第3話 反撃の狼煙
先導するアーシュが森を抜けると、高い陽射しに目を眩ませて足を止める。それに気づいたマスターが遅れて歩速を緩めると、すぐに追いついてきた。
「貧血か?」
「
「アンタ夜行性か。大変そうだな」
アーシュがマスターの服装を盗み見る。
くすんだ蒼黒色の髪は襟足を伸ばし、うなじで軽く縛っていた。狼の尻尾のように揺れている。
見慣れない衣装は、肩から爪先まで黒一色。背負っている棺も黒い。
羽織っている外套は厚手のロングコート、先程の返り血は小川で軽く洗い流してあった。腰の辺りにラインが走っており、裏地にジッパーを留めてある。必要な際はハーフジャケットとしても活用できるようにだ。胸板にあるバックルが留めているおかげでずれ落ちる心配もない。
「お前のいた世界はどんなところなんだ?」
「なんでまたそんなこと聞くんだ」
「只者じゃないからな。そんな奴がいる世界はどんな場所かと気になった」
本当に人間かと疑わしくなる。悪逆無道の精神も、身体能力も。
アーシュの質問に、マスターはわざとらしく「あー」と考え込む素振りを見せる。
「大した場所じゃないさ」
「そうか」
話す気がない相手にそれ以上のことは聞かず、ボロのローブを目深に被り直して先を急いだ。
──道中、マスターはアーシュに自分たちのいる場所が魔族の領土のどの辺りかと尋ねる。
はるか南西部。広大な農地としてほとんどが未開の土地だ。暮らしているのも少部数の魔族達が農耕を主としており、畜産を営むことで生計を立てている。
首都がどの辺りかと重ねて聞けば、北東部。マスターはそれだけで辟易した。ほとんど敗戦末期状態の魔族に召喚された身からすればとんだ災難だ。そんな状況をひっくり返せる期待を背負わされていると思うと、投げ出したくなってくる。
「異訪人ひとり呼んだくらいでひっくり返せる戦況かよ」
「だが人間達は、勇門の儀を繰り返すことで外部の技術を取り入れて目覚ましい発展を見せている」
「そりゃそうだ。人間なんてほっときゃ百年程度で死ぬ──と、お前たちは思っている。だろう?」
図星を突かれて、アーシュが眉をつり上げた。倒木を飛び越えながら、マスターはニヤリと口角を上げている。
「寿命の差は体感時間の差だ。魔族ってのは俺のいた世界じゃあくまでお伽噺の存在だが、長命種で魔力の扱いに優れている。合っているか?」
「ああ。合っている、それで?」
「何年程度生きられるんだ」
「約千年程度だ」
「そうか。人間はあんたらの十倍の速度で生きていると考えろ。魔族が十年かけて作る物を、人間は一年で作り上げる。そう考えると……ほら、悠長に構えている暇なんかないだろう?」
百年かけて築き上げた財産が、僅か十年で食い潰される。千年続いた文化が、百年で消え失せる。魔族という存在がこの大陸から消えるまで秒読みだ。
アーシュはその事実を突きつけられたことに悪寒が走る。背筋が凍りつく思いだ。
横に街道を眺めながら森の中を走る。やがて、木造の柵が見えてきた。放牧地に辿り着いた、ということは集落の近くまで戻ってこれたということになる。
「……ふぅ。大丈夫か、お前は」
「まぁな?」
息一つ乱さず、けろりとした顔でマスターは首を傾げていた。恐るべき体力だ。
背の高い木々と青く茂った草花に紛れ、集落の様子を眺める。
広大な放牧地では草食の魔獣達が呑気に伸びた草を反芻していた。だが、魔族が生活を営んでいる居住地では忙しなく兵士達が動き回っている。
「魔王軍の捕虜って言ってたな。最後までアンタらに同行してたのか」
「ああ。時間稼ぎに残ると言っていたのだが、捕まってしまったらしい」
人間軍が掲げる旗印に描かれる記章は、やはりサジリス小隊の物と同様のものだった。しかし、こちらのほうが幾らか飾りが華々しい。雷鳴と花冠が追加されている。
「魔王軍諜報部、と表向き公表している。実態は暗殺部隊だ」
「ま、付き物だな。さて、あの数だ。さすがに幾らか取り逃すとなると後々厄介になる。できることなら皆殺しにしておきたいな」
殺すことを考えているときだけ、マスターの声が少し明るみを含ませることに気づいたアーシュが眼鏡を指で押し上げながら横目で猜疑の色を向けた。
