第11話 早すぎた邂逅


 ──交易都市の貧民街は、そこかしこに存在する。露店で賑わう通りの路地裏であったり、商店街の入り組んだ路地の奥まった場所だったりと様々だ。

 猫の獣人はスラム街からやってきたのか。それを言及すると、そっぽを向かれながら尻尾で場所を指す。

 北の方角。


 四大富豪の一人、赤肌の鬼人オーガ族に与えられた領地。

 かつては武勲で名を挙げた者だったが、戦での負傷を理由に一戦から退いていた。しかし、商売もまた戰場であるとして商才を磨き、今に至る。

 【鮮紅鬼】と恐れられた豪傑であったを慕う者は数多く、人狼だけでなく鬼人、中には土人ドワーフもいる。


 ファングとリヴレットは猫の獣人を連れて交易都市の北部へ向かう。いまだ人間軍との衝突から立ち直れていないのか、北部の城門は戦禍の痕が色濃く残っていた。


「都市防衛隊との衝突、リヴレットもそこに?」

「いや、私は後発の商隊と共に」


 キャラバンの護衛として派兵されてきた騎士をそのまま駐在させる。なるほど、と思いながらファングはレオブレド大将軍の抜け目の無さを用心した。


「ところで、お猫ちゃん」

「なんだよぅ」

「名前聞いてなかったな、と思って」

「別にいいだろ、オレの名前なんか」

「んじゃあ引き続きお猫ちゃんと呼ぶけどいいか?」

「気色悪いからヤダ。やめろそれ。背中がゾワゾワする」

「はい自己紹介。三秒以内。さもなきゃ、あごの下撫で回す」

「……ジェイル」


 名付け親いわく、檻に囚われていたところを拾ったかららしい。

 そうした親の顔も知らないような魔族は交易都市のそこら中にいる。特にこの貧民街では当たり前の存在だ。


 北に進むにつれて、都市の喧騒が遠のいていく。その代わり、しきりに建材を打ちつける音が響いてきていた。まるで工事現場だ。現場監督の怒号が飛び交い、荷車を押して再建事業に尽力している。

 リヴレットの姿を見た魔族は恨めしそうな視線を向けるだけで無視していた。とてもではないが声をかけられるような雰囲気でもない。ファングはジェイルに道案内を急がせた。


(城門付近が特に損害がひどいな。となると、外壁は破られているのか。そりゃあ封鎖もするわな)


 横目で被害状況を確認しながら隣り合う商店同士の隙間にできた路地に入る。


 ──ファングは疑問に思っていた。どうして北の防衛隊は人間軍と衝突したというのに、負傷者がどこにもいないのかと。最初はてっきり魔族の治癒能力が高いものだとばかり思っていた。だから病院やそういった介護施設が必要ない、薬屋で賄うことができるものだとばかり。

 しかし、実際は違った。リヴレットとファングの前に広がる光景がその答えだ。


 勇猛果敢に彼らは立ち向かった。

 攻め込んでくる人間達の手から自分たちの生活を守ろうと懸命に。

 少なからずケガもした。負傷もした。腕を失った者もいる。脚を失った者もいる。片目を失い、羽根を失い、顎を割られたものだっている。

 そんな彼らは、職を失った。防衛隊として求められる物を失ってしまったのだ。必要不可欠な四肢をもがれて、捨て置かれた。

 兵士もまた商品。不良在庫は廃棄するしかない。


「────────」


 リヴレットが息を呑み、言葉を失って立ち尽くす。

 ゴーストタウン。人は居れども活気はない。

 通りの邪魔にならないように、彼らは端に寄せられてただじっと横たわっていた。虫にたかられ、満足に食事にもありつけず、緩やかに惨めな死を迎えるのを待っている。死んでいないだけで、それは生き地獄となんら変わらない。

