第2話 初仕事


 ──人間軍の騎馬隊が掲げる旗が森の中の青い風ではためく。馬の頭に、槍と剣を交差させた紋章。サジリス騎兵小隊を率いる小隊長は軍馬から降りると、手綱を兵に預けた。

 偉丈夫、と言って申し分ない恵まれた背格好。身の丈を超える大剣を預けられるに相応しい騎士甲冑の相手は、肩に鞘を懸架しながら歩み寄ってくる。威圧感に尻込みする魔王軍の背中を呆れながらマスターは見ていた。


「往生際の悪いことだ。魔王の娘、ミレア・ヴァン・ヴェーグロード。残すは僅かばかりの敗残兵、魔族の僻地に追いやられた貴方の逃亡劇もここまでだ。大人しくそのペンダントを渡してもらおうか」


 野太い、芯の通った張りのある声。そこから年齢を探り、四十代から五十代。歴戦の古強者、でなければ魔王軍の追撃に兵を預かる立場にない。

 相手の士気は目的達成、人類の勝利を目前にギラギラと漲っている。


 サジリス小隊長の視線は、見慣れない異国の衣装に身を包むマスターに向けられていた。自分が見られていることに気づき、軽く手を振ってみる。


「どうもー、お邪魔してまーす」


 ……なんとも気の抜ける挨拶に、兜の中で唸っていた。疑念の色を含ませて。


「そこの貴様、異訪人か。不運なことだ。こんな状況で魔族に呼び出されるとはな」

「あー、俺もそう思うわ。普通なら人間軍に寝返るだろうよ」

「今からでも遅くはないぞ?」


 なんとも寛大な措置だ。マスターはその心意気を五つ星で評価する。


「それは嬉しいね。だけど悪いが、もう少しだけ待ってくれないか? 商談の途中なんだ。先にこっちの話をまとめておきたい。僅かばかりの慈悲を恵んでくれよ、右も左もわからないんだ」

「……許す。手短にまとめることだな。魔王の娘の遺言、その語り部となるだろう」

「慈悲に感謝を。それじゃ話の続きだ姫様。手早くちゃっちゃとまとめよう」


 右に左に変わり身の早さにてんてこ舞い、置いてけぼりでついていけないミレアはすでに軽く困惑しながらも、マスターの目を見て頷くことしか出来なかった。


「話をまとめると、要求は魔族の政権復興ならびに首都奪還で間違いないか?」

「は、はい」

「よし。それに見合う報酬は、俺を元の世界に返還する。これで間違いない?」

「間違い、ありません。その通りです」

「なるほどわかった。──こいつは最後に確認なんだが、姫様。アンタはその過程で自分の身に何が起きても。何を失ったとしても、必ず報酬を支払うと約束できるか」


 紫色の双眸が、ミレアの赤い瞳を見据えている。眼の奥、心の奥底まで刃を突き立てるように。命の危機に直面していると本能的に察したミレアの顔色がみるみる青ざめていく。──この男は、躊躇いなく自分の命を奪うことができる。そう直感した。


「──はい」


 だが。

 だがそれでも、ミレアは恐怖を飲み込み、マスターの言葉に力強く頷いた。すると、今度は打って変わって目の前で表情を緩める。なんとも緊張感のないヘラヘラとした顔で、マスターは嬉しそうにしていた。


「長期契約成立、毎度あり。ならこいつが俺の初仕事だ。あー、そこの狼男さん? 俺の商売道具を使いたいんだが、場所を譲っていただいても?」


 小馬鹿にしたような態度に物申したそうに犬歯を剥き出しにするが、傷物顔の狼男は横に一歩ズレてマスターの商売道具を渡す。

 敵意はあれど、警戒心は拭えず。しかしながら好奇心が勝るのか。狼男はマスターの複合兵装に興味を示していた。


「お前が入る黒鉄の棺桶じゃないのかそれ」

「アンタが入るには窮屈かもな」


 棺と称されたそれは、言い得て妙な形をしている。

 黒い鉄は背の高い木々の隙間から溢れる日差しで光沢を放ち、その厚さも高さも成人男性が入れるほど。それほど鈍重な物を背負い、森の中を易々と歩くのは容易ではない。


 マスターが棺桶──『複合兵装』のボタンを押すと、装甲に亀裂が走り、スライドして格納されていた刀剣の数々を展開させた。見慣れぬギミックを目の当たりにした狼男の尻尾がガマの穂もかくやと言わんばかりに膨らむ。

