第18話 煽動者


 交易都市領主、トードウィック・フロッグマンの自死による訃報は瞬く間に広まった。

 それは少なからず人間軍にとっても衝撃的な話であり、同時に共存の道が危ぶまれる事態でもある。

 穏健主義のレオン長官を含めた駐在員達は真っ先に疑われたが、それはトードウィックの書き残した一枚の手紙によって冤罪であることが判明した。


 ……彼が書き残した手紙には、度重なる心労によって病を患った不甲斐なさから始まり、彼が亡き魔王デミトゥル・ヴァン・ヴェーグロードへ向けた篤い忠誠心と、領民の生活を優先するために背いた苦悩が書き記されていた。

 果たして、私たち魔族は人間の掌中に治められるべきなのか。魔王様が臣民は宝と言っていた。ならばそれを守るために、私は人間に降るべきなのか。魔族の明日も、未来も私には推し量れない。

 願わくば、今一度。

 玉座に戴く王の姿を一目見たかった。


 手紙はそう締めくくられている。

 そこには恨みも辛みもなく、ただただ領民のためをと慮る領主の本心が記されていた。

 交易都市の管理と運営は四大富豪の手腕に期待すると。そしてもう一枚の手紙には、残した妻子への謝罪が記されていた。




 あの夜から三日。領主は約束を守った。

 ならば今度はこちらが約束を守る番だ。

 交易都市の空気がにわかに殺気立つ。それは間違いなく人間へ向けられていた。

 愚かな民衆は領主の本心など知らないだろう。彼は本心から人間との和平を望み、魔王への忠義を尚も貫かんとしていたのだ。

 愚かな領主に愚かな民衆。そして豊かな環境、恵まれた経済都市。望んだ格差社会の縮図。

 何もかもが、マスター・ハーベルグにとっての追い風となる環境。


 あとは煽動するだけ。

 残るは宣伝するだけ。

 なんのことはない、簡単な仕事だ。

 元の世界に比べたら、これほど楽な環境もない。

 ──ただ油断はできないし、慢心など愚の骨頂。

 最後まで気を抜くことはできない。




 トードウィック・フロッグマンの葬儀は交易都市を挙げて盛大に執り行われた。

 その日だけは大時計城も一般開放され、人々はこぞって献花台に花を置いていく。

 駐在武官レオンも流石にこの日ばかりは魔族の目を恐れて開放されている城内に軍を待機させた。しかしそれでも非難の目は避けられず、肩身の狭い思いをしている。


 ただでさえ逆風のなか、さらなる向かい風に晒されて頭の痛くなる話だが彼らの不運はそこで留まらなかった。

 人間軍と魔族の間で傷害事件が発生。立て続けに四件、いずれも両者に死人が出ている。

 魔族の口からは、人間の凶刃。

 人間の口からは、魔族の暴行。

 たった一夜にして両種族の間に流れる空気は険悪なものとなり、その間には亀裂が走っていた。


 ──トードウィック・フロッグマンの死から三日。

 ラルフがマスターの装備を担いで戻ってくる頃には殺伐とした空気が流れていた。


「……オイラが離れてた間に何が起きたんだ?」


 賑やかだったはずの交易都市の空気の澱みに首を傾げながらも宿へ戻ってくるなり、ラルフはマスターに捕まる。

 出会って数日、ここまでご機嫌な姿は見たことがなかった。

 食堂は閑散としている。あれほど座席の奪い合いまでしていた魔族たちの影もなかった。


「よく戻ってきたラルフ。お前の帰りを待ってたんだよ」

「その前に何が起きたか教えてくれよぉ!」

「そこまで言うなら仕方ねぇ」


 ラルフが不在の間に起きた出来事をかいつまんで話す。

 領主トードウィックの訃報。魔族と人間の敵対関係の悪化、毎日のように起きる暴動。治安は悪化の一途を辿っていた。それでも互いに努めて抑えている感情は嗅ぎ取れる。あとは、もう一押し。ダメ押しとばかりに誰かが起爆剤となればいい。