 長命である魔族にとって、身体の欠損は難病よりも絶望的なものだ。死を選ぶ気力すら削ぎ落とされる。


「……ここがオレの育った場所だ。ここでどうやって食っていくんだ。どんな仕事があるんだ。同じ都市でこんなにもオレ達は違うんだ。それなのに──!」


 ジェイルが食ってかかろうとするのを、ファングは手枷の鎖を引っ張ることで食い止めた。それでも湧き上がる怒りが収まらないのか、踏み込もうとする。


「それなのに、お前たち人間が来て、もっとオレ達は惨めになった! 魔王様を殺して、今度はオレ達の平和を奪っておいて、それでもまだ足りないのか! なのにお前は綺麗事ばかりだ、共存の道なんかあるもんか! 屋根のある場所で、暖かい毛布に包まれて、温かい食事にありついて……! オレ達みたいに、今日を生きるので必死になったことがあるか!」


 リヴレットはただ、呆然としていた。自分に向けられる剥き出しの敵意の矛を収めることすら忘れて。


「そんなオレ達を助けてくれたのはクロム様だけだ。あの人がいなかったらオレ達は今日まで生きてこれなかった」

「そのクロム様とやらは、今どこに?」

「誰が教えるもんか!」

「そりゃそうか。おい、リヴレット。鍵」


 肘で小突くと、ようやく我を取り戻したのか後ろのポーチから手枷の鍵をファングに渡す。


「道案内ご苦労さま。これで晴れて自由の身だ」

「飢えたことなんかないんだろお前。喉の渇きを潤すために泥水をすすったことなんか、考えたことだってないだろ! どうなんだ人間!」

「………………」

「言われてるぞ、なんか言う事ねぇのか」

「お前にも言ってるんだ!」

「俺はある」


 ジェイルの手枷を外しながら、ファングは即答した。


「飢えたこともある。渇きで死に目に遭ったこともある。森の中に丸腰で捨て置かれたことだってある。お前たち魔族のような爪もなければ牙もない貧相な人間がだ。ジェイル。お前達の生活が困窮しているのは、見てわかった。理解した、これが交易都市の現実だっていうこともな──それで?」

「それで、って……だから」

?」


 ドギリ、とした顔でジェイルが固まる。


「こんな生活を変えたいと。みんなの境遇を変えたいと思わないのか? いいや、お前は甘んじてこの生活を受け入れているはずだ。クロム様、とやらが助けに来てくれるまでの辛抱だってな」

「違う! オレは──!」

「お前のやっていることは根本的な解決になんかなりゃしない。それどころかますます生活が不便になっていく一方だ。盗みを働き、今日の飢えを凌いで、明日の生活がままならなくなっていく。その証拠に、お前が捕まった時に誰が助けに来てくれた? お前が盗みを働く時、誰がお前に協力した。単独犯だっただろ、お前」

「っ……、だって……オレが、やらなきゃって……クロム様がいないんだから、オレががんばんないと……みんな……チビ共だって、飢えて……」


 怒りに任せた勢いが消沈していく。握りしめた拳を振るわせて、顔を俯かせたままジェイルの声に涙が混じっていた。

 小さな身体で、必死に考えた末に自分ができることをしようとした結果がコレだ。リヴレットはあまりにいたたまれない気持ちになって、なにか慰めの言葉をかけようとするがファングに遮られる。


「お前が何言っても、ここにいる魔族と話は通じない。帰るぞ」

「……だが、私は」

「庶民ですらない貧乏人に貴族様はどんな慰めの言葉をお持ちで?」

「────私、は……」

「帰るぞ」


 踵を返して、二人はそれきり一言も喋らなかった。




 交易都市北部から中枢に戻るに連れて街の喧騒が戻ってくる。

 リヴレットはすっかり魂の抜けた様子で足取りがおぼつかない様子だ。それだけショックを受けたのだろう、魔族の現状に。

 ──しかし、ファングはしたり顔を隠していた。


(クロムキャスケット盗賊団の頭領であるクロムは不在か。それに代わって盗みを働いていた、と。しっかしまぁ、こんだけうまく話が運ぶと逆に困るんだよな)


