第12話 交易都市領主トードウィック・フロッグマン


 宿に戻ってきてから、マスターは目の前の仕事に集中した。酒と食事を目当てにやってくる客達を片っ端から片付けていき、清潔感のある厨房で少しばかり使い勝手の良くなった器材を活用していく。

 ホールスタッフのララフィは相変わらず看板娘として愛されているのか、客達と談笑している。


 厨房でひたすら食材を刻んで焼いて煮込んで盛りつけてここらで隠し味をひとつ、といった具合に料理に集中するマスターのそばでは助手としてメリフィリアがせっせと手を貸してくれていた。

 ラルフは昼間の買い出しでこき使われてすでに部屋で寝ている。よほど重労働だったのだろう。


 そうして店を閉める時間となり、客がいなくなった食堂の掃除をしていると、マスターの手がよく止まることにメリフィリアが気づく。


「どーしたのぉ?」

「……考え事してる」

「キミ、ここに来る前からも、来てからもずーーーっと考え事ばっかりしてるけど疲れない?」

「めちゃくちゃ疲れてる」


 四六時中、頭脳労働に従事していれば疲労も溜まる。手を止める気配もなければ、考え事をやめる気配もない姿にメリフィリアが頬をすり寄せた。屍体のように冷たい人肌に体温を奪われて寒気を覚えながら。


「なんだよ」

「ん〜〜? ダメよ、ちゃんと休まないと」

「休める時なら休む」

「そぉ。その時はちゃんと教えてねぇ。それで、首尾は?」

「まずまずといったところ。ただ一つ問題が起きた」


 リョウゼン将軍。シュヴァルクロイツ親衛隊の帰還によって交易都市の空気が一気に沈んだ。ましてや城砦都市の降伏も拍車をかけている。

 こうなってくると煽動するのが難しい。

 そうなるとマスターとしては面白くない。


「メリフィリア。ここからスレイベンブルグまで何日かかる」

「んー、大体五日くらい?」


 往復で十日程度。位置は交易都市から北西部。首都で制圧を進めているレオブレド大将軍も急ぎ足で戻ってくるとしても五日──マスターがそこまで考えを進めているとメリフィリアが耳元でささやく。


「でぇも、【雷鳴騎士】達は別。彼ら単騎での移動能力は比較にならない」


 その名に偽りなく、雷鳴と共に彼らは地を駆ける。斥候・急襲・電撃戦。機動力に特化した戦闘能力では他の追随を許さない。

 馬車での行軍では五日。だが彼ら単騎での移動では三日とかからないだろう。

 仮にそうだとしても最短二日。とはいえこちらからの情報が漏れるまでの猶予を考慮すれば……マスターは三日が限度だろうと睨んだ。


「メリフィリア。夜にクロムキャスケット盗賊団と接触する。いけるか」

「もちろん♪」

「協力を得られたらその足で城主に会いに行く」

「だいぶ計画が過密ねぇ」




 夜の北部スラム街──掘っ立て小屋の片隅で膝を抱えて座り込んでいたジェイルの猫耳が足音を捉えた。ベルトに下げたポーチから粗末なナイフを取り出すと、足音が聞こえた方角を屋根の上から警戒する。

 しかし、そこから見えたのは昼間に見た人間と──もうひとり、白髪の少女。仲良く腕を組みながら歩いてくるのが見えたが、悪寒に身体を震わせる。


(あの人間……今度は何の用だ。それに隣の奴──)


