛剣を避ける。


「貴方の赦しなく、死を迎える我らを赦されよ」


 人は生まれながらに罪を背負う。その原罪を贖うために生きるのだ。

 簒奪した大地に生まれた罪を赦し給え。

 罪を背負い生きる我らを赦し給え。

 贖いきれず死する我らを赦し給え。

 我らの罪を、三度赦し給え。


「トードウィック・フロッグマン──種族は違えど、貴君のその篤き忠義を尊び此処に冥福を祈る。かくあれかし。安らかに眠りたまえ」


 レオンが三度、雷鳴となって駆ける。

 瞬く間に四体のリビングアーマーの動きが固まった。しかし、よる年波には勝てないのかすでにその皺の目立つ顔には汗が浮き始めている。

 オオカミ人間は息ひとつ乱さずリビングアーマーの股下を獣のように駆け抜けていた。呼気を整える間髪入れず攻勢に晒されたレオンが撤退を考慮する。


「……この聖句には、欠点が存在する。人が繁栄することを罪と呼ばないことだ。おかしな話だと思わないか? 生まれた罪の赦しを乞い願う聖句だというのに」

「──そのような聖句は聞いたことがない」

「そりゃそうさ。


 オオカミ人間が顔を覆うバイザーを押し上げた。ハーフマスクを緩めて外す。

 その顔を見たレオン・ボルベアは言葉を失う。

 それは、つい最近出会った開拓者だった。


「────ファング・ブラッディ?」

「神様なんて大嫌いだけどよ。俺は信じるぜ──いつか必ずこの手で殺すと決めているんでな」


 謀られた──!

 気づいたときにはすでに遅い。

 いつからか。一体いつから、いいや最初からに違いない! この騒動は全て仕組まれたものだ!

 


「それじゃあな、レオン長官。地獄への道は善意で舗装されているらしい、黄泉への旅路は快適だ。安心して死んでくれ」

「ッ──!!」


 霊術は魂の研鑽が物を言う。ゆえに、精神力に左右される。

 激しく動揺すれば、霊力は哀しく霧散する。レオンは壁を蹴って逃亡を図ろうとするがそれよりもファングは速かった。

 足首を掴まれ、床に強烈に叩きつけられると手からロングソードを取りこぼす。


 激しく咳き込み、腕を足で押さえ込まれたレオンが最期に見たのは──処刑人の剣を担ぎ上げて笑う魔眼の人間。


「……蒼い、悪魔……──、」




 ──かくして、人間との和平の道は一人の悪魔の手により断たれた。


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