第15話 大蛇の三姉妹
──闇競売における取引は金銭の受け渡しによって成立する。
エキドナの隣には首輪を着けた屈強な肉体の
ジェイルの前に積み重ねられる革袋には、はちきれんばかりの金のインゴット。
魔族の通貨として用いられる物の中でも最高級品とされる品だ。
これまで手にしたことのない大金を目の当たりにして完全に硬直している。
「受け取りなさい。それで取引は成立よ、遠慮しないでちょうだいな」
九千万、より正確な金額換算にして現代価格で九億。人身売買の中では異例の金額と言えるだろう。その支払いを全額その場で決済するエキドナの豪胆さにはマスターも恐れ入る。
「へー、魔族の金貨ってこういう感じなのか」
「あら。インゴットを見るのは初めてなのね、坊や」
「俺のいた世界にも同じような物はありましたけどね」
インゴットのサイズは統一されており、現代基準にして長さ六・六センチ。幅にして七・二ミリ。厚さが四・九ミリ。
麻雀の点棒のように特殊な穴が開けられており、その数によってインゴットの価値を示すものとされていた。さらにサビや破損防止のために特殊な魔術で保護されているという。
上下に十字の形で配置された「
「……これ一本で一年はオレ生きていけるぞ」
危険物でも取り扱うようにジェイルは金のインゴットを持ち上げて固唾を飲む。
「ほ、ほんとうにオレのなんだよな? 夢とかじゃないんだよな? だ、騙したりしてないもんな、ちゃんとした取引だもんなこれ」
「そうよぉ。でもこんな大金を持ち歩いて貧民街歩いてたら暴力沙汰よねぇ。あ、襲ってきたら食べちゃえばいいのかしら、ふひへへへへ……でも魔族っておいしくないのよねぇ、大味で。味も似たりよったりだし」
マスターが積み上げられた革袋を見て、ふと考えがよぎった。
「失礼、エキドナ様。ひとつご提案がありますが、耳をお借りしても?」
「早速ね、いいわ。言ってみなさいな」
「この金額が動く利益、北の懐にいれるのは面白くないと思いません?」
その言葉に目を丸くして驚くエキドナは、一瞬だけ固まる。
しかし、意味を理解したのか大きく口を歪めた。
「坊やの言うとおりだわ。なにか考えでもあるのかしら」
「なに、ちょっとした悪知恵です」
早い話、北の復興事業に西の人材を動員する。当然、ジェイルの金だ。決定権はそちらにある。しかし、貧民街の現状を知っているマスターとしてはそちらにメスを入れつつ、なんとか話を取り付けたい。その話が巡って北の富豪の耳に届けば自然と自分の名前も売れるからだ。
要求は居住区の改善と食糧事情、それ以外の金額の使い方に関してはジェイルに任せる。ただし財布の紐はメリフィリアが管理する形で話をまとめていた。
「──、ふふ。抜け目のない坊やだこと、ますます気に入ったわ」
「…………む」
エキドナの目が細められると、面白くなさそうにメリフィリアが睨んでくる。まばたき一つなく開いた瞳孔で見つめられるのは中々肝が冷える体験だ。
その視線を知ってか知らずか、マスターの自由を奪う手枷を引っ張って頬に舌を這わせている。
「瞳孔ガン開きやめーや、怖いんだよメリメリ」
「………………」
「無言なのもこえーんだわ!!」
「あら、あら。ウフフ、どうやら坊やのことを気に入っているのは私だけじゃないみたいね? でも残念、貴方は娘たちの玩具にするために買ったの。悪知恵が働くみたいだけれども、そういうのは私のお仕事よ」
