第5話 行動方針の話し合い

 集落にミレア率いる魔王軍残党が入ってくると、沈んでいた表情の魔族たちの顔色が明るくなる。荷運びのグリフォンを柵に繋ぎ、マスターは木陰に隠していた複合兵装を担いで戻ってきた。

 集落の魔族たちに歓迎されるミレアを尻目に装備の手入れをしようとしていたところ、アーシュが声をかける。


「マスター。よくやってくれた」

「そりゃどうも。こんな調子でよければいくらでもやるけど?」

「これからの事について、姫様達と話し合う。お前の意見も聞いておきたい。一緒に来てくれ」


 集落の長。どっしりと太ったオークの村長は人間を迎え入れる事に抵抗があったようだが、それがミレアの呼んだ異訪人であることを知ると渋々といった様子で引き下がった。


 ようやく落ち着いて話ができる。まずは自分たちが得た情報の共有からだ。敵方の大将首についてはアーシュが大隊長から耳にしたことをそのまま伝えていた。

 それを聞いたミレアは圧倒的な戦力差と実力差に青ざめ、しかし。それでもこの人間ならば、と期待の眼差しを向けている。マスターはそういった羨望の目を向けられることに慣れていなかった。

 端的に言えば居心地が悪くて嫌な気分になる。


「マスター。アーシュから聞きました、魔王軍諜報部の救助。ならびに人間軍の撃退、ご苦労さまです」

「世辞も賛辞も結構だ。これからのことを話したい。それで次はどうする?」


 先を催促するマスターの言葉に、魔王軍から冷たい視線が突き刺さった。それを無視して考え込むミレアに、小さな従者が袖を引いている。


「ひめさま。あの人に教えてあげたほうがいい」

「ルミア……そうですね。マスター、次の行動を起こす前に、貴方に伝えておくべきことがあります」

「なにか?」

「……【忌術士】リョウゼン将軍についてです」

「そいつがどうかしたのか」

「彼は“元・勇者”です。つまり貴方と同じ異訪人であるということを覚えておいてください」

「……元、ってことは今は違うのか?」


 というか資格制なのか勇者。

 マスターの質問に、ミレアが目を泳がせる。


「あぁ、えぇと、その……勇者についても教えないといけませんか?」

「いや結構。要点だけ頼む。リョウゼン将軍とやらは他の二人とどう違うんだ?」


 小さな従者が、不意に手を持ち上げてマスターを指差す。


「それといっしょ」

「……これ?」


 複合兵装を差したまま、小さな従者は頷いた。まだローブをかぶっていることの疑問は後回しにしてどういう意味かと尋ねる。


「貴方のそれは、彼の“冠名”である【忌術士】、つまり「忌むべき術士」と同じ印象を受けます。魔力、或いは霊力を用いず、不思議な現象を引き起こすことを私達は【忌術】と忌避するからです」


 そしてそれは人類も同じ。なるほど、だから【忌術士】か。マスターはひとり納得しながら顎に手を当てて考え込む。


「少し興味が湧いた。リョウゼン将軍について教えてくれないか?」


 聞けば、生きた鎧を纏い、不思議な術を使う。手をかざすだけで物を浮かべ、空を舞い、全てを断ち切る光の刃を振るう。こういった話には尾ヒレ背ヒレが付き物だ。


「その凄い術士が、どうして元勇者なんだ?」

「彼は……そう、運が悪かった、としか」

「運、ね。そいつに見放されたらどんな権力者も椅子から転げ落ちるもんだ」


 ──歴代最強と名高いリョウゼンが出立してから幾許かの日。彼は魔族領地に踏みいるや否や【竜害】に遭遇した。

 その中でも極めて危険視されている【千刃竜】に襲われている村を見つけ、彼は果敢にもそれに挑み、追い払うことに成功した──だが代償は大きく、結局彼はその村唯一の生き残りを助けて道を引き返したという。

 リョウゼンは栄光や名声、名誉よりも命を尊んだとして国王は勇者としての役割を剥奪したのちも軍の最高権力者として重宝している。


 その話を静かに聞いていたマスターの目元が緩む。手で隠しているが、確かに笑っていた。

 “竜殺しの英雄”に成り損ねた、勇者の名を捨てた異訪人。

 まさに──人類最強。この大地における覇者だ。最強の一個人。

 どうやら自分は、そういった相手に縁があるらしい。


「そんなんとやり合えってか、面白そうだな」


 ──とても正気の沙汰とは思えない言葉。

 ゾッと背筋が凍りつくような笑みを貼りつけて、マスターは顔を手で覆っていた。


「人の話を聞いていたか?」

「聞いてたさ。聞いてたうえで、面白そうだと言ったんだ。さて次の行動についてだが、何か提案は?」


 召喚されて息つく間もないというのに、マスターはすでに次のことを考えている。だがそこへ、メリフィリアがやってきた。


「あ〜、いたいた。やあっと見つけたぁ、お姫様」

「メ、メリフィリアさん? どうかしたんですか?


