第16話 勝利の兆しの南風


 マスターをベッドに押し倒し、舌なめずりをするノーティスとリュアレ。そこから一歩引いて様子を見るメドゥ。

 三姉妹の顔ぶれを見てから、マスターは深く息を吐いた。

 別段、思うところはない。

 生まれた時から、物心ついた時からずっと、この身体と、使いきれそうにない命を抱えて生きてきた。

 だから三姉妹の玩具にされようが、慰み者にされようが特に感慨は抱かなかった。それよりも大事なのは当面の目的である交易都市奪還のための手筈。

 下準備としてはそろそろ終わりに差し掛かっている。首尾よく四大富豪の一人とも接触できた。


 自分の身体に指と舌を這わせるノーティスと目が合う。そのままジッと見つめたまま顔を寄せてくると、鼻先が触れ合いそうなほど近づいてきた。


「……あら。あらあら? 貴方──変わった眼をしてるのね? もっとよく見せてちょうだい」

「あぁ、姉様ったら独り占めするなんてズルい。私にも見せてください」

「わ、私も……えっと、あとで……」


 リュアレもノーティスに頬をくっつけながら覗き込んでくる。


「……貴方の眼、魔族みたいだわ」

「ねぇ。貴方本当に異訪人なの? 随分と馴染んでいるみたいだけれど」

「不思議なことに、まだこの世界の事情を把握しきれてない駆け出しです」


 貴方のいた場所はどんなところか、と胸を押しつけられながら尋ねてくるリュアレにマスターは正直に答えた。


 ──国際連盟。人理統治機構による管理国家体制の敷かれた世界。それは世界の半分を管理下に置いて運営されていた。

 その要因となったのが、マスターの所属する秘密組織「依頼屋」である。国連によって国際テロ組織として認知されて以来、両者は水面下で衝突を続けていた。

 その組織の幹部の一人が自分だ、とマスターが言うと三姉妹は驚く。


「こぉんなに若いのに?」

「貴方すごいのね。どうやったの?」

「いやまぁ、褒められたもんじゃないんですがね」


 ──要は、のだ。

 実力のある下っ端が好き放題暴れ回り、皺寄せを上層部が処理する。それを快く思わない組合長……つまりはギルドオーナーが無理やり幹部候補に押し上げた。当時の情勢も後押しすることとなり、見事、最年少記録を更新することに成功する。

 ただまぁそれはそれで問題が起きていた。

 そんな奴に権力を持たせたのが運の尽き。

 長らく着手されることのなかった業務の効率化によって振り回されることになった。もちろんそれで本来の仕事が疎かになっては元も子もない。


「──とまぁ、そんなこんなでお偉方に目をつけられたってわけ」

「つまり?」

「早い話、国に追われてる身」


 依頼屋幹部クラスともなれば指名手配犯として「異名」をつけられる。もちろん氏名の公表もなされない。

 テロリストには名前も実績も与えない。歴史の闇に葬り去られて人々の記憶から消し去る。それが人理統治機構による見解だった。

 マスター・ハーベルグという一個人ではなく「蒼魔」は、存在しない悪として扱われている。

 依頼屋が関連していると思わしき事件は全て事故として処理されていた。事後処理を国連が担ってくれるなら、こちらも大手を振って仕事に専念できる。そうマスターは考えていたが、同業者たちの間ではその考えそのものが異端らしい。


 顔に手を添えて頬を優しく撫でてくるノーティスが耳元でささやく。


「人間達の社会だと、貴方はとても生きづらそう」

「肩身の狭い思いをしているのは否定しませんけどね」

「いいこと教えてあげる。貴方のその眼は、魔族達の間では「魔眼」と呼ばれるの。生きた宝玉ともね」


 曰く、瞳そのものが魔力を有する媒介であるという。魔力耐性を持たない人間にとって、それは睨まれるだけで身体を竦ませるほどに強力なものだ。だからこそ人類は霊術によって魂の研鑽を怠らない。