 体の震えが止まらない。

 だがジェイルは警告の意味も込めてファングに上空から襲撃するべく、音を立てずに屋根の上から飛びかかる。


「はぁい、ざんねーん♪」

「っ!?」


 ジェイルが振りかぶっていたナイフをつかみ取り、そのまま地面に引き倒すと白髪の少女はニコニコと笑顔を近づけてきた。

 ファングも襲撃には気づいていたようだが、あえて何も反応しなかったらしい。


「あら? あなたもしかしてぇ……えーっと……ジェイルちゃん?」

「知り合いか?」

「ええ。クロムのお気に入りの子だものぉ。私としてはぁ……あんまり美味しそうじゃないからあんまり印象に無い子だけど」

「はな、せ……! この、離せ……!」


 掴まれたままの手を引き剥がそうとするジェイルが暴れるが、ビクともしなかった。それにメリフィリアが顔を近づけて──大きく口を開けた。

 音を立てて顎が左右に別れて大顎がギチギチと嫌な音を鳴らすと顔から血の気が引いて硬直している。

 恐怖のあまり気絶しそうになっていた。


「私のこと覚えてるかしら?」

「の前に顎を閉じろお前。こえーんだよ」

「はぁい。もごもご……」


 泣き出す寸前のジェイルがファングに顔を向ける。


「お、まえ……なに、ものなんだ……!?」

「色々と事情が混み入っているから説明を省くが、クロムキャスケット盗賊団の腕を見込んだ仕事を頼みたい。もちろん、報酬も払う」


 急ぎの用事なんだ、とファングは付け加えた。




 ──“元”魔王城である大時計城の警備は厳重を極める。しかし、そこはメリフィリアがよく知っていた。

 中庭では駐在している人間軍が数千。それを避ける形で高くそびえる尖塔を飛び移り、なんとかテラスに忍び込むことに成功する。

 魔王軍諜報部暗殺部隊総長、メリフィリア。通称【食屍姫】。あくまで暗殺専門のため、鍵開けといった技術はからっきし。潜入調査といった情報収集向きだ。

 クロムとは誰か、とマスターが尋ねると、なんと暗殺部隊の副長だという。その片腕が今はどこにいるのか、改めてジェイルに聞くとメリフィリアの手前、黙っていられないのか小さくつぶやいた。


「……首都、スレイベンブルグに向かったっきりだ」

「レオブレド大将軍の寝首をかきにか?」

「他にあるか?」


 しかしその訃報が流れてこないということは、そういうことだ。

 ジェイルが窓の鍵を外側から魔術で解錠すると城内に忍び込む。

 交易都市の領主であり、大時計城の城主であるトードウィック・フロッグマンは病床に伏せ、それでも忠臣として領民のために尽くしている。

 この都市が人間の制圧下に置かれても半ば共生関係を築けているのも、領民達からの絶大な信頼を置かれているからこそだ。


 等間隔に建てられた尖塔、数にして二十四本。そこに中央の魔王城から差す影で時間を計る、という設計図案も彼の原案だ。だから魔王城から名を改め、大時計城と呼ばれている。交易都市の目玉のひとつでもあった。

 マスター達が忍び込んだのは二十三番目から。


「警備が薄いな」


 侵入者を感知する魔術罠の類でもありそうなものだが。マスターが不思議がり、メリフィリアに解説を求める。


「あら。魔族のお城に忍び込むのは初めて?」

「そりゃあな」

「じゃあ、教えてあげるわぁ。人間のお城と違って、魔王城の警備というのはね──」


 視線を廊下の奥に向けるメリフィリアにつられてマスターもそちらを見た。すると、赤絨毯の敷かれた通路の燭台がひとりでに灯る。青く揺らめいていた。

 その下。騎士甲冑が廊下の左右にずらりと並べられている。

 柄頭に手を置き、肩に担ぎ、槍を持つものもいれば兜に飾り羽を着けた騎士甲冑の目に光が灯る。


「外敵よりも、侵入してきた相手を駆除する方面に特化しているのよ」

「へー、なるほどぉ」

「感心してる場合かよぉ!? ど、どどどどうすんだあれぇ!」


 生きた甲冑リビングアーマーの群れが一斉に三人に視線を向けた。侵入者を排除するためだけに動く魔物に向けて、メリフィリアが唇に指を当てる。

 それから一呼吸置いて、魔力を込めて息を吹きかけた。


「シーーー…………」


 声を聞いたリビングアーマー達は動きが止まり、何事もなかったかのように元の鞘に収まる。

 壁の燭台の青い炎が暖色系の色に染まっていくと廊下が静けさを取り戻した。念の為マスターが警戒しながら進むと、騎士甲冑はピクリとも動かなくなっている。


「さっきのは?」

「……ふひ。秘密の暗号よ、諜報部のね」

「ならいいわ。急ぐぞ」

「はぁい、マスター♪」


 ジェイルがマスターとメリフィリアの顔を交互に見てから、眉を寄せた。


「……お前ら恋仲にゃの?」

「んなわけあるかクソボケ貧乏猫」

「ふひへへへ、そうだったら長続きしなさそうねぇ。ご馳走が隣にあるんだもの」


 恋仲というよりは、一方的な捕食対象だ。どうやら自分は彼女にとっての“とっておき”らしいことを再認識するとマスターはため息をつく。


 目指すは城主の部屋。しかし、一度入ってさえしまえばこちらのものだ。魔王城の間取りを把握しているメリフィリアの案内で何事もなくトードウィック・フロッグマンの部屋にたどり着く。


