第4話 解放の魔王軍諜報部


 アーシュが納屋の周囲に張り巡らせていた血の荊棘で道を開けると、大きく身体を伸ばしながらメリフィリアは息を吸い込む。そのあとに続いて諜報部の多種多様な魔族達が集落に飛び出した。


「ん〜……♪ お日様のいー香り」


 呑気なものだが、しかし。その姿に気づいた兵士の顔が一気に青ざめる。一夜過ぎても脳から消え去ることはない惨劇を目の当たりにしてしまったのだから。


「ヒ、ィ……!」

「おいしっかりしろ! 構えろ、早く!」

「ぃ……いやだ……! 嫌だぁ!! 俺は生きたまま食われるなんてごめんだぁ!!!」


 泣き喚き、敵を前に逃げだす一人の兵士を見つけ、メリフィリアが身を屈める。獲物を定めた四足獣のように、ギラついた双眸が兵士を捉えていた。


「あの子にきーめー、たっ!」


 指先に力を入れて、地面を掴む。つま先に力を込めて地面を踏みしめる。腰を引き、お尻を突き出した、その次の瞬間にはメリフィリアの姿が跳んでいた。


 ──地面とほぼ水平に、腰よりも低い位置をまるで音もなく、弾丸のように跳躍して兵士の腰を掴む。

 恐怖に顔を歪ませる兵士を覗き込み、唇を舌で湿らせる。


「こわくないこわくなーい。大丈夫大丈夫、痛くなんてないわー」


 優しい声で語りかけながらメリフィリアが口を開けた。大きく、大きく、目一杯。

 

 ギチギチと音を鳴らして、粘液を垂らしながら開かれた大顎には歪に生え揃った牙が蠢いていた。

 泣き叫ぶ兵士の悲鳴ごとメリフィリアは鉄帽ごと頭にかじりつき、頬張る。咀嚼音、固形物を噛み砕く音。

 顔を頬まで真っ赤に染めながら、不満げに首なし死体を投げ捨てる。


「ん~、やっぱり兜って美味しくなぁい」

「このバケモノめぇぇぇッ!」


 槍を携えた兵士が突撃し、鋭い穂先が暗殺部隊隊長の身体を刺し貫かんする。しかしその試みは、呆気なく掴み取られて絶望に真っ逆さまとなった。枝を折るように軽い調子で木製の柄をへし折られ、腕を噛み千切られる。だが一口食べるなり、捨ててしまった。


「んー、筋張ってておいしくない……どうせ食べるならお腹か足よねぇ、やっぱ」


 腕を押さえ、絶叫と共に尻もちをつく相手に迫るメリフィリアの横からアーシュが頭に飛び蹴りを入れて食事を中断させた。蹴られた側頭部を押さえながら、湿度の感じられる伏し目で睨まれるものの咳払いを挟む。


「お前の食事を邪魔する気はない。無いが! まずは人間軍を追い払うのが先決……待て、お前どこを見てるんだ?」

「…………──────ふへ」


 唐突に、メリフィリアが不気味な笑みを浮かべた。

 まさか自分を食べる気では──、そう考えるアーシュだが、よく目を見ると自分を見ていないことにすぐ気づく。一体どこに視線を向けているのか。

 自分の後方。振り返れば、そこでは三人の兵士に囲まれている蒼髪の異訪人。


 振り下ろされるブロードソードを叩き割り、素早く身を引きながら処刑人の剣で続く攻め手をくじき、一転攻勢。二人を切り捨てる。

 器用に手首を返して自在に剣を操り、最後の一人も腋下から腕を跳ね飛ばして戦闘能力を奪う。倒れた相手を無慈悲に踏みつけて首を刎ねていた。たった一人ですでに十名以上を血溜まりに沈めているというのに、底なしの体力でサピリオン大隊を相手取っていた。