 どうやらミレアすらメリフィリアのことが苦手なのか、若干顔が引き攣っているのをマスターは見逃さない。アーシュも呆れ顔、お供の従者も袖をつまんでいる。


「ご無事なようで何よりです。今後のー……──ふへ……」


 やべぇ気づかれた。目が合ってしまった。村長の邸宅の客室は質素ながら広く、会談には持ってこいだが、テーブルを挟んで二メートル超えの化け物ねーちゃんメリフィリアが相手では分が悪すぎる。かといって逃げ場も相手が立ち塞がっていた。

 窓を破って逃げ出そうかとも考えたが、逃げてどうなるというのか。


「…………助けろや」

「いや、まぁ、なんだ……」

「むぎゅ〜〜〜♪」


 捕まった。当然のことだが。それよりも疑問なのは、なぜ抱きついてきたのかということだ。

 メリフィリアはマスターを後ろから抱きしめ、頭に顎を乗せている。まるで人のことをお気に入りのぬいぐるみのように。その様子にアーシュですら困り顔で視線を逸らしていた。

 誰も助けてくれそうにないので仕方ない。


「……で。なんか話でもあるのか、人喰い化け物ねーちゃん」

「その人喰い化け物ねーちゃんって呼ぶのやめてくれなぁい? ちゃーんとメリフィリアって名前があるの」

「なら俺もマスターって名前があるんだ。放してくれ、メリフィリア」

「ふひへへへ……ふんふんふんふんふん……すぅー」

「は、な、せ、や!?」

「ぉみゃあ!?」


 頭皮に顔を埋めてしきりににおいを嗅いでくるメリフィリアの両耳の鼓膜を叩き、怯んだ隙にマスターは拘束を抜け出す。複合兵装に手を伸ばし、いつでもロックを解除できるように掴んだ。


「なんだって俺の周りには頭のヤベェ女しかいねぇんだ……」

「お前も相当だと思うが。まあいい、これからの動きについて話し合おう」


 アーシュが咳払いを挟んで仕切り直してテーブルの上に魔族領地の地図を広げる。今一度自分たちの居場所について確認するように地図の南西部、その端を指した。


「まず我々がいるのがこの辺りだ。魔族の領地は大きく四つに別けられる」

「確か北方氷獄だっけ? あと南方炎獄。残る二つは?」

「西方風獄と東方魔郷だ。首都スレイベンブルグがあるのは東方魔郷。わかったか」


 わかった、と頷いてマスターもテーブルの地図に視線を向ける。

 材質は恐らく羊皮紙に近しいものだろう。なめした動物の皮だが、精巧に描かれた地図は誰が描いたものなのか気になった。

 山岳の標高、地域ごとに異なる寒暖差、青々と繁る森林地帯、砂の海……まるで衛星画像だ。

 明らかにこの世界における文化水準から大きく外れた描画に眉をひそめる。


「なぁ。この地図って一般に流通してる品物なのか?」

「いいや。ここまで緻密な物はない、これ限りだ」

「誰が描いたんだこれ、すげぇな」

「わたし」


 そこで初めて、小柄な従者がかぶっていたフードを外す。

 ミレアの着ているドレスに似たものだが、こちらは民族衣装の意図が強い。儀礼的な装飾も多く、彼女が王族に連なる役職の人材であるのが見て取れた。

 しかし。

 マスターが何よりも注目したのが、額から天に伸びる一対の細く鋭い角。ミレアの金の髪と対になるような、白銀の髪は長く垂れている。

 大きな金色の瞳がマスターのことをジッと見上げていた。


「そういや君の自己紹介聞いてなかったな」

「……ルミナリエ・ドラグ・ヴェーグロード。竜の御子みこ、よろしく」

「よろしくどーも、ルミナリエ」


 また知らん単語が出てきましたが? アーシュに解説を求めるのは後回し。優先順位はまず領地の確認。

 西方風獄は険しい山岳に覆われた鳥獣族の巣窟。宙に浮かぶ瓦礫は特殊な魔術の影響下にあるという。獣肉を好み、悪食、危険性の高い魔族が数多く棲息している。


 南方炎獄では爬虫人族が多く生活を営んでおり、鉱山都市を始めとして魔族の装飾品や武具の製造を担っていた。しかし現在、世界随一の溶鉱炉を抱える城砦都市はリョウゼン将軍の手で籠城戦を余儀なくされている。