 病床に伏せ、領民たちの前に顔を出すことがなくなってしまった交易都市の城主は月明かりを頼りに目を凝らしながら帳簿と睨み合っていた。

 鍵がひとりでに開いたことに驚きながらも声を出すことなく抵抗の意思を見せるのは、彼なりの意地だろう。亡き魔王に対する忠義を貫く姿勢こそ、千金に勝る価値がある。


「だ、誰だ……!?」

「夜分遅くに失礼いたします、トードウィック・フロッグマン様。私は魔王軍諜報部暗殺部隊総長、メリフィリア・ティグール。お久しぶりですねぇ」

「ま、魔王軍の……! そうか……、とうとう私もお払い箱ということか……」

「勘違いしないでくださいねぇ、貴方に用事があるのは私じゃなくてぇ──こっちの彼の方なので」


 トードウィック・フロッグマンは色褪せた緑色の湿った肌に病気からかイボのようなものができていた。領主としての証明なのか、赤い生地に金の刺繍が施されたケープを羽織っている。

 長命の折り返しを過ぎ、老年期に入ったしわがれた声をしていた。

 目を何度もまばたきさせて、暗闇の中から現れたマスターをじっと見つめると怪訝そうに首を傾げていた。


「君は……?」

「不躾な訪問、どうかご容赦のほどを。俺はマスター・ハーベルグ。この世界で言うところの「異訪人」です。交易都市領主、トードウィック・フロッグマン様のご助力を賜りたく参りました」

「異訪人──君がか。しかし、人間が勇門の儀を執り行ったとは耳にしていないが」

「俺はミレア・ヴァン・ヴェーグロードによって喚ばれた者です。姫様は無事です、そこはご安心ください」


 マスターの言葉に、トードウィックが思わず腰を上げる。


「それは、本当か! よかった……姫様……よくぞ、ご無事で」

「間違いなく。ひとまずの窮地を脱したところです、が。現状はままなりません。交易都市を人間の手から奪還するために貴方の協力が不可欠なのです」

「……いや、しかし……私のような老いぼれに、何をしろというのか」


 気乗りしない様子の領主に向けて、マスターが歩み寄った。


「魔王様の財産である領民達に、人間の手による悪政を強いるおつもりですか」

「──無礼な! 私が一体どのような思いで人間軍と交渉したと思っている!」


 ──かかった。一瞬にして頭に血が上ったトードウィックに向けて笑みを向ける。

 無論、理解していると態度を改めてマスターは再び弁舌を振るう。

 交易都市の北部で起きた軍との衝突。その被害を最小限に留めるための苦渋の決断、進軍を遅らせるための輸送人員の制限に駐在軍の期限。四方に散開した将軍達の同行に加えて、マスターは城砦都市の陥落も告げる。

 これにはさしもの豪商であるトードウィックも舌を巻く他になかった。

 人間の視点で、魔族の物差しで、中立的な物言いをピシャリと断言されては敵わない。それだけで眼の前の異訪人がただ者ではないことは窺い知れたからだ。


 頭を抱え、机に突っ伏すようにトードウィックは嘆きながら疲労の息を吐く。


「理解しているつもりだ、だが私にどうしろというのだ……魔族はみな、魔王様の財産だ。かけがえのない資産なのだ。その生活を豊かに実らせることで魔族の文明を発展させていくことこそ、魔王様が私に期待されたことだ……そのために今日までこの都市を運営してきた」


 トードウィックですら気づいていない魔族としての盲点。それを指摘する前に、ジェイルが耳を怒りで畳みながら犬歯を剥き出しにして歩み寄る。


「メリフィリア」

「はぁい」


 マスターの判断は早かった。メリフィリアがすかさずジェイルを拘束し、口を手で塞ぐ。なみなみならぬ怒りと凶器を向けられて、しかし、トードウィックは諦めたように息を吐きだし、咳き込む。


「えふっ、えふっ……! ……ハァ……貧民街の子か。すまないと思っている。だがそこまで手が回らないんだ。みんな自分たちの生活を営むので、他人に手を差し伸べる余裕すら奪われた。交易都市を人間軍の手から奪回するなど到底無理だ」


「──貴方は、亡き魔王様に忠誠を誓えますか?」


「…………もちろんだ」

「ならば話は早い。簡単なことです。──魔族の未来は、魔族の手で取り戻さなければなりません。そのためには交易都市に生きるみなが手を取り合って人間に立ち向かわなくてはならない。そのためには、まず」


 マスターはトードウィックに向けて指を突きつける。視線が指先に集中しているのを感じ取りながら、間を置いて、それから息を吸い込む。


「まず──貴方ご自身の命を捨てていただきたい」


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