「お前は、人を殺すのが好きなのか?」
「わかりやすくて金になる。俺にとっちゃ割のいい仕事」
複合兵装を下ろし、木陰に隠しながらマスターはなにか手元で操作している。すると、剣を保持したままホルダーが展開された。
その中から選んだのは、先端が平べったい剣。〝処刑人の剣〟と呼ばれる重量級の剣と一緒に、ホルダーごと複合兵装から引き剥がした。何をするのかとアーシュが見ていると視線に気づいたマスターが自分のコートを指し示す。
「これ。各所にあるハードポイントにマウントできるように設計されてんだ」
「……はぁどぽいんと? まうんと?」
「つまり、俺の着ているこの黒い服に取り付けられるってこと。こんな風に」
よく見ると肩から背中、上腕に前腕、腰のベルトだけではない。黒いブーツにまでハードポイントが設計されていた。マスターは処刑人の剣を後ろ腰に差し、それだけでは心もとないと思ったのか更に二本の剣を取り出す。
柄を下に向けて、マチェットを肩にマウントする。それから長剣を腰に帯びた。
アーシュからすればそれは魔術にも見える。しかし魔力の類は一切の反応を見せなかった。
「それも。お前の世界の技術なのか?」
「俺も詳しいことは知らねぇけどな。作らせたのは俺だけど、どういう原理かまでは詳しく知らん。さて、作戦会議を始めようか──」
立ち上がったマスターはアーシュの顔を見て、既に頭の中で立てていた計画を話し始める。
魔族領土南西部、僻地の集落を制圧するのは人間軍にとって容易なことだった。争いを好まず、時世を読まず、ただ安穏と暮らしていた魔族達は無抵抗も同然に保身に走る。しかしそこに魔王軍諜報部が加わり、大幅に足止めを食らうこととなった。誰がそうであるかなど人間軍に見分けがつくはずもなく、百人にも満たない魔族の農民達をまとめて拘束して納屋に押し込める。
先に向かわせたサジリス小隊の帰りを待ち、見た目若い魔族の女達に自分たちの給仕をさせていたサピリオン大隊は斥候からの報告に腰を上げた。
「大隊長! 魔族の女を捕らえた異訪人が現れました!」
「なに? 異訪人だと。魔族め、禁を破ってまで渡すつもりはないか」
サピリオン大隊長が村長の家屋から出ると、そこにはローブをかぶった女を後ろ手に拘束した蒼い髪の青年が立っている。
自分の身の上を話し、状況を近くに立っていた兵士にしきりに説明していた。だが大隊長の顔を見るなり背筋を正す。
「お前か。魔族の呼んだ異訪人ってのは」
「まぁ、そう呼ばれるらしいんですけどね」
兵士が大隊長の見聞きしたままの状況を報告する。──聞けば、この異訪人。魔族に召喚されたはいいもののそこで仲違いを起こした。乱戦の末に相手を取り逃がし、捕らえることが出来たのはこの女だけだと。
それを聞いたサピリオン大隊長は腹の底から笑い声を挙げた。集落中に響き、放牧されている草食の魔獣達が顔を上げて警戒するほどの大声で。
「だぁーっはっはっはっ! それじゃあ、えぇ、なにか! 魔族は禁を破った挙げ句に失敗して、逆に自らの首を絞める結果になったと! こいつは、っはっはっは! 笑い草だ! あぁ、おい、聞いたかお前たち!」
「手土産片手に森の中ずっと歩いてきたら、やっと人間を見つけることが出来たので安堵のあまり、ぶっ倒れるかと」
「いやぁ手柄だ、異界の訪問者よ! おい、誰か水をくれてやれ。それで、一体どこの誰を捕らえたっていうんだ?」
目深にかぶったローブを引き剥がすように持ち上げると、その下から現れた端麗な顔立ちに隣にいた異訪人も息を呑んでいた。
コウモリの羽のように長く広がった耳。丸眼鏡の奥、赤い瞳の鋭い目つきに、心まで射すくめられそうだ。髪の色は桃色とも紫色ともつかない色彩を放ち、唇の端を引き締めている。
サピリオン大隊長に向けて敵意と殺意を隠そうともしていなかった。
「こいつぁ……! とんだ大物だ! 魔族の大貴族の一派、ガルグラント大公の娘! 剣術指南役として名を馳せていた、夜鬼族のアーシュ・ガルグラント! でかしたぁ、異人の訪問者!」
「貴重な水をどうも。ありがとう、生き返るよ。長旅で大変だったんだ」