 何事も徹頭徹尾、順風満帆とはいかない。必ずどこかでミスを犯している。ましてや、これだけの大仕事。

 失態というのは取り返しのつかない時にしっぺ返しをしてくる。

 ひとまず目先の計画を進める方針で決めると、リヴレットの様子を窺う。

 青い顔に、思い悩んだ顔。自殺志願者と言われても信じかねない表情に付き添いながらファングは大時計城で別れた。


 その足で南西に向かって宿泊先の宿に戻る途中、南の大城門が開かれるのが見えたので他の大城門に振り返る。他の門は固く閉ざされたままだ。

 気に掛かり、先を急ぐ。




 南の開門、中枢直通の大通りを進む隊列があった。戦闘用馬車が先陣を走り、その座席には旗を掲げた女騎士。

 それに連なるように、数にして六輌。馬車が列を組んでいた。

 ファング……マスターはその掲げられている旗に注目する。

 ──黒十字。交差した黒い籠手は稲光のようなものを握っていた。


「リョウゼンだ……」

「黒十字……シュヴァルクロイツ親衛隊のやつら戻ってきやがった……!」


 声を潜めて話す魔族達は、チャリオットに向けて畏怖するような、どこか疎むようにして口々に言葉を投げている。

 馬車が足を止め、二輌目の馬車から現れたのは同じく軽装の女騎士。胸当てに黒い十字架の装飾が施された、黒鉄の甲冑を着込んでいた。兜だけはかぶっておらず、素顔が露わになっている。

 浅黒い肌に、小さく跳ねた黒髪。

 歳の頃は十代後半から二十代前半といったところか。しかし、うら若い乙女の顔にはあるまじき傷跡が大きく刻まれていた。

 額に、眉間に、頬と。彼女の顔つきが歳不相応に険しい理由の一因だ。


「聞け、交易都市の魔族達! 南方炎獄、城砦都市領主は我々に降伏を申し出た!」


 その言葉に魔族達がざわめく。悲観的な言葉ばかりが彷徨い、飛び交う中。女騎士の声は、やはり鋭く駆け抜けた。


「これを人間軍最高司令官リョウゼン将軍は受理された。貴様ら魔族の最後の砦は陥落した! だが安心するといい、我らの将軍は寛大な御方だ! 抵抗をしなければ命だけは保障するとのことだ!」


(南方炎獄の制圧が終わって戻ってきたのか。向こうからしたら勝利の凱旋だな)


 女騎士の言葉を聞きながら、マスターは周囲の空気が途端に沈んでいくのを感じ取る。敗色濃厚、勝ち筋の見えない不安に押し潰されそうな魔族達のムードに追い打ちをかけるようにして馬車からもう一人。

 黒鉄の鎧に全身を余す所なく包んだ黒騎士──大柄な体格のせいか、それともその鎧の威圧感からか。姿を見ただけで衆人の魔族達が身を引いていた。


「リョウゼン様。どうかされましたか?」

《…………》


 ぐるりと周囲を見渡す兜から、アイラインが光る。


(──、まずったな)


 マスターは内心で舌打ちした。


 。嫌な視線の交わし方をしてしまったことに毒づく。

 例えるならば──授業中に教師に指される時のような視線の交わし方。相手の意識がこちらに向けられていると肌身に感じる感覚。


 無造作に歩き出す黒騎士に言葉もなく付き添う女騎士。馬車に目を向ければ、その中からシュヴァルクロイツ親衛隊の警戒の色が見えた。

 リョウゼンの姿が近づくと魔族達はまるで古くから忌み嫌ってきたかのように、腫れ物のような扱いで道を譲る。自分から触りたくもないし、触れられたくもないかの扱いだ。


 そして。

 マスター・ハーベルグの前に、リョウゼン・R ・グランバイツが立ちはだかる。


「…………」

《…………》


 互いに無言で見つめ合う姿に、女騎士が腰の剣に手をかけていた。


「リョウゼン様。この男がどうかしましたか」

《……少し、気にかかっただけだ》

(──電子音声? いや、にしちゃ随分と抑揚がハッキリしてる。肉声を電子加工してるのか、でもなんのために……いや待て。?)