 戻ってきた人狼の姿を見て、ララフィと女将が難しい顔をしていた。


「ラルフくん、帰ってきていたんですね」

「アンタ、なんて不吉なもん持ってくるんだい。棺桶だなんて」

「でもちょっと窮屈そうじゃありません?」

「オイラが入るんじゃないんだけど!?」


 黒塗りの棺に手を伸ばしたマスターがホルダーのボタンを押すと、素早く棺の装甲が展開される。それを見たララフィ達が驚いていた。

 中から手にしたのは、ドッグマズル形状のハーフマスク。シリコン製のインナーパッドに不織布である程度の防塵性能を確保しているが、あくまでも補助機能的なものである。本来の目的である素性を覆い隠す役割を果たしていた。

 本体のカバーは合金製で、やや重みを感じられる。

 もうひとつ。

 手にしたのは、上半分の兜。頭頂部にはピンと立った一対の犬の立ち耳。そこから下に向けて伸びる棒状の骨伝導イヤホンは耳の形に沿うように配置されていた。


「…………、」


 それを手にしたマスターの顔に、一瞬だけ翳りが見えた。ため息をひとつ、すぐに装着する。

 ハーフマスクをバンドで留め、前髪をかき上げてからヘルメットをかぶった。同様に後頭部で留めると、耳に骨伝導イヤホンをあてがう。

 額までしかないヘルメットを下ろすと“バシャンッ”と音を立ててマスターの顔を覆い隠した。

 オオカミを彷彿とさせる彫刻エングレーブが、一層威圧的に感じられる。

 ラルフに持ってきてもらった黒いロングコートに袖を通せば“いつも通り”だ。


 悪友、スロウド・マクウェルに多額の出資をして作らせた『複合兵装』には刀剣の格納以外にも様々な機能を有していた。

 頑強な外部装甲は盾になる。

 展開させた装甲をハードポイントにマウントすれば簡易的な鎧にもなる。 

 コレそのものが武器にもなる、まさに棺桶だ。

 ──だがマスターは、そうした防具を着けるのを嫌う。それが自分の中にある余計な感情だとは理解しているが、そればかりは切り離せなかった。

 唯一手放せない人間性とでも言うべきか。


「さぁて。こっからは大仕事だ──気合入れていくか」


 もっとも、彼に残された“人間らしさ”はそれしかないが。




 人間と魔族の軋轢は軋み、すでに限度が見え隠れしていた。

 そんな街の中で、講演を振るう魔族の姿がある。東の鳥人族だ。

 彼が言うには、今まさに我らの命運は天秤にかけられているとのことだ。間違いではない。そして怒りに任せて民衆へ向けて問いかけている。このままで良いのかと。

 我々は今こそ立ち上がるべきではないかと声を張り上げていた。その通りだ。同意する聴衆は、しかし、口々に賛同するばかり。何一つ行動に起こそうとはしない。

 彼らはそうして怒りの捌け口を吐き出すだけで満足するに違いない。怒りを抱いているのは自分だけではないという安心を得たいだけだ。


 拳を振り上げて民衆と共に歓声を挙げる東の鳥人族。しかし、次の瞬間、その頭上に影が降りた。

 何事かと見上げれば、大きく翼を広げた悪魔が飛び降りてきている。慌ててその場を離れると、間一髪のところで避けられた。


「な、な、何をするのだね!?」


 冷めやらぬ怒りに任せて詰め寄ろうとして、躊躇する。

 ──その、鋼鉄の面頬。不吉なオオカミの人相に、足踏みした。

 異様。異質にして威容な存在の登場には聴衆の魔族たちも釘付けとなる。

 髪は蒼く、だが黒一色。顔も、服も、つま先まで。

 身に帯びた刃の数々が近寄りがたい威圧感を放っている。


「──ご安心を。俺は貴方がた魔族の味方です」


 さて、と。前置きしてから腕を大きく広げると、黒い外套が翻った。


「まずは非礼を詫びよう! 講演の飛び入りを恥じるばかりだ! しかしながら、彼の演説には俺も同意している。魔族諸君、重ねて問いたい。

 ──果たして本当にこのままでいいのか!」


 ざわめく聴衆は、まだ困惑の色が大きい。

 しかし構わず続けた。


「魔王デミトゥル・ヴァン・ヴェーグロードは勇者の手によって討たれた。ここぞとばかりに北方氷獄より雪崩込んできたのは人間軍。そして交易都市は降伏し、続けざまに首都スレイベンブルグは陥落した! 今はどうだ。諸君達にとって最後の砦である南方炎獄でさえ降伏を申し出た! ──諸君! 魔族は果たして、本当にこのまま人間の手に落ちるべきか!」


