第17話 悪魔の奸計


 朝の貧民街では、一睡もできずにいたジェイルが眠そうに大あくび。

 思わぬ大金も大金、遊んで暮らせるだけの金が手元に転がり込んできた興奮と困惑で眠れない。当然それだけの大金を積んだ荷車を狙う輩達もいたが、どういうわけかとんでもなく不機嫌なメリフィリアの手で二度と立ち上がれなくなるほど打ちのめされていた。

 食べるわけでもなく、ただただ憂さ晴らしに殴る蹴る投げ飛ばすといった暴力を終始無言のまま振るう姿にはジェイルもなんと声をかけたらいいか分からずにいる。

 自分と同じく一睡もしていない様子だが、いつもと様子が違うのもまた別な気味の悪さと居心地の悪さが同居していた。


 そのメリフィリアは今、隣で膝を抱えて座り込んでいる。据わった目で真っ直ぐ一点を見つめているが、そこには何もなければ誰もいない。瞳孔の開いた瞳のまま、終始無言だった。声をかけても無視される。

 流石にそれにはジェイルも参っていた。拷問のような時間が一刻も早く過ぎ去らないかと願うばかりのところへ思わぬ助け船。


 にわかに騒がしくなる貧民街に顔を見せたのは北の大富豪、グレゴリー。護衛の鬼人族と獣人たちを引き連れていた。

 街の現状を見渡し、肩を落としながらも目的の相手を見つけると大股で歩み寄ってくるとジェイルの前に立ち、屈んで目線を合わせた。


「アンタがクロムキャスケット盗賊団のジェイルだね」

「……ぉ、オレになんか用か。北の大富豪さまが」

「そんな身構えなくたっていいよ。アンタがコレまで働いてきた盗みの数々についても、まぁ不問にしといてやる。今はね」


 今は。その一言に警戒を強める。

 言いたい言葉は山程あった。北の責任者であるお前のせいでこの惨状だ、とか。この貧民街の現状をどうも思わないのか、とか。ジェイルはまだ魔族の中でも幼い。育ってきた環境もお世辞にも良いとは言えなかった。だからこそ、人一倍純粋な怒りを年相応に覚える。

 しかし、グレゴリーの節の大きな指が頭を乱暴に撫でると、そんな言葉が引っ込んでしまった。


「エキドナの奴から話を聞いた。アンタの金で、北に人を動かすってな。その提案者には今日にでも会いに行く予定さ」

「そ、そうにゃのか……あぅぅ、撫でるのをやめろぉ……!」

「貧民街の惨状はアタシも把握してる。その対応が後手に回ってるのもアタシの不甲斐なさが原因だ。すまないね」

「ぅ……」

「戦傷者たちの今後についても領主さまと話し合ったりしてたんだが、今は床に臥せながら仕事してるなんて話じゃないか。どうにも、ままならないね」


 グレゴリーは立ち上がると、自分の護衛たちに荷車を運ぶように指示を出す。

 そのそばで座り込んでいるメリフィリアに気づき、躊躇していた。


「アンタ、何者だい?」

「…………魔王軍諜報部、暗殺部隊総長メリフィリア。気づかなかったのね、グレゴリーさん?」

「──は? いや、だって、メリフィリアと言えばアタシと同じくらいの背丈の」


 ゴキッ、バキ、と音を鳴らしてメリフィリアが骨格から“擬態”していく。

 変態していくさまには、腰を抜かす鬼人族すらいた。


「──ぁはっ。これで理解してくれたかしらぁ?」


 直角に折れ曲がっていた首の骨を鳴らしてはめこむ姿に、グレゴリーは鼻を鳴らして腕を組んで睨めつける。


「初めて見たよ、アンタが擬態するところを」

「ふひ……。それでぇ、彼のところに行くのよね? 私達もご一緒させてもらっていいかしら。一応そのお金は、私が管理することになってるから」

「もしも断ったらどうするつもりだい」

「その時はぁ──ねぇ?」


 指の骨を盛大に鳴らして、腕を硬質化させたメリフィリアが笑っていた。


「捕って食うなんてしてあげなぁい。殺すわ」


 音を立てて割れていく下顎からギチギチと音を鳴らして、大顎を開きながら。

 不機嫌な暗殺部隊総長は殺意を迸らせていた。それにはグレゴリーも降参の意思をみせる。


「わかった、わかったよ。断らないから機嫌を直しておくれよ、暗殺部隊総長さん」

「……? 機嫌が悪いってどういうことかしら?」

「おや? エキドナに坊やが買われて不機嫌なんだと思ってたけど、違ったか?」

「……、んー? わかんないわ。なんで私、機嫌が悪いの?」


 しきりに首を傾げるメリフィリアは再度擬態することで律儀にも自分の正体を偽っていた。

 生憎にも恋愛経験のある魔族はこの場に居合わせていなかったため、誰もその疑問に答えることはできない。




 グレゴリーは西の緩衝地帯で待つエキドナのもとへ向かう。

 ほとんどが高級施設の立ち並ぶ場所だが、その裏側。環状馬車道の通りに面していない場所は取引場所として利用されている。人通りが多く、人目につきやすい場所は憧れの一等地、羨望の眼差しを受け止める防波堤だ。だがどんな職業でも表面だけでは推し量れない労力のもとに成り立っている。