「余計なお世話だったと?」
「とんでもない」
元々四大富豪の仲はそれほど良くなかった。領主のおかげで足並みを揃えているようなものだ。もし、均衡が崩れた時は──その時は、どうなることやら。エキドナは笑みを隠しながらマスターを連れて行く。
「そのお金は大事にしまっておきなさいな。私の方から赤くて野蛮な女に話を通しておくわ。それから」
振り返ると、まだメリフィリアはまばたきをすることなくエキドナを見据えていた。大顎をギチギチと威嚇するように鳴らして。
「──それから、そっちの醜い
マスターが連れて行かれたのは、西の大豪邸。エキドナの邸宅だった。
物見遊山のつもりだったが、想定外の面白い買い物ができたことで珍しく上機嫌な主人に無口な爬虫人族も心なしか嬉しそうにしている。
その姿をじっくり観察すると、顔の骨格と隆起した背中の突起物からワニの魔族だと判断できた。
エキドナが買い集めた絵画や陶器がずらりとならぶ廊下を、一生懸命掃除している使用人たちの首にはいずれも金属製の鉄輪が着けられていた。若い男もいれば若い女もいる。身なりは小綺麗にされているが、その眼には怯えの感情が見て取れた。
真っ赤な扉の前でエキドナが立ち止まり、爬虫人族に合図をする。
マスターは手枷を外され、仮初の自由を与えられた。
「いいこと、坊や。よくお聞き? 私は使えない奴隷が嫌いなの」
「そりゃ奇遇ですね。俺も使えねぇ馬鹿は嫌いです。特に能もなけりゃ口も回らない無能な上司が」
「ふふ、言うわね。そういうことよ。死に目に遭いたくなければ、娘たちの遊び相手に励むことね。貴方を買ったのはそのためなんだから」
爬虫人族が扉を開けると、中は暗闇が広がっている。照明のひとつないのかと思っていると、むんずと胸ぐらを掴まれて放り投げられた。まるでワニに餌を与えるような仕草に悪態をつくと、暗闇の中から気配を感じてマスターが素早く体勢を整えて身構える。
「安心なさいな、坊や。明日の朝にはちゃんと様子を見に来てあげるから──私の愛しい娘たち、新しい玩具よ。今度は簡単に壊しちゃダメよ、高かったのだから」
──はぁい、お母様。
重苦しい音を立てて真っ赤な金属の扉が閉じられていく。やがて完全に閉じられると、暗闇の中に取り残された。
(蛇の体温を感知するっつー器官。名前なんて言ったっけな……いや確かにそれがあれば暗くても問題ねぇだろうけどよぉ)
マスターは目を閉じて息を吸い込み、間を置いてから深く吐き出す。それから暗闇の中に目を凝らした。
(娘たちって言ってたな。となると何人姉妹だ? 十二人とか言うなよ)
音を立てないように室内に踏み出すと、つま先に何かがぶつかる。
生暖かいような、生臭いような室内の臭いはお世辞にも居心地が良いとは言えない。マスターがかがみ込み、自分が蹴飛ばしたものをまじまじと見つめると──なにかの頭蓋骨だった。
特にこれといった恐怖感はなく、手触りだけで形を確かめる。
(……人の骨、か? 魔族の骨格にしちゃ随分と形が整ってる気がするしな)
──あら、貴方こういうの慣れているのね?
──ふぅん。変わった子だわ
──いつもの人たちと、匂いが違う
「……あー。お嬢様方? こう暗いとこっちも身動きが取りづらいので、せめてなにか灯りを点けていただけると助かるのですが?」
──姉さま、姉さま。どうしましょう?