腰を低くする異訪人に対する好感を隠さず、サピリオン大隊長は名を尋ねる。
「この功績は人類の勝利に長く刻まれることになるだろう!」
「それはそれは」
「──おい貴様ら、この集落の魔族達をどうした! 私の仲間達はどこだ!」
怒りに美貌を歪ませながらアーシュが話に割り込む。足を踏み出すが、マスターが荒縄を引っ張った。それを鼻で笑いながらサピリオン大隊長は顔を覗き込む。
「お前の仲間か。すぐに会わせてやる」
親指で指し示される納屋を見やれば、中に入れていたであろう農具が表に放り出されていた。物置小屋に詰め込まれた仲間たちに代わり、アーシュが我を忘れて食ってかかろうとするのをマスターが肩に手を置いて屈み込ませる。
それは、傍目には押さえつけるように見えただろう。
「仲間? この女の?」
「あぁ、異界からの訪問者である君は知らんか。ここは元々魔族の集落、農民ばかりの場所だった。俺たちが来た時には、それに魔王軍が紛れ込んでいたんだ。こちらも無傷では済まなかったが、農民を人質に取るほかなかった」
「っ、卑怯者め……!」
「なんとでも。歴史には勝者のみが残れば良い」
睨みつけてくるアーシュの顎を持ち上げ、サピリオン大隊長は顔を近づける。
「お前ほどの美貌と地位と権力。無くすには惜しい、俺の物になる気はないか?」
「願い下げだ」
唾を吐き捨てて、アーシュはしてやったりと言う顔をした。その侮辱に、しかしサピリオン大隊長は怒りを見せることなく笑い飛ばす。
「強い女を組み伏せてこそ、味が出るというもの」
「あ〜、確認させていただきたいのですが。大隊長殿? 質問をいくつかよろしいでしょうか」
「おぉ、すまんすまん。許可しよう、なんだ?」
「いやぁ、自衛することで頭がいっぱいだったもので。状況がまだ飲み込めていなくて──魔族は今どういう状況なんです? それに人間軍がどうこうと言われても」
語られるのは、英雄譚──此度の勇門の儀による召喚。長年の悲願である魔王討伐を見事成し遂げてみせた。これぞ天のもたらした好機、今こそ大陸全土を人類の掌中に収めんと我ら人間軍は勇猛果敢に踏み入った!
北方氷獄に始まり、要である交易都市の陥落。そして首都占領。
更に続いて南方炎獄に現在も山岳城砦を攻略している。それを率いるは歴代最強の勇者とまで言われた【
氷獄を単騎で制圧せしめた【
なによりも!
我こそはと名乗りを上げ、自ら戦地に赴き、私兵三百万を抱える一大貴族の一人。
人呼んで【
「──わかるか、アーシュ・ガルグラント! 人間が誇る最高峰の戦力、五大霊素を極めし者がお前たちの命を狙っている意味が」
「ッ……元・勇者に『五天将』が二人も」
「勝算が薄い? とんでもない。そんなもの、貴様らに最初から『無い』んだ。わかったら諦めろ。抵抗など無意味だ」
「──だってよ、アーシュ・ガルグラント様? やめとく?」
「バカを言え、私の台詞だ。マスター・ハーベルグ──」
マスターが荒縄を思い切り引っ張ると、それはアーシュの拘束を呆気なくほどいた。立ち上がりざまに引き抜いた赤い刀身の短剣がサピリオン大隊長の顎下から脳天まで貫く。勝ち誇った顔が、マヌケな死に顔を晒していた。
踏み込んだ勢いでボロのローブがはためき、風に流されていく。
眼鏡を外したアーシュが目を鋭く細めていた。陽の眩しさもあるが、それ以上に目の前の男に対する敵意と殺意に嫌悪感を隠しもせずに。
「隙だらけだぞ、大隊長」
「饒舌な熱弁恐れ入るぜまったく。拍手もんだな」
──敵襲であることに気づくのに遅れた伝令が開戦の角笛を鳴らそうとするが、すでに遅い。アーシュは短剣を引き抜くとまっすぐに仲間たちが捕らえられている納屋に向けて凄まじい速度で踏み込んでいた。マスターを巻き込んで。
「っぶあ! テメェ土かぶせんじゃねぇよ!」
怒鳴りながら鞘から剣を引き抜こうとする兵士の首を切り落とす。
放牧地に響く開戦の号令。兵士たちは士気高揚の意味を込めた咆哮をあげて二人になだれ込む。多勢に無勢、もとより無茶な戦力差だがアーシュとマスターは算段をつけていた。
“──私を捕らえたフリをして、集落に乗り込む?”