「ねぇアーシュちゃん。アレ、なぁに? すっごく美味しそう、食べていい子? あぁぁぁ……すっごい、おいしそぉぉぉ~……!!」


 震えた声で、恍惚としながら目を見開き、瞳孔が開ききっている。口から消化液をだらしなく溢れさせながら拭おうともせずメリフィリアは高揚感に身体を震わせていた。

 まずい、と思ったときにはすでに遅い。

 “捕食態勢”に入っている【食屍姫】を止めるのが間に合わなかったアーシュはマスターに向けて叫ぶ。


「マスター、身を守れぇぇぇ!!」


 その声を背中に聞きながら、マスターは槍兵を切り崩し、剣士を斬り伏せ、兵士を薙ぎ払い、振り向いた。そして見た。


 人間に精巧な擬態を果たしている怪物が、大顎を開いて自分に飛びかかって来ているのを──躊躇なくぶん殴った。

 大きく開かれて無防備な口腔に向けて突き刺さる鋭い左のアッパーカット。

 相手もまさか口の中から殴られるとは思いもしなかったのか、未曾有の衝撃に身体が痙攣していた。すかさず拳を引き抜き、こめかみに思い切り回し蹴りを叩き込むと地面に頭から滑っていく。

 咄嗟に手が出てしまったマスターの身体からどっと冷や汗が吹き出した。


「おい、あれ、なに!?」

「ぇっ? あ、あぁ……?」

「クソが、使えねぇやつ」


 急に話しかけられて困惑する中年の兵士を無造作に切り捨ててマスターは周囲の戦況を確認する。

 開放された魔王軍諜報部。暗殺部隊は十数名と数は少ないが、頭数が増えることに文句はなかった。

 マスターもここまで数十名の兵士を斬り伏せ、人間軍の装備に慣れてくる。


 一般兵士はやはりというべきか軽装だった。槍か剣。近接武器が主体のようだが、大隊長の言っていた「五大霊素を極めしもの」という口ぶりから、人間の扱う魔術媒介が【霊素】と呼ばれるものだと推測していた。となれば、兵士達の中にもそれを扱うものがいるのも自明の理。

 騎兵は騎士甲冑で身を守り、同時に騎馬も与えられているらしい。従える兵士はおよそ二十そこら。サジリス小隊が騎馬戦に特化した部隊だったのだろう。


(装備は粗悪、というほどではないが整ってる。ということはそんだけ資源があるんだろうな……)


 だが気がかりなのは、遠距離攻撃。弩弓や弓を持った兵士が見当たらないことにマスターは警戒していた。

 周囲に目を配れば、魔族達がサピリオン大隊の旗持ちを始末したところだ。細身の獣人もいれば、トカゲ人間もいる。中には魔術を扱う魔族もいた。

 それに対抗してか、人間軍も霊術を使い始める。何かうわごとのように呟くと、目に見えて武器から威圧感が放たれた。


「この、異訪人め!」

「うっせぇ現地人!」


 騎士甲冑の小隊長が振るう長剣を防ぐ。だが、その手応えと威力が増していることに、マスターは思わず笑みを浮かべてしまった。


「何がおかしい!?」

「俺の頭か?」


 だがそれだけだ。

 処刑人の剣を滑らせ、相手の剣を捌いて地面に縫いつける。足で押さえると返し刃で首筋を断ち切った。硬い感触はあったものの、騎士甲冑の頭が転がる。

 相手の手から長剣を奪い、マスターは重心と切れ味を確かめた。間に合わせとしては申し分ない造りに感心していると、蹴飛ばした相手が立ち上がる。


「随分頑丈だな。骨砕く勢いでぶっ叩いたのに」


 折れた首の骨をバキバキ鳴らして、節足動物の大顎のように開いた口をギチギチ鳴らし、ようやく首が治まったのか、はめ込む音を立ててメリフィリアはマスターを見下ろしていた。


「…………」

「……?」

「──ひひっ、」

「こわ」


 人の顔を無言で見つめて、よだれ垂らしながら笑う女が怖くないはずがない。

 殺して黙らせてやろうかと剣を握り直したところでアーシュが兵士を蹴散らして合流する。見れば残る人間軍は劣勢になりつつあることを知ったのか、逃げ腰になっていた。こうなるともう勝負は決まったようなものだ。