 そんなはずはない。思いはすれど、口にする者はいなかった。


「交易都市領主トードウィック・フロッグマンは自ら死を選んだ! それはなぜか。彼はこの選択を後悔し続けていたからだ。悩み続けていたからだ。苦悩のあまり病に臥せるほどに。果たして本当に自らの選択が正しかったのかと自問を続けていた。自責の念に囚われ、しかし、これは亡き魔王様のためなのかと。その只中に身を置きながら誰にも悩みを打ち明けることは、最期までなかった」


 領主の名前を挙げられた途端、聴衆の目の色が変わる。


「そうだ、それでいい。その怒りだ! 奪われたものの、正しき怒りだ! 俺はそれを否定するつもりはない。魔族の未来はこのまま人間の支配下に置かれるべきか、いいや! そんなはずはない! 魔族の未来は、魔族の手で勝ち取るべきだ! 俺はそのためにこの場へ足を運んだのだから」


 素性も定かではない人物は、魔族か。いいや人間だ。しかし、本当に、果たして。どうなのか。その口ぶりは魔族の味方をしている。人間の敵だ。

 疑心暗鬼に陥る聴衆は少しずつその言葉に耳を傾ける。


「魔族の土地が交易都市より奪われたのならば、奪還する先駆けとなるべきもまたこの交易都市であることは明白! 人間軍はこの都市を経由して戦力を増強する一方だ! ならばここで堰き止めるべきだ。我々の手で。行動を起こさなければ未来は変えられない」

「……君の言うとおりだ! だが」

「そう。だが、しかし──と、貴方は言い訳を続けるだろう。決定的な動機となるものがないのだから。危険を顧みず前進する勇気がないことを盾にするだろう。だから負ける。年甲斐もなく、腰を据えたまま魔族の未来は絶たれる。想像してみてほしい──愛しい我が子が生まれた時、魔族とは人間の支配下に置かれた隷属的存在なのだと教えられる未来を」


 果たして許されるのか。そんな世界が。そんな未来が。

 我々魔族はそのような種族などではないと、みなが口にする。それでいい。

 おもむろに“オオカミ人間”は袖を振る。

 その手に握られているのは、金のインゴット。隣に立つ東の鳥人族に手渡すと、目を剥いて驚いていた。


「き、金だ! 金のインゴット……! それも、「重ね十字」の!」


 最高級の価値を持つ金貨と顔を何度も見比べる鳥人族の手に、手を重ねてそっと握らせる。


「さぁ諸君──富める者がいる。同じく、貧する者がいる。窮する者がいる。明日すら立ち行かなく者がいる。ならば俺が買おう! 魔族の明日を、諸君らの未来を。交易都市に生きる魔族に知らせるといい! 親愛なる隣人へ、伝えるといい!

 人間の首は高く売れると、声高らかに! 俺はその勇気を買おう。未来への献身に敬意を評し、重ね十字のインゴットを支払うと約束する!」


 金は麻薬だ。もっとも違和感なく流通する薬物だ。その価値が高ければ高いほどに自らの価値観が揺らぐ。


「この都市に何人の人間がいる? 百か? 千か? 万か? 商品の在庫には限りがある! 早い者勝ちだ! こいつは手付金代わりにくれてやる! 南の武具屋に走り込め、今頃血眼になって武器を並べているころだ!」


 オオカミ人間が懐から革袋を取り出すと、紐を緩めた。

 そして──大きく振りかぶってその中身を聴衆へ向けてばら撒く。

 金のインゴットが宙を舞った。ぎっしりと詰まった中身が空になるまで。


 降り注ぐ陽の光が反射してきらめく。

 聴衆の目が欲望に染まる。

 甲高い金属音を鳴らして、魔族の枷が外れていく。

 我先にと飛びつく姿を見てオオカミ人間は笑って立ち去った。

 ──そして。

 間もなくして、交易都市各地で暴動が起きた。

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