 目は口ほどに物を言う、この世界においてそれは真理だ。


(……なるほど。だからリョウゼン将軍は俺のことを警戒したわけか)


 なぜあの時、自分のもとへ真っ直ぐ来たのか理解する。

 リョウゼン将軍はを見つけたからだ。もちろん魔族の中にいる人間というだけでも人目を引くだろう。しかし、魔王存命の名残かレオン長官でさえあまり警戒心を抱いていなかった。そこに共通した認識を持つのは常識を疑う異人たちの他にない。


「いいことついでに、お聞きしても?」

「ふふ、いいわよ。なぁに?」

「スレイベンブルグに向かう人間軍は必ず西の大城門を通っていくはずです。それを素通りさせているとなればエキドナ様の評判は悪化するのでは?」

「そのために“通行税”を設けているのよ」


 それが部屋に転がっていた大量の人骨と、屋敷の中で働いている使用人。

 彼ら、彼女らは人間が連れてきた奴隷であり、魔族もそうだ。


「それで豪遊三昧、と。ははぁ、羨ましい限りですこと」

「だから貴方は特別にかわいがってあげる。大丈夫よ、痛い思いなんてさせないわ」


 自分を見下ろす三人の美女の大蛇。

 腕を押さえ込まれ、足を縛られてマスターは自由を奪われたまま裸でベッドに寝そべっていた。


「随分とまぁ、お優しいことで──」




 ──その日の晩。

 北の大富豪。【鮮紅鬼】は、珍しい相手から呼び出されて会食の席についていた。

 右目に革の眼帯を着けた筋骨隆々の巨女。背丈は二メートルを越えた長身。盛り上がった上腕の筋肉も、革のハーフズボンから覗く大腿筋が窮屈そうにしていた。

 その後ろには選りすぐりの護衛たち。赤肌の鬼人もいれば獣人もいる。いずれも身体に傷跡が目立つ歴戦の勇士だ。


 交易都市北西部。富豪の緩衝地帯としての役割を果たす東西南北の中間地区が他の町並みに比べて高級施設が立ち並ぶのは出資者の金額が理由だ。


「人を呼び出しておいて遅刻するたぁ、相変わらずじゃないか。えぇ? エキドナ」

「あら、あら。人聞きの悪い言葉ですこと。呼び出したのではなく、お招きいただいたの間違いよ、グレゴリー」


 二人の宴席の前には豪勢な料理が並べられていた。今回はエキドナが主催者ということもあり、彼女の奢りとなっている。

 料理の数々は鬼人族の嗜好に合わせて肉料理が多かった。

 それだけではなく、岩盤料理も付け合わせに盛られている。

 犬猿の仲ではあるものの食事の好みは似通っていることもあり、そのせいで余計に顔を合わせては火花を散らしている。しかし、今回は事情が事情だ。そこは商談の席ということもあり、互いにぐっと言葉を呑み込む程度の良識は持ち合わせている。


「お互い顔も見たくない程度の仲ですもの、話は手短にさせていただくわ。北の復興事業に関する件よ」

「はんっ、何かと思えばそんなことかい? 慈善事業に目覚めたとでも? よしとくれよ気色悪い」

「誤解しないでちょうだいな。これはあくまでも商談。取引なのよ、いつまでも喧嘩腰でいられると周りも萎縮してしまうわ。そうでしょう、ダイル?」


 エキドナの背後。護衛は一人だけだった。

 ダイルと呼ばれたワニの爬虫人族は無言を貫く。しかしそれは肯定の意思表示。


「北の貧民街。クロムキャスケット盗賊団の一味が闇競売に面白い物を出品していたの、それを買い取った私のお金が懐にあるはずよ。それを元手に、私のところの人手を動かしたいの。北の管理者に話は通しておかないと……ね?」