 北方氷獄もまたアイレス将軍の支配下に置かれていた。もとは魔族の罪人などを送り込む極寒の刑罰都市だった。人狼族が多く住んでいるとされている。


 そして。東方魔郷は首都スレイベンブルグと交易都市を含めた魔族たちにとっての中枢。穏やかな気候に恵まれ、広大な草原を挟んで人間たちとの国境がある。


 交易都市は、いわば魔族の関所だ。ここを通らなければ魔族達の領地を自由に行き交う事ができない。各方面より集められる食料品、武具、特産品の入荷と発送を担う一極化された流通経路は、過分な情報と物資が絶え間なく動いている。

 昨日の話が今日には通じない、とまで言われた交易都市を押さえ、自らの私兵ならびに物資を次々と搬入しているのが他ならぬ一大貴族が一人、豪傑にして豪商、レオブレド大将軍その人である。


 マスターはそれら地域の特徴を聞き、盤面を見つめ、尽きぬ疑問符にどれから取り掛かるか考え込んでいた。


「──と、まぁ。魔族の主要都市はこんな感じだ。聞きたいことがあれば、時間の限り私が答えよう」

「……西方風獄はまだ制圧されていないのか?」

「ああ。というのも、あそこは鳥獣族の縄張りというだけでなく、竜の巣でもある」

「なるほど。身を隠すには現状そこが一番安全だと思ったが、竜の巣じゃ食われにいくようなもんだな」


 ちらりとメリフィリアを見ればこちらを食べたそうにしている。マスターは見ないフリをした。


「人間軍、どっから乗り込んできたんだ? 交易都市が通すとは思えないんだが」

「……北からだ」

「はぁ? このクソ極寒地帯、山越えしてきたってのか。命知らずだな」

「ひひ、教えてあげる。北方氷獄の主はレオブレド大将軍とは旧知の間柄だったの」


 北方氷獄から南下する形で交易都市と首都の同時進行。双方を抑え込み、交易都市を攻略するとその足でリョウゼン将軍は南方炎獄を目指した。

 となれば、なるほど確かに。南西部にこうして魔王軍が追いやられている理由がよくわかった。


「次の質問だ。竜の御子ってなに?」

「次はそっちか……。さっき【竜害】について話したな」


 竜──ドラゴン。遥か高い標高の霊峰に住処を作るとされ、その生息地は主に西方風獄の頂にあるとされている。

 強靭な鱗を持ち、生命力が強く、翼で空を自由に飛び回り、火を吐く。一般的にはそうした姿が想像される。だがマスターの元いた世界ではそれも過去の話だ。

 この大陸の竜は災害に数えられる。だが、時にその竜が大地より生まれることがあるという。それが「竜の御子」と呼ばれる特殊な出自の者たち。


「ルミアは、魔王様が見つけたんだ。姫様とは姉妹同然と言える」

「そんな、アーシュ。私は貴方のことも家族同然に思っています」

「もったいないお言葉です」

「で? その竜の御子様とやらは、どう特別なんだ?」

「この地図を見てもらえば分かる通り。ルミアは「竜脈」と呼ばれるものが感じ取れるんだ。あー、竜脈についても説明したほうがいいか?」

「いや、そっちは知ってるから結構」

「なんで知ってるんだ……?」


 首を傾げるアーシュに、マスターは無視を決め込む。体よく逃げ込むことが出来たのもその力のおかげだろう。


「他にも色々と聞きたいことはあるが、思い出したときにでも聞く。これからの方針なんだが、俺としては交易都市を攻略したい」

「──は!? 正気かお前!?」

「まず相手の補給線を潰す。北方氷獄のアイレス将軍は後回し、リョウゼン将軍は現在南方炎獄に遠征、ともなれば消去法でレオブレド大将軍になる。どちらにせよこれ以上人間軍を導入されたら防戦一方、消耗戦で勝ち目がない」