 荷車を押し運ぶ用心棒たちが辿り着いたのは、資材置き場。

 そこではすでに到着していたエキドナと労働者達に混じって奴隷も並んでいた。


「よっ」


 当たり前のようにマスターもいる。べったりとくっついている三姉妹も同席していた。

 ──それを見た瞬間のメリフィリアの形相は、無だった。瞳孔をかっ広げて無言で凝視している。怒りを通り越した時、感情の振れ幅が無くなるように。


「……アイツは死にたいのか?」


 なんとも緊張感の無い異訪人の姿に、グレゴリーは呆れていた。

 どことなくエキドナも座りが悪そうにしている。今日の召し物は黒のドレス。娘たちもお揃いだ。


「グレゴリー、約束通り連れてきたわよ」

「こっちも言われた通りの金を持ってきたよ。それで、いくら使うつもりだい?」

「まず、半分買い戻すわ。材料費と人件費としては妥当なところ」

「だ、そうだよ。いいかい、メリフィリア」

「どうぞ」


 グレゴリーに顔を向けすらしない。その視線はマスターにだけ突き刺さっていた。

 それを知ってか知らずか(確実に気づいているだろうが)、三姉妹の尻尾が足に絡みついていく。

 荷車の上から革袋を運び出す屈強な用心棒たち。


「次は貧民街に当てる食糧費ね。もう半分、といったところかしら」

「それはぼったくりすぎじゃねぇかなエキドナ様?」

「お黙り。貴方の悪知恵は評価するけれども、こと商売に関しては私のやり方に口を挟むのを許可した覚えはないわよ」

「残念ですが俺の口はこれだけなんで、これ以上減らす口がないんですよ」


 苦虫を噛み潰したような顔でエキドナは羽扇で口元を覆っていた。


「なら貴方の考えを言ってみなさいな」

「北の貧民街の食糧事情を鑑みるに、長期的な支援活動を行うとなれば彼らの食事は安定供給体制の整った材料の必要がある。魔族の主食として一般流通しているのは小麦ないしマンドラゴラ、こいつの輸入であれば幾らか経費は抑えられる。なにも一日三食を豪華な食事にする必要はない」


 食事の話となるとマスターは途端に厳しくなる。

 貧民の消化機能も考慮した食事の献立として、パンとシチュー。そして同時に加熱殺菌した水も合わせて提供するようにと提案していた。その手順と方法についてもマスターは質問されるよりも前に説明する。

 グレゴリーは口に手を当てながら、唸っていた。

 明らかにこちらの懐事情と、貧民の弱った消化能力を考慮している。それを淀みなく、まるで湯水のように口から知恵を出していた。


「──とまぁ、こういう補給経路であれば安定した供給が見込めるかと」

「…………アンタ本当に異訪人? アタシらの同業者じゃなくて?」


 まず北の貧民街に調理場を用意する。西で下準備した材料を輸送して提供するという形だった。作業分担による効率化、調理の手順も単純作業。それに異論を唱えるものはいなかった。


「坊や、相変わらず頭が回るみたいね。でもね、あんまり出しゃばると痛い目に遭うわよ」

「忠告どうもありがとうございます」

「……異訪人。アンタ一体何が目的だい」


 ことと次第によっては排除する。そのつもりだったが、マスターはずらりと並ぶ顔ぶれに、考え込む素振り。

 周囲の人影にも目を配る。


「──俺の計画を話してもいいが、協力が得られるかは怪しい」

「目的次第さ」

「人間軍の根絶、まずはそれだけ」

「……は。本気かい? 相手は」

「もちろん本気です。そのための下ごしらえもしている」


 グレゴリーがエキドナに視線を移した。その話はエキドナ自身も初耳だったのか首を横に振っている。

 交易都市の四大富豪のうち、二人。


「今、魔族の領土にいる軍勢五十万。これを叩き潰す、将軍達も含めて」

「……リョウゼン将軍は、規格外の存在だよ」

「ご安心を。俺もそうなので」

「勝算、あるんだろうね」

「もちろん」

「気に入った。聞かせな」

「貴方のような腕っぷしの立つ鬼人族から協力が得られるとはあまり思えない手段ですが。それでも?」

「勝ち目があるなら聞くだけ聞くよ」


 人間軍に一泡吹かせられる絶好の機会だ、逃すわけにはいかない。


「……そこまで言うなら話しますけどねぇ」


 ──人間軍の首に懸賞金をかける。至極単純な仕掛けだ。

 しかしそれだけで他の魔族達が動くとは思えない。渋い顔をされ、厳しい意見が返ってくることも想定済み。


「それでどうするんだい?」

「人間と魔族の対立を煽ることで民衆を動かす」

「そんな簡単にいくかね」

「簡単ではないでしょうね。魔族の犠牲者は避けられないものでしょうし。ところが、俺は生粋の煽動者テロリストだ」


 巧みな弁舌を振るい、無知な人々を煽り、唆し、誑かして民衆に人間への敵対心を植えつける。だが振るう張本人が人間である以上、区別なく敵意の的になるのは見えていた。


「交易都市に住む人口一千万の魔族全員で人間軍を打倒する。数は力だ。愚にもつかん頭数かもしれないが、それで十分。民衆には「自らの力で勝利を手にした」という達成感を与えればいい。そのついでに、金も手にできるとなれば貧する者は特に飛びつくだろうよ」

「…………エキドナ、アンタとんでもない買い物をしたね。本気かい」

「彼の計画を聞いたのは私も初めてよ。でも確かに不可能な話ではないわね。決定的な動機付けが足りていないけれども」

「あぁ、その点についてはご安心ください。すでに手を回してあるので」


 にこやかな笑顔の裏にどれほどの策を張り巡らせているのか、グレゴリーには想像もつかなかった。




 ──そしてそれが白日の下に晒された時が来る。

 マスター・ハーベルグは英雄などではない。

 勇猛果敢な勇者でもない。

 ただ少しばかり悪知恵の働く悪ガキだ。


 それがちょっとばかり、度が過ぎているだけのこと。


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