「あの泥棒猫の連中かい。なにを売り出したってんだ」

「聞いて驚かないでちょうだいな。──異訪人よ」

「……はぁ?」

「もちろん、人間達が“勇門の儀”を執り行ったという報せはないわ。となれば一体どこから来たのかしらね、この“異世界の勇者さま”は」

「偽物掴まされたんじゃないか?」


「──“魔眼の人間”だと言っても?」


 鼻で笑っていたグレゴリーの表情が固まる。


「……そりゃただの人間じゃないね。詳しく教えな」

「大事なのはそこじゃないわ。今は貴方に取引を持ちかけているの」


 北の復興事業、確かに人員が不足しているのは事実だ。だが東も南も素知らぬ顔をしている。下手に動くことを避けていた。

 以前のような交易による利益は見込めない。人間軍の移送に魔族の人手と輸送経路を丸ごと乗っ取られているからだ。ならば内部での取引によって賄うしかないのは頭で理解している。

 北は金銭も人手も不足している。それを西との取引によって賄うことができるのならばお互いに、ひいては交易都市の貢献にもなる──頭で理解していた。


「エキドナ。アタシはアンタが嫌いだよ。強欲で陰湿で狡猾なアンタがね」

「あら、お言葉ね。私もよ、野蛮で剛毅で無鉄砲な貴方が嫌い」

「だからそのアンタが、お互いの利益にのみなる話を持ちかけてくるのを疑うのは当然とは思わないかい?」

「そうね」

「だから教えな。アンタ、何を企んでるんだ……?」

「……そうね。これは私の企みじゃないことだけは教えてあげる」

「だったら何処の誰の入れ知恵……、まさかさっきの異訪人か?」

「相変わらず鼻は鋭いのね、そういうところ嫌いよ」


 エキドナは否定しなかったことから、グレゴリーも察しがつく。そして予感していた。その異訪人は、あまりに危険すぎる。


「…………──いいよ、わかった。アンタの取引に乗ってやるよ。ただし条件がひとつある。その異訪人に会わせてくれ」

「取引は成立ね。その条件も飲んであげる。話はひと段落したことだし、せっかくだもの、食事を楽しみましょうか、グレゴリー」


 岩蜥蜴ロックリザードの蒲焼に豪快にかじりつくグレゴリーが力任せに肉を噛み千切る。鱗が岩のように固いとされているロックリザードだが、彼らは身体から分泌液を出して岩を身体に纏うことで外敵から身を守るためだ。

 鬼人族は歯ごたえのある料理を好む、そのため岩蜥蜴の肉料理は好物に挙げられることで多かった。南方炎獄の特産品でもある逸品にグレゴリーが舌鼓を打つ。


「~~~、っあぁたまんないねぇこの歯ごたえ! 懐かしい味だよ」

「……南も今頃、頭を抱えているでしょうね」

「いつまで食えるかね、この肉も。城砦都市も降伏。首都の人間軍に対してうちらの反乱軍がどこまでやれるかね。正規の魔王軍は散り散り、姫様も行方知れず。魔族の未来はお先真っ暗だ」

「あら、珍しく弱気ね」

「アンタは違うのかい?」


 食前酒の赤葡萄酒を含み、エキドナはグラスを揺らしてテーブルに頬杖をつく。


「私はむしろ、ようやく追い風が吹いてきたと思うわ」


 この敗戦は北風から吹き下ろしてきた、ならば勝利の風は南風だ。

 その商機がようやく巡ってきたとエキドナは答える。グレゴリーはまるで自分が敗北の風を起こした一因だと言われているようで面白くなかった。


「……トーラ!」

「オッス、姉御!」

「北の戦士は臆病風に吹かれるかい!」

「いいえ! 北の戦士は強く逆境に立ち向かいます! だからこそ敬虔な北風の戦士は勝利の風と共に常にあります!」

「なら勝利の風は南からというのも頷けるね!」

「オッス! 姉御の言う通りです!」


 トーラと呼ばれた灰色の毛並みの人狼は毅然とした態度ではっきりと言い切る。それにグレゴリーは再び岩蜥蜴の肉を頬張り、飲み込んだ。


「負けっぱなしは鬼人族の角が折れるってもんだ! 勝てる空気と流れは力づくで引き寄せるのがアタシ流だよ!」


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