──そうね。せっかくだもの、顔をよく見たいわ。メドゥ、灯りを
(声は三人、三姉妹か)
壁掛けの燭台が灯されて、室内を赤く染める。薄っすらとだが部屋の輪郭が露わとなった。
予想以上に部屋は広く、天蓋付きのベッドが見える。それも一人二人で収まるようなサイズではなかった。
そこから這うようにしてマスターの足元にまで忍び寄っていたエキドナの娘たちと目が合う。揃いの金色の瞳に、真っ赤な髪。灯りを灯している娘だけは髪の色も瞳の色も異なっていた。
衣類は身につけておらず、人の上半身からは乳房が丸出しになっている。
「あら、驚かないなんて素敵な子」
「素っ裸とは思わなくてちょっとビックリした」
足元に絡みついてくる蛇の身体に気を取られていると、顔のすぐ横にもう一人の娘が顔を覗かせて頬を撫でてきた。
「ふふ、近くで見るととってもかわいいのね」
「……姉さま達ばかりズルいです」
「あら、ごめんなさいねメドゥ。貴方もこっちに来なさいな」
音もなく這い寄ってくる相手は全長八メートルはあろう大蛇。密林で出会ったら最後、丸呑みにされてしまいそうな大きさにマスターは好奇心が勝る。
「はじめまして、俺はマスター・ハーベルグ。エキドナ様に買われた異訪人です。お嬢様方のお名前を伺っても?」
「あらあら、これは律儀にどうもありがとう。私は長女ノーティス」
「次女のリュアレよ。それで、そっちの色違いがメドゥ」
「……はじめまして」
なるほど、部屋の間取りが広く用意されているわけだ。
三姉妹揃って大蛇の身体を持つともなれば、確かに窮屈なくらいかもしれない。
だがマスターの意識はそちらどころではなかった。部屋の中にはゴロゴロと人の骨だったり、食べかすだったりとゴミが乱雑に落ちているわけで。
ましてやそこから腐敗臭だったり虫が湧いているともなれば我慢ならない。
「早速で申し訳ありませんが、部屋のお掃除をさせていただいても? ちょっとこの……衛生環境が、あまりにも耐え難いもので」
汚部屋にも程がある。
部屋の掃除をするマスターだったが、三姉妹は身体を絡み合わせて観察して手伝う様子はなかった。
蛇人族というだけあり、寒さに弱いのか暖炉がある。しかしその中にはゴミが乱雑に突っ込まれていた。ふざけろ畜生、箱入りお嬢様どもめ。マスターは半ギレになりながら人骨を片端から木の桶に叩き込む。
魔獣の牙や肋骨や腐敗した内臓もあり、手を怪我しながらもなんとか腐敗物達を片付けていく。
「メ~ドゥ~、手伝ってあげなさい」
「は、はい……」
見ているのに飽きたのか、ノーティスに命じられて鮮やかな紫色の髪のメドゥがベッドから降りてマスターに近づいた。
人骨の叩き込まれた桶を持って、壁の穴から出ていく。まるで通気口のようだが、そこから風が入ってくる感覚はなかった。
「ふふ、脱出しようなんて考えない方が利口よ?」
「そこの扉からしか出入りできないわけか」
「そういうこと」
「ご安心を、逃げ出そうなんて考えよりも今は掃除を優先してるので。むしろ俺からするとこんな部屋で平気で過ごしてる方が神経を疑う」
戻ってきたメドゥの手には水の入った桶と雑巾。両手で大事に抱えたそれをおずおずと差し出してくる。
「……どうぞ」
「どうも……」
もしやこの子、人見知りか? 自分だけ髪の色と眼の色が異なることから姉達にコンプレックスを抱いているのかもしれない。
マスターは雑巾を濡らして床を磨き始めた。
「俺は、使用人として買われたわけじゃ、ねぇんだけどなッ!」
「……私達の部屋、そんなに汚い?」
「上から数えた方が早いくらいにはマジで汚ねぇ!」
ちなみに女将の厨房は首位独走。あんなのは調理する場所じゃねぇ。
「アハハハハ! 本当に怖いもの知らずな子だこと!」
「御三方は普段なにをしているので?」
エキドナの仕事の手伝いをする時以外は、部屋に引きこもっているらしい。なら掃除しろ。マスターは思っても言わなかった。どうせ魔族に家事を期待したって無駄だろう。特に上流階級の相手は。
使用人すら入室してくる気配はない。それにこの部屋の惨状を見る限り、人間も魔族もお構いなしに食料扱いだ。
せめてモップかデッキブラシが欲しいところだが、そんなものはない。手作業で汗を流しながらなんとか床掃除を終えるとマスターは息が上がっていた。
まだ全然満足いく出来ではないが、このあたりで切り上げないと今後の予定が全部部屋掃除になってしまう。
「満足したかしら?」
「いや全然、いくらでも掃除するところ出てくる」
「お掃除はその辺りにして──さ、今度は私達を愉しませてちょうだいな。そんな煩わしい物なんか脱ぎ捨てて、ね?」
獲物を前に舌なめずりする三姉妹が這いずってくるのを見て、マスターは肩を落とした。
「……どうして俺にはこう、魔族の女が寄ってくるんだ?」
身体の自由を奪われて、素肌を撫でる指がゆっくりと衣類を剥ぎ取っていく。
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