“あぁそうさ。異訪人ってのは重宝されるんだろう? とくれば、あとは俺の口八丁でどうとでも”
“首尾よく乗り込んで、そのあとはどうする”
“上手いこと話題を切り込んで、捕虜の場所と敵の戦力を聞き出すさ。ま、そこも俺の口車がうまくエンジンかかってくれりゃあとはアクセル全開で押し通す”
“……その、えんじん? とか、あくせる? とか。聞き慣れない言葉を出さないでくれないか。意味がわからない”
“ノリと勢いでなんとかするってこと。任せとけ”
(ああまったく、末恐ろしいやつだよお前は! まさか、本当に全部うまく相手を乗せて聞き出したのだから!)
百面相もいいところだ。口ぶりから表情までまるっきり別人と化していた。
アーシュは進路を阻もうとする兵士を蹴り飛ばし、開いた左手に魔力を集中させると“血の刃”を形成する。短剣の二刀流で足を止めずに駆け抜けた──もっとも、彼女の速度についていける兵士はサピリオン大隊にいなかったが。
アーシュが納屋の扉を蹴破る。中に飛び込むと内部は薄暗く外部からの明かりが辛うじて入り込むことで薄っすらと内部を照らしていた。
「みんな、無事か! 助けにきたぞ!」
集落の魔族達に合わせて、魔王軍諜報部の面々も数こそ減らしていたがその声に顔を挙げる。
身体を縛られているようだが、命に別状はない。しかし、中には手ひどく痛めつけられたものもいる。腸が煮えくり返る思いだが、今はそれどころではない。手当は後回しに、戦力となる者から開放していく。
「クソ、取り押さえろ!」
「邪魔をするな人間ども!」
アーシュが投てきした血の刃は納屋の入口に突き刺さり、そこから根を張り巡らせる。そして、血の茨道が出来上がった。串刺しにされた人間達から苦悶の声が聞こえてくる。
いばらによって納屋の周囲を守りつつ、アーシュは仲間たちの開放を急ぐ。
「戦えるか、加勢してくれ。大隊長は片付けてある」
「姫様は? 姫様は無事なのか!?」
「あぁ、安心してくれ」
「表の騒ぎはいったい……」
「心強い……多分、味方が敵を引きつけてくれている。反撃に出るぞ」
諜報部の魔族を開放していきながら納屋の奥へ奥へと向かう。
その最奥部。転がされるようにして倒れている魔族を見て、アーシュは額に手を当ててため息を吐く。
すぅすぅ、と寝息が聞こえてきたからだ。こんな状況でよくもまぁ寝ていられるものだと感心しながら、足を振り上げて強めに頭を蹴り飛ばす。
「──……、んんぅ~……? ふわぁ……なぁにぃ、だれぇ?」
“とろん”と眠そうにしながら、寝返りを打つ。顔を上げて、それが痛みに顔をしかめているアーシュだと気づくと眠っていた魔族の女性は満面の笑みを浮かべた。
「助けてくれないのかと思ってたわぁ~、アーシュちゃん」
「っ、っ……! いいから、早く起きろ……!」
「でもこの拘束解いてくれないと動けなぁ~い」
彼女だけは何故か、太い鎖でがんじがらめに縛り上げられている。本来は巨人族相手に使う拘束具のはずだが、簀巻きにされていた。アーシュは短剣に魔力を集中し、意識を刃に向ける。
短く呼気を吐き出し、鎖を断ち切る。ようやく自由を得られた相手は鬱陶しそうに鎖を玩具のようにどかして立ち上がった。
「っん、ふぁ~あ。やぁ~っと自由に動けるぅ」
アーシュは人並みに背丈は高い方だが、それよりも更に高い。平均的な成人男性よりも、頭ひとつ分は高い。二メートル近い長身の美女。
毛先に向けてウェーブがかった白い長髪。病的なまでに肌が白く、青白いと言ってもいい。幽鬼、幽霊、生気の欠片も見られない。しかし、彼女の肢体は豊かに恵まれていた。着込んでいる薄手のインナーは身体にフィットしているせいでよりスタイルが鮮明になっている。現代で言うところのラバースーツ。その上から更に着込むことで防御力と機能性を兼ねていた。
身体を慣らす女性を置いて、アーシュは他の魔族達と手分けして集落の魔族を開放する。戦えないものはここで待つように指示を出し、護衛として数人を残した。
「よし。いくぞ、メリフィリア」
「そうねぇ──おなかすいちゃったから、ちょっとくらい食べてもいい?」
「…………ほ、程々にしておけ?」
魔王軍諜報部、暗殺部隊隊長メリフィリア・グーティスはその言葉に、揺れる髪に隠れて頬が裂けそうなほどの笑みを浮かべる。
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