「マスター、無事か。危うく喰われるところだったぞ」

「信じられねーことに物理的にな! なんだこの、なんだ……? 人喰い化け物ねーちゃんはなんだ!」

「アーシュちゃん、この子は食べていい子?」

「ダメだ、メリフィリア。こいつは……あー、説明は後回しだ! 人間どもを蹴散らすぞ!」

「俺もか?」

「話の腰を折るな!」


 こっちの腰を折りそうな勢いで怒鳴られたマスターは残る人間軍の掃討を始める。しかし、その矢先に集落の中でも一際大きな邸宅から一人の兵士が出てきた。魔族の女を乱暴に引っ張りながら。


「う、動くなぁ魔族共! この女がどうなってもいいのか!」

「あらやだ人質」


 メリフィリアがのんきに呟く。心底どうでもよさそうだ。だが他のサピリオン大隊の生存者は陣形を整え始めている。

 振り返れば、集落の魔族を待機させていた納屋に向けて兵士達が火矢を構えていた。その光景にマスターは眉を寄せる。


(あの兵士達、弓なんか持ってたか?)

「くそっ、追い込んだ途端にこれか……!」


 焦るアーシュに、のんきなメリフィリア。マスターは肩をすくめていた。

 勢いが弱まった魔王軍に、今度は人間軍が攻勢に出る。こっちには人質がいるぞと言わんばかりに。


「武器を捨てろ、抵抗するな! さもなくばこの女の首を切り落とす! それともこの集落を焼かれたいか!」


 大隊長が殺され、指揮系統が乱れた隙を突いた襲撃の傍ら。アーシュが魔王軍諜報部を解放するのを見計らい、部隊に指示を出していた副隊長は自らの頭のキレを自賛していた。──貴様らでくのぼうとは頭の出来が違うのだ、と。

 魔族は長命であるがゆえに、家族や友人といった繋がりを大事にする。誇りにする。そこを逆手にとる行為は魔族の間で暗黙の規律となっていた。集落の長の娘は手ひどく痛めつけられ、顔を腫れ上がらせて涙を浮かべている。


 動きが急に鈍くなった魔族を再び拘束するサピリオン大隊の手を剣で切り払い、問答無用で詰め寄ってくるバカがひとり。マスター・ハーベルグだ。


「……は?」


 突きつけられる槍を跳ね除け、降りかかる火の粉を邪魔だと踏みにじりながら。


「お、おい! 見えないのか!? この女の命がどうなってもいいのかぁ!? 聞いているのか貴様、おい! なにを考えているんだ、私は本気だぞ!! 止まれ! この剣が見えないのかぁ!?」


 一人、二人……合計五人。マスターが副隊長の目の前に立つまでに切り捨てた人間の数だ。顔の返り血を拭うこともせずに、血振りをしている。


「ひとつ聞いてもいいか?」


 呆れた顔の、呆れた口調で尋ねられた副隊長はこれが見えないのかと繰り返すように魔族の女の首に剣を当てた。


「その女に、戦術的価値はなんかあんのか?」

「……へ?」


 間の抜けた声。それが副隊長の最期の言葉となった。

 マスターの手から長剣が閃く。喉を刺し貫き、ゆっくりと刃をねじる。傷口を広げて噴き出す鮮血と、痙攣する副隊長の顔を見据えながら引き抜くと返す刃で腕を落とす。


「バカが、使えねぇ頭使うからこうなるんだ。アーシュ! 弓兵をどうにかできるか!」

「あ、あぁ! もちろんだ!」


 指示に従い、アーシュが地面を足で踏みつける。すると、納屋を狙っていた兵士達が地面から生えてくる無数の血のいばらで身体を貫かれて倒れていった。


「人食いバケモノねーちゃん!」

「…………あ。私?」


 反応が遅れたメリフィリアが自分を指差すと、マスターが深く頷く。


「一人残らず生かして帰すな! 逃げた奴から食ってよし! 俺が許す!」

「──いいのぉ! やぁっ、たぁ! ほらほら逃げて逃げて、みんな逃げて! 早く早くなにしてるのそんなとこに突っ立ってないで!」

「その他大勢の魔族ども! 目に付く奴からぶっ殺せ! 以上、行動開始!!