 大小様々。数にして十本足らず。その中から無造作に選んだのは、飾り気のない長剣だった。刀身と柄が一体化されており、鍔すら無い。人斬りの出刃包丁のようでもあった。同じくこちらも黒い。


「……ひめさま、アレ」

「ええ……今のは、【忌術士】と同じ……」


 ミレアの傍からずっと離れなかった小さな従者が、目深に被ったフードの中から小さく呟く。

 事の成り行きを見守るミレアの半歩前でアーシュはマスターに声を掛ける。


「おい。その男は【百剣士】だ! 気をつけろよ」

「あー? 人間であることに変わりねぇなら首切りゃ死ぬんだろ。んじゃどうとでもなるわ」

「お前がどれだけ腕に覚えがあるかは知らないが、背負っている大剣は」

「はいはいはいはい気をつけまーす」


 忠告警告心配無用、マスターはひらひらと手を振りながら【百剣士】のサジリス小隊長の前に歩み出た。先ほどとは状況が変わっている。明確な敵対行為に対し、鼻で笑い飛ばすと大剣を引き抜いた。


「愚かな。自ら敗北を選ぶとは、貴様のような異訪人を初めて見たぞ」

「なら最初で最後だ」


 互いに構え、戦いの火蓋が間もなく切り落とされる。素性も名前も明らかではない相手、気兼ねなく戦える──マスターにとってはいつも通りの仕事だ。


 サジリス小隊長の振るう幅広の大剣が空気を唸らせて振り下ろされる。マスターはそれを黒い外套、厚手のコートを翻しながら躱した。

 すれ違いざまに黒い長剣で切りつければ、鎧が火花を散らして防ぐ。その手応えに「へぇ」と感心しながらマスターは手首を返して剣を振るう。


「中々どうして、良い鎧だな」

「当然。我らサジリス小隊、敗残の魔王軍追撃の大任を帯びた者たちだ!」


 一度、二度。マスターは長剣の素振りを行う。


「……何をしている。なんの儀式だ?」

「んー? いや、なに。甲冑相手が久しぶりなもんでちょっと」


 軽やかな風切り音。だが、その音が少しずつではあるが高くなっていく。やがて、耳をつんざくような音になるとマスターは反響する感触を確かめるように頷いた。


「加減がちょっと効かなくてな」


 兵士達からせせら笑いが聞こえてくる。

 騎士甲冑は防具だ。身を守るための装備、そんなのは当然。それを斬るのは容易なことではない。だからこそ騎士甲冑を纏うのを許された【百剣士】は人間軍において要所を任される。

 サジリス小隊長とて同じこと。人間軍に所属すること三十年余り──辺境の村を巡回し、魔物の手に脅かされる無辜の民を守ることを使命としてきた。


 その武功が認められ、一層の働きを期待されて背負わされた『叡智の断剣』だ。

 こんな気狂いの異訪人の子供に負けるなど、笑い種にしかならない。そんなことはあってはならないのだ、断じて。


「おぉぉっ!!」


 ──そう、断じて否!