 マスターの視線は鎧の素材に向けられる。

 明らかにこの世界の材質ではない。異質さが見て取れる。異形の騎士甲冑と言われても仕方のないことだ。しかし、一体全体どこに武器を帯びるスペースがあるというのか。

 羽織っている外套は、なんの変哲もない布生地だ。となれば、格納されていると考えるのが妥当だ。

 ──しかし、そのスペースすら見当たらないほど半生物的なフォルムの甲冑。まるで衣服同然に着込まれていた。


「……俺が、なにか?」

《珍しいなと思った。この時勢に、交易都市で過ごしている人間がいることに》


 リョウゼンの指す人間というのは、軍の関係者以外という意味を含んでいる。それは裏を返せば、自分が警戒されているということだ。

 マスターは頭をかき、肩を落とす。


「…………それだけ?」

「おい、お前! この方は──!」


 態度が気に食わないのか、女騎士が食って掛かるのをリョウゼンは片腕で制した。


《この群衆の中から、それだけお前は俺の気を引く存在だった。とだけ言おう》

「……そういうのはぜひ、きれいなお姉さんから聞きたい言葉ですね」

《俺の口説き文句は気に食わんか?》

「素顔も見せてくれない用心深い御方のようですし?」


 隣の番犬からの殺気を感じ取り、背筋を冷たいものが撫でてくる。

 しかしそれとは裏腹にリョウゼンは気を良くしたのか、含み笑いが兜の下から聞こえてきた。


「……リョウゼン様。お時間が」

《わかった。進路、首都スレイベンブルグ。レオブレドの援護に向かう》

「仰せのままに」

《時間を取らせたな》

「いいえ、こちらこそ。貴重なお時間をありがとうございます」


 会釈するマスターが雑踏の中に去る。その姿が曲がり角で見えなくなるまでリョウゼンは視線を逸らさなかった。


 それからようやくリョウゼンが馬車に乗り込み、女騎士を乗せると再び馬車馬が駆け足で交易都市の馬車道を進み始める。

 その車内で女騎士は自らが仕えている主にさえ鋭い視線を向けていた。


「……リョウゼン様」

《どうした?》

「あのような男に割くほどの価値はありましたか?」

《そう咎めてくれるな。俺とてたまに気晴らしのひとつしたくなる》

「しかし」

《──気づいていたか? あの男、俺の視線に気づいたときから一度も剣から手を離そうとしなかった》

「……緊張していたのでは」


 仮にそうだとして、剣を手に執ることで安心感を覚えるのは決まって幾千と戦場を生き抜いてきた者だけだ。

 ごった返す魔族の衆人環視の中、唯一興味を惹かれたのは確かだとリョウゼンは再確認する。

 それが何故か、と己に問いただす。

 ──懐かしいと思ったからだ。


《……ふっ》


 蒼い髪に、紫色の瞳。それでいてあの軽口、なのに目だけは敵意を巧妙に隠し通していた。態度そのものは不遜そのものだったが、気になるほどではない。

 リョウゼンは一度だけ車窓から交易都市に目を向けた。


《──いずれにせよ、牽制するには十分だろう》

「と言いますと?」

《得体のしれない相手だったからな》

「……それでも貴方の手を煩わせる事はありません。我らシュヴァルクロイツにお任せください」

《そういえば、名を聞くのを忘れていたな》


 惜しいことをした、と思いながらもリョウゼンは、しかし確固たる自信があった。

 あの青年とは遠からぬうちにまた会うことになるだろう、と。

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