 ──かかれぇぇええええっ!!」


 号令ひとつで魔族の統制を取り戻すと、自ら先陣を切って掃討戦を始めた。

 大隊長に続き、副隊長を失ったことで総崩れとなったサピリオン大隊は逃げようとする者からメリフィリアの餌食となる。小隊長は隊員を率いて逃亡を図るが、それも魔王軍諜報部の手で失敗していた。

 アーシュの異種二刀流に加えて血液を媒介とした剣術は噂に違わぬ腕を振るい、人間達を防具ごと切断していく。

 日の沈まぬうちに魔族領土南西部の静かな集落には死体の山が築き上げられた。




 サピリオン大隊は全滅。生存者なし。マスターはその戦果に満足しながら、疲労感のあるため息をこぼす。だが充足感のある疲労に清々としていた。


「いやぁ、気兼ねなくぶっ殺していいってすげぇ気分いいな!」

「……その言葉だけでお前の人間性を疑うのは十分すぎるな」


 眉間に深く皺を刻み、目頭を押さえているアーシュは気分が悪そうにしている。丸眼鏡を着けて何度かまばたきを繰り返し、額に指を当てていた。


「どうした、調子悪そうだけど」

「……少し血を使いすぎただけだ。気にするな」

「わかった、気にしねぇわ」

「…………もうちょっと、こう、あるだろ……」


 貧血に頭を揺らしているとメリフィリアが人間の太ももにかじりつきながら歩み寄ってくる。アーシュに差し出す人間はまだ辛うじて息があった。しかし、目に生気はない。それどころか正気すら感じられなかった。


「もぎゅ、もぐ……アーシュちゃん、あんなに【血相術】使うから」

「仕方ないだろう。この集落を守るためでもあったんだから」

「補給しといた方がいいよぉ」

「……おい。こっちを見るなよ、マスター」

「明後日の方角見てるわ。たけー山」


 背を向けるマスターに不信感と猜疑心を抱きながらも、アーシュは瀕死の人間の首筋に噛みつく。


「それでぇ。アーシュちゃん、結局この子なんなのぉ? すごく強くて、すごく美味そうで、すごく頼もしい感じで、すごく美味しそうなんだけどやっぱり腕一本くらい味見しちゃダメかなぁ? だめぇ? ダメじゃないよねぇぇ……ふへ、ひひひ……」

「人の顔見て生足かじるな、こえーんだわアンタが一番。あとよだれ垂らすな」


 何人食ってんだこの女。マスターが数えていた限り、十人は食べている。しかし、気になったのはメリフィリアの扱いだ。同じ諜報部の仲間たちですら遠巻きにしている。嫌われている、というよりも忌避されている印象を受けた。


(ま、他人様の人間関係どうこうに首突っ込む気にもなれねー職場だしな)


 今のところは。

 これから先、どう転ぶにせよ。自分が元の世界に帰れるために尽力するだけだ。

 それ以上でもなければそれ以下でもない。円満な対人関係であることに越したことはない。


「…………ねぇ、指だけでもいいからかじらせてくれない?」

「寝言は寝て言えバケモノねーちゃん。アーシュ、補給終わったら姫様のところ戻って連れてきてくれ。ひとまず安全確保出来たってことでな」

「んっ、わかった」


 すぐに向かう、と言い残して血色の回復したアーシュが身を翻す。そして、しまったとマスターは気付いた。

 この人喰いバケモノねーちゃんと二人きりになるのだけはマズい。慌ててその後を走って追いかける。

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