 サジリス小隊長は一気呵成に吠え立て、攻めに転じる。振り上げた大剣に向けて、しかし、マスターは片手で長剣をゆるく携えたまま動かない。

 本来、大型魔物相手に振るうべき大剣。生身の人間であれば、ひき肉になってしまう。だがサジリス小隊長は躊躇しなかった。目前となった人類の勝利に功を焦ったわけではない。このような些事に、時間はかけていられないからだ。

 そしてそれは、マスター・ハーベルグにとっても同じこと。


 叡智の断剣が、空を切った。

 その下にあったはずの異訪人の姿はなく、ほんの僅かばかりのズレが生じている。外したのではない、またしても躱されたのだ。それも今度は、刃が触れる直前に。

 その胆力に、その反射神経に驚愕しながらも、やはりまだサジリス小隊長は自らの勝利を疑わなかった。

 叡智の断剣の切先が地面に沈み込むが──それが振り上げられることはなかった。

 すでにマスターの手の中で長剣が命に照準を定めている。


「じゃあな力自慢」


 長剣を水平に寝かせた状態から狙うのはただ一点。

 力強く踏み込んだ膂力から放たれる刺突は、おおよそ理解の範疇を超えた速度と威力を兼ね備えていた。

 身を守るはずの防具が、素通りするかのように胸部を一撃で貫いている。

 驚き、兜の中で目を見開きながら自分の身体を貫く異物感にサジリス小隊長は視線を落としていた。そこには、綺麗に鎧を通す長剣。


「バ、カ……な……!?」


 〝鎧貫き〟と呼ばれる武器がある──文字通り、甲冑の隙間を縫うように作られる細身の直剣。しかし、マスターが手にしているのは反りがなく、一直線に伸びた細身の黒い長剣だ。

 サジリス小隊長の胸板に手を当てて、まっすぐに引き抜くと間もなくして兜から血が滴り落ちる。膝から地面に着くとマスターは既に長剣を横一文字に構えていた。


「戦利品としてアンタの大剣は戴いていく」


 手足の感覚が冷たくなっていくのを感じながら、サジリス小隊長は見た。そして聞いた、その絶望的な言葉を。悪魔のような笑みを。

 長剣が閃く。首が舞い上がり、やがて小川に音を立てて落ちていった。首から噴き出す血飛沫を邪魔だと言わんばかりに蹴倒し、顔を拭うことなくマスターは小隊長を失ったサジリス小隊に歩み寄る。


「さぁてどうする! 頼みの綱の小隊長はご覧の通り名誉の戦死だ! このまま退くか、それとも進んで名誉を手にするか! どっちか選びな!」


 目的の達成を前に起きた、まさかの出来事に彼らは狼狽した。だが、この局面を乗り切れば大願成就。人類の完全勝利と疑わない。

 軍馬に跨り、手綱を握っていた副隊長が大きく槍を掲げる。


「臆するな! たかが異訪人ひとりだ! 私に続──!」


 目を離したのは、一瞬だった。

 ほんの刹那。仲間たちに訴えるように視線を向けた、その瞬間の出来事。

 すでにマスターは、鎧を着込んだ軍馬の首もろともに副隊長の身体を両断していた。ぐらりと傾いた身体が地面に転がり、それから噴水のように血飛沫が地面を赤く染め上げていく。

 その中をズンズンと進み、生暖かい返り血を浴びながら蒼い悪魔が迫る。


「どっちを選ぼうが死ぬことに変わりはねぇがなぁ! 臆するな、指揮官に続いて名誉の戦死だ!」


 剣を引き抜こうとした兵士が無造作な一振りで首を斬られた。鞘から抜き出されようとしていた剣を奪い取り、騎兵の首に投げ放つ。

 避ける間もなく狙い通りに貫いていた。

 指揮系統が崩れ、あれほど士気が高揚感に満ちていたサジリス小隊は這々の体となっている。中には果敢に立ち向かおうとする兵士がいた。しかし、抵抗もむなしく空振りに終わる。