 ここで被害を堰き止めなければ、ますます戦局は厳しくなる。


「交易都市に魔族はどれくらい住んでいるんだ?」

「……市民だけで言えば、一千万はいるかと。ただ、その中から兵士となると半数にも満たないですね」

「私の記憶が正しければ三十万ほどだ。それに交易都市の内部も、四富豪が幅を利かせている。いくら異訪人であると言っても、人間のお前では立ち回るのは厳しい」

「人間軍はどれくらい魔族の領地に侵攻してきてるか把握してるか?」


 マスターの言葉に今度はメリフィリアが挙手していた。


「私これでも交易都市で潜入調査してたのぉ。スレイベンブルグを落とすのに三千人も引き連れて北方氷獄から。その後交易都市を陥落させるのに五十万程度ね」

「改めて聞くととんでもねぇ兵力だな。ま、どうとでもなるわ」


 ずれ落ちる丸眼鏡を直し、アーシュが頭を抱えている。


「他に意見がなければ、俺は交易都市奪還に動くが?」

「……、お前をひとりで向かわせるのは不安だな。門前払いを受ける可能性も考えられる」


 ただでさえ人間軍と衝突している最前線、ましてや異訪人。扱いが慎重にもなるだろう。マスターも同じように考えていたのか、誰かがついてきてくれると心強いのだが、ミレアやアーシュ。魔王に近しい人物の可能性は排除する。

 事は静かに素早く穏やかに進めたい。となればできるだけ無名の者。名を馳せていない有望な人物。

 ……と、なるとメリフィリアが適任なのだが出来れば遠慮したい。


「──メリ」

「ぜってぇダメだろ。でけぇもん、目立つって」


 身長二メートル超えの人喰い化け物ねーちゃんを引き連れて交易都市に向かう自分の絵面を想像し、絶対に無理だと判断する。そもそもその背丈でどうして暗殺部隊の隊長を務めていられるのか不思議でならなかった。

 当の本人は不思議そうに首を傾げている。


「ふぅ~ん、わかったぁ。つまり、普通の人間と同じくらいの大きさになればいいのね? それなら簡単よ」

「どうするってんだ、身長変えられるのかよ」

「ふひ。“擬態”すればいいのよね?」


 不気味な笑みと言葉を残して、メリフィリアの身体から異音が聞こえてきた。腕を痙攣させ、骨が突き破らんばかりに服の下から盛り上がる。まるで体内で骨格そのものを作り直しているかのような音が室内に響いた。それを直視していられないと言った様子でミレアが顔を逸らす。


 マスターの見ている前で、なんということか。メリフィリアの背丈が縮む。自分の頭ひとつぶん上だった身長が、今は少し下程度。それでも女性としては長身の部類だが、常識の範疇だ。

 ウェーブがかった髪質も整えられて、ショートウルフになっている。それでも前髪は目を隠すほどの長さだが。

 抱えるほどの胸も少しだけ小ぶりになっていた。


「────、ぁは。こんな感じ?」


 声質も先程までの落ち着いたものではなく、少し高い。年齢も若返り、人間で言うところの十代半ばから後半程度になっていた。

 メリフィリアがマスターに合わせて“調整”した擬態は見れば見るほどに人間にしかみえない。


「……別人じゃねぇか」

「ああ。だから彼女は暗殺部隊の隊長なんだ」


 被害者は腹の中。犯人は骨格から声帯まで別人。証拠は頭の中。そんな相手をどう見つけろと言うのか。交易都市に潜入調査をしていたというのも確かに納得できた。

 ただ、それでもマスターには不安が残っている。メリフィリアの本性である人喰い化け物の部分は擬態ではどうにもならない性分だからだ。監視役として誰かもう一人適任はいないか、という問いにアーシュが考える素振りを見せる。


「確かにな。お前とコレを二人きりにさせると、食われかねんし……」

「それは物理的にか? それとも性的にか?」

「どっちでもアタシはいいけど、そっちがお望みなら付き合ってあげるぅ♪」

「いや結構。疲れてんだわ俺」

「……ぉほんッ! マスター、それならラルフを連れて行くといい! 彼は北方氷獄の出自だ、当時の状況も詳しく聞けると思う! それでいいか! いいな! いいんだろうそれで! 言うことないならお前たち三人に任せるぞ!」


 矢継ぎ早にまくし立てるアーシュに気圧されて、マスターは自分にしがみついてくるメリフィリアを引き離しながら頷くことしか出来なかった。


「なに怒ってんだ、眼鏡のねーちゃんは」

「聞きたい? 知りたいんだぁ? 教えてあげてもいいけどぉ、その代わりにちょっとだけでいいからかじらせてくれない?」


 寝言は寝て言ってくれ。マスターからの返事はケツにタイキックだった。

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