 マスターはそれをつまらなさそうに吐き捨て、頭数を計算に入れていた。自分が作った死体の数と、最初に見た人数の数合わせをする。

 森の木々を蹴り、跳ねるようにして逃げ出した兵士の最後の一人を捕らえると膝の骨をへし折って引きずるように小川にかがみ込む。


「他に仲間は?」

「だ、誰が答え……!?」


 鷲掴みにした頭部を小川の清流の中に叩き込み、数十秒。抵抗の意思が弱まったのを見てからマスターが引き上げる。


「他の人間軍は?」

「っぶは……! はぁ、はぁ……っぶ!?」

「言うまでやめねぇぞ」


 たかが一兵卒、得られる情報に限りがあるのはわかっていた。それでも近くに仲間がいるかどうかだけでも聞き出そうという魂胆のマスターは、表情を緩めている。

 一度でダメなら二度。三度目は有無を言わさず川の中に突っ込んだ。四度目ともなれば死ぬ手前まで。

 引き上げた兵士の顔は泣いているのか鼻水まで出ているのか、飲んだ水を吐き出していたのかまではずぶ濡れだったのでわからなくなっていた。


「追撃部隊が……、近隣の集落に待機している! 魔王軍、の……捕虜もそこに!」

「そーかそーか、そっか。ありがとうな、このまま教えてくれなかったらどうしようかと思ってたんだ」

「頼む、お願いだ。命だけは──!」

「そうかそうか、うんうん」


 あしらうように相槌を打ち、マスターが兵士を突き飛ばす。足の骨が折れている相手はうまく着地できずにみっともなく倒れていた。

 黒い長剣を翻し、逆手に持ち替えて歩み寄る。起き上がろうとする相手の胸板を足で押さえつけて倒すと、拳を振り上げていた。


「そんな都合の良い話があると思うか?」


 振り下ろした拳が、嫌な音を立てて兵士の頭部を叩き潰す。顔を陥没させて引き抜いた拳からは粘ついた血の糸が引いていた。それを見てマスターも「うげぇ」と嫌な顔をしている。


 ──サジリス小隊を、たったひとりで全滅させたマスターは小隊長の死骸から叡智の断剣を奪い取るとこれも片腕で担ぎあげていた。

 ミレア達、魔王軍は何もすることができなかった。


「とりあえずひと仕事終わったけどよぉ、ちょっとくらい手助けしてくれてもよかったんじゃねぇかな?」

「……お前ひとりで全員殺したじゃないか。それになんだ、最後の奴。もう戦意なんてなかったのになぜ殺した」

「生かして帰すと面倒だから、他にあるか?」


 人の命を奪うことに躊躇のない行動力と判断力。人並み外れた身体能力。そこに異界の剣術も加味すれば──魔王軍にとって、これほど心強い味方はいない。だが、ミレアは不必要に人命を奪う行為に心を痛めているのか、苦い顔をしていた。


「あなたは──」

「さぁてそれじゃお姫様、お利口に逃げずに立ち尽くしているお馬さんは貴方とお付きの者でお使いください。聞けば近隣の集落に魔王軍の捕虜がいるという話、まずは小さなことからコツコツと。そちらを片付けようと思いますが、よろしいですか?」

「ぁ、え……?」


 複合兵装の装甲を展開させると、マスターは元通りに黒い長剣を収める。ミレアの話に耳を傾ける気など無いのか、叡智の断剣を狼男に預け、グリフォンに持たせるように指示を出していた。黒い棺を担ぎ上げると、ベルトを伸ばしてグリップを掴んで固定する。


「問題がなければ、今から向かおうと考えてますが。捕虜奪還、兵力増強が先決。そして速戦即決。相手方が動く前にこっちから打って出るつもりですが」

「なにか策はあるのか?」

「んー? 目につく悪い人間ぶっ殺す。以上」


 それは策とは言わない、無謀と言うのだ。だがマスターは心躍っているのか表情が明るい。

 コロコロと表情の変わる男だと思いながら、アーシュは先程の腕前を見て考えた。


「姫様。この男を単独で行動させるのはまだ不安があります。ここは私が」

「アーシュ……、わかりました。お願いできますか?」


 ミレアの不安げな表情に、優しくほほ笑み返すと眼鏡を直して咳払いを挟む。


「私が同行する。行くぞ」

「んじゃ道案内よろしく」

「……お前もしかして道もわからないのに行こうとしてたのか?」

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